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2012年11月25日 (日)

演舞場昼の部再見

1119日 顔見世大歌舞伎昼の部(新橋演舞場)
昼の部は再見なのですべて箇条書きで簡単に。
「双蝶々曲輪日記」
★都の身請けの仲立ちで困惑する井筒屋主人の寿治郎さんが商売人らしさと主人らしさと情があってよかった。同じ人が下女お玉(「曽根崎心中」)を得意とするとは、芸って興味が尽きない。
★都が与兵衛に手紙を書こうとして、天紅の巻紙にさらさらと筆を走らせる場面、時さまのその姿が色っぽくてぞくっときた(体の傾け方とか、そういうところが)。
★与兵衛が佐渡七を斬ったのは、佐渡七が与五郎(与兵衛に与五郎、ごっちゃになりそう)の小指に食いついて離れないので見かねたため。前回はそこの記憶が曖昧になってしまった。
★権九郎の小指に刀を当てる都、一度ためらう権九郎、そこへエイッと刀を落す都。前回ははずみで刀を落したように見せていた印象を受けたけれど、私の記憶違いかしら。
★都から権九郎を身代りに仕立てる計画を聞いた吾妻が即座に指を載せる台(「枕」と聞こえた)を持ってきたのは(吾妻、嬉しそうな様子が全身から感じられ、きれいな顔で残酷ねえ。もちろんそんなことを考え付いた都も残酷ねえ)、かつて遊女は自分の愛の証として客に小指を切って与えたというから、あらかじめ用意されていたのだろうか。権九郎には何とも気の毒だったが、身請けの金も贋金じゃあねえ。
★吾妻と与五郎のしょうもない、いちゃいちゃ痴話げんか。扇雀さんと梅枝クンで違和感なし。
★平岡らの乱入で無理やりら引き離された吾妻と与五郎、そこへ駆けつけてくる濡髪。さらには放駒もやってきて、濡髪と言い合いになる。それを見守る扇雀さんの立ち膝で半ば後ろを振り向く姿が色男らしい色気に溢れていた。
★二幕目「難波裏の場」で左團次さんが1回セリフに詰まってしまった。プロンプターがすぐにフォローしたが、前回見た時は問題なかったし、この時期、そういうことも珍しいような。
★「引窓」で濡髪の絵姿を売ってくれと頼む母親(竹三郎)の身体の小ささ――もちろん演技でそう見せているのだが、この母親のこれまでの心情すべてがあらわれているようで心を打たれた。
★濡髪の前髪を落している間、土間の窓が大きく開いているように見えたけれど、これはいつもそうだったかしら。外から丸見えじゃないの、と今回は妙に気になった。しかし、与兵衛がそこから金包みを投げて黒子を落とし、金包みを投げて即座に窓を閉めるから、それでいいのか…。
「文七元結」
まず泣きどころを。
★角海老の遊女たちに親のことを言われて「おとっつぁんもおっかさんも悪いんじゃないんです。全部あたしが至らないせいなんです」というお久。
★角海老の女将が娘分のお光(菊史郎)に事情を語る間のお久(右近)、背中を丸めて隅っこ(芝居上は舞台中央だけど、一番奥だから実際には隅っこという認識でもいいでしょう)で小さく鳴って泣いている姿。そんなこととは知らず来た早々小言を言って悪かったと謝るお光。
★自分に向かって手を合わせる長兵衛に「もったいない、そんなことをしたらあたしにバチが当たります」というお久。なんていい子なんだ。
★「死んじゃあいけないよ」と繰り返し、走り去る長兵衛。
本物の五十両とわかって「親方~っ」と叫び、「ありがとうございます」と何度も泣く文七。

次はたっくさんある笑いどころから。
★朝になって大家の前で五十両のことで喧嘩しているお兼、服装が前日のまま(つまり、襦袢の上に長兵衛の半纏を着て前掛けをしめて)なのが可笑しかった。着物を返してもらう間もなく喧嘩をおっぱじめたんだな、って。
★五十両をやった相手が文七だとわかり「この人にやったんだ!!」と怒鳴る長兵衛の語気の強さにお兼が屏風の下にぱっと頭を隠す。その瞬間長兵衛はお兼の頭を団扇(客を迎えるため、長兵衛がぱたぱたと部屋の埃を払った団扇)で思い切り叩く。時さまには気の毒だったが、そのタイミングといい、なんか叩き方がアドリブ的な感じがしたのとで、ここが一番笑った。
★きれいになって家に戻ってきたお久を見て屏風から飛び出してくるお兼の、人目に晒したくない格好であることを忘れる母心に泣いた、と思ったら直後、長兵衛に膝裏を蹴飛ばされて、やっぱり時さまには気の毒だったけど笑った。今回は前回より時さまの「ふっとび」がマイルドになっていた。
以上。

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コメント

「文七元結」は悪人がひとりも出ない胸の開くお芝居ですよね

落語の方ではお久は実子でない設定のようですが歌舞伎ではその点が曖昧というか、むしろ実子として扱っていますね

私にとっての「初お久」は染五郎さんでした
SwingSwingSwingさんの「初お久」はどなたでしたか?

今回の尾上右近さんも健気である上に「幼さ」も芸でうまく表現していました
いまでは想像つきませんが、二条城の清正で秀頼を演じていた頃できれいだったと記憶しています

松たか子の「初舞台お久」も懐かしい思い出です

お久をやっていそうでいないのが七之助さんです

投稿: うかれ坊主 | 2012年11月28日 (水) 23時10分

うかれ坊主様
こんばんは。コメントありがとうございます。
悪人なんか出てこなくても、立派にドラマが出来上がるんですね。そういうお芝居は見終わったあとも胸が温かくていいですよね。

染五郎さんのお久というと昭和62年ですね。松さんのお久は見てみたかったなあ。私の「初お久」は岡村研佑クンが尾上右近として初めて演じたお久です。平成17年1月、同じ演舞場でした。ぽっちゃりとまだ子供子供していた右近クン、あれから7年近く経って顔つきも精悍になり、それでもお久の可憐さ健気さが表現できるのですから、大したものです。

七之助さん、筋書きを見たら確かにお名前がありませんでした。梅枝クンもこのままやりそうにありませんね。

投稿: SwingingFujisan | 2012年11月28日 (水) 23時58分

「いまでは想像つきませんが、二条城の清正で秀頼を演じていた頃できれいだったと記憶しています」→これは染五郎さんの補足でした
文章の順番が狂ってしまいました

松さんのお久(長兵衛は勘三郎)舞台写真をもっているのがちょっとした自慢です(たいした自慢にはなりませんかね)
現福助のお久で先代の勘三郎の長兵衛の舞台写真も縁があって手元にもっています

投稿: うかれ坊主 | 2012年11月29日 (木) 12時41分

うかれ坊主様
再び、ありがとうございます。
いまでは想像がつかないのが染五郎さんのことだって、わかりますよ。でもお顔立ちがきれいですから、きっとお久も可愛らしかったんでしょうね。

写真は十分自慢になりますよ。とくに、女の子はその後歌舞伎には出られないわけですから貴重だと思います。
福助さんも児太郎時代にやっているんですねえ。
歌舞伎の筋書きには過去の上演記録が掲載されているのでありがたいですね。その芝居の歴史を感じます。

投稿: SwingingFujisan | 2012年11月29日 (木) 13時44分

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