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2010年5月29日 (土)

五月花形歌舞伎夜の部再見・1

528日 五月花形歌舞伎千穐楽夜の部(新橋演舞場)
12
日の初見日に千穐楽の座席の見え方を上からだけど確認しておいた。つまり、花道で助六が様々な型を見せる場面は海老蔵独り占め席かってこと。もしそうでなさそうだったら、戻りチケットを狙うつもりだった。まあまあな感じがしたので、そのまま千穐楽を待つことにしたのだが…。
「熊谷陣屋」
夫に禁じられていたにもかかわらず陣屋を訪れた相模が夫に怒られないよう堤軍次を頼っていることが今までで一番強く感じられた。軍次の陰に隠れ、軍次の袖にすがり、小次郎心配の一途さで飛んできた母の切なさと「軍次、お願い」という女としての甘えに共感を覚えた。
軍次の板挟みぶりもひしひしと伝わってきた。相模の気持ちを理解するやさしさと、主人はあくまで熊谷であり命令には従わなくてはならないという忠義と…亀三郎さんには程よい柔らかさがあって、私は今までこの役者さんの何を見てきたんだろうと、認識を新たにした。
海老蔵さんの義経が弥陀六を見るときの目の表情が色々で面白かった。最初に声をかけるときは限りなく優しい目で、弥陀六が義経の顔を間近でじっと見つめるときには武将らしい誇りをもった目で、その後も弥陀六の述懐に応じて表情が変わる。海老蔵ならでは、と思った。
染五郎さんは演技が吉右衛門さんに似ているせいか(吉右衛門さんについて勉強したのだろう)、顔まで吉右衛門さんと重なった。花道での「16年は一昔、夢だ、夢だ」では染五郎さん、本当に泣いていたようだった。あれは汗ではあるまい。
しかしこのラストは実に秀逸だと思う。義経を中心にした全員の見得で終わっていたら、「熊谷陣屋」という芝居はここまで心には残るまい。幕が閉まった後、そこに聞こえる戦場の音と熊谷の心境の対比があればこそ、熊谷のこれからの人生を思ってこの悲劇の重みがより深まっていくのであると、2カ月続けて見て、
思った。
ところで、今日の座席は最前列の花道そば。贅沢だけど、やっぱり前過ぎた。首が痛い!! 染五郎さんは確かに目の前にいたが、下から鼻の穴を見上げるような感じだったsmile
「うかれ坊主」
熊谷が終わった後の30分の幕間、この時間に既に三浦屋のセットが組みたてられていた。大きな天水桶も用意されていた。そんな舞台上での大道具さんたちの活躍を時々幕の下から垣間見ることができたは、座席のおかげかも。
松緑さんの踊りについては、前回とあまり感想は変わらず、うまいしメリハリがあって見やすいけれど、もうちょっとまろやかな可笑しみがほしい。でも、ところどころ、思わず吹き出すといった感じで笑わせてもらった。

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コメント

わたしが観た日は、歌六さんが「制札の御講釈」といっておました。本来は「幽霊の御講釈」ですが、カットされているので訳が分からず評判のよろしくない台詞です。「制札」と言い変えれば、丸本とは違いますが分かりやすくはあります。賛否の分かれるところでしょう。千穐楽はどうでしたか?
あと、染五郎の履物の脱ぐ場所がお父さん写しで間違っていましたが、きっとそのままだったのでしょうね。中に入ってから履物の脱がなくてはいけないはずです。
仁左衛門丈以外はすべてそうですが、兜を最後に取るのも作法違いで見苦しい箇所です。(確かに最後に取ると僧形がはっきりして劇的といえますが)
実は最初、亀三郎さんの方が役者が大きく観えてしました。染五郎ファンには悪いけど・・・
松也と七之助の三人で舞台に「すき間かぜ」が吹くような感じが致しました。4月の歌舞伎座の舞台より間口は狭いはずなのにと思って観てました。
何度か演じる内に厚みを増していって頂きたいと思います。でも仁から言えば、熊谷ではなく義経向きの役者さんなのかもしれません。きっと「盛綱陣屋」の盛綱は似合うのではないでしょうか。
「うかれ坊主」は私の名前と一緒なので評しにくいですが・・・これからこれからというところでしょうか。先代の勘三郎や当代の富十郎さんの願人坊主が目に焼き付いています。

投稿: うかれ坊主 | 2010年5月29日 (土) 19時33分

うかれ坊主様
「制札の御講釈」という部分、私はそこまで注意して聞いておりませんでしたが、きっと「幽霊の御講釈」と言われたら「おや?」と聞きとがめたのではないかと思います。すんなり聞き流した自分を考えると、歌六さんは「制札」と言っていたのではないかと思います。そう考えながら一生懸命思い出すと、やはり「幽霊」とは言ってなかったような…。自信はありませんが。
この件に関して、ちょっと検索しましたら、詳しい解説がみつかり、なるほどと思った次第です。
次回いつ見られるかわかりませんが、その辺は覚えておいて見たいものです。
その他のご指摘の箇所も私は全然注意しておりませず、わかりませんでした。そこまでこのお芝居を理解していないというのが正直なところですcoldsweats02 色々教えてくださってありがとうございます。
総体的に見て(「寺子屋」もですが)、登場人物のリアルな感情が伝わってくるような気がしました。それは、義太夫ものとしてはよろしくないことなのでしょうが…。
「うかれ坊主」は、私にとっても舞踊としてよりはうかれ坊主様のお名前としてのほうが馴染みが深く、思わずにやっとしたくなります。松緑さんは時間はかかるかもしれませんが(今はまだ若い)、必ず願人坊主の味が出せるようになると信じております。

投稿: SwingingFujisan | 2010年5月29日 (土) 20時31分

染五郎、5人並んだ時はそんなに小さくないんだけど、舞台に上がると身体も芸も小さい。
顔の小さな役者は多いが、やってる事が一杯一杯で余裕がない。肚が出来てないのか何かに脅えているのか。例えば菊之助も楷書の役者だが、こっちはまだ華がるので役者向き。染五郎は今回声がつぶれなかったのだけは良かった。
海老蔵は脇がやれるようになった。特に義経は為所のない役だが、出ただけで義経の品格と悲壮感が漂っていた。大根脱出の舞台となった。
松緑は愛嬌がない。踊りはまあまあだけど性格に問題がありそう。
昼の寺子屋は出色だった。先月の幸四郎の舞台より見ている方もすんなり感情移入出来たのではないか。
助六と白酒売りのやりとりについても、確かに平成の歌舞伎の曲がり角を花形達が曲がろうとしているのはひしひしと感じた次第。

あとは観客の意識が付いて行けるかどうかという事だろう。

投稿: つがもねえ | 2010年5月30日 (日) 00時05分

つがもねえ様
コメント、ありがとうございます。
たしかに染五郎さんは線の細いところがありますが、熊谷は意外とそれがカバーされて頑張っていたように私には思えました。今、吉右衛門さんのような大きさを求めるのは無理ですが、つがもねえ様のおっしゃることもわかるような気がします。時として私もそう感じることがあるので。

私は昭和の大きな名優たちの歌舞伎は見たとしても子供の頃に少々という程度ですので、比較はできないのですが、伝統を継承している歌舞伎でも時代による変化というものは当然あるのでしょうね。観客の意識が付いていけるかどうか、というのはおっしゃるとおりだと思います。でも、心に訴えかけるものがあれば、観客は満足するのではないでしょうか。

投稿: SwingingFujisan | 2010年5月30日 (日) 09時39分

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