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2012年2月22日 (水)

維盛の存在感、「すし屋」:松竹座夜の部①

215日 二月花形歌舞伎夜夜の部(松竹座) 
「義経千本桜 すし屋」

今月松竹座唯一の古典。
最近の愛之助さんは愛之助という役者の独自性を築いてきているってことをあらためて実感した。はじめのうちこそ仁左様に似ているところがみられたものの、体型も顔も演技もかなり愛之助の権太になっていて、仁左様の権太を見れば見たで「すっごくいい」と言うに違いないいっぽうで、愛之助さんの権太も「すっごくいい」のである。こまかい感情表現も丁寧で、愛敬もあり、骨太なのがいい。
今回は「すし屋」のみで時間的には楽だったし、「木の実」からを何回か見ているから権太一家の愛情がインプットされていて、別れの場面では涙がどっと出たものの、やはり「木の実」から見たかった気持ちもなくはない。それに、権太の女房小せんが蝶紫さんだったのもその気持ちに拍車をかけた。
別れの場面では権太の気持ちに焦点が当てられるが、今回は小せんと倅・善太郎の気持ちを思って悲しくなった。小せんも善太郎も若葉の内侍と六代の君の衣裳が全然身についていない。いつもそう感じてはいたのだが、身分の高い人の衣裳が合わないことが引き裂かれる町人一家のむごさ哀れさを強く感じさせることに、今回初めて気がついたのである。
権太が2人をわざと足蹴にしたりきついことを言っても、2人はそれが偽りの行動であることを、権太の本当の気持ちは煙いとごまかす涙にあることをわかって静かに引かれていく。目と目で別れを告げる権太一家の悲しみがしみじみと胸に迫ってきて、泣かされた。
権太の母は吉弥さん。吉弥さんの老け役はちょっともったいないような気がする(私が一番好きな吉弥さんは、「牡丹灯籠」のお国かな)。吉弥さんは金を無心されるのさえ嬉しいといった感じで、これまで見た母親の中で一番権太に甘いように私には見えた。見た目きりっとしているのにそのギャップがとてもよかった。父親の歌六さんは安定していてさすがのうまさ。
お里の壱太郎クンは動きがちょっとぴょんぴょんしすぎているような気がしたが、お里としてはそれでいいのかもしれない(声がもうちょっとキンキンしないともっとよかった)。とにかく弥助に一途なのが可愛くって、それだけに「親への義理で契った」と維盛に戻った弥助に言われたのが哀れであった。
米吉クンが若葉の内侍に大抜擢。ちょっと荷が重いかなあという気もしたけれど、きれいだし身分の高さも感じられたし、「すし屋」の場面だけであれば十分頑張りが見て取れた。あとは経験の問題だけだろう。
獅童さんの梶原、私は獅童さんに甘いかもしれないけれど、堂々と立派で、人間としての大きさもあり、カッコ良かった。

今回、ちょっと面白いなと思ったのは、「あれっ、この話って主役は権太じゃなくて維盛だったっけ?」と思うほど弥助→維盛の存在感が大きかったことである。維盛はこれまで添え物のような感じがしないでもなかったが、染五郎という役者の存在感の大きさ故なのだろうか。これまではどうしたって権太の側、あるいはすし屋一家の側からこの物語を見るようになっていたが、別の目で捉えることもできるわけだ。そういう意味で染五郎さんの維盛をもう一度見たいと強く思った。

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