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2013年12月14日 (土)

南座顔見世夜の部①

129日 當る午歳吉例顔見世興行夜の部(南座)
南座は上演時間もやたら長いし、チケットを取る時には張り切るのだけど、いざ出かけるとなると「疲れるだろうなあ」と億劫になる。ところが、今回は1615開演、2135終演という長丁場にも全然疲れることがなかった。演目の組み合わせ方がよかったからかなと思う(一番長い「御浜御殿」が最初で、短い口上が入り、次に長い「黒塚」が来て、終わりの2つが短かった)。
「南座、すごい」と思ったのは、この日昼の部の終演が遅れ(とくに原因はなかったみたい)、夜の部の開場は1600からということで、南座前は大混雑。正面は人で溢れ返っているので、行列を西側にもってきて、正面に回らせないようにしていたほど。これでは開演が相当遅れるなとややうんざりしていたら、5分遅れの1620には開演となった。そういえば、以前は歌舞伎座でもきわどい時間で入替していたっけ。
「御浜御殿」
仁左様休演で綱豊卿は梅玉さんを代役としての上演であるが、私が最初に見た「御浜御殿」は平成1811月国立劇場で梅玉さんの綱豊卿であり、この時胸が高鳴り震え、大いに感銘を受けたので仁左様を見られないのが残念な一方、梅玉さんでもう一度見られる喜びもあった。そして梅玉さんは私の期待を裏切らなかった。私が好きなのは、新井勘解由と語り合う中で「討たせたいのう」「目出とう浪人等に、本望遂げさせてやりたいのう」というセリフ。梅玉さんのこのセリフに込められた心が、時に助右衛門を軽くあしらい、時にきびしく詰問しながら助右衛門の軽挙を叱る場面までずっと一貫して綱豊の中にめらめらと燃えているのが見えて、好きなのだ。助右衛門に痛いところを衝かれてかっと怒るのも、人間らしくていい。緩急のメリハリの効きが物語を盛り上げた。最後、吉良と間違えて自分を襲った助右衛門を諭すところで助右衛門の背中に置いた手に優しさが溢れていたのに泣けた。
松之助さんに先導されて中車さんが出てくると、盛大な拍手が起こった。中車さんは、当初に比べればだいぶ歌舞伎の雰囲気が漂うようになってきたのではないかと思う(私が中車さんを見るのは去年の7月以来。それなりの努力が認められると思う)。声もよく出ていた。歌舞伎らしく喋ろうという意識も窺え好感がもてた。人生半ばにして歌舞伎の世界に入った人には何から何まで難しいだろうが、これからもどんな小さな役でもいいから歌舞伎の舞台に出続けてほしいと思った。2歳の子供が既に歌舞伎の空気を身につけていることを思うなら、中年の新人役者はとにかく舞台で空気を感じ少しずつでも自分のものにするしかないのではないだろうか。もう一つ、中車さんはあまり若者らしくは見えなかった(「ぢいさんばあさん」で、それはより強く感じられた)。ただ、それはそれとして、助右衛門の血を吐くような思いには感銘を受けた。「お敷居越えます」と泣く助右衛門、満足げな綱豊卿、この場面は泣けて好きだ。
江島は時蔵さん。最初は白地の打掛、次に出てきたときは、魁春さんの江島で印象的だった、あの帆船の打掛を着ていた。冷静に場を納める大きさは時様に向いていると思った。
お喜世の孝太郎さんは愛らしく、綱豊が妻を煙たがってお喜世と一緒にいるとくつろげるのがよくわかった。
嬉しかったのは梅乃さん(梅之改め)が中臈お古宇役で出ていたこと。いつも梅玉さんの後見として師匠を見守る梅乃さんが、ここでも太刀持ちとして綱豊卿にぴったりくっついているのはふさわしい。

「口上」
幕があくと、舞台にいるのは藤十郎さん、猿之助さん、中車さんの3人だけ。まず藤十郎さんが初日以来連日の大入り満員に対してお礼を述べ、例のごとく口上書を懐から取り出して読み上げていた。
新猿之助さんは「長年名乗ってきた二代目亀治郎を改め、四代目猿之助を襲名する運びとあいなった。顔見世は9年ぶり。猿之助のまねきが上がるのは18年ぶり。猿翁のまねきは歌舞伎史上初めて。猿翁は体調を心配していたが、皆様のおかげで口上には出演している。本日74歳を迎えた。自分は伯父に負けぬよう精進に精進を重ねる」。
中車さんは「昨年九代目中車を襲名し、この度南座にてご披露する運びとなった。中車の名前が大変重いことは自分でもよく承知している。南座のまねきに中車が上がったのは昭和4012月以来48年ぶりのことである。自分がこの世に生を享けたのはまさにその月のこと」と、中車の名を掲げることの意義、重要性について語った。ちなみに中車さんは127日生まれだから、猿翁さんと2日違いということになる。
ここで藤十郎さんの呼びかけにて猿翁さんが登場した。すでにニュース等でお顔は見ていたが、2年前あるいは1年半前とすっかり変わってしまった容貌に痛々しさを感じた(あとで筋書きの「襲名までの軌跡」の写真を見たら、当時はまだふっくらとしておられ、表情もにこやかだった)。猿之助さんが猿翁さんの口上を「ようよう、この京都まで上ることができた。いずれも様にご挨拶できて嬉しい」等々ゆっくり代読すると、猿翁さんは文言に合わせて腕を大きく右へ左へ広げ、上下に動かし、また胸の前で手を組む。最後は「請い願いあ~げ奉る」を一緒に言っているように口を動かして、幕が閉まるまで、腕を上下に大きく動かしていた。報道で見た印象よりお元気そうで、こうして舞台に出ることが嬉しいのだ、客の拍手が元気の素なのだ、と胸が熱くなった。しかし、この翌日から休演という報に接し、誕生日までは、と無理して出ていらしたのかもしれないと気持ちがしゅんとしてしまった。

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