« 明治座11月花形歌舞伎③:楽しくって何度でも見たい「天竺徳兵衛」 | トップページ | 絶句 勘三郎さん »

2012年12月 4日 (火)

12月演舞場初日夜の部

121日 十二月大歌舞伎初日夜の部(演舞場)
12120401countdown 11月の記録がまだ終わっていない(「日の浦姫」と「出雲展」)けれど、それはまた後ほど。
「籠釣瓶花街酔醒」
interesting
な面白さも含めて、非常に面白かった。
まず菊五郎さんの次郎左衛門が吉右衛門さんや勘三郎さんとかなり違う。田舎者であっても泥臭さがほとんどない。初めての吉原の何もかもに圧倒される田舎者であっても、あの容貌であっても、菊五郎さんの粋な面は隠しようもない。そういう次郎左衛門に慣れていない初めは「おや」という気持ちだったが、だんだんこういう次郎左衛門であってもいいんじゃないか、と思えてきた。金だってきれいに使ってケチじゃないし、豪胆ささえ感じることがある。周りの人に気遣いもできるし、だから廓の人たちは次郎左衛門に対して金持ちだからという以上の好意を抱いていると思う。そういう精神的に粋な面とコンプレックスが混在している次郎左衛門。
八ッ橋にしても次郎左衛門を嫌いではない。身請けされてもいいと思ったのだから。それでも間夫と離れられなかったのは、次郎左衛門にないときめきを繁山栄之丞に感じていたからではないだろうか。佐野次郎左衛門に身請けされれば平穏で幸せな日々が過ごせるかもしれない。でも「どこか違う」という気持ちが八ッ橋にあったんじゃないだろうか。危ない男であっても、いや危ない男であるからこそ八ッ橋は断ち切れなかったのだ。という感情が菊之助・八ッ橋から伝わってくるような気がした。縁切りの言葉の強さ、感情を押し殺したような、次郎左衛門へのすまなさを微塵も感じさせないような表情の厳しさからは、「自分は栄之丞との浮草生活を選んだのだ。縁切りをするのは栄之丞に言われたからではない、自分の意志なのだ。とはいえそれくらい自分に力を入れていないと、気持ちも体も頽れてしまう」、そんな感じを受けた(でも、栄之丞に言われなければ、おとなしく身請けされていたんだろうか)。ちょっと現代的な八ッ橋かもしれない。
見染の場での菊ちゃんの微笑みは嫣然としていて、遊女として明らかに男を蠱惑する意図があったように感じられた。ただ、その笑みには意外と美しさが感じられず(菊ちゃんだったらもっときれいだと期待していた。歯を見せるのがよくないのかなあ)、玉三郎さんの何とも謎めいた笑み(ぼ~っとしている次郎左衛門を微笑ましく思ったのが七、遊女としての営業笑いが三、かなぁ)のほうが好きだと思った。

次郎左衛門の忠実な下男・治六の松緑さんがよかった。花魁道中をぽかんと口をあけて見送る表情に何とも人のよさが出ていたし、次郎左衛門が縁切りで恥をかかされているのに黙っていることができず、八ッ橋を責めようとする。そんな治六を「手前はだまっていろ」と叱る次郎左衛門。2人の心に涙が出たけれど、この次郎左衛門の言葉には凄みさえあって、この時既に殺意の芽が顔を出していたことを思わせた。そして栄之丞の顔を見たとたん、その殺意の芽は一気に吹き出してきたのだろう。こうなる前に、次郎左衛門は栄之丞の顔をちょっと見ている。その時覚えた不吉な予感がここで本当のこととなったのだ。
さてその栄之丞はヒモではあるけれど、別に八ッ橋を食い物にしているわけではないようだ。三津五郎さんの栄之丞は、ちょっと崩れたものを感じさせながらどことなくおっとりと浮世離れしていて、そのくせ妙な現実感もあった。
團蔵さん(釣鐘権八)のしぶとい小悪党ぶりもいい。八ッ橋を食い物にしているのはこっちのほうなのだ。下手に出たりちょいと凄みを見せたりしながら追い払われると捨て台詞を吐くのがいかにも小悪党だ。
立花屋長兵衛の彦三郎さん、その女房の萬次郎さんに大きさがあった。萬次郎さんは廓の女将として店先で使用人たちの働きにさりげなく目を光らせ、的確に指示を出したり、客に気を遣ったり。立花屋の若い者(菊市郎)は小悪党の権八がやってくるといかにも迷惑そうな表情になったのがよかった。女中(菊三呂)は働き者でかいがいしく動き回っている。こういうところに廓の裏の様子が生き生きと描かれていて面白かった。
栄之丞の家ではお針子のばあさんが玉之助さんと梅之助さんの両ベテランだったと思うけど、やはり生活感が現れていて、こういうところの大事さをあらためて認識させてもらった。
冒頭、親切ごかしで次郎左衛門と治六を吉原に引っ張ってきた白倉屋万八。いかにも人の好い面の中は、実はぼったくり。それを立花屋長兵衛に窘められると途端に豹変して、しかし敵わないとみて尻尾を巻いて立ち去る。橘太郎さんがいつもの達者なところを見せる。栄之丞宅同様、こういうところが大事なのだ。
八ッ橋より先輩である九重の梅枝クン、しっとりとして、本当に次郎左衛門を気遣っている様子がわかる。九重は多分次郎左衛門を好きなのだ。次郎左衛門が八ッ橋でなくて九重に惚れていたら…。梅枝クンはあの若さだけれど、こういう役では古風な面差しが活きるのかもしれない。もちろん顔だけでなく演技がしっかりしているからだけど(「頼朝の死」の音羽も孝太郎さんより年長感がよく出ていたでしょう)。もう「実力派」と言ってもいいのではないだろうか。
最初の九重と七越(松也)の花魁道中、七越付きに喜昇さん、春希クンを発見。九重付きには段之、時蝶さん。時蝶さんは
83歳、お元気そうで嬉しかった。また八ッ橋付きの番頭新造に笑野さんが。澤瀉屋の3人は中3日での出演。歌舞伎役者ってすごい。
それにしても、「籠釣瓶」。幕があいても真っ暗で、やがてぱっと明るい桜満開の吉原という視覚的効果はいつも素晴らしいと感動する。そこにあるのは悲しい女たちの暮らしだとしても。


「奴道成寺」
おお、所化の中に再び笑野さんが。ついついお顔を見てしまう。
所化の「聞いたか聞いたか」は般若湯を出したところでさっと終わる。
紅白の幔幕が上がると白拍子姿の三津五郎さんがいる。中啓の模様は牡丹で、これは音羽屋系の中啓だそうだ。烏帽子を中啓で叩くと後見が烏帽子を取る。これは鐘の紐に烏帽子がぶつかったということらしい。
やがて白拍子でなく狂言師だということがバレてしまうと、所化たちに何か口上をとせがまれ、三津五郎さんが舞台に正座する。
「平成24年もいよいよ師走を迎えることとなった。1年歌舞伎を楽しんでいただいて御礼申し上げる。さて、立三味線の杵屋巳吉さんが師匠の名である巳太郎を八代目として襲名することになったのでご披露申し上げる。七代目は杵屋浄貢と改名する(浄貢とは大薩摩の名前らしい)。また常盤紘寿郎さんが菊寿郎を襲名した。私の父が奴道成寺を踊った時はお父様の菊寿郎さんが三味線を弾いた」といった三津五郎さんの紹介があった。役者さんの襲名だけでなく地方さんの襲名もこういう形で披露されるのは素敵なことだと思った。
口上の後、長唄と常盤津の掛け合いで三津五郎さんの踊りが再開される。扇を振り向きもせず広げたまま後ろへ投げると、後見の八大さんナイスキャッチ。
亀兄弟を除いた所化の花傘総踊り、その後亀兄弟のコミカルな踊りで楽しむ。
そして三津五郎さんの三ツ面の踊り。おかめは傾城、えびすはお大尽、ひょっとこは太鼓持ちを表す。面を素早く買えて1人で踊り分けるのだが、面を手渡す八大さん、順番を間違えたら大変だなあと素人はつまらぬことを考える。しかし、間違えるなんてことはなく、2人の呼吸はぴったり。三津五郎さんは緩急自在、面が替わるたび、傾城なら傾城、お大尽ならお大尽というように、その人にしか見えない。しばしその妙味を堪能した。
道成寺だから手拭撒きがあり、その後鞨鼓をつけた三津五郎さんが花四天との所作ダテ。これも難しいだろうと思うが、見事な動きで四天を躱し、最後は鐘入り。
大変楽しく見ることができた。
<上演時間>「籠釣瓶」113分(16001753)、幕間40分、「奴道成寺」50分(18331923
幕間40分はちょっと長すぎる。

|
|

« 明治座11月花形歌舞伎③:楽しくって何度でも見たい「天竺徳兵衛」 | トップページ | 絶句 勘三郎さん »

歌舞伎ミーハー観劇記」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。
一昨日、演舞場夜の部みてきました。ほぼ、Fujisanさんの感想どおりです。菊之助、綺麗は綺麗なのですが、この役が本来要求している、ろうたけた美しさには遠く可愛らしさが前面にでた八つ橋だったように思います。縁切りの場のいらだち、席を立つ演技は、次郎左衛門に対するすまなさはなく、すっきりわりきった若い女性の激しさが出ていました。菊五郎、これまでの播磨屋系の愛嬌のある役作りではなく、すっきり江戸前のいかにも音羽屋の演技でした。この作品、よく二流の作品とはいわれますが、やっぱり、役者がそろうと面白いですね。
三津五郎の「奴道成寺」、三つ面の踊り分けが抜群です。現在の歌舞伎舞踊の最良の一つでしょう。ただ長唄の立ての方が調子が悪く、肝心の箇所で高音が殆どでず、かつ音を外し、感興を削いだのがとても残念でした。

投稿: レオン・パパ | 2012年12月24日 (月) 09時47分

レオン・パパ様
おはようございます。コメントありがとうございます。
音羽屋版「籠釣瓶」、面白かったですよね。役者さんによって役から受ける印象がこれほど違うという意味でも興味深いと思いました。毎回必ずそうだというわけではないのですが、たとえばこの八ッ橋にしても若い役者さんが演じると現代的な人間像が浮かび上がってくるような気がします。
「奴道成寺」、すばらしかったですね。三つ面はただただその世界に引き込まれました。立て長唄の方は体調不良だったのでしょうか。やはり踊りは演奏もあってのことですから、それは残念でしたね。
本当は千穐楽にもう一度夜の部を見る予定でいましたが、仕事等で行かれなくなり(かわりに友人に行ってもらうことにしました)、結局初日のみの観劇になってしまったのが自分としては大変心残りです。

投稿: SwingingFujisan | 2012年12月24日 (月) 10時03分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 明治座11月花形歌舞伎③:楽しくって何度でも見たい「天竺徳兵衛」 | トップページ | 絶句 勘三郎さん »