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2015年4月13日 (月)

面構を見る:「片岡球子展」

49日 片岡球子展(国立近代美術館)
150413tamako 小山三さんを見送った後、「そうだ」と思い立ち、始まって間もない「片岡球子展」に行ってきた。生誕110年記念の絵画展だが、片岡さん自身103歳で鬼籍に入られたご長寿の方だし、歌舞伎座にもご縁があったし、追悼の意味も込めて。
片岡球子といえば、こちらを圧倒してくるような自由な色彩と形という頭しかなかったから、初期の作品にはとまどった。球子らしさがほとんど感じられないのだ。当時、学んでいた日本画はそういうものだったらしい。でも解説に「その中にも球子らしさが潜んでいる」と書かれていて、そういうものかという目で見ればなるほどと思わされる(まったく、自分の目なんて信用できない)。
しかし、そういう絵の展示はごくわずかで、すぐに強烈な個性的な絵が並ぶようになる。そうした球子の絵はゲテモノと言われていたが、小林古径に「ゲテモノと本物の差は紙一重です。あなたはゲテモノを捨ててはいけない。あなたの絵を絶対に変えてはいけない」と励まされたそうだ。
興味深かったのは「面構」(つらがまえ)というシリーズ(?)で、歴史上の人物、絵師などを描いた作品群だ。私なんて片岡球子といえば富士山程度しか知らなかったから、目を新たにする思いで鑑賞した。足利尊氏・義満・義政という足利将軍の中でも最も有名な3人をそれぞれ描いた作品は、室町時代の彼方へ飛んでこの将軍たちの顔をから受ける人物像を想像させてくれた(写真は尊氏)。北斎、写楽、豊国、国芳など浮世絵師を描いた作品には同じ画家としての彼らに球子の対する思いが詰まっているように見えた。北斎と馬琴、国貞と種彦、国貞と四世南北、黙阿弥と三代豊国が並んで描かれた絵なんて、実に興味深いではないか。「浮世絵師歌川国芳と浮世絵研究家鈴木重三先生」は江戸時代の絵師と現代の美術研究者を組み合わせたセンスがすごいと思った。こういうことを考えたとしてもなかなか具体的に表現しようとは思わないのではないだろうか。
展示されている作品は大きいものが多く、点数は60点と少ない。しかし、スケッチブックや渡欧関係資料がかなり充実している。パリで、球子が大好きだったミロの展覧会に通いつめ、作品の模写に細かい観察が書き込まれ、その熱心さが伝わってくる。
作品には満足したが、鑑賞の順番がちょっとわかりにくかった。というか、1つの章を見たら、反対側を戻って次の章になるという展示で、つい次の章を見てから、あらまだ前の章が残っていた、という見方になってしまった。ま、私だけかもしれないけど。
ちょっと疲れていたこともあって、わりとさ~っと眺めてきたので、機会があればもう一度ゆっくり見たいかな(特別、好きってわけじゃないのに、なんかそんな気になった)。

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