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2011年5月20日 (金)

面白かったけれど…:籠釣瓶①

518日 五月大歌舞伎夜の部(新橋演舞場)
そういえば歌舞伎座があった時には5月は吉右衛門さんが座頭で演舞場だったんだわねえ、とか去年の5月は歌舞伎座が閉場した翌月で若手が頑張ったんだわねえ、とか思い出しながら演舞場へ。そうしたら采女橋の交叉点と演舞場楽屋口の間くらいでどこかで見たような二枚目が…すれ違いざま「錦弥さんだっ」とドキドキ。
「籠釣瓶花街酔醒」
初演以来初めての上演だとかで、今生きている人は誰も見たことがないという発端・序幕・二幕目。それなりに面白くはあったが、「そうだったのか合邦辻!」「そうだったのか毛谷村!」といった納得感はかなり低かった。出来事を追う前半と心理劇である後半とがうまく繋がらない。ただ、それは私の読みの浅さとか想像力の欠落によるものかもしれない。だからいつまでもミーハー観劇記なのだ(と開き直る)。
発端:次郎左衛門の父・佐野次郎兵衛(段四郎)がかつて捨てた女・お清(おせい・歌江)と数年後に偶然出会って、女を殺すに至った物語の味がちょっと薄いと思った。歌江さんには元安女郎で今は病気のせいで見る影もない乞食暮らしの哀れさが感じられる。夫にやっと出会ってこの暮らしから這い上がれると期待したのに相手は佐野で婿入りし幸せな生活を送っていた。元の鞘には納まれないと告げられ恨みを覚えるその気持ちには同情できる。次郎兵衛は決して根っからの悪人ではなく、思わぬ再会にとまどい、お清を哀れに思っても、つきまとわれては困る、今の生活を守るためにやむを得ず殺してしまう。
あまりにあっさりと殺しが起きてしまうのが納得いかない気がしたし、後々まで祟るお清の怨念が悲劇を起こすという構図であるなら、ここはもう少しこってりとやってもよかったのではないだろうか。私にはお清の祟りがそれほど強いようには思えず、「ああ、哀れな安女郎の祟りが吉原一の花魁を殺してしまった」という因果への感慨が湧かないのだ。歌江さんと段四郎さんがいい味を出していて、もっとこの2人を見たかったとのもあるかしら。
一部始終を草の陰から見ている僧侶。この僧侶は後に次郎左衛門の佐野の家の場面にも現れ、次郎左衛門の行く末を予言するかのようである。

ところで、ここの場所が戸田の川原(ひどく寂しい場所だ。すっかりうらぶれた元安女郎が我が身を嘆きつつ暮らすには悲しくてぴったりかも)。旅人たちが蕨へ急ごうとか何とか喋っていて、埼玉県人としては馴染みの地名が出てきたのにちょっと反応。
序幕:次郎左衛門が街道で夢から醒める。発端の父親の悪行を夢で見ていたということらしい。そこへならず者どもが襲い掛かる。次郎左衛門が金持ちなのを知っている地元のならず者だ。錦之助さんを頭領に、松江、吉之助、種太郎、種之助、米吉の面々――バッチい衣裳にバッチいお顔で誰が誰やらわからない。錦之助さんは声でわかったが、松江さんは最後まで誰だかぜ~んぜんわからなかった。種太郎クンが妙にしっくりきて、実にうまい。
次郎左衛門の窮地を救ったのが通りかかった都築武助(歌六)という浪人者。窮地とは言ったが、ここの吉右衛門さんは襲われたことをそんなに怖がっているように見えず、自分でやっつけちゃうのではないかなんてちょっと思ってしまった。その後、次郎左衛門のところに泊めてほしいとの頼みに、命の恩人でもあるし、用心棒にもなるしと、次郎左衛門は喜んで応える。武助には何か事情がありそう…。

二幕目:次郎左衛門の家。吉原一の花魁の馴染みになれるほどの大金持ちという割には質素で素朴な造りである。野原の中の一軒家みたいな寂しささえある。恐らく掛け軸とか壺とか調度品とか、高価なものを置いてあるのだろうが…。
武助は確かに用心棒がわりになって、ならず者どもが襲ってくることはなくなった。しかし今、武助は重い病に伏し、死にかけている。そこへならず者の頭領・盲の文次に案内されて武助の許婚・お千代(壱太郎)とその母親・おとし(秀太郎)が訪ねてくる。文次は改心して今は堅気になったと言っているが次郎左衛門は信用しない。文次を帰した後で武助の本当の病状を打ち明け、お千代と母親に武助を会わせる。次郎左衛門が見抜いたとおり文次は改心なんかしていない。しかしそこが定番、<いい人>側の油断よね。文次はその話を裏手に忍んですっかり聞いているのよ。そして仲間を連れて襲撃してくる。
街道では危ない目にあった次郎左衛門だが、今では武助の手ほどきで武術の心得ができている。そこへ医者を呼びに行った下男の治六(歌昇)が帰ってきて、主人とともにならず者どもを追い払う。
武助は命儚くなるが、死の間際、「籠釣瓶」という刀を次郎左衛門に託す。抜いたら必ず血を見ると言って。
結局武助の事情は私にはよくわからなかった(セリフで言っていたのを聞き逃したのかも)が、ともかくも籠釣瓶はそういう刀であって、こうして武助の手から次郎左衛門の手に渡ったのである。その後おとしとお千代がどうなったのか、文次たちならず者は息の根を止められたのか。それは大筋としてどうでもいいことか……。
歌六さんはちょっともったいないような感じだけれど、さすがに舞台がぐっとしまる。後姿しか見えなかった壱太郎クンはあの声ですぐにわかった。可憐で愛らしい。でも歌六さんの許婚というにはちょっとバランスが合っていないかも。歌昇さんが実直でとてもよい。

②へ続く


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