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2014年12月24日 (水)

敵討は残酷:「伊賀越道中双六」

1220日 「伊賀越道中双六」(国立劇場大劇場)
久々によく入っていたのは土曜日だからだろうか。国立はいい演目がかかっても最近空席が目立つことが多かったから、この入りは嬉しかった。
「伊賀越道中双六」は去年11月やはり通しで見ている。前回は「相州鎌倉 和田行家屋敷」、「大和郡山 唐木政右衛門屋敷」、「同 誉田家城中」、「駿州沼津 棒鼻」、「同 平作住居」、「同 千本松原」、「伊賀上野 敵討」であり、今回と3つの場が重なったが(「和田行家屋敷」「誉田家城中」「敵討」)、「三州藤川 新関」、「同 裏手竹藪」、「三州岡崎 山田幸兵衛住家」の3場(私はいずれも初見)が別に上演され、それも本筋のほうであることから、話がだいたいつながったように思った。中でもクライマックスの「岡崎」は44年ぶりの上演だということで楽しみにしていた。
なぜ「岡崎」がそんなに長い間上演されなかったのか。何十年ぶりの上演という演目は、見終わってから何となくその理由を感じることもあるのだが、「岡崎」に関してはよくわからなかった。
残酷だから?
確かに政右衛門がまだ乳飲み子である我が子を殺し庭に投げ捨てる場面は残酷である。敵討のためと言っても、殺されたのは政右衛門の家族ではなく剣術の師匠である。そこまでするか…。乳飲み子を抱えた妻が雪の中で凍え死にそうになっているのに一見平然と莨を刻み続け、妻を家に入れることを頑なに拒絶する政右衛門。莨を刻む政右衛門の手には苦悩と切羽詰った気持ちが感じられた。だから、そっと門口で妻のために焚火をたき、薬を飲ませてやる場面はほろほろした。
政右衛門の敵・沢井股五郎に味方する幸兵衛が赤子の素性を知り、敵の子を人質に取ったと喜ぶやいなや、政右衛門は赤子に刃を突き立て、庭へ投げ捨てる。この場面、それだけで気分の悪くなる人もいるだろうに、敵討という目的ひとつのためにまっしぐらの狂気とも言うべき気魄に私は呑みこまれ、ただただじっと見入っていた。そしてお谷の嘆きを見たとたん、正気にかえった。
雪の中のお谷は、子連れで雪の中、家の中に入れてもらえない――袖萩を思い出させた。赤ん坊の死を知ったお谷の嘆きにはこちらもぽろぽろ泣いた。夫に赤ん坊を見せたくて必死でここまで来たのに。江戸時代は子どもが親の犠牲になることにあまり抵抗がなかったと聞いたことがあるが、当時の人たちはこれをどういう感覚で見ていたのだろう。「さき生(しょう)にどんな罪をして侍の子には生まれしぞ」というお谷のセリフがあったが、子を犠牲にした親は千代(「寺子屋」)にしても政岡にしても、その運命を嘆いていて、気持ちは同じなんだと思った。芝雀さんが哀れながらも芯の強い女性にぴったり。
政右衛門と幸兵衛の肚の探り合い、師弟間に漂う愛情がよかった。幸兵衛の歌六さんがうまい。歌六さんの一つ一つの演技に気持ちが昂揚した。吉右衛門さん相手に一歩も引けをとらないどころか、歌六さんだからこそ、この場面が活きたような気さえした。

新関で政右衛門と落ち合うはずだった和田志津馬(菊之助)と政右衛門が再会する。ここはわくわくどきどきした。


志津馬に一目ぼれする幸兵衛の娘お袖(米吉)が可憐。心ここにあらずでそわそわウキウキしている姿が愛らしい。それに対する志津馬がなんとなく素っ気ない。お袖を利用するにしてももうちょっと情がほしいと思った。でも米吉クンともどもビジュアル的には申し分なく美しい。どちらかというと地味めな播磨屋の座組にぱっと花が咲いたようだった。

錦之助さんの悪事は緊迫感に満ちていた。真面目な芸風の錦之助さんだからこそ、悪事の巧さが出たと思う。
又五郎さんの正反対の2役がよかった。誉田大内記には上に立つ者の大きさがあり、助平にはこれまた真面目な芸風の又五郎さんだからこその可笑し味がにじみ出ていた。政右衛門に奥義を伝授された大内記の様々な決め姿はかっこいい。この姿、種之助クンが本当にそっくりで、脳の中で2人が重なった。そういえば隼人クンもお父さんによく似てきた。
敵討の立ち回りは吉右衛門さん、少し疲れていそうに見えた。

「岡崎」は、政右衛門の覚悟を示し、情勢が変わる大事な場面である。この44年間のように飛ばしてしまっても話がわからないことはないが、人々、とくに政右衛門の心の深い部分に触れることにより、敵討の残酷さがより鮮やかに浮かびあがるのではないだろうか。
「研辰」も「お国と五平」もそうだったけど、敵討は残酷な制度である。
<上演時間>序幕・二幕目45分(12001245)、幕間35分、三幕目40分(13201400)、幕間20分、四幕目100分(14201600)、幕間10分、大詰10分(16101620

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コメント

ちょっと長いですがお便りします

政岡にしても松王にしても我が子を失いますが自らの手ではなく「殺される」点が政右衛門とは状況が違うと思います
それも何も分らない赤子ですからね
松王は小太郎に言い聞かせてそうなることを得心させている訳ですし、
千松も毒見をすることが役目であることを自覚していてその任務の上での殺害ですから・・・それに八汐に殺されなくとも毒菓子で死んでいた可能性もあります
わが子を殺すという点では熊谷直実が一番苛酷です(一応敦盛を殺すというトリックの上ですが・・・)
しかしこれも16歳という自我のしっかりした歳ですから恐らく最期は覚悟の死でもあったと思います
こうしてみると、岡崎の場面が「ヒューマニズム」の観点から避けられてきたのかもしれません
もっとも「ヒューマニズム」って何?と問われると正しく答える自信はありません
もっとも民谷伊右衛門も自分の子(赤子)を殺しますからそうした理屈は可笑しいですかね

岡崎の場は、「近八」「安達三」のように、かつては「伊賀八」とも通称されていたくらい人に知られた演目だったようです
個人的には古靭太夫のCDでしか知らなかった「岡崎」を歌舞伎で観られた慶びが今回とても感じました
今回は、七段目から丁寧上演し、八段目も最後にお袖の尼姿を出すなど国立劇場らしい努力が実を結んだ記念すべき成果と思われます
次ぎは、何年かあとに吉右衛門の幸兵衛に染五郎の政右衛門で観てみたいと思います

そうそう志津馬って結構好色で、原作の最初の方では瀬川のちの「沼津」で活躍するお米に懸想するのですよね
よって菊之助はもう少しプレイボーイでも良いのだろうと思います


投稿: うかれ坊主 | 2014年12月26日 (金) 00時41分

うかれ坊主様
おはようございます。コメントありがとうございます。
残酷という観点からすると、子を犠牲にすることはどれも等しく残酷だと思います。他人の手にかかるにしても、それは親が仕向けたことであり、むしろ我が手にかけるより親としてはつらいかもしれないなあと思いやったりもします。武士の子はそういう教育を受けていたのでしょうが、あたら若い命を、と気の毒でなりません。子の立場を考えると、私は千松が一番かわいそうです(ヒューマニズム、私も答えられません)。伊右衛門は論外ですよね。

政右衛門も幸兵衛も大変難しい役だということは今回わかりましたので、染五郎さんが政右衛門を演じるまでにはまだ時間がかかりそうかな…。浄瑠璃も大変難しいようですから、長いこと上演が途絶えていたのはその辺にも理由があるのかもしれませんね(プログラムに藤田洋さんがそのようなことを書かれていて、同感しました)。

志津馬にはもうちょっと柔らか味(色気? 肚?)があってもよかったように思いました。 お米(傾城瀬川)に入れあげますが、夫婦になったのでそこはいいとしましょうか(*^-^)

投稿: SwingingFujisan | 2014年12月26日 (金) 09時43分

Fujisan様
こんばんは、私は来週も会社があるので、残念ながらまだそれほどのんびりしていないのです。
国立の「伊賀越」、天皇誕生日に見てきました。

「岡崎」、当方の期待が大きすぎたせいか、作品にやや物足りなさも感じました。予想外に展開してゆく、場面間の緊密なつながり度合いが、近松半二の他の有名作品にくらべて、やや弱いのかとも。これは、現行歌舞伎のレパートリーでなくなってから久しいせいかもしれません。とはいえ、「袖萩祭文」の雪中の愁嘆場、「野崎」の尼の幕切れ、あげくは「盛綱」のつづらの間者の殺し等々、他の半二の作品(本当に傑作が多い!)を想起させて、芝居好きにはたまりません。

 役者さんは、みな、一生懸命、勉強した成果が出ていて、大変結構だったと思いますが、やはり吉右衛門の立派さにつきます。赤子殺しの直前の表情は、この優のここ一番にかける凄みを感じました。この役、高麗屋、松嶋屋が演じたらどうでしょうか。興味があります。特に松嶋屋は見てみたい気がします。ただ、このクラスの役者が初役で挑むのはなかなか難しいとは思いますが。

 ところで歌舞伎座の夜のレポまだですよね。私の今月の一番は、数十年ぶりの「絶間姫」です。まさに眼福でした。

投稿: レオン・パパ | 2014年12月27日 (土) 21時02分

レオン・パパ様
こんばんは。コメントありがとうございます。
私は、政右衛門がお谷を拒否する場面がちょっとくどいかなあと思いましたが、歌六さんがとてもよくて、歌六さんの出ている場面は緊張感をもって見ました。
袖萩だけでなく、お光、盛綱も入っていたんですね。言われてみたら、確かに‼
吉右衛門さん、初役とは思えませんでしたね。この役を演じられる役者さんはなかなかいないでしょうが、他の役者さんでしたら、私も仁左衛門さんで見たいです。

歌舞伎座夜の部、昨日の千穐楽を見てきました。今日は1日色々忙しかったのでレポは明日アップできれば、と考えています。ほんと、おっしゃるように玉様の絶間姫、めちゃくちゃステキでした!!

来週もお仕事とのこと、9連休という人もいるのに大変ですね。月曜日は雪の予報も出ていますので、どうぞくれぐれもお気をつけてくださいね。

投稿: SwingingFujisan | 2014年12月27日 (土) 23時24分

菊之助と言えば、「菊之助の礼儀」という新刊が眼に入り購入しました
長谷部浩さんとの関係も含めて、丈がストイックな心情の持ち主であることが溢れていてお薦めしたくなる一冊でした
18世勘三郎との新作歌舞伎の話が進められていたとか、丈が勧進帳の弁慶を演じたいとか、はじめて知る内容も多かったです

「岡崎」はトリックを駆使してきた近松半二の遺作
かつて志野葉太郎氏が「人形浄瑠璃の衰退を食止めるのに一生をかけ、これでもかこれでもかと人の意表をつく技巧を駆使してきた作者が、それにも飽き果てて自然に還りたくなったもの」と指摘させているものを支持したいと思います
しかし派手なトリックはなくともサスペンス(幸兵衛が股五郎を志津馬と気付くところや庄太郎を赤子の親=政右衛門と知るところ)あって、私はこの世界に引き込まれました
さらに氏は「俳優次第で退屈極まりない愚作に変貌しかねないものがかなりある(中略)初見の見物が結果から判断して、退屈極まりない愚作だと結論してしまうことがないかが、少しばかり気になるのである(中略)「岡崎」もその一つだと言っていい」ともおっしゃていますので、役者次第という難しい作品ではあるのでしょうね
いぶし銀の役者がいないと成立しない、いわば「役者を選ぶ作品」なのだと思いますが、5年か10年に1回は、作品の伝承の意味でも、レパートリーの維持の為にも上演して欲しい作品だとは思います

投稿: うかれ坊主 | 2014年12月28日 (日) 09時06分

うかれ坊主様
コメントありがとうございます。
「岡崎」の上演が途絶えていた理由として、残酷性よりも、できる役者の存在が私としても納得のいくものです。今回の吉右衛門さんと歌六さんの功績は非常に大きいと思いました。ほんと、役者さんもこういう芝居ができるように精進してもらって、数年に1度は上演してもらいたいところです。さらには「味」というものは年月が経たないと出ないものですが、播磨屋さんが指導した若手が「洟垂れ小僧」の年代を過ぎた頃、ぜひ上演されるといいなと思います(その頃には私はもうこの世の人ではなくなっていますがcoldsweats01)。

「菊之助の礼儀」は読みたい本ですが、もう我が家には本をとっておくスペースがないので、図書館で借りて読むつもりです。というわけで早速検索しましたら、市内2館にあって2館とも貸出中でした。予約しなくっちゃ。

投稿: SwingingFujisan | 2014年12月28日 (日) 12時35分

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