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2012年10月13日 (土)

「塩原多助一代記」①

1012日 「塩原多助一代記」(国立劇場大劇場)
いい役者さんが揃っているのに(まだセリフが怪しいことも時々あったが)気の毒なほど空席が目立つ。3階席の人の中には勝手に2階席に移る人もいて、「ええ~っ」とびっくりした。私は大変面白かったと思うので、空席はもったいないなあ。
塩原多助は名前も知っているし、「あお」との別れは有名だということも知っているのに、実際は多助がどんな人か全く知らなかったことをあらためて認識した。
序幕、「上州数坂峠谷間の場」で、1人の男(松江)が百姓(秀調)に必死に何かを頼みこんでいる。頑として聞き入れようとしない百姓を男は刀で脅す。すると銃声がして男はバッタリ倒れる。百姓の危機を救ったのは浪人の塩原角右衛門(團蔵)であった。ところが角右衛門が撃った男は自分に仕えていた岸田右内であった。そこへ駆けつける角右衛門の妻お清(東蔵)と一子・多助。右内は主人の出世のために50両を貸してほしいと頼んでいたのであった。事情を知って悔やむ角右衛門と百姓。
角右衛門と百姓が話し合ううち、互いが同姓同名であることがわかる。不思議な縁を感じた百姓の角右衛門(以下、角右衛門)は50両を差し出すが、浪人の角右衛門(以下、塩原)は感謝しながらも家来の無体から借りたのでは自分の気が済まぬと断る(塩原のこういう堅く一徹な性格は後々の涙につながる)。すると、角右衛門は多助を養子にほしいと言い出す。貧しい浪人の家にいるより子がなく裕福な農家のほうが多助のためになるであろう、というのである。塩原はやや考えた後、多助を生んだ実の母は角右衛門の妻であったということにして、多助は角右衛門の許へ、50両はこれまでの養育費という名目で塩原の手に渡るのであった(子供をお金に換えることにためらう母親・お清だった)。
多助は角右衛門の引く馬に乗って両親と別れる。
長々と発端を書いたのは、ここの出来事があまりに唐突で急であっさりしすぎていて、21年後に親子が対面するときの感動がイマイチ盛り上がらないからである。いきなり子と別れることになった母親はもちろん泣いているのだが、多助もおとなしく引き取られ、わりと無感動な様子である。ただ、多助のこのおとなしさは、後で考えたら、運命を受け入れ逆らわないという生き方が既にこの当時から形成されていたのかもしれない。

角右衛門の後妻・お亀(吉弥)の連れ子お栄(孝太郎)と結婚した多助は、本来なら当主であるべきなのに、家の実権はお亀が握り、しかも多助はひどく虐げられていた。それどころかお亀は侍・原丹次(錦之介)と、お栄は丹次の息子・丹三郎(巳之助)といい仲で、多助を追い出そうという企みさえあったのである。多助はひどい仕打ちにも耐えるのみである。かばってくれるのは分家の太左衛門(権十郎)と下男の五八(三津之助)だけ。権十郎さんはとぼけているのか真っ正直なのか、鷹揚には違いない。歌舞伎によくある、恋文を落して云々の件はある程度溜飲が下がるが、ツッコミが足りないと文句を言いたくなる。明らかに多助を陥れようとする企みが表に出ているのに、ゆるいゆるい。
そんな多助が波に逆らい、村を飛び出すのは、自分と間違われて友人の百姓・円次郎(橋之助)が丹次に襲われ、今際の際に忠告を受けたから。円次郎が襲われたのは、そのとき多助が引いていた「あお」が珍しく多助の言うことを聞かず、円次郎におとなしく従ったからである。暗闇の中で、「あお」を引く円次郎を丹次は多助と見誤ったというわけ。
なかなか多助の言うことをきかない「あお」が円次郎の「はい、はい、はい、はい」に合わせて歩く姿は、円次郎ともどもなんともユーモラスで、客席大ウケであった。自分の身替りとして犠牲になった気のいい円次郎の死を嘆き悲しむ多助に私も涙。
この時円次郎を襲った丹次の錦之助さんの脚がきれいだった。錦之助さんと吉弥さんの不義の関係は5年前の「怪談牡丹燈籠」以来かな。悪人とはいえ、哀しい行く末が待っているのはあの時同様。
「あお」との別れも泣けた。幼い多助が養子に出された時乗せられた馬が「あお」だった、とこの時わかる。しかもそれ以来「あお」との関係は一切描かれていなかったので、この別れの場面だけクローズアップされても、という感じもなくはないのだが、愚鈍なまでに真っ正直な多助の心持(三津五郎さんがうまい!)、そしてそんな多助にすりすりして別れを惜しむ「あお」の名演に涙がこぼれざるを得ない。多助の危機を救い、多助の片袖に食いついて別れまいとする「あお」。
その「あお」の最期が21年後、改心したお亀の口から語られる。「あお」と多助の関係の描き方がやや不足しているのが惜しい。
お亀と丹次は2人の間に生まれた赤ん坊を連れて出奔する。雪の中、よろけながら一夜の宿を探す2人は悪人とはいえ、本当に愛し合っている様子で哀れを催す(「牡丹燈籠」でもそうだった)。やっとたどり着いた地蔵堂で巡り合ったのはまたたびお角という悪女(橋之助)。悪人の丹次が悪人のお角を非難する可笑しさ。女形の橋之助さんはひと声聞いた途端、声が芝翫さんそっくりとびっくりした。本当にそっくりかと確かめるため、しばし目をつぶって声だけ聞いていたが、本当によく似ていた。多くの方がそう感じられたようだが、新しい発見であった。橋之助さんの出演がこれで終わりというのがちょっともったいないかも。

書いていたら長くなってしまったので、続きは明日。

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コメント

Fujisan様
お早うございます。こちらにも失礼します。橋之助、本当にお父さんに似ていましたね。福助の声がそれほど似ていないのは不思議です。
国立は休日も2階はあまり入っていませんでした。実は、私は来月の国立はパスしようと思っています。福助のお国、前回みて失望したことと(別間に入る、濡れ場の直前でにっと笑う下品さ・・・前も書きましたが、玉三郎の同役とは段違いです。)、染五郎休演はやはりテンション下がります。演舞場、明治座、その他で手いっぱいなのです。渡辺さんの劇評がよかったら、都合をみて行こうかとも思います。(新聞劇評は相変わらず提灯持ち的劇評ばかりで苦手です。)12月の吉右衛門は必ず行きます。きっと、渡辺さん推奨の舞台になるでしょう。
ところで来年正月、浅草の座組みの情報どうですか。わかったらアップ願います。愛之助座頭でしょうが、女形はオモダカ屋一門から客演でしょうか。壱太郎の立女形、荷が重すぎるように思います。
 そうそう、私、11月の演舞場のチケットで、漸くボーナスポイント滑り込みで達成しました。平成中村座、ルテアトルの高額チケットけちったのが原因です。とはいえ、ゴールド会員の方のほとんどがシフトのようで、こけら落としのチケット争奪戦は大変でしょうね。Fujisanさんお名物ルポ復活ですか。

投稿: レオン・パパ | 2012年10月14日 (日) 09時03分

レオン・パパ様
おはようございます。こちらにもありがとうございます。
国立の空席は残念に思いました。せっかく安く見られるのだし(安い席はまあまあ埋まっていましたが)、52年ぶり、通しでは83年ぶりということですから、もうちょっと入っていいのに…。
歌舞伎界全体としては勘三郎、染五郎とお客の呼べる役者さんが休演状態にあるのも痛いですね。

橋之助さんは、新発見でした。歌舞伎の家では親子が顔も声もそっくりということはよくありますが、福助さんは確かに声が芝翫さんとは違いますよね(声だけじゃないか…)。

来月の国立、パスですか。私は通しでは多分初めて見ると思いますので一応後半に取りましたcoldsweats01 福助さんは最近かなり抑えているようにお見受けしますが、11月はどうなるでしょうね。

浅草はわかり次第アップしますが、私としてはこれまでのメンバーがかなり抜けてちょっとテンション下がっています。でも歌舞伎ファンとして新しいメンバーを支えていこうと思っています。

ボーナス達成おめでとうございます!!
当初は75点なんてとても無理と諦め加減でしたが、普通に取っていたらいつの間にかクリアーしていました(平成中村座は皆勤でしたが、ほんとお財布にはつらいチケット代でした。次回は少し考えるかも…)。おっしゃるように杮落しのチケット争奪戦、どんなに大変かと今から戦々恐々です。そういえば、最近チケット・カテのエントリーしていないなと自分でも思います。それだけ歌舞伎の人気が下がっているということなんでしょうね。

投稿: SwingingFujisan | 2012年10月14日 (日) 10時49分

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