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2014年9月 5日 (金)

充実の印象派:オルセー美術館展

94日 オルセー美術館展(国立新美術館)
140905orsay 朝イチで行くつもりだったが、HPで混雑状況を見たら午後のほうがすいているようだったので、3時前に美術館着。すいてはいなかったが、混んでいるわけでもなく、ほどよい人の数で、ゆっくり見ることができた。展示の点数も84点で、さほど疲れることもなく、ちょうどいい感じだった。
展示は、第1章「マネ、新しい絵画」で始まり、第9章「円熟期のマネ」で終わるという、マネに重点を置きながらさまざまな印象派の画家の絵がテーマに沿って並べられている。
最初に迎えてくれる絵画は、フレデリック・バジールの「バジールのアトリエ、ラ・コンダミンヌ通り」。私は美術としてより、中に描かれている人物のほうに興味が引かれた。キャンバスの前で帽子をかぶってステッキをもっているエドゥアール・マネ、クロード・モネ(またはシスレー)、階上と階下で語り合うゾラとルノワール、そして絵の真ん中でマネとモネに自分の絵を見せている背の高い人物がバジールで、後にマネによって描き足されたのだそうだ。壁にはルノワールの「浴女」(サロンに落選してがっかりしたルノワールが壊してしまい、今では残っていない絵だそうで、貴重な画中の絵と言える)、バジールの「化粧」などがかかっている。今から見れば錚々たるメンバーであるが、当時はサロンに落選し続けた画家たちを描いたこの絵はまさに印象派の象徴なんだなあと思った(でもね、マネは一度も印象派展に出展することなく、サロンにこだわり続けたのだそうだ)。
有名な「笛を吹く少年」は、他の作品のように壁にかけられるのではなく、左右をちょっと折り曲げて囲うような特別な壁を作って展示されていた。影が足元に少しあるだけで平面的、輪郭線のある描写なるほど浮世絵の影響も受けているのか、なんて生半可な知識を得て感心した。この笛はファイフといって、再現モデルも展示されていた。そういえば「真珠の耳飾りの少女」でも衣裳が再現されていたことを思い出し、日本人はそういうの好きね、と思った。でも再現モデルと一緒にファイフに関する歴史なども紹介されていて、なかなか興味深い。再現は資料も少なく、大変苦労したそうだ。
2章の「レアリスムの諸相」では、サロンでは絶対拒否されるだろうという農民や働く人の生活が描かれている。かの有名なジャン=フランソワ・ミレーの「晩鐘」もきていた。都会の画家の目に映る田舎の生活とはいえ、サロンとは違う世界の絵に取り組む画家たちの姿勢を見て、神話や宗教、歴史だけじゃ芸術は成り立たないのだ、こういう人たちがいたおかげで、芸術が豊かになったのだと思った。ありきたりだが、ギュスターヴ・カイユボットの「床に鉋をかける人々」が好き(この絵は都会の労働者を描いている)。
3章「歴史画」。印象派にも歴史画があったのと思ったら、従来の歴史画とは異なり、同時代の出来事を描いたり、聖書や神話を題材としても有名なものではないエピソードを取り上げたり、と変化がみられる時代であったようだ。ここではエルネスト・メッソニエの「フランス遠征、1814年」の馬に踏み荒らされた雪道がそのままナポレオンの敗退を物語るようで強く印象に残った。

4章「裸体」。ここでは何と言ってもウィリアム・ブグローの「ダンテとウェルギリウス」。「神曲 地獄篇」の一場面で、前面の争う男たちをはっとするかのような脅えのような目で見ているダンテとウェリギウスが描かれている。男がもう1人の男の左手を右手で摑み、左手で右わき腹に爪を立て、腰に膝をねじ込み、のけぞった首に食らいついている。それ自体はまさに目を背けたくなるおぞましい光景だが、筋肉の描き方が素晴らしい。そこに惹きつけられた。
5章「印象派の風景 田園にて/水辺にて」。これぞ私たちが知る印象派の絵と言うべきか。展示室の右側に水辺、左側に田園風景画が並べられている。モネの「かささぎ」は雪景色が何ともいい。光と雪と影、そしてたった1羽とまっているカササギ。雪はそばへ寄って見ると、白だけでなく色々な色で描かれているのに、離れて見ると白い雪に見える。でも、光の当たった雪は真っ白じゃないのだ、だから色々な色が活きる。絶妙な色と配置で田舎の雪景色に対する懐かしいような感覚を呼び起こされた。ウジェーヌ・ブーダンの「トルーヴィルの海岸」は比較的最近、どこかで見たような記憶があるのだが、思い出せない(ブリジストンのコレクションかしら。同じブーダンで「トルーヴィル近郊の浜」という作品が似ている。どちらもどことなく好き)。
6章「静物」ではフィリップ・ルソーの「シャルダンとそのモデル」が注意を引いた。真ん中に描かれているのはシャルダンの肖像画で、この肖像画自体はルーヴルにあるんですって。2年前に三菱一号館でシャルダン展が行われた時、私はシャルダンって知らなかった(展覧会も見に行っていない)。風景画の評価を高めた画家だそうだ。そのシャルダンの肖像画を真ん中に置いたこの絵は面白いではないか。
7章「肖像」ではモネの「死の床のカミーユ」。画家は家族の死にゆく姿を描きたいものなのだろうか(ほかにも、誰かいたはず)。この絵を見て、「修禅寺物語」の夜叉王を思い出してしまった。
8章「近代生活」が、時代も近いということで一番興味深かったかも。話題作は日本初公開のモネ「草上の昼食」。家賃のカタに大家にもっていかれた大作が画家の手元に戻ってきた時には、損傷が激しく切断せざるを得なかったというもったいないお話だ。マネの「草上の昼食」に比べて、筆のタッチの残る木漏れ日が象徴的で、印象派らしさをより感じさせる。モネ「サン=ラザール駅」はやはり何展だかで見たと思うがやっぱり思い出せない。モネはこのテーマの絵をたくさん描いているから。
いよいよ最終第9章「円熟期のマネ」。「アスパラガス」はたった1本のホワイトアスパラガスを描いた作品だが、その背景のストーリーが洒落ている。アスパラガスの束の絵を800フランで売ったマネだが、買い主はこの絵を気に入って1000フラン送ってよこした。そこでマネは「あなたのアスパラガスの束から1本抜け落ちていました」と添えてこの絵を送ったのだとか。いいお話でしょう。でもこの章で一番迫ってきたのは「ロシュフォールの逃亡」だった。反体制のためにニューカレドニアに追放されたアンリ・ロシュフォールが大海を小舟で脱出するというドラマチックな場面が描かれている。海のタッチが素晴らしく、遥か彼方に小さく黒く影のように見える救出船に希望が託されているようである。感動的な絵で、長い時間眺めていても飽きない。
いつだったか、印象派はもう飽きたというようなことを書いたと思うが、充実した展示で、印象派、やっぱり悪くないと思った。

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コメント

私は初日(と気づかずに)プレミアム鑑賞会に行って、なに?この混み方、ちっともプレミアムじゃなーーいangryでした。もう一度ゆったり見たいと思ってたものの、その後も「混んでる」情報ばかりで今に至る、です。最近、テレビの「ぶら美」で見て、もういいかなと思ってたら、SwingingFujisanさまが紹介して下さって、とても嬉しいですhappy01
展示構成もけっこう好きでした←だからゆっくり見たかった(しつこい)。

先月、ドイツで3か所の絵画館に行って、そっけないくらいの物量作戦的な展示を「浴びた」のですが、印象派の部屋に入るとホッとしました。あの感覚は不思議でしたね。

「死の床のカミーユ」。私は原田マハ「ジヴェルニーの食卓」に影響されすぎてて、カミーユのことは意識の外にあったので、ちょっとイカンと思いました(世田谷美術館のジャポニスム展は行けないかな)。若き日に出会った熊谷守一「陽の死んだ日」の衝撃も思い出しました。芸術家って……weep

投稿: きびだんご | 2014年9月 6日 (土) 11時03分

きびだんご様
きびだんご様がいらした記事、拝見していました。夕方だったらそんなに混んでないみたいですよ。比較的年齢の高い方が多いのでそうなのかも…。「ぶら美」は私も見ました。学芸員さんが楽しそうで、伝える方の気持ちが確かにこちらに伝わるなと思いました(いつだったか、きびだんご様もそんなこと書いていらっしゃいましたよね)。

物量作戦的な展示を「浴びた」--素晴らしい表現ですわ~。私は「浴びた」と感じたことはなかったけれど、今思えば確かに「浴びた」のかも。
そういう「浴びた」ところで印象派にほっとする感覚はわかるような気がします。

熊谷の作品は写真でしか見たことがありませんが、画家が家族の死を描く筆って、激しいですね。夜叉王もきっとそうだったんだろうな(私はどうしても夜叉王にいってしまう)。

オルセーは現地で見て、建物込みで価値があると思っていたのですが、建物なしでも十分価値のある展覧会でしたわ。

投稿: SwingingFujisan | 2014年9月 7日 (日) 17時14分

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