« すっきり | トップページ | 3度目の岩長姫:なぜ、何度も見たくなる? »

2008年9月21日 (日)

ルーヴルの高校生たち

920日 映画「クラス・ルーヴル」(ルーヴルDNPミュージアムラボ)
土曜シネマと銘打った企画の作品としては3本目らしいが、私は今回初めて。日本初公開というドキュメントである。
パリのアンリ・ベルグソン高校にクラス・ルーヴルというクラスがある。そこの生徒たちは、ルーヴルで実際に作品を見ながら教師の講義を受ける。ルーヴルやオルセーなどの美術館に行くと、小学生やら高校生やら、作品の前の床に座り、教師の説明を聞いたり模写している光景をよく見かける。こんな授業、日本ではまずあり得ないだろう。
クラス・ルーヴルの生徒はその場で、その作品についてどう感じたかを発言しあう。たとえば、「モナリザ」と同じ展示室で、モナリザの向かい側に展示されている「カナの婚礼」。この絵の前で、「この絵からは人生を感じる、大きいし賑やかで色遣いも多彩だし、面白い。しかしモナリザには意味がない」と言う男の子。それに対して「どこにいても彼女の視線を感じるの、モナリザは生きている」と反論する女の子。男の子は、ルーヴル最大の絵画である「カナの婚礼」を賛美し、ガラスの中に入っていて小さいというだけでも「モナリザ」を評価しない。異なる意見はどこまでいっても平行線。議論というよりは子供のケンカみたいだけれど、これもそれぞれの感覚を磨いていくうえで大事なことなのかもしれない。
作品の感想を聞かれて、「何も感じない」と答える子もいる。何か感じるだろうと追及されても「何も」としか言えない。私はこの子の気持ちがちょっとわかるような気がする。芝居を見て、そういう時がたまにあるからだ。何か感じているとしたら、何も感じなかったことを感じた、ということだ。自分の意見が言えなくて、どこかで見た他人(先人かもしれない)の意見を自分のもののように口にする生徒。教師はそれをちゃんと見抜いている。「キミはもっと自分の意見をもっているはずだ」と諭すように励ます。
自分の両手で四角いファインダーをつくり、それを通して作品を眺めていた生徒がいたが、このファインダーから覗く絵画は、全体を見るのとはまた違った様相を見せて、かなり興味深かった。今度、私もそうやって見てみようという気になった。
面白かったのは描画の授業だ。先生がさまざまな顔を描いてみせる。それはさっさっさっと一筆書きみたいな感じで描かれた顔で、生徒たちは「そんな殴り書きみたいなのはよくない」とか「なぜ、写実的に描かないのか」とか疑問をぶつける。当たり前に描いたのでは想像力、創造力は広がらない、と言う教師。生徒たちは必ずしも納得したようには見えなかったが…。
最後に1年間の授業の集大成として、自分が選んだ作品を前にして、その作品を解説する(あるいは感想を述べる)発表会がある。この日、生徒は両親、親戚、友人などを招待し、自分の意見を述べるのである。せっかく時間をかけて準備したのに、あがってしまい、何も喋れなくなってしまう男の子。「用意したメモを見なければできません」と、ついには発表を断念する。しかし彼は、見事に発表を終えた女の子を祝福する。フィクションの映画なら、ここにクライマックスをもってきて感動のシーンということになるのだろうが、このドキュメント映画は、そういう生徒の実態をただ淡々と映し出すだけだ。
生徒たちはどの子も、そこらへんにいる今時の少年少女で、必ずしも芸術に熱意をもってこのクラスを取った子ばかりではない。だから授業に退屈したりもする。ケンカもする。前半で、授業の一環としてのイタリア旅行の場面がある。疲れのせいか、不機嫌そうな生徒たち。それがシスティーナだろうか、どこかの聖堂に入った途端、その絵画の素晴らしさに彼らが圧倒されている様子なのが興味深かった。

クラス・ルーヴルの1年間をたった1時間でまとめてあるため、時々つっこみが足りない部分があるようにも思ったが、それは仕方ないだろう。また、先生が作品解説をしているとき、写し出されるのは生徒の表情が主であって、作品はちょこっと写るだけである。フランス人ならそれで理解できるのかもしれないが、私にはその辺が物足りなく感じた。もっともこの映画の主旨は作品解説にあるわけではないから、これもまたやむを得ないだろう。
なんでもかんでもフランスを礼賛するつもりは毛頭ないが、芸術教育はたしかに優れていると思うし、こういう授業は受けてみたくなる。

080921islam_2 映画鑑賞後、現在展示中のイスラム美術・スーサの陶器をもう一度見た(6月に1回見ている)。鑑賞後のアンケート記入の際に、デジタルボールペンというのを渡された。ペン先に近いところにカメラがついていて、最後「送信欄」にチェックを入れると、カシャッと音がして、書き込んだ内容をパソコンに送るらしい。前回の6月はまだエンピツを使っていたから、これには驚いた。
ルーヴルDNPは半年で1作品、3年かけて6作品を紹介するのだそうだ。今回の展示は今月27日まで。次回は126日から「部屋履き」(ファン・ホーホストラーテン)。これも非常に期待できそうで楽しみだ。
追記:作品鑑賞を作文に書くという授業があった。ここでも、よくやりがちな、他人の言葉を借りたりするような子がいて、教師はその非を指摘し、もっと自分の言葉で書くように指導していた。また、2人の酔っ払いの会話として書いた子には、面白いけれど、バカロレアの作文としてはどんなものだろうか、と苦言を呈していた。私など、へ~、いいアイディアなのにと思ったし(私なんかも、こういう分を作りそうな気がする)、フランス人好みの内容のような気がするが、バカロレアというのはそういうことが許されるような試験ではないのだと認識した。高度な試験の緊張した雰囲気が窺えるような、教師のアドバイス
であった。 

なお、ルーヴルDNPにご関心のある方は、
Swing part1、カテゴリ「ちょっとアート」に過去4回のレポがありますので、お読みいただけると幸せです。

|
|

« すっきり | トップページ | 3度目の岩長姫:なぜ、何度も見たくなる? »

展覧会」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« すっきり | トップページ | 3度目の岩長姫:なぜ、何度も見たくなる? »