« 2月歌舞伎昼の部2・俊寛 | トップページ | 立春の朝 »

2010年2月 4日 (木)

2月歌舞伎昼の部3・口上、豆まき

23日 二月大歌舞伎昼の部(歌舞伎座)
10020403mamemaki_2
「口上」
芝翫さんを中心に、上手へ仁左衛門、玉三郎、三津五郎、魁春、左團次、梅玉、下手へ勘三郎、勘太郎、七之助、錦之助、橋之助、福助、秀太郎、我當の面々。
以下、各役者さん語る先代の思い出を。これからご覧になる方は楽しみがなくなるといけないから、お読みにならないほうが…coldsweats02
芝翫:十七代には可愛がってもらった。晩年は毎月のように同じ舞台に出て、女房役も数知れぬほどやった。父・五代目福助が十七代を可愛がったのでそのお礼だからと。十七代が恩師六代目菊五郎の娘と結婚してできたのが当代勘三郎。その勘三郎が私の次女と結婚したのは夢のよう。
仁左衛門:先代には可愛がってもらい、色々教えてもらい、役ももらった。やさしい反面、ワガママで短気。可愛い人でした。23回追善公演ができたのは当代が頑張っているおかげ。
玉三郎:この興行で中村屋と親戚にあたる成駒屋にとって大切な役を2つもやるのはご縁。一生懸命勤めます。
三津五郎:当代とは子供の頃から仲良しで悪さもした。先代は「おい悪友、おい悪友」と自分を呼んだ。先代が入院中にアメリカ行きの挨拶をしに行ったらお餞別をくれた。エレベーターに乗ろうとしたとき当代がすごい勢いで飛んできて餞別を胸から抜き取り開封するなり、「5万円も入ってる。オヤジ死んじゃうんじゃないかっ」(目に浮かぶっ)。しかし先代は見事に回復して、翌年「連獅子」を舞った。
魁春:初舞台以来、大変世話になった。舞台が一緒でも一緒でなくても注意をもらった。
左團次:「市川左團次にございます」とゆ~っくり名前を言うと、客席から期待の拍手と笑いが。「十七代目中村勘三郎――遠くから見るといや~なオヤジ」。近くにいると実にいいおじさん。「松浦の太鼓」で其角をやったとき、「ここは大きく息を吸って」と教わった。翌日の舞台でその箇所にくると、おじさん自ら大きく息を吸って「ここですよ」という風に教えてくれた。
梅玉:昭和50年初めて「俊寛」に出たとき、少将をやった。すると、隣にいたおじさんが少将のセリフを小声で言った。おじさん最後の「俊寛」でも少将をやった。今回当代から直接話をもらった。

我當:十一代仁左衛門と十七代勘三郎は従兄弟どうし。子供の頃から可愛がってもらった。海外公演に連れて行ってもらい、「俊寛」では丹左衛門をやった。
秀太郎:兄弟3人揃って出られて嬉しい。歌舞伎に出られないとき、別の舞台をやっていたら先代がそれを見てくれて、チョコレートケーキを差し入れてくれた。
福助:芝居の喜怒哀楽、芝居の心を教えてもらった。
橋之助:子役のときから可愛がってもらった。自分が出る「ぢいさんばあさん」、「籠釣瓶」、2つの舞台とも桜が満開。先代の命日は4月だから桜の季節になると思い出す。
錦之助:先代錦之助は子供の頃から十七代に可愛がってもらった。「爪王」の初演では先代錦之助が村長を演じた(今回、二代目が村長=庄屋を演じている)。
七之助:この舞台で大役をもらったこと、ありがたい。
勘太郎:この舞台で色々役をもらったのは、祖父・父・諸先輩のおかげ。
勘三郎:列席の方々が22年――自分にとって22年は昨日みたいなものだが、22年は22年――前のことを昨日のことのように喋ってくれて父も喜んでいるだろう。また、父が大好きだった歌舞伎座最後の2月に追善ができて「どうだ、オレは間のいい役者だろう」と言っているに違いない。

10020404mamemaki_3 この後豆まきが行われた。赤鬼、青鬼が逃げ惑う中、役者さん10020405mamemaki_6たちのまいた豆を、善男善女が手を出して受け取る。3階は歌舞伎座職員が配ってくださる、と、去年皆さんが教えてくださったので安心して待っていた。そうしたら数が足りなくなって、私は去年いただいたからいいか、と一度は諦めたのだが、脇の廊下で補充されたのを見てダッシュdash 職員さんが「中でお配りしますから」と言っているのに、オバチャンパワー(もちろん私も)は職員さんを中に入れずその場で奪い合うように豆を頂く(職員さん、怯えていたかも。ごめんなさい)。結局、自分がいただくことに夢中になって、舞台の豆まきは最初だけしか見なかったbleah

|
|

« 2月歌舞伎昼の部2・俊寛 | トップページ | 立春の朝 »

歌舞伎ミーハー観劇記」カテゴリの記事

コメント

2/6の昼の部のみ観て参りました。芝翫さん休演されていました。劇場の方に聞いたら一昨日くらいからと言っていましたので2/4からでしょうか。「ちょっと声がかすれて出ない様子でしたからね」ともおっしゃていました。口上は勘三郎さんが仕切っていました。一日も早い回復をお祈りします。

投稿: うかれ坊主 | 2010年2月 7日 (日) 10時48分

うかれ坊主様
コメントありがとうございます。
芝翫さん、1月のお疲れが出たのでしょうか。2月に入ってから寒さも急に強くなりましたし。そういえば、ちょっと声が掠れていたかもしれません、とくに口開きのときは。大事をとられたというだけならいいのですが、勘三郎さんもご心配なさっていることでしょうね。早く復帰されることを望む一方で、ゆっくり休養なさってしっかり回復されるよう願ってもおります。
若い名題下から国宝級まですべての役者さんの健康は、もっと配慮されるべきだと思います(ご自身の健康管理も含めて)。歌舞伎座建替え期間中はお休みが増えるのか、地方公演が増えて却って過酷になるのか…。

投稿: SwingingFujisan | 2010年2月 7日 (日) 11時04分

おはようございます。

昨日(7日)、昼の部に行ってまいりました。
芝翫さんは休演でした。

口上では、だいたいみなさん同じようなお話をされたようですが、三津五郎さんは違いました。

初めて南座の顔見世に出たときのこと(もちろん八十助時代)。先代勘三郎丈の鳶頭での『お祭り』。かつらがどうにもあわなくて、なんと舞台上ではずれてしまったのだそうです。後見の小山三さんが一生懸命つけてくれようとするけれどもおさまらない(^_^;。とても恥ずかしかった、と。それで終わりならまだよいのだけれど、鳶亀三の役だったので、そのあとまたからまなければいけない。再度登場したときは、主役そっちのけの大喝采。本当に申し訳なかった、と。

「でもおじさまは『いいよ、いいよ』と笑って許してくださいました」

さらに続きがありまして、なんでもそのとき先代の勘三郎丈はとぉってもご機嫌が悪かったのだそう。まわりのかたがたもほとほと困っていらしたところだったのですって。
「あなたのおかげで助かりました(^_^)」と感謝されてしまったというお話でした。

いつかは節分の日に観劇したいからつぎでした。

投稿: からつぎ | 2010年2月 8日 (月) 10時01分

からつぎ様
コメント&口上情報ありがとうございます。
鬘がはずれた時の八十助さんの内心の焦りがよくわかります。鬘屋さんも床山さんもさぞ冷や汗をかかれたことでしょうね。でも、「お祭り」のような演目ですから、まあご愛敬ですみますが、これがシリアスものや時代物だったら…
どの役者さんにも色々なエピソードがおありですが、先代勘三郎さんにはとりわけたくさんありそうですね。ご披露なさる役者さんの先代に対する敬愛の念が窺えて、ほのぼのしますね。
新しい歌舞伎座ではぜひ節分のご観劇を!!

投稿: SwingingFujisan | 2010年2月 8日 (月) 10時33分

口上では秀太郎さんのお話が良かったです。
秀太郎さんと言えば今週の日経の夕刊の「こころの玉手箱」に特集記事が連日掲載されています。

投稿: うかれ坊主 | 2010年2月10日 (水) 20時49分

うかれ坊主様
秀太郎さんがおっしゃる通り、松嶋屋3兄弟が揃って口上に出られたのは心が温まる思いがしました。秀太郎さんは、口上のセリフとしてではなく、当時をその場で実際に思い出しているような感じで先代のエピソードをお話になっていましたね。
日経は残念ながら購読しておりません。「こころの玉手箱」--まさに文字通りの素敵なお話が掲載されているのでしょうね。

投稿: SwingingFujisan | 2010年2月10日 (水) 22時49分

ようやく今日、昼の部に行ってまいりました。
口上はSwingingFujisanさまのところで皆さん、三津五郎さんが日替り、とおっしゃっていたので、ご報告を!と思っておりましたが、今日はSwingさまのいらした節分と同じ内容でした。
玉さまが、「先代に四谷怪談を教わろうとお宅にお邪魔したら、僕は怖いから12時までしか教えられないよ、と。お舞台終わって伺うので、10時に伺う、すると10時からお食事で、結局、四谷様はここが大事、と一つ教わるともう12時。次の日も教わりに行くとお食事終わって一つくらい。結局、あとは自分で考えることが大事、と教えていただいたような気がいたします」
というような内容でした。

投稿: 七子 | 2010年2月11日 (木) 16時42分

七子様
口上情報、ありがとうございます!! ご報告くださろうとのお心がとても嬉しいです。
三津五郎さんはいくつかのパターンで、っていうことのようですね(いくつパターンがあるのかわかりませんが)smile
玉様のお話、大変興味深く拝読しました。大らかな先代の様子が窺えますね。その大らかさの中に、玉様がおっしゃるように貴重な示唆が隠されていたのでしょう。それを見抜かれた玉様もさすがですねhappy01 私が拝見した日には、玉様は先代のことについてはあまりおっしゃりませんでしたので、七子様に教えていただかなければ、このエピソードは知らずじまいでした。
ありがとうございます。

投稿: SwingingFujisan | 2010年2月11日 (木) 20時39分

SwingingFujisan様
 今晩は。今日は歌舞伎座昼の部見てきました。
 芝かんは今日も休演でした。心配です。追善口上は当代中村屋が取り仕切っていました。各俳優は概ねFujisanさんのレポの口上でしたが、玉三郎のみ大きく違っていましたので、ご報告。先代と玉三郎が「檻(おり)」(酒乱の亭主の話でしたよね)を昭和40年代に上演したときです。先代の女房役は、大抜擢だったとのこと。鳥屋で二人が出を待つ間、先代が、「こうして(夫婦役)で共演するのは、今回でおしまいかね」と初日から言われ続けたそうです。玉三郎はなんて言っていいかわからず、何日もたって楽日近くに「これから何回もありますよ」と言ったところ、先代が「それを、言ってほしかったんだよ」と、とても喜んだとか。いかにも先代中村屋らしい話ですね。
 ところで、「俊寛」の最後の当代の表情ですが、笑いまではいきませんが、ある意味、安らかで満足感すら感じる表情でとてもいいと思いました。

投稿: レオン・パパ | 2010年2月13日 (土) 18時18分

レオン・パパ様
こんばんは。コメント、ありがとうございます。
芝翫さん、本当に心配ですね。大事をとっていらっしゃるだけならいいのですが…。
玉三郎さんの口上、ありがとうございます!! いいお話ですね。先代のお人柄がしのばれるし、お顔が目に浮かぶようです。また、若い玉三郎さんの困惑もわかるような気がします。
「檻」は見たことがありませんが、2月の「ほうおう」で勘三郎さんが「立役と女方両方を勉強している息子達で、すぐにも『檻』ができるだろう」とおっしゃっているのをつい先日読み、とても関心をもったところでした。
「俊寛」の最後は、やはり笑ってはいませんでしたか。でも微笑みに近いような表情でしたよね。そう、おっしゃるように「安らかで満足感すら感じる表情」でした。今日の東京新聞夕刊の2月歌舞伎座評にも「幕切れは微笑を浮かべたような穏やかな表情を見せる」とあり、レオン・パパ様のおっしゃっていた「微笑」を思い出していたところでした。

投稿: SwingingFujisan | 2010年2月13日 (土) 21時59分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1083822/33243709

この記事へのトラックバック一覧です: 2月歌舞伎昼の部3・口上、豆まき:

« 2月歌舞伎昼の部2・俊寛 | トップページ | 立春の朝 »