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2012年3月30日 (金)

シネマ歌舞伎「高野聖」

326日 シネマ歌舞伎「高野聖」(MOVIX川口)
ほどよい時間帯の上映が終わってしまい、朝950の回のみ。明日行こう明日行こうと思いつつ当日起きられないこと数日。でも獅童さんが宗朝役だった博多座公演は見ていないのでどうしても見たい。ついに頑張って(ってほどでもないかcoldsweats01)、見てきた。
この映画は、これまでのシネマ歌舞伎とは違って舞台公演を撮影したものではない。宗朝が深い森を超える場面などは実際の森を使っている。舞台部分も新たに映画用に撮ったということだ。海老蔵版の舞台を見ている私としては獅童版もライブで見てみたかったなという気持ちもあるが、そういう手法を使うことによって、泉鏡花の世界がより色濃く出ていたし、登場人物の心理がわかりやすく、大変感動した。

まず、玉三郎さんが泉鏡花について語るプロローグ的な部分が数分ある。その中で玉さまは、「高野聖」は舞台化するのが難しかった。見終わったあとお客様に小説を読み終わったような感覚をもっていただければ一番いい、というようなことを言っていた。映画を見て、小説を読んでいない私は逆にこれからでも読もうか、という気持ちになった。
獅童さんの宗朝は配役発表があったときには「どうなの?」とピンとこなかったけれど、スチール写真は意外と悪くなかった。そしてシネマ歌舞伎で見た宗朝は獅童さんにぴったり。山道で富山の薬売りと会話する場面はセリフが馴染まない感じだったが、女との出会いからはどんどん宗朝に惹き付けられていった。セリフに出ない微妙な感情、女との間に通う空気を獅童さんの姿、表情が表している。そして海老蔵さんとはまた違ったピュアさ(海老蔵も獅童も女性問題でしょっちゅう騒がれるのに、どうしてそういう2人が純粋で清らかに見えるんだろう)。海老蔵さんの強烈なストイックさに比べ獅童さんの場合は一歩間違ったらという危うさを含んでいるのだけど、それが煩悩と闘いながらもぶれない青年僧の純粋さ、やさしさを感じさせてよい。うん、獅童さんの宗朝は優しかった。一晩明けた朝の宗朝がひとつ成長したような表情になっていて感動した。そしてアップになると獅童さんはきれいな顔立ちをしていると思った。海老蔵・宗朝にあんなに感動したのに獅童・宗朝を又見たくなっている…。
玉さまは以前に海老蔵さんとの共演で見たときよりもっと生身な感じがした。舞台ではそこまではっきりとは見えない細かい表情の動きにこの「女」の苦しみとか煩悩とか喜びとか、感情が美しく表現されていた。宗朝に「嬢さま」と呼ばれ、「(川へ落ちたら村人にどう思われましょうという女の問いに)「白桃の花だと思うでしょう」と言われて女はどんなにか嬉しかっただろう。プロローグ部分で玉さまが「女は主役であるようだけど、そうではなくて宗朝から見た対象物、親仁から見た対象物であるかもしれない」というようなことを語っていたけれど、この映画を見ていたらまさにそんな風に感じられた。旅立つ宗朝が親仁に「もともともっている好き心で、戻って女と暮らしたいと思ってるだろう」と言われて「そうではない、あの人を不憫に思っているのだ」と答えるのが胸に切々と響き、私もこの女を不憫に思った。
親仁の歌六さんは海老蔵版でも素晴らしい長セリフで酔わせてくれたが今回も女と次郎を守っていこうという気持ちが淡々とかつ沸々と感じられ、この一見俗っぽいオジサンを尊いものにしていた。
「高野聖」というお話を好きになった。そして私はやっぱり獅童さんが好きなんだなあと思った。
<上映時間>85分くらい

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