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2011年6月28日 (火)

「盟三五大切」千穐楽

627日 「盟三五大切」千穐楽(シアターコクーン)
そうだ、私膝が悪いんだっけと思い出し、平場で坐れるんだろうかと不安になったのはコクーンに着く直前(バカだねえ)。意外にも正座はできたけれど、それでは座高がさらに高くなって後ろの人に申し訳ない。でも斜め坐りは膝が痛くてとてもムリ。体育坐りも長時間はきつく、う~んとお行儀の悪い形になってしまった。
さすがに千穐楽、勘三郎・橋之助・勘太郎夫人が華やかに揃い、観客も平幹二朗、藤原竜也、中村獅童(獅童さんは前日に赤坂の千穐楽を迎えたからきっと見に来ると予想していた)と豪華。
舞台は素晴らしかった!! 本家(串田版と区別するために敢えて本家と言う)「三五」に比べ現代的だと思ったのは、どろどろ感はさほど濃くなく、登場人物の人間性や心理をくっきりと浮かび上がらせていたからだろうか。時に微笑ましく、時に和み、時に切なく、時に怒り、時に悲しく、時に虚しく、私も同じ気持ちになる。黒御簾とチェロの演奏、ショスタコビッチの交響曲(だそうです)を組み合わせた音楽が幻想的な効果を高める。
まずは、印象派の風景画を思わせる紗幕の向こうで小舟に乗った三五と小万の色模様が展開される。そして1人淋しげな源五兵衛。歌舞伎座のような大きな舞台ではないから、2つの小舟はすぐそばに並んでいるようだけれど、間に仕切りのようなものを挟んで距離感を出している。紗幕の効果で実に美しく幻想的な場面である。
ここから始まった恐ろしい惨劇・悲劇が三五の自害によって終息すると(本家は三五が果てたところで終わる)、盆がまわり、この物語に登場した人々の日常生活が走馬灯のように流れる。1人佇みそれを眺める源五兵衛。人生つらいこともあろう、いやな面もあろう、しかし人々は活気に満ち、楽しそうな笑顔は今見てきた陰惨な物語とはあまりに対照的である。決して戻らぬ時間――しかし今でもどこかで別の三五やお六たちが普通の暮らしを営んでいる――をいとおしむような源五兵衛の気持ちが私には切なく伝わってきた。
盆は五人殺しの場面でも実に効果的に使われている。源五兵衛浪宅も虎蔵の家も四谷鬼横町の家も舞台真ん中に狭い空間として作られている(コクーンの舞台そのものの広さにもよるのだろうが)。虎蔵の家ではそこに三五たち7人が集まっており、源五兵衛が三五と小万を探しまわるのに盆がこの狭い空間を広く見せる効果を示した。中心となるセットを小ぢんまりとさせ、そのまわりにある程度の空間を作ったことは、とくに源五兵衛の心の中を見せるのによかったと思う。

チケットを取るときは「橋之助の源五兵衛かあ」と気乗り薄だったのだが、これが実にはまり役で、先月の「たいこどんどん」に続く大ヒット。源五兵衛の心の機微を十分表現した。この源五兵衛はよく歩いていなかったか。その歩みは彼の心、とくに悲しみを反映していたように思った。
小万殺しの場面は、まず源五兵衛が下手奥の暗がりからす~っと現れる。その瞬間から私は映画を見ているような気持ちになった。この場面、オーソドックス版では背筋を冷たい恐怖が這い上がってきたものだが(吉右衛門さんも仁左様も怖かったもの)、確信犯的な仁左様に対し橋之助・源五兵衛は眼に狂気が宿り、別の恐怖を覚えた。嬲り殺しは本家も同じであるが、違いはリアルさである。本家はこの場面を様式的な美でつなぐ。串田版は様式美にとどまらずきわめてリアルである。小万に刀の刃を持たせすーっと引いた時には思わず身をすくめて叫びそうになった。小万の苦しみ方もリアルである。
源五兵衛をここまでの狂気に至らしめたのは、赤ん坊の顔を見たことではないだろうか。「三五にそっくりだ」。そこまでは冷静に殺そうと思っていた源五兵衛の神経がこの瞬間ぷちっと切れたのではないか。そうであればこその、母親の手で赤ん坊を殺させる残虐さではないだろうか。そして「三五大切」の彫物が、そこへ至る狂気の背中を押したのだろう。これは私の解釈ではあるが、串田版は具体的にそういうことを考えさせる。
ところで、私が一番ゾッとしたのは、切り落とした小万の首を懐に入れた時である。本家では確か首を包んだ手拭をぶら下げていたのが雨が降っていたことで外に出てから大事そうに懐に入れていたと思う。ところが、串田版では手拭に包むと同時に無造作に懐に突っ込んでいた。これには言いようのないいや~な感じを覚えた。
降りしきる雨の中、小万の首を抱えた源五兵衛は愛染院に戻る。やっと小万を自分のものにしたという気持ちだろうか。この時、私の座席の上にも細かい霧雨が降ってきた(座席に置かれていたビニールで防御)。小万の首を前にしてご飯を食べる源五兵衛。本家では小万の首は役者自身の首であり、源五兵衛がご飯をその口元に運んでやると、突然かあぁっと口を開けて観客を驚かせるのだが、串田版では首は作り物であり、口はあけない。源五兵衛も小万にご飯をあげようとはせず、1人黙々と食事する。しかしよく飯なんて食えるねえと呆れていると、「おまえとこういう生活がしたかった」と源五兵衛が言い、ああそうだったのかと源五兵衛もまた人生を狂わされた哀れな人なのであるとの感慨を覚えた。
哀しみの源五兵衛…。
そのせいだろうか、いつも、大量殺人に残忍な殺しをした源五兵衛が討入に加わるなんて理不尽だという思いが残るのが今回は逆に、これだけの人を犠牲にしたのだから、絶対に本懐を遂げてほしいと願った(だけど、討入ってそんなにお金がかかるものなの? 勘平も
100両の工面に苦労していたし)。
勘太郎さんの三五は等身大に生き生きとして、セリフの切れもよく、こういう若者がいかにもいそうな感じである。人間の「生」を感じる。濃い目の化粧が効いている。カーテンコールで「16歳のときに八右衛門をやって父親に散々叱られた。そのリベンジができただろうか」と言っていたが、100%以上できているに違いない(私はその舞台見ていないから)。
国生クンの六七八右衛門は、成駒屋の将来を背負う御曹司だと思うから敢えて厳しいことを言わせてもらうが、あれでは泣けません。図らずも勘太郎さんがかつて同じ役をやった年齢と同じ16歳。いずれ国生クンにもリベンジしてほしい。
菊之助さんの小万は「匂い立つ」という表現がぴったりの美しさ。うなじあたりから本当に芳香が立ち上っているような感じである。あんなに美しかったら本人も自分に見惚れるんじゃないかと羨ましくなる。しかも美しいだけじゃない、小万という人物をしっかり捉えているのである。三五に惚れきっている小万――私はこれまで小万の気持ちを図りかねていた。本当は源五兵衛に惹かれているのではないか、と。しかしこの小万は明らかに三五一筋である。源五兵衛をだますのにあまり気が進まないのは小万の良心であって、申し訳ないという罪の意識を持ちながらも大好きな三五のためだから、大好きな三五がそうしてくれと言うから、何でもやってしまう、そういう女心がよく伝わってきた。小万の三五に対する愛情の濃さは、最初の舟の場面でもうわかるのである。最期、三五の名前を三度呼んで命果てる小万が哀れで仕方なかった。
ラスト、大星(勘三郎)の声が流れる。でもエコーがかかっているのと、音楽と少しかぶったのとで、何を言っているかよく聞き取れなかった。そして勘三郎さんはどこから出てくるのだろうと目をあちこちにやっていたら、もう舞台に姿があった(上手から登場?)。
一際大きい拍手の中、物語は終焉を迎える。
カーテンコールでは観客のスタンディングオベーション。橋之助さんが「義兄の代役でやらせてもらったが、義兄が元気になったのは嬉しい。義兄の凄さを改めて感じた」。菊之助さんが「コクーン初参加は33年の人生の中で忘れられない経験」。勘太郎さんはさっき紹介した。最後に串田さんが「コクーン設立から関わってきた。当初は歌舞伎という考えはなかったが、コクーンは歌舞伎に相応しい空間(だったかな? 記憶あやふや)。これから半年間改修工事に入るが、再開したらまたよろしく」、さらに「獅童クンが来ているけれど(と、座席で他の観客と同様立っている獅童さんにスポットを当て)、獅童クンもコクーン歌舞伎に」。ぜひぜひ、実現お願いします!! 獅童さんもこの空気の中でぜひやってみたいと思ったのではないだろうか。
序幕を見た後、リピートしたかった気持ちもあったが、最後は1度でよかったのかもしれないと考え直すほど感動がぐっと煮詰まり、濃密な観劇ができたことを嬉しく思った。
<上演時間>序幕70分(13301440)、幕間20分、大詰100分(15001640

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コメント

勘三郎の飛び入りは、今回の演出であったら余計というか余韻を壊すような気が致しました。実際飛び入りを観ていないのであくまで想像で申しますが。サプライズという点ではこれ以上のファンサービスもないでしょうが・・・国生の印象は同感です。勘太郎と比較するのがいけないのかもしれませんが、精進を望みます。(PS)平幹二郎は幹二朗、藤原達也は竜也ですよね。いつもの悪い癖で指摘してしまいました。

投稿: うかれ坊主 | 2011年6月28日 (火) 18時35分

やはり登場しましたね〜中村屋!!
お元気そうだったでしょうか?早く舞台姿が見たいです。

あの小万殺しの場面はあまりにも痛くて、私も思わず声が出てしまいましたbearing
今回の橋之助丈はなんだか神がかってて、最後の引っ込みの姿は悲しみと絶望のオーラが見えるようでした…

投稿: 林檎 | 2011年6月28日 (火) 21時14分

うかれ坊主様
文字間違いのご指摘ありがとうございます。またやってしまいましたわcoldsweats02 どちらも入力した後、頭のどこかで「あ、間違った。直さなくちゃ」と思っていたのに、そのままいってしまいました。これからもお気づきになられたらご指摘くださいませね。

勘三郎さん登場に関するご意見、わかります。大星の登場を予定しない芝居の終わりに、ただの大星ではない、復帰の勘三郎・大星をもってくる。私も登場を期待するいっぽうで、内心芝居が壊れるんじゃないかという危惧を持たないではありませんでした。でもかなり控えめな登場でしたし、その前に声も聞かせていましたので、さほど芝居のジャマになったとは思いません(ただ、登場シーンのないバージョンを見ていたら別の感想をもったかもしれません)。
確かに、観客の関心が一挙にそっちへもっていかれたことは事実ですが、芝居に対する私の感動は薄れることはありませんでした。また幕が閉まった後の、そしてカーテンコールでの大きな拍手を聞いていると、勘三郎さんの人気とは別にどの観客もお芝居と役者さんの素晴らしい演技に感動しているのだと確信しました。だから、やっぱり登場してよかったんだろうな、と思います。
国生クンは成駒屋・中村屋の絡まない巡業か何かで勉強するといいと思います。

投稿: SwingingFujisan | 2011年6月28日 (火) 23時18分

林檎様
勘三郎さんはお元気そうでした。カーテンコールでは舞台に立てる喜びを噛み締めているようでした。

橋之助さん、とてもよかったですね。こういう心の機微を見せることが上手なのかもしれません。大変失礼ながら、橋之助さんの源五兵衛にこんなに感動するとは思いませんでしたcoldsweats02
小万殺しは本家でもかなり残酷なのですが、様式美がそれを半減させるような気がします。今回のは痛かったですねえ。

投稿: SwingingFujisan | 2011年6月28日 (火) 23時27分

うかれ坊主さまのコメント、まんま私が書いたのかと・・・bleah いやいや、千穐楽を見に行って、勘三郎さんの出演バージョンも見たんだから、私が無意識で書いたわけではなかったワ。
確かにあのラストシーンでの登場は、解釈可能ではあっても、見てる側が、わぁっsign03となってしまうので、その部分で、築いてきた世界が壊れるかな、とは思いました。

それにしても、橋之助さんは「5月6月、義兄(あに)の代役で63ステージ」と仰ってましたが、どちらも期待以上に素晴らしかったです。これを機に更に飛躍されそうですね。
また、カーテンコールでも勘三郎さんが、ただ舞台にいることの幸せを味わってらっしゃるように控えてらしたのが、印象的でした。

投稿: きびだんご | 2011年6月28日 (火) 23時27分

きびだんご様
勘三郎さんの中にもそういう危惧は十分あったと思います。その辺は串田さんともよく話し合ったのではないでしょうか。できるだけお芝居をこわさないように…と言っても勘三郎さんが出てきたら観客の注意は全部そっちにいっちゃいますよね (^-^; 私は勘三郎さんの登場しないお芝居を見ていませんので、あまり気にならなかったのですが、それをご覧になった方には違和感があったかもしれませんね(盆の中にいたのは、さすがに私もちょっと…)。
カーテンコールでの勘三郎さん、おっしゃるとおり、印象的でした。
今回の三五、コクーン歌舞伎の中でも一番好きかも。

投稿: SwingingFujisan | 2011年6月28日 (火) 23時47分

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