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2012年11月26日 (月)

演舞場夜の部、2回まとめて①:「熊谷陣屋」「汐汲」

1119日、25日 顔見世大歌舞伎夜の部(新橋演舞場)
全体に、19日に見た時は昼の部のほうが断然面白くて、夜の部は仁左様休演だけでなく「四千両」が期待したほどでなかったことから自分の中の盛り上がりに欠けたのだが、千穐楽は「四千両」が意外に面白かった。
「熊谷陣屋」
仁左様の早い回復を祈りながら一方で松緑さんの熊谷も見てみたかったという欲張りさ。その松緑さん、やっぱり若い。急な代役で恐らく初役でもあり、滞りなく演じるだけでも大変なことだとは重々わかってはいるが、将来立派な熊谷役者になるであろう期待を込めて(私が元気な間に見たい!!)、敢えて言わせて。まず、声がしっくりこない。とくに前半、声に重みがあまり感じられず、不安定な感じも受けた。そのせいか、こちらの胸に響くような熊谷の心情が伝わってこない。ただ、息子の首を持って「女房、藤の方にお目にかけよ」と言った時の表情にはちょっとグッときた。だから、松緑さんは伝えているのに私が受け取っていないだけなのかもしれない。それでもやっぱり、多分若いのだろう。たとえば共演の役者さんたち、相模の魁春さんにしても藤の方の秀太郎さんにしても、仁左様の熊谷に対する配役である。だから、なんだかバランスもよくない。弥陀六の左團次さんは年齢的に、また熊谷の主人である義経の梅玉さんは上下関係的にあまりバランスは気にならなかったものの、配役がいかに重要であるかをあらためて認識した。でも、松緑さんにとって又とない勉強のチャンスだったと思うし、急な代役、本当にお疲れ様でした。それにしても、熊谷の化粧をした松緑さん、目がデカい!! 他の役に比べて目の大きさが際立っていた。
ここからは千穐楽の感想。
音を立てずに揚幕が開き、熊谷が花道に現れると「待ってました」の声。確かに待ってましたなんだけど…。
相模が陣屋に来たことを叱るセリフで「かたぁ~く」言いつけておいたのに、の「かたぁ~く」が仁左様独特の言い回しで「ああ、仁左様が戻ってきた」と実感し、このセリフ回しが好きなんだよねえ、と心の中で喜びを噛み締めた。
さすがに仁左様の熊谷にはコクがある。敦盛を討つ様子を語って聞かせるのにぐいぐい引き込まれる。どんな思いで語っていたのだろう、とその心中にこちらの胸が痛くなる。我が子を斬らねばならなかった父親としての心情、相模への気持ちが細やかさと重みをもって伝わってくる。
「十六年は一昔。夢であったなあ」(松緑さんは「夢だ、ああ夢だ」と言っていた)のあと、たっぷり思い入れて座り込み泣く。そこへ陣鐘、陣太鼓の音。はっと武士の本能が甦り立ち上がる。心は戦闘態勢に入っているかのようだ。しかしそこでまたはっと今の自分に気がついて、僧衣、手に持った物に目をやる。再び陣鐘の激しい音がする。今度は戦の空しさをしみじみ噛み締めている様子である。そして鳴りやまぬ音にたまらぬ気持でその音を聞くまいとするかのように頭にかぶった笠を折って耳を隠し、顔を隠し、足早に去る熊谷。たまらず泣けた。この引っこみを見たくて今回は鳥屋近くの席を取ったのだ(鳥屋の中で叫ばれる梶原の断末魔が迫力をもって聞こえた)。
送り三重の栄津三郎さんは、国立と掛け持ち。ということを先日知った。時間的にけっこう厳しいスケジュールだったんじゃないかしら。お疲れ様でした。
相模の魁春さんは義太夫にぴったりの相模で、時々はっとするほど動きが歌右衛門さんに似ている(と思う)。首を抱きしめる姿に母親の愛情が滲み出ていた。いい相模だと思うけれど、目の紅、相変わらず差し過ぎでしょう。
澤瀉屋の熊谷では相模が一緒に出家して、私は安心感を覚えたのだが、こうして熊谷が1人で去っていくのを見ると、この芝居はやっぱりこれでなくてはいけないのだと思った。熊谷が出家したのは息子を斬ったからではない、小次郎であれ敦盛であれ、源氏であれ平家であれ、同じ人間同士が戦い、若い命が散らされることに空しさを覚えたからだ、と思うのである。そこに戦場を知らない女の相模が入り込む余地はないのだ。この時代はそういう時代だったのだ。という気がした。
弥陀六の左團次さんがよかった。「一枝を切れば一指を切るべし」と制札を読んで熊谷に「かたじけない」と手を合わせたのにじ~んときた。
梅玉さんの義経は当代一だと思った。熊谷に残酷な命令を下したわけだが、熊谷の気持ちを慮りつつも、そうせざるを得なかった武将としての厳しさを感じた。出家した熊谷に「父義朝と母常盤の回向を頼む」と言った義経は、自分が武士であって僧にはなれないことを痛感していたのではなかろうか。「堅固で暮らせよ」に熊谷がはっと振り返り、跪いて義経に別れを告げる場面は双方が万感の思いを互いに交わし合っているようだった。

「汐汲」
藤十郎さんが若い。遠くからだと、本当に汐汲み娘に見えるんだもの。海を思わせる青い衣裳がとてもきれい。此兵衛が出たところで引き抜きで赤い衣裳にぱっと変わるのも艶やかで、美しい。翫雀さんの此兵衛には本当に苅藻が好きなんだなあという思いが見えて、ふられて切なそうなのが気の毒であった。もちろん、苅藻にしてみれば、当然なんだろうが。
程よい時間の踊りで、結構楽しめた。
ちなみに、塩づくりはその時代、日本の基幹産業だったそうで、砂の混じらないように何度も汲む。ふと見ると、汐に月が映っているという風情なんだとか(イヤホンから)。

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コメント

私も千秋楽に3階1列目で観ておりました

松嶋屋さんのは平成3年の南座が最初で今回が4回目ですが、やっぱり良かったですね 声の調子も良く、これならきっと南座の顔見世ももう大丈夫ですね

今回、拝見して気が付いたことを3点ほど

①平山の見得では床に「向こうの山」と語らせず、「後ろの山」となっていました
原文通りでした 実際に気持ちですが後ろを向いていました
松緑さんの時はどうだったでしょう? 観ていないのでわかりませんが、葵大夫さんも宏太郎さんもいろいろ大変だったでしょうね

②「物語」が終わったあと、正面を向いて座るのが通常ですが、松嶋屋さんはやや上手に向かって座っていました
正面を向かないのはやや変則のようにも思いますが藤の方への敬意を示しているのだと解釈しました

③「衝立」があること 義経が登場すると藤の方はそこに隠れていました 
通常は「衝立」ないので相模が庇う形ですね
熊谷が実検で小次郎の首を一瞬見せるときにそれに気づくのが相模だけというのが客席から見てもはっきりします
藤の方は衝立越しで偽首とはまだこの時点では気づいていないはずです
従って「御騒ぎあるな」では藤の方は我が子・敦盛に会いたい一心で、熊谷の持つ首に近ずき、我が子に会いたいと迫るわけで、相模の動揺とは別の目的で「首」に向かっているということが今回初めてわかった気がしました

かどかどのきまりの形がきれいなのが松島屋さんの時代物のよき点ですね

投稿: うかれ坊主 | 2012年11月28日 (水) 00時23分

うかれ坊主様
こんばんは。コメントありがとうございます。
千穐楽の熊谷が見られて幸せでした。お顔がちょっとやつれたような気もしましたが、熊谷にはそれでよかったかもしれません。声や動きの点では、もうすっかり元気になられたようでしたね。
①は気がつきませんでした。秀太郎さんが、代役は義太夫などにも影響を及ぼすというようなことを書いていらっしゃいましたが、役者さんによってそういう細かい違いがあちこちにあるのでしょうね。
②は、そう言われればそうだったような…。
③は、さすがに私もわかりました。おっしゃるように、首実検の時に相模しか気づかないのが客席にも理解できますね。「御騒ぎあるな」の時の藤の方の行動、なるほど我が子に会いたい一心なのですね。納得です。
次にこの芝居がかかる時には、そういうところにも注意して見ようと思います。

投稿: SwingingFujisan | 2012年11月28日 (水) 02時01分

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