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2015年9月

2015年9月30日 (水)

まったく睡魔に襲われなかった「先代萩」:9月歌舞伎座夜の部

926日 秀山祭九月大歌舞伎千穐楽夜の部(歌舞伎座)
9月の歌舞伎座は昼も長いが夜も長い。絶対どこかで(多分「飯炊き」で)寝るに決まってる、ところがどうだ、まったく睡魔に襲われることなく「先代萩」を見たぞ(自慢にはならないか)。いやいや、「先代萩」にこんなに惹きつけられるとは。まったく寝なかったのは初めてかも。
「花水橋」
梅玉さんの頼兼が、廓通いに忠臣たちが頭を悩ませていることなどどこ吹く風、お殿様らしくおっとり鷹揚、上品で嫌味がなく、大きくて「いかにも」であった。又五郎さん(絹川谷蔵)はきびきびした動きがとてもきれいで、2人ともここだけの出演はもったいないながら、物語の発端としての魅力たっぷり。楽しかった。
「竹の間」
竹の間・奥殿とも松島が登場せず、沖の井だけだったが、このほうが沖の井の存在感・人物像がはっきりして、ずっといい。そもそもいつも、松島と沖の井の存在があいまいに感じられるのが気になっていたのだ。文楽では松島が出てこないそうで、歌舞伎もそうすればいいのに。
沖の井が用意した膳は、鶴千代が手を伸ばしかけるところへ政岡が目配せして止めるのが通常だが、今回の鶴千代は最初から目もくれなかった。鶴千代が自ら手を出さないのであればそのほうが、政岡にとっては味方してくれる沖の井への義理が立つというか配慮にもなっていいのではないかと思った(このあたりにも、沖の井の存在のあいまいさを感じていたのだ)。
児太郎クンの小槙は私の席からははじめ後姿しか見えなかったけれど、声を低く抑え、医療に通じている<らしさ>があって、若さは全然気にならなかった。小槙を呼び出す腰元は梅乃さんだったと思うが、凛としていた。
歌六さんの八汐、あんまり憎々しいから、鶴千代にやり込められた時には客席みんなが胸のすく思いで拍手喝采(鶴千代君、かっこいい‼)。政岡が獄屋に入れられるなら自分も一緒に行こうと言う鶴千代は子供ながらに毅然としたものがあり、千松はいじらしくて泣けた。
沖の井が1人ということで、八汐への追及の厳しさが浮き彫りになった。
玉三郎さんの政岡はここでは脇に徹している感じがした。
「奥殿・床下」
御簾が上がると、政岡が沖の井のご膳を手にしているのはいつも通り。鶴千代がその膳を食べてはいけないのかと問うが、食べ物を前にして空腹を満たせないつらさは、武士だからと強がってみせても子供である以上、いかばかりかと悲しくなる。いっそ、膳なんて2人の目の届かないところに早く片付けてしまえばいいのに。
飯炊きはいつも眠くなるのに、今回はとても面白かった。客席のほとんどの視線が玉三郎さんの手に釘づけになっていたのではないだろうか。私は時々視野の片隅にゲーム(バックギャモンに似てる?)に興じる子供たちの姿を入れながら、政岡のやることから目を離すことができなかった。米を炊く水に毒は入っていないのだろうかと心配したら、ちゃんと千松に毒見させていたのには感心した。と同時に、常に死の危険と向かい合っている千松が哀れで胸が締め付けられた。千松は鶴千代と友達でもあり、家来でもあり(あの幼さで必ず主人を立てている、当然とはいえ、えらい子だなあといつも思う)、そして何と言っても身替りに死ぬ覚悟をもっている子なのだ、と今回はとりわけ強く胸に訴えかけるものがあった。

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2015年9月28日 (月)

約5時間も意外と疲れを感じなかった九月歌舞伎座昼の部

920日 秀山祭九月大歌舞伎昼の部(歌舞伎座)
もう10月の初日が迫っているというのに今ごろ感想で、ちょっと印象が薄れてきてしまった(毎度繰り返す悪いクセ…)。この日は家を出るのがかなり遅くなったので、いつもの遠回り(長時間座れるから眠れる)とは違うルートで行った。銀座で日比谷線ホームへ下りたらちょうど電車が来ていた。「乗換案内」では2分くらい余裕があるはずだったのに、目の前の電車に脳が引かれて急いで車内へ。2秒くらい後、次が日比谷であることに気づいた。飛び降りようと思えばできたかもしれないが、ドアに挟まれるかも…遅刻覚悟で日比谷へ。運の悪いことに日比谷のホームは対面式。息せき切って階段を上り下りし、1本遅れでやっと東銀座に。なんと開演5分前までには3階に到着できた。私の席は通路際だからそれで十分。これまでは開演30分前までに到着していたが、とくに昼の部はそんなに早く出なくてもいいんだなとわかった。とはいえ、電車の遅延とか考えてこれからも早く出るんだろうなあ。前置きが長くなった。
「双蝶々曲輪日記 新清水浮無瀬の場」
去年、国立の通しで「新清水の場」として見ているのをすっかり忘れていた。むしろ、都・時蔵、吾妻・梅枝で見た「井筒屋」(201211月新橋演舞場)のほうがすぐにピンときたのは、今回「小指の身替り」が取り入れられていたからだ。「新清水の場」は国立のプログラムを見て、記憶が甦ってきた。佐渡七殺しの経緯が国立とは異なる。
与五郎(錦之助)と吾妻(芝雀)のいちゃいちゃでれでれがとても微笑ましかった。ビジュアル的にもきれいだし。私は錦之助さんは骨太な役のほうが好きだけれど、この与五郎はかなりいいと思った。
芝居好きの丁稚・治郎吉の梅丸クンがかわいかった。与五郎とのやりとりで、「好きな役者は萬屋錦之助」と梅丸クンが言うと、錦之助さんがお約束のセリフ「そんな役者は大嫌い」続けて「それよりセガレの隼人のほうが」で笑わせた。治郎吉の芝居好きの場面はなんか落語みたいだった(そういう落語、あったよね。それと「趣向の華」の「明烏」での梅丸クンを思い出したから。まじめな芸風の中にそういう空気を醸し出すものがあるのかも)。
太鼓持・佐渡七の宗之助さんは、ここのところコミカルな役が続いている。それはそれで面白いのだけど、そろそろきれいな役も見たくなってきた。
梅乃さんのセリフややることが多くて嬉しかった。
小指の身替りは、「井筒屋」では都が計画を吾妻に打ち明け、それはよいアイディアだと2人がニンマリしている感じだった。当時も思ったことだが、この場面はなんとも後味悪い。番頭・権九郎は悪い奴には違いないが、松之助さんに愛敬(「井筒屋」でも松之助さんだった)があるだけに、よけいに権九郎が気の毒になってしまう。ま、このおかげで与兵衛は救われるわけで、「引窓」で濡髪が「同じ人殺しでも運のよしあし」と嘆く理由がよくわかる。濡髪を逃がしてやるのも良運の罪滅ぼしなのかもしれない。「引窓」は「引窓」で芝居が成立しようものの、前の段があったほうが物語に深みが出るような気がする。
梅玉さんは柔らか味と強さがほどよい塩梅でとても素敵だった。新清水の舞台からの傘をもって宙乗りはちょっと「手順」っぽいところもあったが、梅玉さん自身は気持ちよさそうで華やかな感じを楽しんだ。

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2015年9月27日 (日)

大相撲9月場所千穐楽

今場所の結果は私の中では予定調和的と言うべきか(いっとき予定は大きく逸れたが)。
白鵬というとてつもなく大きく厚く高い壁がなくなった今場所は、鶴竜にとって千載一遇のチャンス。鶴竜に特別な思い入れがあるわけではないけれど、横綱になって一度も優勝がないのは本人もさぞやつらかろう。今場所は鶴竜照ノ富士ともに千穐楽まで全勝で、優勝は鶴竜と思い描いていた。
照ノ富士が稀勢の里戦で負傷したのは前日の負け以上にショックだったが、それをおしての出場。とても心配したけれど、あそこは部屋がしっかりしてるから、力士生命に影響を与えるようなら親方が認めないだろうと自分に言い聞かせる。照ノ富士の強い責任感と意志が今日の本割での勝ちをもたらしたんだと、大いに感動しちゃったよ。ますます照ノ富士が好きになった(嗚呼、逸ノ城よ、湊部屋よ…)。

表彰式。優勝旗を渡す師匠(井筒親方)が泣きそうな顔していて、ああ鶴竜優勝でよかったと思った。

三賞は、努力の力士が認められてよかった。解説の北の富士さんが殊勲賞・技能賞の嘉風べたぼめで、敢闘賞も今からあげようよ、って最後までこだわっていたのが可笑しかったけど、気持ちはわかるわかる。

序二段と幕下の決定戦を初めて見た。幕下8人の決定戦っていうのはすごいな。

十両は松鳳山が優勝。応援していたから嬉しい。幕内に戻ったら、土俵際を詰めをしっかりしてほしい。

豪栄道はまたカド番か…。

今日は観客席に傳左衛門さんがいらした。いつだったかも観戦姿がテレビに映って「おお‼」だったっけ。

それにしても、白鵬の偉大さがあらためてわかった場所だった。

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2015年9月24日 (木)

落ち込み

歌舞伎座昼の部の感想をアップするつもりが、今日はあんまりガッカリして気力が湧かないから延期。何がそんなにガッカリか…照ノ富士が負けちゃったこと。今日はそもそもイヤな予感がしていて、それが当たっちゃったのと、一番負けたくなかった相手に負けたのがショック。その時間、わざわざ買い物に出て、見ないようにしていたの、こわいんだもの。で、そろそろ終わったかなと思う頃、車のTVをつけたら、土俵下に照ノ富士の顔が。いつものふてぶてしい表情とは全く違う泣きそうな顔に、ああ、負け残りだとすぐわかった。昔は、巨人が負けると不機嫌になるというオッサンたちを馬鹿にしていたけれど、今の自分はそれに近い(不機嫌にはならないよ)。
鶴竜にも優勝させてやりたい気持ちはあるし、これで優勝争いが面白くなったとは思うよ。でも…。
帰りの運転は自重して十分注意しました。

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2015年9月23日 (水)

9月は上野で:「没後50年ル・コルビジュエ―女性と海」

919日 「没後50年ル・コルビジュエ―女性と海 大成建設コレクションより」(国立西洋美術館)
1509seibi 新館の版画素描展示室で104日までやっているというので、ボルドー展のついでに見てきた。版画素描展示室は新館の一番奥にあるため、名品がたくさん展示されている常設展を脇目も振らずひたすら進んだ(前に一度見たことがあるから、今回は目的のみで)。常設展の会場は特別展よりもル・コルビジュエらしい建物だということが実感しやすいような気がした。次に西美に行く時は建物も意識して見てこよう。
さて、建築家として知られるル・コルビジュエの絵画は珍しいと意気込んだが、なんと、20078月に森美術館で開かれた「ル・コルビジュエ展」で絵画も見ているんじゃないの‼ 展覧会のことは覚えているが、建築関係のことばっかりが記憶に残っていて、絵画はすっかり忘れていた(自分のブログ見て、わかった。やっぱり記録しておくって大事だな)。慌てて引っ張り出した当時の図録を見たら、今回展示されている「レア」と「イコン」が当時も展示されていた。
今回はタイトルにあるとおり大成建設のコレクションからの展示で、女性と海の絵画が34点。女性の絵では、2人の女性を描いたものが多かった。ル・コルビジュエの絵画はピュリスムと言われ、相当にデフォルメされており、カラフルでシュールレアリスティックなのだ。理解しづらいような、よく見ればわかるような…。見ていて楽しいと思える。印象に残ったのは「アコーディオンに合わせて踊る女性」「女の立像(ジョセフィン・ベーカー)」今回「レア」は強烈に頭に叩き込まれた(数年後には又忘れちゃうかも)。
ル・コルビジュエが撮影した海の映像が流れていたが、打ち寄せる波がただひたすら映っているだけだし、上映時間15分間というのですぐに席を立った。未練たらしくスクリーンを振り返りつつ絵画鑑賞に戻ったら、波打ち際で遊ぶ犬や人の姿もその後に出てきて、もうちょっと見ておけばよかったかなと思った。でも、この映像の中心はやっぱり波だったような気がする。
最後に渡辺義雄によるル・コルビジュエの写真が4点展示されていた。カップ・マルタンで木々に囲まれてくつろぐル・コルビジュエの姿は珍しいということで、興味深く見た。
色々メモる気力がなくて、弱い記憶に頼るしかないレポになってしまったのが残念。
西美の本館はル・コルビジュエの設計によるものだし、彼の代表的な建物を一括して世界遺産に登録しようという動きは有名であるが、今回の展示は意外と知られていないようで、展示室から出てきた私を見て「あれ、あの奥には何があるんだろう」と訝しげな視線を向ける人が多かった。その人たちはきっとル・コルビジュエ展を発見して展示室へ足を向けたはず。と期待したい。

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2015年9月22日 (火)

9月は上野で:「ボルドー展」

919日 「ボルドー展」(国立西洋美術館)
クレオパトラ展を見た後、天気の良さについ、上野公園内で開かれていた陶器市をちょっと覗いてから行ったせいか(陶器を見るの大好きなの。欲しいものがいっぱいだったけれど、とりあえず今の家には不要でガマン)、エネルギーが枯渇気味でさ~っと見るにとどまってしまった。それ以外にも、2つ理由がある。まずはボルドー展というあいまいな名称のため(とはいえ、まさに「ボルドー展だった」)、最初からそんなに時間をかけるつもりがなかったこと、もう1つはこの後、版画素描展示室で展示されているル・コルビジュエの絵画を見る予定だったのでボルドー展にあまり集中力を注ぐつもりがなく、時間配分が短くなってしまったこと。しかしボルドー展は意外と見応えがあって、駆け足で見たのは本当にもったいなかった(全部見たことは見たんだけど、駆け足ってことは記憶にあんまり残っていないということ)。こちらも23日までの会期だから、別の日に出直すというわけにいかなかった…。
「プロローグ―起源」。ボルドーといえばワインという認識しかなかったから、実は25,000年前の出土品を見てびっくりすると同時に自分の無知を恥じた(ネアンデルタール人の時代まで遡るというのにね。6万年前のネアンデルタール人の三角両面石器、削器が展示されていた。こういう物を見ると、不思議な気持ちと感動が湧きあがってくる)。ここでは「角を持つヴィーナス」(旧石器時代)が目玉。「ローセルのヴィーナス」とも呼ばれる有名な石灰岩のレリーフだと知れば、よくぞ日本へ運んできてくれたと感動する。原始、多産、豊穣を願うためにも女性はやっぱり豊満でなくちゃいけなかったことを改めて認識した。オーカー(黄土)片、パレットとして使われた石、オーカーの残滓が付着した搔器を見ていると、25,000年~15,000年前の人々がそういうものを使って色付けをしていたんだと想像力をかきたてられて興味深い。何しろ展示品の数が多いのと(240点くらいあったんじゃないか)、ここが一番面白くて、この後は駆け足になってしまった。
I 古代のボルドー」。ガリア人がBC1世紀初頭にガロンヌ河畔に建設したのが都市ボルドーの始まりで、その後古代ローマの属州の中心地として発展した。すでにワインの生産が始まっていたことがワイン用のアンフォラかたわかる。また、化粧用具やまつげブラシは、先に見たエジプトの女性たちが使っていた物に通じていて興味深かった。
「Ⅱ 中世から近世のボルドー」12世紀から15世紀までの約300年間、ボルドーはイギリス領だった。それが「ボルドー市の紋章」にはっきり表されている。波間に月が浮かぶガロンヌ川のほとりに立つ市庁舎の上に、イギリス王室の紋章である3頭のライオンがいる。英仏の歴史は領有したりされたりでややこしいが、そういう歴史にちょっと思いを馳せた。「モンテーニュの肖像」(トマ・ド・ルー)、「エセー」に「おお‼」。
「Ⅲ 18世紀、月の港ボルドー」。ボルドーの黄金期。ワインクーラー、ワイングラスクーラーは、以前に別の展覧会(「フランス王家3人の貴婦人の物語展」だったかしら…違うかも)でちょっと勉強したことがあったので興味深く見た。ティーテーブル、カブリオレ肘掛け椅子からはボルドーの生活が偲ばれる。ボルドー式箪笥は保存上の問題があるとかで、リストにはあったが実際には展示されていなかった。ティーポットとかカップとソーサーとか皿などの食器類が見事に美しくて、保存状態の良さに感心した。「ボルドーの港と河岸の眺め」(ピエール・ラクール父)を見ると、ボルドーが交易で栄えたことがわかる。港の人夫たちをスケッチするボルドー美術館の学芸員が描かれているのが面白かった。「ボルドーの劇場の透視画法的眺め」なんていうのも面白い。

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2015年9月21日 (月)

9月は上野で:「クレオパトラとエジプトの王妃展」

919日 「クレオパトラとエジプトの王妃展」(東京国立博物館)
150921egypt1 ゆうれい展の帰りに行こうと思って挫けたこの展覧会も会期が23日までということで、もうこの日しかなく、やはり駆け込み気味で出かけた(もちろんめぐりんバスで)。会期末、連休初日の土曜日午後で混雑も懸念されたが、人はそこそこ多かったものの全体的にはじっくり見ることができた。でも、壁際のケースに展示されていた小さなアクセサリーたちには、「鳥獣戯画」とは言わないまでも結構な行列ができていて、係の人の配慮を促すアナウンスがあってびっくりした。
古代エジプトについては色々な展覧会があるが、女性を中心としたものは珍しいんじゃないかしら。
展示は「第1 王(ファラオ)をとりまく女性たち」「第2 華やかな王宮の日々」「第3 美しき王妃と女神」「第4 権力をもった王妃たち」「第5 最後の女王クレオパトラ」の順だが、第1会場入り口には作品リストの最後、「No.181ダニエル・デュコマン・ドゥ・ロクレ作のクレオパトラ像」がまず展示してあった。左側を下にして上体を起こし右手首に毒蛇を絡みつかせた、クレオパトラ自死の場面の美しい青銅像である。
ついでだから先に第5章について述べると、私にとってクレオパトラ(7世)=エリザベス・テーラーで(映画は見ていないんだけどね)、彫像のクレオパトラはその知的な美しさでリズに似ていなくても違和感ないのに絵画に描かれたクレオパトラはちょっと違う…と思ってしまう。クレオパトラの真実はわかっていないだけに、伝説的な虚像が1人歩きをしているようで(リズ=クレオパトラもそうだね)、それはそれでロマンだが本当の姿を知りたいと思う。
カエサル、アントニウス、オクタウィアヌスと、クレオパトラと関わった3人のローマ将軍の頭像が展示されていたが、なるほどそれぞれの人となりを表しているような気がして興味深い。(人となりなんて知らないんだけど、なんとなくイメージとしてね)。
展示されている彫像には上体や頭部が欠損しているものが多々あったが、その彫像彫像がちょう

彫像が誰を表しているかが明確にあるいは「~と考えられる」として明らかにされている。それはヒエログリフが解読されたからに他ならないだろうと考えると、エジプト学のすごさに感嘆せざるを得ない(広大な遺跡から膨大な出土品を収集し、破片から物体を再現することも含めて)。と同時に、何でも詳しく書かれたエジプトの記録にも感心してしまう。
国王(ファラオ)を取り巻く女性たちは「王の母」「王の妻」「王の娘」のいずれかであった。当然ながら「王の母」は絶大な権力を誇ったことであろう。中王国時代(BC2025BC1794頃)には「偉大なる王の妻」という特別な称号が与えられた女性が現れる。それが王の正妃である。ということは、中王国以前は正妃という地位はなく、上述の3つの地位のみであったわけだ。正妃は王位継承者である王子の母でもある。新王国時代(BC1550BC1069頃)には「王の娘」の中からも「偉大なる王の妻」が現れる。古代ではありがちとはいえ、ちょっと衝撃的だが、それはエジプト神話との関連というかエジプトの宗教的概念に基づいているようである(オシリス神はイシス女神の夫でもあり兄でもある、ハトホル女神は太陽の娘であり妻である)。古代エジプトのことを知るにはエジプト神話を知る必要がある。
国を統治した女性もいた。中でもハプトシェプスト女王は頭巾をかぶり髯をつけた男装で彫像に表されている。彼女のことは知らなかったのでもっと知りたいと思った。
こういう歴史の解説とともに展示品を見ていくので、わかりやすく楽しい。ただ、いかんせん、名前がめんどくさい。王妃ヘテプヘレス、王妃ネフェルトイリ、王妃イシスネフェルト、王妃ビントアナト、王妃イアフヘテプ、ハトシェプスト女王等々。せめてティイとかイシスくらいならね~。
ネフェルティティとも言われるかの有名なネフェルトイティは「美しい人の訪れ」という意味であるとのこと。クレオパトラよりきれいだったのかな、なんて下世話なことを考えた。
点数は181点と多かったものの、アクセサリーなど小さいものもたくさんあったので、意外と疲れなかった。古代エジプトが今も人々の心を捉えているのがわかる展覧会であった。
150921egypt2 1
階の撮影コーナーには、ファラオの帽子やぬいぐるみの蛇などが備えてあり、エジプトに行った気分でどうぞということだったが、1人で行った私はただこのような背景を撮ったのみ(つまんない~)。

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2015年9月19日 (土)

9月は上野で:モネ展

918日 「モネ展」内覧会(東京都美術館)
150919monet2 16時からの内覧会に15分ほど遅刻して行ったら、当然前のほうは人がいっぱいで、後ろの私たちにはセレモニーの様子がほとんどわからない。時折聞こえる司会の声が挨拶をする人の名前を言っているが、顔は見えず声も届いてこず。声が届かないから周囲はお喋りでますます様子がわからない。そのまま約15分(つまりセレモニー自体は30分ほど)過ぎてテープカット、開場となった。
「家族の肖像」
モネには珍しい家族の肖像画6点が目を引く。モネの肖像画ってとても慎ましやかな感じがした。
「モティーフの狩人」
面白いタイトルだ。これはモーパッサンがモネについて述べた「彼はもはや画家ではなく、実際のところ狩人であった」という言葉から取ったようだ。ここでは煙たなびく工場が描かれた「雪の効果、日没」という絵が気に入った。私は労働にかかわる絵が好きらしい。「オランダのチューリップ畑」もいい。モネが朝、夕暮れ、日没とそれぞれの光、色の違いをキャンバスに写し取ろうとしているのがよくわかる。
「収集家としてのモネ」
まさにタイトル通り、ドラクロワ、ヨンキント、ブーダン、ピサロ、ロダン、ルノワール、シニャック等の絵画、彫刻がずらり。モネが親しかった人、モネに影響を与えた人の作品に囲まれてジヴェルニーで暮らしたなんて、贅沢で素敵だと思うが、おかげで封建的な美術界の伝統を破ろうとする人たちの活動の一片が垣間見られるのはありがたい。この中で私が好きなのはヨンキント。「ラ・コート=サン=タンドレからル・グラン=ランへ向かう道」「ポール=ヴァンドル」の2点が展示されているが、素早いタッチの風景とほんのり赤みを帯びた空の繊細な色がとてもいい。これ、欲しい‼ 
「若き日のモネ」
なんと、モネは若い頃、カリカチュアを描いていたのだ。知らなかった。モネのカリカチュアは大人気でだいぶ稼いだらしい。それはパリへ移り住む際の資金になったんだとか。モネの人物素描を評価しながらも「カリカチュアにはすぐにうんざりするだろうから、勉強しなさい。デッサンしなさい」と勧めたのはウジェーヌ・ブーダンだそうである。ブーダンの先見の明とその助言に従ったモネの意識が後のモネを生んだのだと思うと、カリカチュアも興味深い。
「ジョルジュ・ド・ベリオ・コレクションの傑作――マルモッタン美術館の印象派コレクションの誕生」
本展覧会目玉の「印象、日の出」だ。展示期間は10/18まで。10/20からはもう1つの目玉「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」に展示替えになる。「サン=ラザール駅」も見たかったが、同じモティーフの作品は去年のオルセー美術館展でも見ているから、いいか…でも、同じモティーフでもやっぱり違いはあるのよね。図録で見る今回の展示予定作品はオルセーの物に比べて機関車の迫力がぐっと強いような気がする。
さすがに「印象、日の出」は素晴らしい。遠景の煙突から流れる煙が私の好みでもあるが、日が昇り始めた港の風景がまさに「印象」という感じで捉えられているのがいい。当時のアカデミックな美術界がどんな評価を下したかも想像に難くない。
「モティーフの狩人Ⅱ(ノルマンディーの風景)」
「ヨット、夕暮れの効果」が好き。

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2015年9月16日 (水)

「國語元年」

914日 「國語元年」(紀伊國屋サザンシアター)
かなり前にテレビドラマで一部分だけ見たことがある。その時は「國語元年」というタイトルとは知らず、細部は忘れたけれども、明治初期、日本に統一語を作ることを命じられた役人(?)が苦労をする話でとにかく面白かったことを覚えている。舞台は初めて見ることもあって、楽しみにしていた。そして期待は裏切られなかった。
原作(文庫)を買ったのだが、それはテレビ版の原作だった。芝居では、テレビ版に登場していた主人公・南郷清之輔と妻・光の子供がいない。また、キャラクターや出身地(つまり話す方言)がテレビと芝居では異なる登場人物もいた。
物語は明治7年、文部省学務局四等出仕小学唱歌取調掛である南郷清之輔(八嶋智人)が、文部少輔・田中不二麿閣下から全国統一話言葉の制定を命じられたことによる悲喜劇である。南郷家には、鹿児島弁を話す南郷重左衛門(清之輔の岳父:久保酎吉)、光(清之輔の妻:朝海ひかる)、江戸山の手言葉を話す女中頭・秋山加津(那須佐代子)、江戸下町方言の女中・高橋たね(田根楽子)、南部遠野弁の車夫・築館弥平(佐藤誓)、名古屋弁の書生・広沢修二郎(土屋裕一)、羽州米沢弁の女中・大竹ふみ(森川由樹)、小学唱歌編集のために迎えたアメリカ帰り、時々英語を話すが日本語が不自由で主として無口な江本太吉(ピアノを弾く:後藤浩明)が住んでいて、いろんなお国言葉が飛び交っている。そうそう、主の清之輔は主として長州言葉を話す。そういうややこしい家へ、河内弁をまくし立てる元女郎の御田ちよ(竹内都子)が怒鳴り込んでくるわ、なんかうさんくさい京言葉の自称公家・自称国学者・裏辻芝亭公民(たかお鷹)が図々しく押しかけてくるわ、会津弁の強盗・若林虎三郎(山本龍二)が押し込んでくるわで大騒ぎ。結局ちよは女中として、公民と虎三郎は居候として南郷家で暮らすことになるから南郷家ではますます色々な方言が飛び交うことになる。時に互いの言葉が通じなくなったりもするが、見ているこちらも方言をいわゆる標準語に直して聞き取るから理解にタイムラグが生じる。
彼らは清之輔を愛しており、その重要な仕事を成功させてやりたい、成功させてほしいと思っている。その一方でそれぞれの方言を統一話言葉として選んでほしい。それが清之輔を混乱させる。言葉の統一が一個人にできるわけもないのに(恐ろしい命令を受けたものである)、職務に忠実、真面目な清之輔はただひたすら奮闘努力、悩んで悩んで悩んだ末に世にも奇妙な新しい言葉――文明開化語を作り出す。だが、そんな言葉が認められるはずもなく、勤めていた学務局も廃止になってしまう。清之輔は精神を病み…(恐らく、文明開化語を考え出した時にはもう精神を病んでいたのであろう)。
登場人物それぞれの個性が強烈で面白い。時にぶつかり合うことがあっても、みんな心根はあたたかい。だから若林虎三郎が押し込んできても、会津藩士だった彼の事情を知ると南郷家に受け入れ、その消息を心配する、虎三郎は虎三郎で清之輔のために田中閣下のところに押し入って閣下を殴ったり、文明開化語で押し込み強盗ができるかどうかを試して逮捕されてしまったりする(薩長と会津は敵同士だったのに、だ)。かつて清之輔をスケコマシと誤解して怒鳴り込んできたちよもまた、清之輔のために体を張って田中閣下のところに掛け合いに行く。そういう優しさが可笑しさのあちこちに鏤められていて、胸を打つ。

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2015年9月10日 (木)

必見、美術館の美術展:NO MUSEUM, NO LIFE?

910日 「NO MUSEUM, NO LIFE」(東京国立近代美術館)
150910kinb1 これも13日までの会期で駆け込み。
「これからの美術館事典 国立美術館コレクションによる展覧会」とサブタイトルのついたこの展覧会は、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館の5館の所蔵品を集めた画期的な美術展である。しかも写真OKなのだ‼ ほんと画期的!! 美術展好きなら必見‼
「事典」とあるように、AZ36個のキーワードとその解説、そしてそれに沿った作品が展示されている。つまり、展覧会そのものが「事典」になっているというわけ。たとえば、Aは「Architecture」「Archive」「Artist」「Art Museum」の4つの言葉が選ばれている。このように1つのアルファベットについて複数のキーワードがあるものもあれば、キーワードがないアルファベット(KQUV)もある(下記参照)。最初は慣れなくてちょっと見づらかったが、だんだんなるほどとわかってくる。
150910kinbi2 面白かったのはBeholder(観者)。美術館は見る人なしには成立しえない。原初、絵画・彫刻は宗教的なイコンであった。美術館はその礼拝的価値を排除し消し去り、ニュートラルな視点で見せるのである。つまり作品は礼拝的価値から展示的価値の対象となったのである。しかし、それを見る者はそれぞれの経験や生活を通じて作品と関係をもつのである。だから作品に礼拝的価値を見出す人だっているだろう。美術館、あるいは作品のコンセプトと見る側の感情が一致するとは限らない、それでいいんだろうと思った。ここではふっと後ろを振り返った時、こんな人がいてびっくりさせられた(孫原&彭禹の「I am here」)。
150910kinbi3Collection。写真の数字は169が本展の出品点数(資料は除く)、41.882が国立美術館5館合計の収蔵作品数。169点の内訳が東京国立近代美術館46点、京都国立近代美術館46点、西洋美術館43点、国際美術館34点。って、あれ、新美の所蔵品は展示されていないんだ。
Conservation(保存)では、修復例として安井曽太郎の「金蓉」が見られる(写真は最後に)。女性の青い服に入ったひび割れが修復されているのだが、このひび割れは制作後間もなく入ったようで、安井自身が修復を試みたもののうまくいかず、一方でひび割れた状態を面白がったそうでもある。画家の意図はわからないが、一度は修復を試みたという意思を尊重して2005年に修復されたとのことである。修復によって人物の身体が際立ち、どのように構成された作品かがはっきりとわかるようになったのだそうだ。たしかに2枚を見比べてみると、そんな気がする。修復は元の状態に戻せばいいというものではなく、作品解釈が深く関係しているというひとつの例として興味深い。
一番切実に印象的だったのはEarthquake。日本では避けることの出来ない宿命である。しかし日本の美術館の地震に対する危機管理意識は1995年の阪神淡路大震災がきっかけだったというから、ちょっと驚いた。もっとも私の意識は先般の東日本大震災からだけど。関東大震災を描いた絵は記録としても記憶としても貴重なものだと思った。関東大震災は実感がないから客観的にそう言えるが、阪神大震災の写真を見たら胸が痛んで、そんな言い方はできない。美術館の作品を守る努力は大変だ。私は東日本以来、美術展に行くとほとんど必ず、地震対策について意識的に見るようになった。ここでは西美の免震台が展示してあった。

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2015年9月 9日 (水)

ゆうれいは日本人の心の美術かも:うらめしや~ 冥途のみやげ展

99日 「うらめしや~、冥途のみやげ」展(東京藝術大学 大学美術館)
150909uramesiya 13日までの会期だし、今回は諦めて来年全生庵の公開時に行こうかとも思ったのだけど(「うらめしや~」は全生庵所蔵品が中心らしいのだ)、91日からしか公開されていない絵があって、それは全生庵の所蔵ではないから、今しか見られない。台風だからすいているだろう、ということで上野へ向かった。芸大は上野の美術館の中で駅から一番遠いから、今回もめぐりんバスで。幸い23分の待ちでやってきた。
会場入り口ではまず、折井方一郎原画の圓朝像が迎えてくれる。なるほど、圓朝さんはこういうお顔だったのか(考えてみたら、どんな顔だか知らなかった)と眺めつつ行くと、暁斎の「三遊亭圓朝像」があった。思わずもとへ戻って顔を見比べてしまった。似ていない。暁斎のほうが本人とかけ離れているらしい。
展示は「Ⅰ 圓朝と怪談」「Ⅱ 圓朝コレクション」「Ⅲ 錦絵による<うらみ>の系譜」「Ⅳ <うらみ>が美に変わるとき」の4章から成り立っている。
「圓朝と怪談」では、歌舞伎座発行「怪異談牡丹燈籠」の番付が興味深かった。番付、要するに筋書で、明治25年の公演の配役とあらすじがハイライト場面の絵(今で言ったらイラストか)とともに1枚の紙に納められている。配役が全幕細かく載っているのがすごい。圓朝自筆本「元祖荻江露友之傳」では圓朝の几帳面な文字が見られる。
「圓朝コレクション」では幽霊の絵が並べられている壁の前に結界を作るかのようにしめ縄が張ってある。この部屋の真ん中情報には蚊帳が吊られていて、これも幽霊気分を盛り上げる。ここの幽霊たちは、それぞれに怨み、怒り、哀しみ、愛情、情念などを訴えかけてくるようだ。子供の頃、無条件にこわかった幽霊に対する感覚は大人になるにつれ変わってきたが、あらためて「幽霊は怖くないんだよ(生きている人間のほうがよほど怖い)」と言った父の言葉を思い出した。
見たかった絵のひとつ、「夫婦幽霊図」(筆者も制作年も不詳)からは怖くて悲しい感じを受けた。川端玉章の「幽霊図」は、思わず見とれるほどのくっきりした顔立ちが、きれいなだけにちょっと怖い。数多くの作品を見ているとコレクターとしての圓朝の、怪談への愛着・熱意を感じる。
「圓朝コレクション」、「錦絵による<うらみ>の系譜」ともに、歌舞伎に出てくる幽霊にはやはり親近感を覚える。牡丹燈籠、怪談乳房榎(伊藤晴雨:重信の怒りの形相がすっごく怖いけど、赤ん坊と赤ん坊を抱いている胸のあたりにだけほのかに赤みを帯びた着色がされていて、父親の愛情が伝わってくる)、四谷怪談、皿屋敷のお菊、桜姫の清玄、大物浦の平家、岡崎の猫…。「浅倉当吾の霊」(国芳)は佐倉惣五郎の物語だろう。
「<うらみ>が美に変わるとき」の「美人図」(蕭白)はもの狂いの女性の悲しい情念が印象的だ。「墨染」(池田輝方)はとても美しい。「幽霊図」(伊藤晴雨)は町娘の幽霊で、愛らしい。「焔」(松園)は91日から13日までしか公開されていない作品で、これを見たいがために722日からの会期をずっと我慢してここまで引っ張ってきたのだった。髪を口に咥え悲しみを湛えた表情は能面のように静かでありながら、よく見ると激しい情念を持て余しているかのように見えた。着物のあちこちに蜘蛛の巣が描かれているのが象徴的・印象的だ。
やっぱり見てよかった、ゆうれい展。今の人はいざ知らず、昔の人(私も含めて)の生活の中には「ゆうれい」はきっといたと思うし、ゆうれいは日本人の心の一部を作っていたんじゃないか、ゆうれい画は心の美術でもあるんじゃないかなと思った。
さて、この後トーハクでクレオパトラとエジプト展を見るつもりだったが、腰痛がひどく真っ直ぐ立っていられなくなったので帰ることにした。外に出たら激しい雨。行きはほとんど降っていなかったのに。防水スプレーもむなしく足はびしょびしょになった。ゆうれいなら足が濡れるなんてことないけどね~。

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来年3月歌舞伎座

雀右衛門襲名公演のチラシができましたねえ。
早くほしいけれど、私の歌舞伎座行きはまだずっと先。
それにしても、又言うけれど、9月は上演時間長いよね~。体力・精神力ともに自信ないわ…。

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2015年9月 8日 (火)

やっと

後半の一部しか見ていなかったからあんまりどうこう言えないけど、点数的にはやっとスッキリした(本当はもっと得失差稼いでおきたかった)。シンガポール戦、カンボジア戦はカリッカリッしたからねっ。
次は1カ月後、シリアとの戦いだ。まだまだワールドカップへの道は遠い。
久々にサッカーの話題でした(約1年2カ月ぶりcoldsweats01)。

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「有頂天旅館」

97日 「有頂天旅館」千穐楽(新橋演舞場)
先々週母が誤嚥で入院した。幸い1週間で退院できたので半分諦めていた観劇ができることになった。今すぐどうこうということはないのだけど、体調の波に一喜一憂しつつ気が重くて…。喜劇で笑って笑ってそれを吹き飛ばそうと思ったけど、こっちの気が重すぎたのだろう、期待ほど笑えなかった。
でも、キムラ緑子さん(女中頭・信代)がとてもよかったのでかなり満足。渡辺えりさんの女将に忠実なそぶりを見せながら実は…のラストはあっけらかんとした笑いの陰に女の哀しさが滲んでいて、うまい、面白いと思った。きれいだし。板前(島吉)として入ってきた新納慎也さんと夫婦とわかった時には(すぐにわかるんだけどね)びっくりした。
新納さんは素性を隠すため「歌舞伎の女方のような優男」として、この旅館に登場するのだが、歌舞伎の女方ってやっぱりこういうふうにデフォルメされるんだね。本当の島吉と表の島吉のギャップを見せるにはわかりやすく笑いを取れる形なんだろうけど…(新納さんは大熱演だったし、昭和な雰囲気もよかったし、「女方のような」っていう前提がなかったらもっと楽しめた)。うまく旅館に入り込んで、緑子さんときゃっきゃっじゃれるシーンは、な…な…なんなんだ、この二人…と面白かった。それと、かかってもきていない電話の場面も面白かった。ああいううまいタイミングでやられると、あれ、今電話鳴ったのかなと騙されてしまうもの。
渡辺さんの女将は根元教という怪しい宗教にはまっていて、何でも暦に次第で周囲を振り回している。私はそれがどうしても好きになれず、最後まで思い入れることができなかった。段田安則さんのしょうもないダンナにちょっと肩入れしたくなるくらい(ごめん、南座の村田雄浩さんを見たかった)。
関西の役者さんは自然ににじみ出る可笑しさがあって、最初に登場して狂言回し的な役どころの徳井優さん(巡査)なんか、出てきて一言喋っただけで笑えた。第一声が「滋賀県」、次のセリフまでの間が絶妙で、客席が大きく笑う。私も笑った。曾我廼家文童さん(番頭)もちょっと動くだけで可笑しい。テレビでちょくちょく見かける綾田俊樹さんがいい味を出していた。
高速道路ができるために立ち退かなくてはいけない旅館、その立ち退き料を巡る信代・島吉の思惑、隣家に泥棒が入ったことで明るみに出る旅館の人々の小さな罪、そういう面白さはあったんだけどね。結局…旅館は高速予定地からはずれることになった。北条秀司らしいラストかもね。
<上演時間>第一幕55分(11301225)、幕間35分、第二幕95分(13001435

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2015年9月 6日 (日)

錦吾さん休演

松本錦吾さんが秀山祭九月大歌舞伎を休演されたそうだ。
体調不良のためということだが、気候の変化も激しいことだし、くれぐれもお大事になさいますように。
双蝶々曲輪日記の三原有右衛門役は錦弥さんが代役をつとめられる。
私の観劇はずっと後になるが、最近母の具合があまり思わしくなく、どうなるか…。

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2015年9月 2日 (水)

11月は勸玄クン初お目見得

11月歌舞伎座の公演情報が発表になった。
十一世市川團十郎五十年祭と銘打った顔見世は、夜の部で勸玄クン初お目見得。となればチケットも厳しそう…。
詳細は→ココで。

それにしても今月の歌舞伎座、上演時間が長すぎる。とくに昼の部の「競伊勢物語」は楽しみにはしているのだけど、休憩なしの2時間以上は…。役者さんも大変でしょうね。
そういえば、この芝居では桂三さんのご長男の公春クンが初お目見得なのね。こちらも楽しみです。

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