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2012年3月28日 (水)

平成中村座3月千穐楽夜の部

327日 中村勘九郎襲名披露三月大歌舞伎千秋楽夜の部(平成中村座)
12032801skytree いつもは上野で空く銀座線が今日は浅草まで混んでいて、地上へ出ると吾妻橋、平日の午後なのにあまりに大勢の人がスカイツリーにカメラを向けているのにびっくりした。隅田公園はもう桜まつりが始まっているのであった(3/204/8。一応4/15の早慶レガッタと4/21の泣き相撲も4月のイベントとして看板に挙げられていた)。私は心地よい日差しの下、ず~っと川沿いを歩いて初めて裏から中村座へ向かった(もう桜が!! 今年の浅草の人出は大変でしょうねえ。写真はどの辺だったかな。吾妻橋から7~8分歩いたところだったと思う)。
「傾城反魂香」
初日は席が悪くあまりぴんとこなかった「傾城反魂香」であるが、同じ桜席後列でも今日は右側、かなりよく見え面白さも感動も前回とは大違い。又平・おとくの愛情がストレートに伝わってきた。さらには先日のBS朝日「片岡仁左衛門の魅力」で仁左様が語っていた不遇時代と又平の不遇が重なり、そこでは泣かなかったけれど、願いがかなった又平の喜びが仁左様の喜びと重なって思わず涙が出た。必死で訴える仁左様のどもり方は言葉の出だしだけどもってあとは明瞭なのが今回はしっくり耳に入ってきた。「かか、抜けた!」は「かか」と叫んで「抜けた」は抜いて口にしていた。仁左様はオーバーにならずに感情表現が優れていて、まさにその心になっての又平であった。
勘三郎さんのおとくはいつもず~っと夫を見守っていて、その全身ににじみ出る愛情の深さに胸がアツくなった。夫のためにいらぬ話までするおとくを又平が困った顔をしながらたしなめるのが微笑ましい。又平が死ぬ覚悟をしたとき「私も一緒に死にたい」というおとくの言葉に涙。実生活でも仲のいい2人だからこその「いいかんじ」の空気が又平とおとくの間に流れていた。
右側の席は虎も頭だけは見えたし、雅楽之助が援護を頼みに来たとき物見に立つ又平の姿勢を初めて後ろから見て、かなりきつそうだなと思った。左側からは見えなかった部分が見える反面、見えないのが座敷にいる土佐将監。ま、しょうがないよね。
将監が虎を確認するとき、修理之助が用意した風呂の椅子みたいな椅子に座っていたけれど(うかれ坊主様からご指摘をいただいた点の1つ)、初日もそうだったかなあ。初日は立っていたような気がするけれど記憶違いかも(左側からはよく見えなかったし)。
庭先で履物(下駄)を履くのは将監だけだったのが面白かった。修理之助も履物を履かずに外へ出たし、又平夫婦も庭先では草履を脱いでいた。
手水鉢の表に抜け出た絵はかろうじて見えた。修理之助が姫を助けに出た直後、黒衣さんが縁の下から出てきて手水鉢の中に入ったのが今日はわかった。初日になんだろうと思った手水鉢の後ろの黒いものは黒衣さんの背中だったのだ。初日は最初から黒衣さんが入っていたような気がしたけれど記憶違いかな。ちなみに、手水鉢の絵が抜け出る部分は嵌め込み式になっていたみたい。
最後の引っこみは左側からは全然見えなかったけれど、右側だと定式幕をぐっと引き寄せてくれている部分から何とか見えて、他の客席の人たちと楽しさを共有することができた。
亀蔵さん、初日同様、幕が閉まると走って袖へ飛び込んでいった。
「口上」
12032802nakamuraza 初日と違う話だけご紹介。
勘三郎さんは「初日より千穐楽まで賑々しくお出でいただき御礼申し上げます」などのご挨拶の後、初日同様中村座の歴史を語った。京橋にあった中村座が江戸城に近いため移転させられた話は前回も聞いたが、どうして江戸城に近いといけないのかがわからなかったその理由が今回判明。小屋で鳴らす太鼓が大名登城の太鼓と紛らわしいからだそうだ。移転した先(猿若町?)は沼地で、埋め立てのためにモッコに土をのせて運んだが、まさにここ、今戸橋東から運んだのだそうだ。
我當さんは、勘九郎さんが先月「鏡獅子」と「土蜘」という大きな役を2つやったことが嬉しい。先代勘三郎さんもどんなにか喜んだことだろうと胸が熱くなったと語った。

進之介さんは、高校時代当時の勘九郎(現・勘三郎)に惚れ込んだ友人の話をして(urasimaru様が前回コメントで教えて下さった話です)、皆様にも新勘九郎さんを一生追い続けてほしいということだった。
海老蔵さんは、勘九郎さんが大好きで大好きで大好きでたまらないお父様の大好きで大好きな名前を継いで幸せで嬉しくてたまらないだろうと、「大好き」を連発。重圧を感じて数カ月間勤めたと聞いているという海老蔵さんは自身の襲名時の重圧を思い出しているようだった。
仁左様は、17代目勘三郎さんに教わった役が自分ではその通りできていないが、教わったことを勘九郎さんに伝えるのが自分の役目でもある。私の孫も勘九郎さんに教わることがあれば教わりたいと目を細めた。初日心配した咳は治ったみたいでほっとした。

扇雀さんは、金丸座の「身替座禅」、勘九郎さんの右京で山の神をつとめた。勘三郎兄さんの右京でもやったことがあるが、勘九郎さんには何か足りないものがある。それは劇場を出た後の人生経験である。それも含めてお父様に負けず劣らずの役者になってほしいと笑わせた。
亀蔵さんは4月の法界坊の宣伝。
笹野さんは、勘九郎という名は小さい時に(「私にも小さい時代はあったんですよ」)初めて親しんだ名前。後に実際に親しくなった。40年親しんだ勘九郎がある日突然勘三郎になった。酒の席で「勘九郎はいなくなっちゃうの?」と嘆くと勘三郎さんは何を言ってんだこの人は、という顔で「あたしはここにいますよ」という冷たい返事。苦節7年、勘九郎が復活した。今夜は新勘九郎さんに「勘太郎はどうなっちゃうの?」と言いたいと、これまた客席を笑わせた。
七之助さんは、襲名公演が今日で終わりと思うと寂しい。しかし中村座は4月も5月もあるし、襲名公演も松竹座、御園座、南座、博多座と続くのでお運びいただきたい。兄弟仲良く精進しますと言う七之助さん、兄弟愛の深さはご自分の芸にも反映されて今月の役はどれも見事だった。
勘九郎さんは立派な襲名披露ができて千穐楽を迎えられ、御礼申し上げます。先輩から教えていただいたこと、皆様の励ましの言葉、弟からの励まし、それらが血となり肉となり糧となる。海老蔵さんの言うとおり嬉しくてたまらない。これからも必ず精進しますと、真面目な勘九郎さんらしい決意であった。
最後に勘三郎さんが、仁左衛門の兄は若手相手に吉岡鬼次郎を一生懸命やってくれた。役者として当たり前かもしれないがそうでない人もいるから。松嶋屋が孫と踊ったが、うちの孫もどうなるかわからないけれど一緒に踊りたい。芸はそうやって継承されていくと言い、八代目仁左衛門(中村座の座頭を十数年つとめた)の「この地に似合う目出度き松かな」という句を紹介した。
幕が閉まってみんなが引き揚げると、最後に我當さんが桜席に手を振りながら下手袖に姿を消したが、スタッフが両側から支え、その後ろで七之助さんがしっかり見守っていたので目頭が熱くなった。
「御所五郎蔵」
芝居が始まる前にスタッフが噴霧器で舞台に湿り気を与えていた。加湿器じゃなくて噴霧器っていうのが面白い。
右側席は本花道の土右衛門一行はもちろんよく見えるし、仮花道の五郎蔵一行も舞台に近づいてからは後ろ姿の上半身ながらちゃんと見えた。
本舞台に出て、五郎蔵の手下たちが一触即発土右衛門たちに飛びかからんとするところを抑える五郎蔵の凄みはカッコよかった。勘九郎さんの五郎蔵を見ていたら「夏祭」の団七九郎兵衛が重なったりした。
土右衛門は皐月を7年も思い続けていたんだ。横恋慕かもしれないが、案外純情なのかな。
土右衛門が皐月を身請けすると言っても鼻で嗤っていた五郎蔵がなぜ単純に皐月の裏切りを信じ込んだのか…海老蔵さんの土右衛門を見ていると、ちょっと不気味さはあるもののこんないい男なら皐月がなびくかもしれないと五郎蔵が考えるのはあり得ることかも、と思った。そうしてみると、土右衛門はこれからもただの悪役ではなく二枚目であってほしい。というのが今回初めて感じたこと。
扇雀さんの女形はこれまであまりピンとこなかったのだけれど、皐月はとてもきれいで儚さが感じられて、好き。
幕が閉まったあと、勘九郎さんと海老蔵さんが挨拶してくれて幸せ。
「元禄花見踊」
幕間わずか5分で舞台をこわし作る手際は見事。
今回の注目は鶴松クン。子役から勘三郎さんの部屋子になった鶴松クンをずっと応援していたのだが、やはり一番目を引かれる踊りだった。お芝居でもどんどん活躍してほしい。
<上演時間>「傾城反魂香」75分(16001715)、幕間20分、「口上」20分(17351755)、幕間25分、「御所五郎蔵」75分(18201935)、幕間5分、「元禄花見踊」15分(19401955
タイムテーブルが初期の頃とは変わっていたみたい(前は終演2005。初日は2015だったかも)。しかし結局終わったのは2005だった。

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