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2015年8月29日 (土)

漱石と八雲の熊本⇔新宿、そして新宿の歴史

827日 「熊本と新宿をつなぐ作家漱石・八雲」~常設展(新宿歴史博物館)
会期が30日までなのでまたまた駆け込みで。
漱石と八雲は時が重なることはなかったが、ともに旧制第五高等学校(現・熊本大学)で教鞭をとり、結婚し(八雲の結婚は熊本じゃなかったかも)、初めての子供を授かったのも熊本だそうだ。漱石といえば松山、また八雲も松江のイメージが強いから、ともに熊本にゆかりがあるということは初めて知った。漱石は何冊かは読んだし、八雲は子供の頃、よく怪談を語り聞かせて私を怖がらせてくれたから親近感はあるものの、案外その生涯は知らないのだ。で、漱石も八雲も東京では新宿に住んでいたのね。八雲が大久保にいたって知らなかった。
漱石は明治294月から43カ月にわたり熊本に在住した。その間になんと6回も引っ越していたとは驚き。なかなかいい家にあたらず(最初の家は裏が墓地で気味が悪いと妻・鏡子が嫌がった、湿気がひどくて引っ越した家もあった)、気に入った家は家主が帰ってきて明け渡さざるを得なかったそうだ。漱石が住んだ家の写真や、そこでの漱石一家の写真が展示されており、家はともかくくつろぐ漱石の姿(部屋でごろ寝)など見ると、なんか不思議な気持ちになった。
漱石については色々なエピソードが紹介されており、いちいち面白かった。たとえば、寺田寅彦と親交が深く、寅彦が書生にしてくれと頼むのを厩でよければと言ったら断わられたとか。妻・鏡子がへそくりをしていたものをコソ泥に入られて全部盗られたとか。初めて迎える正月の料理を鏡子は奮発して作ったのに、五高の生徒やら誰やらお客が何人も来て、あっという間に食べつくし、その後のお客に出すものがなくなって苦労した、それに懲りた漱石は翌年から正月は旅に出ることにしたとか(それが「草枕」の旅である)。漱石は旅が好きで、熊本県内をずいぶん旅して歩いたようだ。熊本に行ったらその足跡を辿ってみたいななんて思った。
鏡子さんは悪妻の代表のように言われるが、漱石の死後鏡子さんの書いたものを見たら、愛情に溢れていて、まったくそんなイメージはなかった。先のエピソードだって、悪妻って感じじゃないじゃない。
漱石の俳句を子規が添削したものとか、興味深かった。
八雲の展示は少なかったように思う。八雲は明治2311月に熊本に赴任する。私はいつも、明治時代ってすごい時代だ、明治の人はえらかったと思っているのだが、外国人による英語教育に力を入れていたことも明治はすごい、と感嘆することの一つだ。五高時代の八雲の集合写真を見ると、小柄な感じで日本人の間に入って目立たない。日本に住んで帰化して日本文化を掘り起こした八雲に感謝した。父は八雲の怪談が大好きだった。八雲の怪談本が展示されているのを見て、父をあらためて偲んだ。
この後、常設展にも寄ってみた。博物館や美術館の常設展っていうのは案外いいのだ。新宿歴史博物館も、優れた展示で非常に興味深かった。新宿に初めての人類が住み着いたのは32千年前なんですって。彼らが今の新宿を見たら…。
①大地に刻まれた歴史(旧石器時代から江戸時代まで)、②中世の新宿、③江戸の暮らしと新宿、④近代文学にみる新宿、⑤昭和初期の新宿、⑥戦中から戦後・平成 新宿のうつりかわり、にわかれていて、それぞれわかりやすく興味をもてるように工夫されている。解説シートが置いてあるのも嬉しい。
新宿の住人だった作家たち、その中にはあの恋川春町も!! 「戯作者銘々伝」のあの春町だから、へ~と思わず声が出てしまった。
文化住宅は興味深い。典型的な日本の民家部分(ちゃぶ台の食事がリアル)に新しい洋間がついている。そういえば、子どもの頃、「応接間」っていうのに憧れたな。
お金の単位として「銭」が使われていた時代の物価――サラリーマンの定期代、サラリーマンの奥さんがちょっと買い物に出かけたらいくら、お金持ちの奥さんではいくら、等々。
新宿区内各地区の戦後からの移り変わりを10年ごとに写真で見られる端末があった。私が生まれる前、両親が落合に住んでいたので落合を見た(上だったか下だったか…。だから両方見た)。父の勤め先も新宿だった。
最後にが~んときたのは「ムーランルージュ」だ。「南の島に雪が降る」の門馬一等兵はムーランルージュの脚本書きだったのだ。展示されていたプログラムに門馬さんの名前を探したのはもちろんのこと。でも、なかった…。

150829rekihaku 歴史博物館は一度行きたいとずっと思っていた。四谷三丁目から徒歩78分。三栄町にある。帰り道、はっと気がついた。その昔入社試験に落ちたある会社の所在地が三栄町だった。もうどの辺だったか覚えていないが…懐かしい。
写真は四谷見附橋高欄。大正2年に開通した四谷見附橋の欄干の一部で、赤坂離宮の外観にマッチさせたネオバロック様式。平成3年まで甲州街道にかかっていた。

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江戸時代の内藤新宿。現在の地形との対比図もあり、じっくり比べると面白そう。
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江戸時代の商家。
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都電じゃなくて市電。
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文化住宅。右は典型的日本家屋、左はお洒落な洋間。
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この食事が超リアル。
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蓄音機、絵画、そしてテーブルの上には紅茶

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