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2011年11月10日 (木)

顔見世歌舞伎昼の部①:涙腺ゆるみっぱなしの「傾城反魂香」

119日 顔見世大歌舞伎昼の部(新橋演舞場)
 
やっと私の11月初日がきました。二階正面を女子高生の団体が占めていたけれど、3つの演目を見てどういう感想をもったかな。
 
「傾城反魂香」
 
恥ずかしいほどぼろぼろ泣いてしまった。
 
願いが容れられない又平夫婦の悲しみがよくわかる。弟弟子に先を越されて自尊心もさぞ傷ついたであろう。三津五郎さんは思うように言葉の出ない苦しみ、自分という人間を認めてもらえないもどかしさつらさが全身から迸り出ているようであった。しかし又平は自分にそういう弱点があるからといって決して卑屈になってはない。(たぶん)敢えて愛嬌を前面に出さず、ただただ一生懸命誠実に生きている、そういう不器用な男のあり方に胸がつまった。絵を描き終わったあとの虚脱感にもそれが表れている。
 
おとくはそういう夫を愛し、尽くし、立て、夫とともに誠実に人生を歩みながら、夫を思うあまりどこかでどもりを恨んでいるようなところがあるのではないか(そういう気持ちもまた理解はできる)、それが又平を怒らせたのかもしれない。時さまのおとくには精神的な一途さに加えて生活感(というか日常感みたいなものというか…)も感じられた。虚脱して絵筆が離れない又平の手をさすってあたたため、かたまった指を11本のばしてやるおとくに涙涙。
 
師の将監はおとくが夫にかわってくどくどと訴える(たしかに、よく喋るよねえ)のをうんざり顔で聞き流し(「弟弟子に名字の名乗られ兄弟子は」と言うおとくに将監がちろっと目をやったのは印象的だった)、またたしなめるが、それは冷たいからではない。名字の願いを拒絶するときも、2人が嘆いている間も、姫を助けに行く願いがかなわなければ殺してくれと又平に迫られた時も、将監は苦しそうな顔をして堪えていた。だからこそ、又平の絵が手水鉢の反対側に浮き出てきたとき、すぐに飛び出してきて一緒に喜んだのだ。与えた裃を又平が身に着ける間、は妻と嬉しそうに「よう似合っているな」などとにこにこして眺めている将監。彦三郎さんの大きくてあたたかい将監に涙涙。
 
三津五郎、時蔵、彦三郎が作る三角形の中に、時に秀調、時に松也、時に権十郎が入り込み、物語が膨らむ。松也クンは師匠の言うこと第一であり、かつ自分にも名誉欲はあり、それらが兄弟子を思う気持ちとせめぎ合っている感じがよかった。
4
年前に澤瀉屋一門が通しで上演してくれたおかげで、「土佐将監閑居の場」の前の経緯がわかり、この場だけでは突飛に見える雅楽之助の登場にも思い入れができる。演舞場でも通しでやってくれるといいのに。

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