« 大感謝祭! 亀治郎の会さよなら公演 | トップページ | 七月歌舞伎初日夜の部② »

2012年7月 6日 (金)

七月歌舞伎初日夜の部①

74日 七月大歌舞伎夜の部初日(新橋演舞場)
夜の部は「黒塚」の老婆以外、女形は出てこない(よね)。男の演目が並んだのね、と後で初日を反芻していて気が付いた(「楼門五三桐」で澤瀉屋の女形が3人並んだ時はコーフンしていてそこまで思いが至らなかった)。
「将軍江戸を去る」
2008
4月に一度見ているが、そんなに面白いとは思わず、またそんなに好きな芝居ではなかった。実際、自分でもブログにさほど感動していない旨を書いている。だから201012月の国立劇場へは行かなかった。
ところが、今回は真山青果のセリフに酔い、山岡鉄太郎の熱い思いに涙し、将軍慶喜の人物・苦悩も納得できるような気がした。
歴史を知っている現代人には彰義隊のアセり、鉄太郎をどうしても通してはいけない気持ちがわからないではない。しかし早くも鉄太郎と同化してしまった(鉄太郎役が中車さんだからだねえ、きっと)私は、鉄太郎と同じくじりじりじりじりして手に汗握る思い。天野八郎の月乃助さんが堂々と大きく、固い意志が見て取れる。
そこへ登場した高橋伊勢守(海老蔵)。ちょっと陰鬱な印象をもったが、山岡を通すようその場を強引におさめる力のようなものが感じられ、私はけっこう好きだと思った。高橋伊勢守に命じられてもやはり山岡の行く手を阻む彰義隊。今度は山岡が強引に通る。
そして大慈院の場。蒼白のやつれた表情で何かを思う團十郎さんの将軍慶喜が素晴らしくいい。そうそう流れるようなセリフではない中に、なまじ英明であるがために鬱屈した思い、揺れる心が切々と伝わってくる。綱豊卿が一瞬我を忘れかけて激怒したように、慶喜も思わず山岡を手にかけようかという瞬間がある。その時の大きさと品に圧倒されてしまった。敵前逃亡までしてまさに落ち目とはいえ、将軍は将軍である。
大きな大きな團十郎さんに怖じず立ち向かい必死で説得する鉄太郎の言葉に籠る真実に私は何度も身を乗り出しそうになって聞き入った。ただ中車さんの難点はやはり声であろう。のどに無理がたまっているのか割れているのが時として耳障りで、決して聞き取れないセリフではないのだが、やや疲れを覚える。それでも私は鉄太郎に思い入れた。真山青果の思いが中車さんを通して私にもひしひしと伝わってくる。尊王と勤王の違い、「戦争は残酷です」という言葉、慶喜を動かすこれらの言葉に私も動かされた。もう一つ残念なのは山岡がほとんど客席に横顔しか見せていないことで、中車ファンとしては物足りなさがあった。
とはいえ、物語の流れも登場人物の気持ちもよくわかり、感動的な芝居であったことは間違いない。

「口上」
16
人がずらりと並んだ先月とは打って変わって、今月の口上は襲名する本人たち以外は宗家である團十郎さんと海老蔵さんだけという、実にシンプルな舞台。それも悪くない。しかも團十郎さん1人で全部もっていっちゃった感があって、実に微笑ましく楽しい口上であった。
並びは下手から團子、中車、猿之助、團十郎、海老蔵。
まずは團十郎さんが4人の襲名挨拶と観客への御礼を述べた後、「私ごとだが」と前置きして、「二代目猿翁兄さんとは勧進帳や加賀鳶などで共演した」(そういえば、2人が演出した俳優祭も楽しかったな。テレビで見ただけだけど)。「四代目猿之助さんとは昭和19年パリで共演した」。え?と私も一瞬頭が混乱したけれど、客席もざわついている。「平成」「平成」という声も聞こえる。もう、團十郎さんったらぁ。でも團十郎さん、間違いに気づいてるのか気づいてないのか、どんどん話を推し進めていく。「出演者はフランス語で挨拶したが、私はチンプンカンプン。カタカナを読んだだけだがお客様が喜んで笑ったりしてくださったので楽しかった思い出がある。猿之助さんはフランス語がペラペラで、アドリブを入れたりしていた」(あの公演は楽しかったなあ、確かに。私にとってもいい思い出)。「段四郎さんとは同い年」(というところで客席がどよめく)。「中車さんとは今回初共演。團子さんは5歳から娘のぼたんのところで稽古している」(へ~、そうだったんだ。それは理に適っているかも)。「まことに闊達なお子さんで、初舞台も他人事とは思えず自分のことのように心配。1カ月頑張って」と團十郎さんらしい明るい大らかな口上で客席が和む。本当に團十郎さんは愛すべき貴重なキャラだ。
海老蔵さんは「猿翁さんは大変憧れる先輩の1人。『四の切』『伊達の十役』を教えてもらった大恩人。そのおじさまと共演できる夢がかなった」(8月の演舞場はパスしようかとも考えていたが、この海老ちゃんの一言でパス撤回)。「猿之助兄さん(あら、海老ちゃんのほうが年下だったんだ)とは父が申しましたが、平成15年(?)(ここでさっきのことを思い出して客席に笑いが)ロンドンで共演したが、プライベートで『ライオンキング』を見に行かないかと言われ、重い腰を上げた。お芝居より20数回行っているという猿之助さんの楽しんでいる表情を見るのが楽しかった。中車さんとは映画で共演した。團子さんは、自分は先月地方だったので口上をテレビで見た。「おじいさまより素晴らしい俳優になりたい」との口上を聞いて、肝が据わって素晴らしいと思った。歌舞伎の一員としてこんな嬉しいことはない」と、こちらも客席のあたたかい笑いを誘う言葉。
猿之助さんは先月と同じ「遠い先祖近い先祖、目に見える存在見えない存在」のおかげで、という言葉の後、澤瀉屋の歴史とちらっと。「遠い先祖は毛利藩の蒔絵師。身上をつぶして役者になった。喜熨斗亀治郎が九代目團十郎に引き立ててもらって初代段四郎になった。市川家に縁の深い猿の名前をもらってありがたい。いずれは歌舞伎の屋台骨を支える一員となりたい」。
中車さんは、様々な方々(松竹とか、諸先輩とか、澤瀉屋とか)のお許しを得たが、「何よりも市川宗家のお許しを得て襲名できた。由緒ある大きな名前を襲名させていただく喜び。生涯かけて歌舞伎役者としての責任を果たす。親子ともに懸命に精進する」。 

團子ちゃんは「皆さま方に教えていただき立派な役者になることが私の夢でございます」と今月も堂々たる口上。
最後に團十郎さんが「ご静聴ありがとうございました」と言うと、又客席から笑いが。この笑いはなんだったろう。澤瀉屋と歌舞伎のますますの発展を願って幕。

|

« 大感謝祭! 亀治郎の会さよなら公演 | トップページ | 七月歌舞伎初日夜の部② »

歌舞伎ミーハー観劇記」カテゴリの記事

コメント

七月の口上で一番印象に残ったのは、新猿之助が先祖は毛利藩の蒔絵師で身上をつぶして役者になったということでした。そこを確認したくて「猿之助 先祖 蒔絵師」でネット検索したところ、SwingingFujisanさんのこちらの記事でした。拙ブログの記事でもご紹介させていただきましたので、TBさせていただきます。
私も明日は「大感謝祭!『亀治郎の会 さよなら公演』」昼の部観劇予定です。
今後ともよろしくお願い申し上げますm(_ _)m

投稿: ぴかちゅう | 2012年8月19日 (日) 02時24分

ぴかちゅう様
おはようございます。
コメント、TB、リンク、ありがとうございます!!
澤瀉屋後のご先祖の話は初めて知りましたので、大変興味深く聞きました。蒔絵師だけでなく役者の才能もご先祖はあったんですねえ。

亀治郎の会もいよいよ明日が最後。どんな盛り上がりになるのか、今からわくわくしております。

投稿: SwingingFujisan | 2012年8月19日 (日) 09時18分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1083822/46211270

この記事へのトラックバック一覧です: 七月歌舞伎初日夜の部①:

» 12/07/28 澤瀉屋の襲名披露公演前楽夜の部(2)少人数だが饒舌だった「口上」 [ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記]
【二代目市川猿翁 四代目市川猿之助 九代目市川中車襲名披露 五代目市川團子初舞台 口上】 六月の澤瀉屋一門勢揃いの口上に比べ、七月の口上は5人と少人数だったが内容は濃かった。 冒頭は新橋演舞場の入り口に掲げられた襲名披露の4人の口上姿の写真看板だが、猿翁...... [続きを読む]

受信: 2012年8月19日 (日) 02時16分

« 大感謝祭! 亀治郎の会さよなら公演 | トップページ | 七月歌舞伎初日夜の部② »