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2010年6月 3日 (木)

コクーン初日を思いながらスタパの勘三郎さんに泣き笑い

今日はコクーンの「佐倉義民傳」の初日かぁ。夜の部なので私は珍しく初日パス。でも、もう始まってるんだわと思うと落ち着かない。
先日のスタパの勘三郎さんのお話、楽しかったな。勘三郎さんのエピソードにはいつも笑いの中にほろりとさせられるものがあり、気がつくとTVの前で泣き笑いしている。
今回も、お父様の話、勘三郎さんが小さい頃お世話になった方の話にほろりとした。
勘三郎さんが小さい頃(楽屋ででんぐり返ししているヤンチャな映像が映った。トンボの真似をしていたらしい。「子供を叱れませんね」ってsmile)、可愛がってくれた受付のおばさんに去年の8月「歌舞伎座に来てよ」と声をかけた。もう94歳になられていて「行かれない」と言うそのおばさんを、「もう最後で、歌舞伎座はなくなっちゃうんだから」と半ば無理やり車で迎えに行き、1時間ほど話をしてまた車で送った。その方は9月に亡くなったが、生涯で一番楽しい日だったと言っていたと姪御さんから手紙で知らされたそうだ(面白いことに、その方は「ひさえさん」といって勘三郎さんのお母様と同名、姪御さんは「よしえさん」で奥様と同名)。ああ、ひさえさん、よかった、と思わず涙ぐんだ。ほかに、床屋さんや甘栗屋さんのことも勘三郎さんの口から出て、気遣っている様子が窺えた。勘三郎さんのこの優しさが客の心をひきつけるのだろう。
お父様についても感動的なエピソードが。先代最後の「連獅子」で先代が着た衣裳を勘三郎は4月の公演で是非着たかった。ところが衣裳さんはないと言う。勘三郎さん付きの衣裳さん(「あらいチャン」)がもしかしたらと踊りの倉庫に行って行李をあけたら、一番下にあった!! それが415日。なんと先代の祥月命日の前日だった。おかげで勘三郎さんはまさに命日の16日にその衣裳を着ることができた。もちろん、あらいチャンの努力もあるが、オヤジがあらいチャンに伝えたに違いない。勘三郎さんは16日と最後の5日間、その衣裳を着て連獅子を踊ったそうだ(あんまり着るとボロボロになっちゃうから、って)。
で、私はいつ「連獅子」を見たか。初日(この日は普通の衣裳)と、なんと16日に見ていたのであるsign03 ところが、このボケなすの私は衣裳の違いに気づかなかったよぉ~。いや、そう言われると何となく違っていたかもしれないとは思うものの、そんなの脳が勝手にそう記憶を変えているだけに違いない。
さて、その衣裳とは、金地に紺模様である。通常は紺地に金模様がつく。金地なので、とても派手なのだそうである。
そして、「連獅子」では子獅子は親獅子の後から出るから、親の背中を見ることになる。自分が親獅子になったとき、子供が背中を見ていると思って震える思いがしたという勘三郎さん。自分と同じように子供たちにも自分の芸を受け継いでほしいという願いが感じられた。

話は前後するが、勘太郎・七之助兄弟の初舞台のとき、2人の桃太郎の後ろでまだ若くて細っそりした勘三郎さんが後ろから心配そうに勘太郎クンを見つめ、一緒になって首を動かしたり体を傾けたりしているのが印象的であった(ちなみに、勘九郎チャンの桃太郎の花道の見得は大好きだった白鸚さんの「毛剃」の真似だそうだ)。本人も「ここで『回って』なんて言ってますね」と苦笑していた。自分がそういう立場になって、「オヤジもこう思ってくれていたんだ」とありがたく思った、と言う勘三郎さん、それは人間誰しも思うことだろうが、それだけに、胸にきゅんとくる言葉であった。
「佐倉義民傳」の話題ももちろん出て大変興味深かったのだが、長くなるのでここらで。観劇記で触れるかも。
しかし
千穐楽のチケット、出ませんなあbearing

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