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2010年2月11日 (木)

二月歌舞伎夜の部1:壺坂霊験記

28日 二月大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)
夜の部は千穐楽のみの予定だったが、ひょっとしたら危ない気配が漂ってきたので、見られるうちに見なくてはと、急遽戻りチケットを取った。頑張って32列目下手寄りのいい席を引き寄せた。上手側はわからないが、下手側は最前列より2列目のほうが見易かったりして(というのは、最前列はやっぱり手すりが目に入る。前かがみになったり背伸びする遠慮に気を使うから)。
しかしこの日は周りがうるさく、茶の間で見ている風お喋りが聞こえてきたり、紙袋やポリ袋ばさばさ音が耳についたり、環境としてはイマイチだったdespair
「壺坂霊験記」
前夜寝不足でなくてよかった、と思った。でなかったらかなり寝ていたかも。と言うほどつまらなくもないのだが(そこそこ面白かった)、沢市みたいなぐずぐず悩む男は苦手なのだ。盲目の悲哀は痛々しく伝わってくる。ただ私にはその絶望が女々しく感じられてダメ(多分、自分にそういう傾向があるから、それを突きつけられるのがいやなのだ)。三津五郎さんの本質は明るさだと思う、だからぐじぐじ言うストーカーまがいの役は三津五郎さんにあまり合わないとは8月の「お国と五平」で書いたことだが、意外にもこの沢市にそういうことは感じなかった。こういう男はダメと言いながら、どこかで同調していたのかもしれない。それほど三津五郎さんがうまかったのだろう。
福助さんはほとんど作っていなかったのはいいが、私はついついこの人本当に沢市一筋なのかしらと疑ってしまった。何となく目が泳いでいるような、どこか放心しているような印象を受けたから。もう一つ言い訳させてもらうと、観音堂へ行く途中で沢市が歌を歌った時にお里が耳を塞ぐような素振りを見せたようだったのがよくわからなかったから。夫の歌に哀れを覚えてたまらない気持ちになったのかしらと思ったけれど、「聞きたくない」という風にも見えた。でもその後夫婦でデュエット(?)してたっけ。
そのせいか、感動がやや薄かったのだけれど、沢市の目が開いて妻に「お初にお目にかかります」とお辞儀したときには、ちょっとウルウルきた。そして「ぢいさんばあさん」と「傾城反魂香」が脳内でリンクされた。「ぢいさんばあさん」は、沢市が幼馴染の妻・お里の顔を初めて見るのが伊織とるんの37年ぶりの再会につながり、「傾城反魂香」は、目が見えるようになった沢市の喜びようが、師匠に認めてもらった又平の喜び方を思い出させたから。
観音様は子役がやるのが常らしいが、なんだか違和感を覚えた(北千住観音だの金鯱観世音に毒されすぎたかなcoldsweats01)。またセリフがむずかしくて意味もわからず口に出しているような印象を受けた。玉太郎ちゃんが一生懸命そのむずかしいセリフを言っているのがいじらしくて、それはそれなりに感動した。

最後、定式幕が引かれ、2度目の登場となった観音様がその陰に隠れると、1人の老婦人がトイレへ行くのか席を立って、花道下の階段のところまでやってきた。実はこのときお里と沢市はまだ花道にいて、幕外の引っ込みになるのである。目の前に2人がいることにそこで初めて気づいたのか、老婦人はそのままそこに佇み、花道で展開される2人の喜びの引っ込みをにこにこしながら鑑賞。しょうがねえなと呆れつつ、そんなかぶりつき状態が微笑ましくて可笑しくて。でもこういうお芝居だからいいけれど、忠臣蔵だったら大変bleah

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