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2012年1月23日 (月)

歌舞伎襲名A to Z:東京新聞記事から


朝刊をぱらぱらとめくっていたら、「歌舞伎」の文字が目に入ってきた。東京新聞は毎日曜日に歌舞伎を中心とした古典芸能の特集記事が組まれているので月曜日の今日はひときわ目を惹いた。
 
ニュースA to Zという1面全部(広告は除く)を使った記事で、歌舞伎役者の襲名について解説したものである。歌舞伎通の方には当たり前の内容だろうが、私のようにミーハー的、感覚的にしか歌舞伎と接しておらず、そういうことには疎い人間には興味深い記事である。
 
「どう決まる?」――大きな襲名の場合、一番は興行として成り立つかどうかなんだそうである。集客能力がない役者には興行会社(松竹)が許さないし協力もしないのだとか(厳しいね)。話は会社が仕掛けることが多いようで、歌舞伎界全体の状況をみて襲名時期を考えるのだそうだ。時期、誰が、は「幹部俳優たちといろんな話を詰めながら決まる。どれか一つうまくいかなくてもまとまらない」とは松竹・我孫子専務の話(襲名口上の際に必ず会社や幹部俳優のお許しを得てというような文言が入るのは具体的にはそういうことなんだ)。
 
又五郎襲名は先代の遺族の了解を得て、吉右衛門さんと相談して決まった。勘九郎襲名は芸の伸びている勘太郎さんに平成中村座で襲名させたいという勘三郎さんの意向による。会社側でも歌舞伎座のない間、興行的にも大きなインパクトを与えられると判断したようだ(そりゃあ、そうでしょう)。猿之助襲名は、先祖の50回忌追善興行の舞台に立てない猿之助さんの気持ちが徐々に亀治郎さんに傾いた、と記事にはある。市川中車襲名については市川宗家の了解を得た。世襲が多くなったのは戦後だそうだ。戦前までは地方に小芝居といわれる歌舞伎劇団が200以上もあって、その中で腕のある役者が中央の家柄歌舞伎にも進出し「中間層」を形成したが、戦後GHQにより歌舞伎が禁止の憂き目にあった際に小芝居が壊滅状態となって中間層の役者が激減した。その結果、家柄役者に実子に継がせないと歌舞伎がなくなるという危機感が大きくなった、ということで世襲が増えたのだそうだ。
 
主な役者の代、襲名年、その時の年齢、先代の没年、先代との関係が一覧になった表や、現在空いている主な名跡一覧があったり、この記事は保存ものである。


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