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2012年2月 3日 (金)

心あたたまる口上:勘九郎襲名公演夜の部①

22日 中村勘九郎襲名披露二月大歌舞伎初日夜の部(新橋演舞場)
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毎年恒例、テレビ埼玉のレッズ激励会と重なってしまったけれど、なんたって勘太郎ちゃんの勘九郎襲名初日だし、歌舞伎最優先の私としては迷わず演舞場。それも口上目当てで初日は夜から(レッズのほうは、梅﨑に柏木に新加入の槙野、そしてベテランの山田暢久、鈴木啓太が来たんだって。チクショー、私の行かないときに限って梅ちゃんとはbearing)。
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時にはまだ昼の部が終わってなくて、しばらく待っているとドアが開きどっと人が流れ出てきた。夜の部開場を待つ人の数と相俟って、演舞場前は一時大賑わい。ドアから出てくる人の中に波乃久里子さん発見。普通に観客に混じって出てらっしゃるのねえ。それから評論家の犬丸さん(?)、松竹社長の迫本さん(?)も。きれいどころさんも何人か見えた。1615分を過ぎてから夜の部開場。久しぶりの歌舞伎入替パワーを感じたけれど、さすがに開演は3分遅れの16:33。
「御存 鈴ヶ森」
何回か見た鈴ヶ森の中で一番印象に残っているのは平成1612月、山左衛門さんの名題昇進と仲一郎改め山左衛門披露の「鈴ヶ森」である。いや、演目そのものより、その時の山左衛門さんの飛脚がどういうわけか強烈に記憶に残っていると言ったほうがいいか。その山左衛門さんは今回駕籠かき。そして飛脚は家橘さん(ちょっと上品過ぎるかなぁという気がした)。バッチイ雲助たち(吉之助・三津之助・國矢・いてう等々)がわらわらと出てくることに改めて驚いた。
白井権八は勘三郎さん。権八が登場する前に雲助たちが飛脚に「白井権八のなりは?」と訊くと、「いい男。歌舞伎役者の中村勘三郎に似ている」という前振りがある。ひわ色の着物を東絡げにした勘三郎さんは実際、ふっくらとした若衆姿に品と色気がある。行儀もよい。
立ち回りはエグい場面を歌舞伎らしい様々な趣向で笑いに変える。笠を持っての立ち回りは國矢さんだったと思うけれど、ちょっとミスがあって残念。鼻そぎはどなただったかしら、血は耳に隠していたみたい。一通りの趣向を見せると、今度は上手から彌十郎さん、下手から橋之助さんの2人が登場して、間に家橘さんを挟み、だんまりで立ち回る。彌十郎さんがデカい!!
さて、いよいよ吉右衛門・幡随院長兵衛の登場。カッコよくてドキドキする。長兵衛が名乗ると広島生まれの権八が、おお中国まで名の聞こえたあの幡随殿かと感嘆の声をあげる。すると「ちげえちげえ」。中国まで名の聞こえたのは「鼻の高い高麗屋」、「啖呵がいいのはおれのとっつぁん」で拍手。
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人のセリフの応酬にわくわくの「鈴ヶ森」だった。
「口上」
松が描かれた襖、左右の欄間(?)には「壽」の文字と鶴が。
まずは勘三郎さんが長男勘太郎に勘九郎を襲名させることになったと報告。そして、初代勘九郎は初代勘三郎の実子で寛永年間に生まれた。2代目は元禄元年生まれでまだ忠臣蔵もできておりません。34代ときて5代目の私は勘九郎ちゃん勘九郎ちゃんと可愛がっていただいた。(勘九郎という名は)大したことないんです。しかし歌舞伎は大変。(新勘九郎は)最近、私も父もやっていない関扉を始め私のやってないものばかりをやっている。吉右衛門さんや踊りは大和屋から教えてもらっている。ここに並んでもらいたかった岳父・芝翫にも色々教わった。これ(勘九郎)の良さは謙虚さである。その謙虚さを忘れずに。
以下、各役者さんの口上をかいつまんで(ところどころ敬称略)。
我當:勘九郎さんは子供のころから芸に熱心。俳句にも嗜みがあり、小学生の時に「雨やみて 庭のいちょうも うれしそう」と詠んだ(平伏している勘九郎さんの背中がふるえ「参ったなあ」とでもいう表情をしている様子が想像できる)。
三津五郎:勘九郎という名跡は忘れようとしても忘れられない。小さい時から明けの明星のように輝いていて、40何年で一代で築き上げた立派な名前。昨年七代目勘九郎となる子が生まれ、勘三郎さんはおじいさんになった。襲名とは人と人との繋がりだなと思う。
彌十郎:勘三郎さんと三津五郎さんは子供のころから大変仲良し。1学年下である自分はいつもその後ろにくっついていた。勘九郎さんにイタズラをすると「このジジイ!」「何を! 雅行っ! 勘太郎っ!」とやり合ったが、勘九郎になって呼び捨てはしにくい。「今後とも勘九郎…さんをよろしく」
芝雀:襲名の口上の席に列座させていただきありがたい。
秀太郎:先代勘三郎の鏡獅子で自分は胡蝶をやった。今回も胡蝶をやりたかったがかなわず。もう50年も前のことでございます。
吉右衛門:ご襲名おめでとうございます。
 

 仁左衛門:当代勘三郎さんとは仲が良い。こう見えても私のほうが年上。にいちゃんにいちゃんと呼んでくれる。一時は今月出られるかどうか心配されたが無事に出られた。少しすると中村座の名物男、93歳の小山三さんも出られる(この後の「鏡獅子」のこと)。勘九郎さんは子供の頃私のことを「ウルトラマンのおじちゃん」と慕ってくれた。その子が去年子をなした。役者は皆様のお力添えがなくてはいけない。これからも勘九郎さんをよろしく。
 
東蔵:松江・玉太郎とともに襲名公演に出られてありがたい。昨年七緒八クンが生まれた。会うとニコニコニコニコ。そこにいる皆を幸せにするオーラがある。七緒八クンの誕生が勘三郎さんにとって一番の特効薬になっただろう。親孝行なことだと思っていたら、襲名である。父親が大きくしたなをますます大きくする、舞台でますますの親孝行をしてほしい。
 
扇雀:勘九郎さんとは多くの舞台でご一緒しているが、勘九郎さんは自分の出ていない舞台もよく見ている。それが近年の活躍につながっている。
 
錦之介:河内山で隼人ともども勘九郎さんと一緒に出られるのは親戚の1人として嬉しい。
 
橋之助:襲名は自分のことのように嬉しい。近年、お岩や団七九郎兵衛など、中村屋の芸を頑張っている。弟・七之助とも仲がよい。勘九郎もだが、七之助もよろしく。
 
福助:父・芝翫も指折り数えて楽しみにしていた襲名。泉下で喜んでいるだろう。先代勘三郎とともに目を細めて演舞場でこの公演を見ているだろう。
 
七之助:口上の舞台美術を父の時と同じ金子國義先生に描いてもらった(平成174月の口上ですね)。兄にかわって御礼を申し上げる。兄とは初舞台も同じ、小さいころから一緒に舞台に立っている。これからも手に手を取り合って精進したい。
 
勘九郎:父が46年間名乗った勘九郎を六代目として襲名することになった。感謝の言葉しかない。皆様からあたたかいお言葉をいただき、大勢の皆様が来てくださって本当に感謝の言葉しかない。亡くなった祖父2人、亡くなった中村屋の弟子たちのおかげである。父は先ほど「大したことない」と言ったが」大したことある。勘九郎は憧れの名前であった。弟と手を携えて精進していく。
 
最後に勘三郎さんの「中村屋だけでなく歌舞伎も末永くご愛顧くださるよう隅から隅までずい~と御願い上げ奉りまする」で締め。
 
勘三郎さん、勘九郎さん、七之助さんの人柄が浮かびあがるような口上で、心が温かくじ~んとなった。場内も感動の拍手の嵐であった。
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↑勘九郎襲名祝いの飾り絵馬。↓こういうことだそう。
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コメント

鼻そぎは三津之助さんでしたw
口上、とても暖かくてうるうるしましたねー。
仁左衛門さん、大病を克服された方ならではの言葉だなあって思いました。千之助くんもウルトラマン大好きだったけど、実はご自分もウルトラマンが好きなのかしら^^

投稿: urasimaru | 2012年2月 4日 (土) 14時34分

urasimaru様
鼻そぎはやっぱり三津之助さんでしたか。なんとなくそうかなあとは思ったのですが確信がもてなくて。ありがとうございます!! あのエグさをああいう表現をする歌舞伎って大らかだなあと思います。

口上は感動的でしたね。そうそう、仁左様ご自身も大病を克服されたのでしたね。そう思うと、言葉の重みというか温かみがより深く感じられます。
仁左様は勘九郎さんが3~4歳の時、よくウルトラマンごっこをして遊んだのだそうですが、きっとご自身も好きなんだと思いますよ。微笑ましいですね。

投稿: SwingingFujisan | 2012年2月 4日 (土) 21時42分

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