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2013年9月24日 (火)

悪事に理屈なんかない、我が人生に悔いなし「不知火検校」、そして馬がウマ過ぎる「馬盗人」:演舞場9月大歌舞伎

923日 九月大歌舞伎夜の部(新橋演舞場)
歌舞伎座がオープンしてから初演舞場かな。このこぢんまり感、悪くないな、なんてちょっと懐かしさも含めて思った。
演舞場は夜の部のみ。でも、見終わった後、昼の部も見ればよかったな、とちょっぴり後悔。それくらい、思いのほか、楽しめたのだ。休日のせいか、客席も予想以上に入っていたし。
「不知火検校」はちょっと苦手な幸四郎、橋之助、孝太郎といった役者が中心なので迷ったものの、なんと昭和522月以来36年ぶりの上演という貴重なチャンスだもの、はずせない。そして、この3人がとってもとってもよかったのだ。
盲目の富の市は良心なんてものをひとかけらももっていない。これは、親の因果が子に報い…なのか。魚屋の富五郎が金にからんで誤って按摩を手にかけたその時、妻が男の子を生んでいた。その子は生まれながらにして目が見えない。金、按摩、殺害、この3つが因果としてのキーポイントとなる。
富之助と名付けられ7歳になった男の子は検校の許で修業しているが、自分で稼いだり客からもらった金を両親に小遣いとして渡すような親孝行のいい子である。と思ったのは大間違い。実は富之助は手癖が悪く、その金は客先でくすねたものであったのだ。
富之助、すなわち富の市の幼少時代を演じるのは玉太郎クン。7月歌舞伎座「再岩藤」の志賀市、趣向の華「若華競浪花菱織」の乙市と盲人役が続く玉チャンだが、実にうまい。盲人としての演技だけでなく、無邪気にいい子に見せて、実はその奥に潜む悪の芽を感じさせる演技がこわいくらい。玉太郎クンは将来いい役者になるぞ~。ところで、趣向の華から1カ月しか経っていないけれど、玉ちゃん背が伸びた?
そんなことがあってから約10年後、富之助は按摩・富の市になっていて、役者も幸四郎さんに変わっている。17歳にしてはトウがたっているのは否めないけれど、後の姿を考えるとそれなりに若くは見える。さあ、ここから富の市の悪事は限りなく広がっていく。金をくすねる、強殺して金を奪う、女を手籠めにする、殺人を犯す(師匠夫婦、妻、その密会相手まで)、そしてついにはご金蔵破りまで計画する。
ぞっとするような悪事の数々だが、意外と悪のインパクトが弱い。人を殺すのでも「盟三五大切」の源五兵衛みたいな陰湿な怖さがないのである。幸四郎さんが意外にあっけらかんとしているからだ。常なら、幸四郎さんのベクトルは内へ内へと向いて、多分理由をつきつめてから行動を起こす、あるいは悪事の後に考え込むという空気になるんじゃないかしら。ところが富の市は実にあっさり悪事を働く。理由も理屈もない。いや、あるとしたら「欲しい物を手に入れて楽しむため」。そういう態度が時に客席に笑いを巻き起こしたりして、なんか明るいんである。それが私にはよかった。しかもいつもはもごもご聞き取りにくいセリフもはっきり聞こえた(セリフ聞き取れないって、相当ストレスになる)。「河内山」を見ればよかったと思ったのはこの幸四郎さんを見たからだった。
富の市の手先となって悪事を働く3人の男がいる。富の市の最初の殺人現場を見てしまった生首の次郎(すごい名前だ)(橋之助)は肚の据わった富の市に惹かれる。生首の次郎の紹介で知り合った口入屋の鳥羽屋丹治(彌十郎)と玉太郎(亀鶴)兄弟。このうち丹治と玉太郎は富の市のあまりの悪事に腰が引けることもしばしばだが、生首の次郎は一貫して富の市を支える。丹治と玉太郎は検校にこき使われている感じがするんだけど、生首はそうじゃない。この人、よくわからないなと思っていたら、最後にわかったような気がした。
二代目検校となった富の市は、丹治と玉太郎の口から悪事が明らかになり、寺社奉行に逮捕される。その時も逃げも隠れも泣きわめきもせず堂々と縄にかかり、「人殺し」「人非人」と口々に罵り石を投げる江戸の町の人たちに対し、「お前たちは目明きのくせにちっぽけなことしかできず、薄汚いばばあやじじいになってのたれ死ぬんだ。それに比べてめくらの俺はでっかいことして、面白く生きた」というようなことを叫ぶ。一緒にお縄になった生首の次郎は富の市をじっと見つめている。その表情を見ていたら、ああ、生首の次郎は<好きなことをして面白おかしく生きてきた、人生悔いなし>、この生き方に惚れたのだということがはっきりわかるような気がした。私はこういうハッシーはとっても好きだ(「だましゑ歌麿」の同心、大好き)。「地獄で待ってるぜ」と言う富の市を見つめる橋之助さんの顔を見ていたら妙に感動しちゃって泣きそうになった。
亀鶴さんは悪事に耐えられず気がおかしくなってしまう、本当は気弱な玉太郎の心の動きを繊細に表現していて共感を覚えた(筋書きの亀鶴さんの扱い、ちょっと冷たくない?)。彌十郎さんの丹治には悪事に疑問を抱きながらもここまで来てしまったらしょうがないという開き直りのようなものが感じられた。どちらもこういう闇の世界にいそうなリアルさがあった。
ただ、この
4人、あんまり歌舞伎っていう感じがしなかった。どちらかと言うと、時代劇みたいな感じかな。


世話物の歌舞伎らしい空気をもっていたのは、まず富之助の手癖の悪さを伝えに来た手引の角蔵役の橘太郎さん。わずかな出番ながらさすがの「らしさ」である。
それから生首の次郎の女房で夜鷹屋を営むおつまの高麗蔵さん。最近私の中でぐんぐん評価が上がっている高麗蔵さんは、そういう世界にいる女のしたたかさと薄暗さ、色気をもっていた。
そして日本一の美女と謳われ恋人がいながら無理やり検校の妻にされるおはんの孝太郎さん。気が強くて検校なんて相手にしていない。いかにも検校が欲しがる女だ。でもやっぱり当時の女は他に生き方がなかったのかなあ。とはいえ、おはんもしたたかである。恋人の指物師・房五郎(翫雀)と切れていないのだもの。夫の前では平然と恋人を指物師として扱い(でも明らかな好意が見える)、2人になると甘える、このしたたかさがいい。しかし検校はもっと上をいく。おはんなんかが敵う相手ではない。だから殺されちゃった。
房五郎は肩が凝るのを検校が治療してくれるっていうので背を向ける。「ぼんのくぼに鍼を刺したら、もう肩こりなんてなくなりますよ」って、ダメダメ、ぼんのくぼは急所なのにと思わず房五郎に教えてあげたくなっちゃった(昔、「必殺仕掛け人」で梅安がぼんのくぼに鍼?針?を刺して殺していたでしょ。あれ、結構衝撃的で印象に残っている)。房五郎が倒れると、「ほら、もう肩こりはしない」と呟く検校に客席は笑い。

魁春さんの旗本夫人・浪江もよかった。富の市に借金を申し込んで手籠めにされ、金についてもだまされ(富の市、なんて汚い男なんだ)、後に検校に復讐を仕掛け殺されてしまうという実に気の毒な女性なのだが、「自分は男とはいえ目が見えない。女のあんたでも刺そうと思えば刺せたはず。それをせずに、自分だっていい思いをしたくせに」との富の市の言葉には頷けた。というのも、富の市に手を引かれた浪江の表情にちょっと恍惚としたものがあるように感じられたからだ。
舞台としては、師匠殺害の場面の二階家の見せ方(上と下を同時に見せたり、二階を下して焦点を当てたり)はアイディアではあると思うものの、あまりうまくいっていないような気がした。ラストの、検校と生首が縄を掛けられて引き立てられていく様子を盆を使って見せたのは効果的だった。家々の陰で見えなくなった検校が再び姿を現した時、その額はぶつけられた石によって破れ血が流れていた。それがとても印象的だった。
「馬盗人」
こちらの橋之助さんは苦手なほう。大きな甲高い声で、朴訥な田舎者も作り過ぎ感があってすこしうるさかったが、大きな体の橋之助さんがだまされる側、丸っこい体の翫雀さんがだます側という対比は面白く、巳之助クンの頑張りもあって、全体としては楽しく見た。
何と言ってもここの主役は馬で、やっぱり出て来たら全部持っていかれちゃうよねえ、という感じ。筋書きにちゃんと名前も載っている八大さんと大和さん。ユーモラスな動きで橋之助さんと翫雀・巳之助組の喧嘩に割って入る。このコンビは何度も馬の脚をやっているが、複雑な足の動きもぴったりの息で軽く見せているのがさすがに見事である(馬の中ではどれだけの大汗をかいて大変な思いをしているだろう)。ラスト、花道での見得、飛び六方も楽しく素晴らしかった。笑い、拍手で客席は大いに盛り上がり、笑顔のうちに演舞場を後にしたのだった。
<上演時間>「不知火検校」序幕90分(16301800)、幕間30分、二幕目70分(18301940)、幕間20分、「馬盗人」37分(20002037
演舞場は廊下に椅子がたくさんあるのがいい。幕間の食事が楽。

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