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2011年8月26日 (金)

海と神話の「青木繁展」:実物の魅力

824日 「没後100年 青木繁展」(ブリジストン美術館)
青木繁はそんなに好きじゃないと思っていた。たぶん、自分には強烈すぎるから(それはもしかしたら魅力の裏返しだったのかもしれない)。それでも行こうかどうしようか
迷っていた背中を押したのがBS日テレの「ぶらぶら美術・博物館」。
油彩・水彩・スケッチ・手紙等々、これだけ青木繁の作品を集めた展覧会はなかなかない――展示は717日~87日の前期と89日~94日の後期に分かれている――ということの他に、青木という人物に惹かれて、急に見たくなったというわけ。サッカーの前にたっぷり1時間半の鑑賞時間を見込んだら、展示点数が多くて(だって、これだけ集めたのはなかなかないんだものね)けっこうギリギリ時間を使い切ってしまった。
1章:画壇への登場――丹青によって男子たらん 1903年まで
2章:豊饒の海――≪海の幸≫を中心に 1904
3章:描かれた神話――≪わだつみのいろこの宮≫まで 1904-07
4章:九州放浪、そして死 1907-11
5章:没後、伝説の形成から今日まで

青木繁という人は、アレキサンダー大王になりたかったようで、「オレ様」的、生活能力のない人物だったらしい。身近にいてほしくはないが、芸術家としてのそういう人物に私は惹かれるのである。
最初に迎えてくれるのが、オレ様性が象徴されている自画像である。「かつて東京美術学校に在るの日 青木生」の文字が入っている。もう1枚の自画像「男の顔」(第2章)もそうだが、絵の中の青木は彼を見る者を上から眺めおろしている。青木は町を歩くにもそっくり返っていたらしく、青木に挨拶するなら後ろからしたほうが早いと言われるほどだったそうだ。確かに傲慢さも感じられなくはないが、私はこの絵をけっこう好きである。
ちなみに、「男の顔(自画像)」は、恋人福田たねを描いた「女の顔」と向かい合って展示されている。もうひとつちなみに、各展示室には中央に1人掛けのソファが2脚置いてあって、その部屋の一番いい絵(有名な絵と言おうか)を1人占めするような形で見ることができる。その絵の前にはだいたいいつも人がいて鑑賞しているのではあるが、さほど混んでいなければ疲れた足を休めつつその気分を味わうことはできる。
画壇デビュー前、青木は友人たちと妙義や信州へスケッチ旅行に出かけている。その時のデッサンがたくさん展示されていて、自分も絵が描けたらそういう旅行をしてみたいなあと思わされた。
石膏デッサンは、はっとするほど元の像がそのままそこにあるように見えた。
青木は生涯、海に憧れていたようだ。
青木の中でも最も有名な「海の幸」(第2章)。これは実際に目にした光景ではなく、千葉の海に同行した坂本繁二郎が見て来た話を聞いて、想像のうちに描いたものだそうだ。額も又海の幸が刻まれているのが面白い。絵の真ん中でこちらを見ている顔が非常に印象的だが、これはやはり同行した恋人の福田たねがモデルでありながら、体は男性である。実際に目にした「海の幸」は力強く、生涯の憧れ「海」にプラスして青木のもう一つの世界「神話」を私は感じた。これが22歳の作品であるとは!!

「輪転」は神話的な作品だが「黄泉比良坂」とともに第1章で展示されている。ともに21歳の時の作品。これまで神話というと堅苦しい絵が多かったところに、イマジネーションに溢れたこの2作は画期的なものであっただろう。これを見れば青木という画家は感性の画家かもしれないと思う。
 
3章の「大穴牟知命」「わだつみのいろこの宮」、有名な作品だけあって、なんと魅力的なんだろうと思う。とくに「大穴牟知命」でこちらを向いているハマグリの女神(ウムガイヒメ)には強く惹かれる。「海の幸」や「大穴牟知命」などには縁取りのような赤い細い線が入っていて、これが生き生きした感覚を与えるのかなあと思う。
 
「わだつみいろこの宮」はバーン=ジョーンズの「受胎告知」を意識したものだそうだ。「天平時代」(第2章)にもラファエル前派の影響がみられるということで、日本の神話と西洋絵画のマッチングが興味深い。
生活のために描いた「旧約聖書物語」の挿絵はなんとなく懐かしさを覚えるようだ。100円の報酬でシルクハットとステッキを買ってしまった青木(父親が病弱で、子供も生まれ、生活には相当窮していたのに、である)はさすがに「画材を買えばよかった」とショゲたそうである。
 異色で面白かったのは円光寺の板戸4枚に描かれた「海景」(第3章)。焼釘でささっと描いたもののようである。
 
「幸彦像」(第3章)――青木繁と福田たねの間に生まれた子供の絵である。幸彦という名は「わだつみいろこの宮」の題材となった海幸山幸の物語から取ったものだそうで、正式な結婚ではなく、また生活力のない青木は早くから子供と離れて暮らすようになったのだが、幸彦を抱いた写真を見ると、そんな青木にも束の間の平穏な幸せがあったのだと感慨深い。幸彦は長じて尺八奏者の福田蘭童となり、その子供がなんと石橋エータロー(つまり石橋エータローは青木繁の孫)だとは、「ぶらぶら」を見るまで全く知らなかった。
東京勧業博覧会に出品した自信作「わだつみいろこの宮」は三等という惨憺たる成績で、失望した青木は以後九州を放浪する。画風は穏やかで平凡なものに変わっていく。だが、これは早すぎた天才が一般にもわかるような絵を描かなくてはならないとしたためだとも考えられ、それはそれなりの意義があるとのことである。
 
絶筆「朝日」(第4章)は素晴らしい。穏やかな波に身をゆだねて朝日の昇る天へ旅立つような気持ちになる。28歳の死…。
 
なお、特別出品として新たに発見された「西洋鎧武者」「裸夫立像」のデッサンが展示されていた。
 
サッカーの前だったので図録は買わなかったのだが、今こうして振り返りながら、実物を見たら青木繁の絵がとても好きになっている自分に気が付いて、買っておくべきだったかも、と後悔している。

 

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コメント

こんばんは、はじめまして。
私も「青木繁展」を観てまいりました。
概ね同じような感想でした。
マイブログにちょっと長い見聞録を載せましたので、お暇な時にでもご一読下さい。
ではでは〜。

投稿: 棚倉 樽 | 2011年8月27日 (土) 01時43分

棚倉 樽様
こんばんは。はじめまして。コメントありがとうございます。
プロの画家の方から素人の拙い感想にコメントをいただき、大変恐縮しております。
棚倉様のブログを拝読して(一気に読ませていただきました)、そうか私が青木の絵に惹かれるのは「その時の心境がはっきりと作品に表れている画家」だからなのかもしれない、と思いました。
今、あらためてもう一度見てみたい思いに駆られています。

投稿: SwingingFujisan | 2011年8月27日 (土) 02時16分

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