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2014年1月27日 (月)

壽三升景清いろいろ

115日、22日 「壽三升景清」(新橋演舞場)
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回行っているのはリピートしたわけではない。そのわけは後ほど。全編を見た22日は仕事を仕上げたばかりでただただ眠く、肝心の畠山との問答はがっくり。ということは、この芝居の本質を理解せぬまま、ただミーハー的に見てきたということになる。
ま、それも仕方ないか、元々ミーハー観劇記だし(って、何を開き直ってる)。

景清といえば吉右衛門さんの「日向嶋景清」というおそろしく暗い物語を思い出すが、こちらの景清は全然趣が違った。「関羽」「鎌髭」「景清」「解脱」を一連の流れにしたアイディアは「雷神不動北山櫻」みたいで面白いと思ったら、実はそれは景清が死ぬ間際、走馬灯のように夢見たことだった。海老蔵さんが景清の欲望をすべてかなえた夢を見せてあげたいという発想からそういう物語にしたのだと知った時、思わず感動してしまった。あとで海老蔵さんの考えを知ってから芝居を振り返ってみて納得したのは、景清の頬の隈取が青黛で描かれていたこと。芝居を見ている最中、あの隈がどうにも気になって、なんかあそこに暗い意味が潜んでいると感じていたのだが、やはりこれは景清の心の闇、陰を表すものだったようだ。それを感じさせてくれた海老蔵さんはすごいと思ったし、そもそも、海老蔵オーラが満ち満ちた芝居であった(海老蔵の海老蔵による海老蔵のための芝居だ、こんなことができるのは今は海老蔵さんしかいないんじゃないかって思った)。
発端・第二場岩窟の場は暗い(照明が、という意味)。暗くてなんだかよくわからなかった。第三場魏の国張遼館の場(「関羽」)では新蔵さんの魏の武将に<らしさ>があってとてもよかった。全体に迫力があって面白かった。
序幕・山崎の里鍛冶屋の場(「鎌髭」)は景清を討ち取るために源氏の武将たちが鍛冶屋に身を窶しているという設定だというから、自分の中の鍛冶屋さんをイメージしていたら、全然違ったのでびっくりした。刀鍛冶はああいう衣裳をつけていたのだろう。左團次さんが立派。萬太郎クンは声がいいから映える。 女形で見ることの多い廣松クンも頑張っていた。新悟クンはあまりしどころなくてちょっと気の毒だったかも。
市蔵さんと子分3人がチャリ場を演じる。腹太ゆる平(山左衛門)、鰒汁のむ平(新蔵)、風鈴あて平(仁三郎)というふざけた名前の3人が市蔵さんが持っている化粧水をつけたところお肌がしっとりしたと喜ぶ(何しろ市蔵さんの役名が<うるおい有右衛門>だから)のだが、実は彼らがつけたのはただの水だったという、どこかにありそうなお話。
自ら縄にかかった景清を入道の獅童さんが引っ立てて行く場面は、景清がびくともしないために獅童さんが道化役となって海老蔵さんに華をもたせる。それなりに面白いのだが、役とはいえ私はふざける獅童さんはあんまり好きではな二幕目・都清水五條坂花菱屋の場では芝雀さん(阿古屋)があんまりきれいでどきっとした(女性としてまったく違和感がない。<男>の部分がまず見られない)。景清の妻として、花魁としての品格、潔さが素敵だった。玉三郎さんに続く阿古屋は一気に菊之助・七之助あたりに飛ぶかと思っていたが、そうだ、芝雀さんがいるではないか!! 
六波羅に行くことになった阿古屋がおいらん道中で行きたいと言い出し、その準備が始まる。岩永左衛門(市蔵)の家来たちが若衆役を引き受けさせられるのだが、初めてのことで要領を得ないのと(傾城たちに練習をさせられる)彼らの動きがキョンシーみたいに両足飛びなので、なかなか大変そうだった。とくにおいらん道中は歩きにくそう。この家来たち、動きが変なだけではなく、顔もドラえもんがいたり、ふなっしーがいたり、壽を書いてあったり。指導役の京紫さんはドラえもんとふなっしー相手に花魁の傘の持ち方を教え、「なっしー」連発。「今でしょ」も(未だに流行しているんだ)。京蔵さんは煙草盆の指導で「おもてなしの心で」と。京妙さんは提灯と花魁に肩を貸す役の指導をしていた。金棒は家来がうまくできないので、結局は岩永がやった(珍しい、市蔵さんの金棒引き)。
景清と阿古屋の子・人丸の福太郎クン、禿姿が実に可愛かった。
畠山の獅童さん、どてら姿がよく似合い、カッコよかった。見送る右之助さんが凛としてきれいだった。と思ったら自分もかっこつけて花道を引っこむコミカルさのギャップが面白かった。
二幕目・都六波羅大牢の場(「景清」)で、景清に再会した福太郎クンが「もし、ととさま、人丸にございます。おなつかしゅうございます」とあいさつした時の表情が、いかにも懐かしんでいるようで上手だった。は先述したとおり、問答になって気がついのは、畠山が大牢の鎖を断ち切った瞬間であった。
津軽三味線がとてもよかったのにツケと重なる部分がけっこう多かったのが残念。またツケと重ならず聞き惚れようとすると今度は拍手がかき消してしまい、もったいなかった。

140127gedatu 大詰「解脱」は、15日の感想を中心に。実はこの日は三升席で見たのだった。追加席発売の3日、10時からずっと電話が通じなくて一度は諦めたのだけど、午後最後の一通話と決めて番号を回したら、なんとつながっちゃったのである。しかも、「三升席は、もうないですよね」「何枚ですか?」「1枚です」「1枚なら、あいている日がぽつぽつあるんですよ」ですと!! 「その中でご都合のいい日があれば」と、チケットホン松竹のやさしいおねえさん(ほんと、すっごく感じのいい方だった)、あいている日を全部教えてくれた。それで選んだのがなぜか15日、仕事真っ最中だったというわけ(3日の時点ではまだこんな事態になることを想像していなかった)。思いもかけず三升席が取れてコーフンしまくりだったけれど…。
考えてみたら、平成中村座の桜席と違って、開幕まで全観客の目に晒される席である。急に怖気づいたが、そこはおばさんの図々しさか、舞台に上がったら意外と平気であった(1人じゃないしね)。またライトの熱と緊張で気分悪くならないかと控え室(2階の蕎麦屋さん)で心配になって胃薬を飲んだが、熱さは全く感じない。衣裳を着こんで動きもする役者さんと違って、15分くらいあの場にいても何ともないのだった。
さて、幕があくと、全体がほぼ真っ暗。私たちの周りを何人かが動き回る音がする(最初は蠢いているという感じだった)。やがて花道に1人の男が見えてきた。頭巾をかぶって顔は見えないが、景清である。海老ちゃんは、三升席の最前列すれすれまでくる大サービス(もっとも、私は最前列でないから、やや距離感はあった)。景清は鐘に入る。長唄が「今こそ解脱の~~」と唄う。私は上手側の三升席だったので、長唄がすぐそばにいたせいか、歌詞が非常によく聞き取れ、景清の煩悩がしみじみと伝わってきた。逆に津軽三味線の音は三升席でない普通の正面席のほうがよく聞こえた。
鐘が上がると、中には若く美しい景清が!! きれいだ、とにかくきれいだ。顔がほっそりして、横顔の鼻がとてもきれい。これだけ横顔のきれいな日本人はそうそういないと思う。後ろには獅童・芝雀・新悟・萬太郎・廣松・福太郎がいる。獅童さんは主に下手側にいて、ちょっと遠い。海老ちゃんばっかり見ていたせいか、海老ちゃんが福太郎クンを抱いていたこともその間に芝雀さんと獅童さんが踊っていたことも全然覚えておらず、2度目に見てそんな場面あったんだ~と認識。
海老ちゃんのきれいさに見とれているうちに(三升席ではほとんど海老ちゃんしか見ていなかった)散華となり、はらはらと蓮のはなびらが舞い落ちてきた。記念品は増やすまいというのに、こればかりは拾ってしまった。
團十郎さんのことが頭を過りつつ、あっという間の15分だった。
<上演時間>発端22分(16301652)、幕間5分、序幕45分(16571742)、幕間30分、二幕目70分(18121922)、幕間25分、大詰14分(19472001

 

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