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2012年12月 6日 (木)

父親・勘三郎さん

前夜、仕事をしていて寝たのが4時だったからもうちょっと布団にもぐっていたかったのを、ゴミ出しがあるため頑張って8時に起きた。テレビをつけたら飛び込んできたのが勘三郎さんのニュース。あんまりショックで茫然とした。
うそだ、悪い冗談だと思おうとしながらも事実は動かし難い。そしてそれでも定式幕は開く。私も仕事をしなければならない。勘三郎さんのことを思うたび涙が出る

勘三郎さんの無念はもちろん第一だが、小山三さんがどれだけ辛い思いをされているだろう、お体に障らなければいいが。仁左様も先日病から回復したばかりなのにこの衝撃を受けて大丈夫だろうか。恐らく以前から覚悟はしていたに違いない勘九郎・七之助兄弟はどんな気持ちで舞台に上がっていたのだろうか。
初日の口上が報道で紹介され、胸が痛くなった。

勘九郎さんは何かの折にいつも「大好きな父」「憧れの父」と言っていた。結婚もして子供も儲けた男子がその年で衒いもなくそう言える勘三郎家。役者の先輩としてだけでなく、父親としてどれだけ子供たちに愛情を注ぎまた愛されていたか、私はいつも勘九郎さんの言葉に感銘を受けていた。そうしたら、勘三郎さん自身も先代のことを「大好き」と言っていたんだね。私も父が大好きだった。でもそれを認識したのは父を喪ってからだった。いくつになっても「大好き」と堂々と言える親子関係って素晴らしい。
よほどお父さんを好きなんだなと思う言葉にもう一つ、兄弟はほぼ必ず「うちの父」と言うのだ。ただ「父」でいいのに「うちの父」。子の父への愛情が感じられるではないか。

上品な判官、色気のある小悪党・新三、愛敬たっぷりの一条大蔵卿、サービス精神に溢れた法界坊、小姓弥生、白拍子花子等々、もう見ることはできない。
しかし現実は受け止めねばなるまい。私にとってせめてもの慰めは、十八代目襲名公演を3カ月見ることができたこと、勘三郎最後のロングラン平成中村座を全公演見たことだろうか。七緒八クンを抱いて嬉しそうにみんなに見せていた無邪気な勘三郎さん(三代の連獅子は見られなくなった)。桜席にいる私たちに幕が閉まった後、顔を上げて挨拶してくれた勘三郎さん。
ありがとう、いろんな歌舞伎を見せていただきました。
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年間、走り続けてきた勘三郎さん、謹んでご冥福をお祈りいたします。
南座へ行ったら精一杯応援します。

追記:今たまたま、Eテレの「めざせ会社の星」という番組を見た。ガテン系男子SP。そこで紹介されていた鳶の男性が歌舞伎座建設に携わっている人だった。鳶のリーダーだからかチームの中で1人だけ「歌舞伎」と正面に書かれた赤いヘルメットをかぶって、高所にある大クレーンの解体を指揮していた。作業は深夜1時にまで及ぶこともあったそうだ。彼がなぜ、鳶になったか――父親が鳶で、父親に憧れていたから、だそうだ。勘三郎さんが重なって、そしてこの歌舞伎座で勘三郎さんを見ることはないのだ、と思ったら又悲しくなった。

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