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2013年1月16日 (水)

1月演舞場昼の部

115日 初春大歌舞伎昼の部(新橋演舞場)
13011601embujo ここのところ毎日眠くて眠くて、自宅で仕事をしていても、突然睡魔に襲われてパソコンの前でしょっちゅうがくっとなっている。だから心配しながら行ったんだけど、案の定。
「寿式三番叟」
大ゼリから我當・梅玉・魁春・進之介の4人がセリ上がってきたとき、一番上手側にいた梅玉さんに目を引かれた。なんか、とてもカッコよく見えたのだ。
梅玉さんの後見として梅之さんが出ていたので、ついつい目はそっちにいきがちだった(梅之さんがそれを知ったら困るだろうな。梅之さんはいつも、後見はいかに気配を消して舞台の邪魔にならないように気を配るかってことに気を使っていらっしゃるようだから。でもこの場合、梅之さんの気配の問題じゃなくて私の個人的好みの問題だから…)。梅之さん、髪型が前に戻った? 正直、これまでの髪型、あんまり好きじゃなかったから、よかった。梅玉さんの烏帽子をつけるとき、梅秋さんと2人がかりで真剣そのものだったのが印象的だった(途中で落ちちゃったら大変だもの)。
こういう演目はよくわからないなりによかったのが、まず我當さんのゆったりした大きさである。寿式三番叟という演目に相応しい「祈り」の思いが感じられた。

また梅玉さんの三番叟は決して軽やかというわけではないのだが、重いわけでもなく、梅玉さんらしい端正さが気持ちのいい躍動感に三番叟の真髄があったように思う。
「車引」
七之助さんの桜丸は、背が高いせいか、やわらかさだけでない力強さを秘めているようだった。顔が勘九郎さんによく似ていた。
三津五郎さんの梅王丸の形のよさは格別だし、声を思いきり張り上げなくてもちゃんと梅王の勢いや稚気が出ていることに、荒事の認識を新たにしたような気持ちになった。
三津五郎・七之助・橋之助・彌十郎と主たる役の4人を見ていると、勘三郎追悼演目のように思えて、そう意識するせいか、とくに三津五郎さんと七之助さんの声や表情の底に深い悲しみがあるように感じられてならなかった(考え過ぎだね、きっと)。
「戻橋」
多分、初めて見るしちゃんと見るつもりでいたのだが、昼食の後であること、舞台がやや暗いこと、3階はとにかく暖かいこと、という3条件にプラス場面転換や幸四郎・福助の通路歩き(3階は置いてきぼりだものね、通路歩きは)で、つい一度目を閉じたが最後、次に目を開くまで舞台は進んでいる、という状態。でも、花道付け際に戻る際、所作台の上にぴょんと飛び乗ったお茶目な幸四郎さんはバッチリ見ていた。あとちゃんと見ていた(というか聞いていた)のは大薩摩だけだったりして、国生・児太郎の成長を見届けようとしたのに、それもままならず。
そのわずかな目を開いていた時間の中で、幸四郎さんも福助さんも芝居の空気によく合っていと思う。ただ、自分の耳のせいもあるだろうが幸四郎さんのセリフが時々聞き取れなくて、それも眠気を誘う一因だったかも。
鬼女になった福助さんは、腕を斬られ、最後宙に飛んで消え去る。隈取の顔はちょっと福助さんとはわからなかったくらい。

「傾城反魂香」
この芝居もところどころ瞼が落ちてしまった。で、そうなれば当然私の中で芝居はところどころ途切れるのではあるけれど、目を開けばすぐに芝居の世界に入り込んで感動して時には涙も出て…なのだ。
又平はその一途さゆえに、時に少々足りないのではないかと思わされるような芝居もあるけれど、吉右衛門さんの又平は純粋で必死で苦悩に満ちて、そして最後は喜びに溢れてという感情の動きを切々とこちらの胸に刻み込んでくる。
吉右衛門さんの又平も絶品だったが、芝雀さんのおとくが強烈に私の心を揺さぶった。芝雀さん独特の細やかさ、時に表に出ることがあっても出しゃばったりせずにあくまでも又平を陰から支える、互いに身を寄せ合ってきた夫婦の濃密で悲しい空気が2人の間に漂い、こちらも出しゃばることなくこの夫婦の行く末を息を詰めて見守りたくなる。
手水鉢に絵を描いた後、死ぬ覚悟をした又平が刀を持った時、自分も一緒に死ぬから待ってとその手を押さえるおとくに思わず涙が出る。
「かか抜けた」以降、師匠に認められて嬉しい2人に客席から思わずそうせずにはいられないというあたたかい拍手が何度も送られる。客席のみんなの笑顔が見えるようである。
最後、幕外の引っこみは、おとくが又平に「えへん」という歩き方を教えるものではなく、又平がそっとおとくに手を出し、手をつないで一緒に歩こうというもの。これも客席はあたたかい気持ちになる。テレるおとく、それでも最後は2人仲良く手をつないで花道を引っこむ。ほのぼのといい最後だった。
この芝居が素晴らしかったのは、2人の心に染み入るような演技だけではない。土佐将監の歌六さん、北の方の東蔵さんの演技も実に納得いくものであった。土佐の名前を許さないのは吃音のせいではない、ということを敢えて心を鬼にして暗示している将監の大きさも感動させる。
そして、姫奪還の命を又平に下した将監が奥にいる北の方に衣服大小を持ってくるように命じると、北の方は「ただ今、ただ今」と言っていそいそと衣服を持って出てくる。この「ただ今、ただ今」の声の時、東蔵さんは舞台には出ていない。奥から声を出すのである。その声に何とも言えぬ暖かい喜びがあふれていて、この声ひとつだけでも東蔵さんの北の方の心を知ることができるのである(もちろん、この声ひとつだけじゃないけれど、ここに心が最大限込められていたと思う)。
幕見があればなあ。この演目だけもう一度見たいのだぁ。
<上演時間>「三番叟」21分(11001121)、幕間15分、「車引」31分(11361207)、幕間30分、「戻橋」53分(12371330)、幕間15分、「吃又」79分(13451504

13011602embujo

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コメント

「寿式三番叟」のおわりのところで、両側の後見さんが座ったまま客席にお辞儀をするのに気が付きました。なんか、おめでたさが感じられてうれしかったです。
私も「傾城反魂香」だけちゃんと見るためにもう一度いきたいです。(気持ちだけ…になりそうですが)

投稿: urasimaru | 2013年1月17日 (木) 17時49分

urasimaru様
そうそう、私も両側の後見さん(梅之さんと春之助さんでしたかしら)が座ったままお辞儀をするのを見て珍しいなと思ったので書くつもりでいて、すっかり忘れてしまいました。
こういうのって、なんか嬉しいですね。思い出させてくださってありがとうございます。

一幕見がないのもあとわずかの辛抱。とはいえ、それでリピートを逃した演目も多々あり、歌舞伎ファンにとってはやっぱり痛手ですよね。

投稿: SwingingFujisan | 2013年1月17日 (木) 20時47分

あれは客席にお辞儀をしているのではなく、その芝居小屋の櫓に一礼しているはずです
曾我の対面の工藤と同じだと思います
観客があそこで拍手するのは、本来の意味からするとおかしいと思っています
私は、あそこでは厳粛な気持ちにはなりますが、拍手をしないようにしております

投稿: うかれ坊主 | 2013年1月22日 (火) 00時10分

うかれ坊主様
こちらにもありがとうございます。
そうですね、ご指摘の通りだと思います。あるいは三番叟の場合は神様に対するお辞儀かも? でも、後見さんまでこちらを向いてお辞儀をしているのが嬉しかったし、幕切れでしたので私はしっかり拍手しました(゚ー゚;

投稿: SwingingFujisan | 2013年1月22日 (火) 01時19分

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