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2008年8月29日 (金)

納涼大歌舞伎第三部

827日 納涼大歌舞伎第三部千穐楽(歌舞伎座)
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「紅葉狩」

08082902momiji ごめんなさい、かなり寝ました。獅子モノ鬼モノ、どちらも好きなのに、一部の「三人連獅子」も含めて、全体にパッとしなかった気がする(3つの中では二部の「大江山酒呑童子」が一番面白かったかな)。
勘太郎クン、いろいろ聞いていた評判どおりだったかな。出てきたときは「あれ、いい感じじゃない」と思ったのに、扇の扱いにも失敗があったし、安定感がなかったというのか。従者の高麗蔵さんと亀蔵さんの踊りがうまいと思ったし、面白かった。鶴松クンの踊りはほとんど見逃した(残念)。巳之助クンの山神は、悪くはないのだけど(声が裏返ることが多かったのも、ね)、私としては亀治郎さんのドラマチックな山神を見ちゃったから、どうしてもドラマ性を求めてしまって……わがままな観客です。
「愛陀姫」
08082903aida_2 新しいものを上演すれば賛否両論あるのは当然だろう。何でもあり、懐の深い歌舞伎だし、江戸時代にも新しい試みが色々行われ、そのたび何だかんだとあっただろう。そう考えればこういう歌舞伎があってもいいのではないかと思った(それなりに面白かったけれど、見るのは一度でいいかな…と言いながら、再演されたら又見そう)。音楽もそれほど違和感は覚えなかった。
ただ、セリフ(=言葉)は大事だ。時々ひどく落ち着かない気持ちになるのはなぜだろうと考えたら、「愛する祖国」といった、恐らくは明治以降に作られた言葉や表現が使われているのだ。こういう言葉が出るたび、なんだかお尻のあたりがむずむずする気分になった。菊五郎さんの「メタボ」や菊ちゃんの「お尻かじりむし~♪」なんかとは全然違うんだよなあ(つまり、こっちのほうが違和感なく溶け込んでいるということ)。
独白や傍白が多く用いられており、やや説明的ではあるけれど、登場人物の心理がわかりやすくなった。その間時間が止まって、周囲の人間の動きが一時停止になる。濃姫(勘三郎)、愛陀姫(七之助)、木村駄目助左衛門(橋之助)の3人同時の傍白の場面(同時といっても、もちろんセリフがかぶるわけではない。それぞれが今考えていることを1人ずつ喋る)は、「ウエストサイド物語」の決戦「トゥナイト」を思い出させた。

濃姫(勘三郎):この作品が生きたのは、なんと言っても勘三郎(以下、敬称略)が真面目に取り組んだ濃姫による部分が大きいと思う。嫉妬に苦しみ、さんざん苦しんだ挙句、自ら破滅を招く(愛陀と駄目助左衛門の2人は愛を確かめ合って死んでいくのだから、本人たちは幸せなのだろう)。ああ嫉妬にとりつかれた顔はいやだと思いながら、でもその苦悩がよく伝わる。誰しもがもつそういう感情をコントロールできない恐ろしさ。濃姫はオセロであり、イアゴーである、なんて思ったりもした。
愛陀姫(七之助):可憐で声がリンとして美しく、清冽な強さを感じた。愛において濃姫とは対極にある。駄目助左衛門への迷いのない愛、しかし2人はロミオとジュリエットである。どちらかが国を裏切らなくては結ばれることはない。それが愛陀を苦しめる。愛陀が故郷を思うセリフのなかに、「ひなびた土埃の立つ田舎の一本道。その土埃さえもが懐かしい」というようなのがあった。私はこういう道がとても想像力を掻き立てられて好きなので、ここはちょっと胸が締めつけられるような思いがした。当時の人にとって、山国・美濃の風土が厳しかったこともよくわかる。
木村駄目助左衛門(橋之助):一途な若者の清潔感があり、濃姫の情けを振り切って死を選ぶところなど橋之助のもつすっきりとした潔さが生きたとは思うのだが……ただ、なんとなく、この人物のキャラを摑み損ねた気がする。2人の女性にそこまで思われるほどの魅力を感じなかったというか……。
インチキ占い師荏原と細毛(福助・扇雀コンビ):もう最高。実際とは逆に荏原が女、細毛が男という、いかにも怪しげな連中(この名前だけで客席大ウケ)。福助はこういう役になると水を得た魚だ。ちょっとノリ過ぎっていう感もするけれど、研辰の姉妹を思い出した。やはりノリにのっていた扇雀は、むしろそれが生き生きとした感じを与え、女方よりずっといいかもなんて失礼なことを思ったりした(あ、「つばくろ」の女将はよかったです)。
占い師が国を動かすなんてことは古代なら当たり前だし、この時代だってあっただろう。しかしやがて荏原は「人間の考えていることが見えるようになった」と言い、大勢の人間の考えていることを神のお告げにして国を動かしていく。まさに集団ヒステリーの怖さである(「闇に咲く花」を思った。神は戦争に利用されるものなのだ。だからあの作品では、神社は野の花であるべきだと伝えていたのだ)。
舞台装置とくに蛇腹にした塀や建物が面白かった。蛇腹を広げれば、そこに建物が現れ、閉じれば建物はなくなる。愛陀が駄目助左衛門をだまして尾張のためのスパイ役をするように父・織田信秀に強制される場面では、この塀の蛇腹が風でがたがた揺れ動く。愛陀の心の揺れを表したものと思われ、なかなか見事と感心した。

原作のオペラはほとんど知らない。王女アイーダが捕虜になった国で奴隷として宮殿に仕え、その国の将軍ラダメスと恋に落ちる、その国の王女もラダメスを愛している、というようなストーリーだったかな、でも確かすっごい立派な宮殿に大勢の登場人物が集まっている場面だけ写真で見たことがあるな、という程度。音楽も行進曲しか知らない。以上、そういう私の目で見た感想でした。で、逆にオペラの「アイーダ」を見てみたくなったのでした。
<上演時間>81
カーテンコール:1回目は出演者全員を舞台前面に出して、感動。2回目は勘三郎さんが客席の野田さんを探し、野田さんが真ん中の通路から舞台にひょいと飛び乗った。スタンディング・オベーションの中(最近、なんでもスタオベって気がする。前の人が立てば見えなくなるから、私も立ったけど)、さかんに勘三郎さんが野田さんに挨拶するよう、手真似で勧める。何しろ大拍手だから、口で言っても聞こえないのだ。野田さんは「いやいやいや」という感じで遠慮し、ではというので2人でジャンケンを始めた。野田さんがチョキ、勘三郎さんがパーで、結局勘三郎さんが「また、歌舞伎を書いてくださるそうです」と一言だけ。
おまけ:こういう作品では、登場人物の名前も一つの楽しみだが、モテモテの男に木村駄目助左衛門とは、と訝しく思っていたら、どなたかの感想で種明かしを知った。その場面になったときは、ああこれがそうか、とニタリとした。種明かし→美濃の対織田軍総大将を誰にするかを荏原が占う。濃姫には木村の名前を言えと脅され、切羽詰った荏原は、なんとなく「ら」と発音してしまう。「らのつく名前なんて日本にはなかなかないぞ」と居並ぶ人たちからつっこまれ、又々切羽詰った荏原は次に「だ」と言う。そうやって「ら・だ・め・す」という4文字が神の選んだ名前とされる。それに当てはまる人物は? 「きむらだめすけざえもん」っていうわけ。よく、こんな名前考え付いたものですな。

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