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2015年9月 9日 (水)

ゆうれいは日本人の心の美術かも:うらめしや~ 冥途のみやげ展

99日 「うらめしや~、冥途のみやげ」展(東京藝術大学 大学美術館)
150909uramesiya 13日までの会期だし、今回は諦めて来年全生庵の公開時に行こうかとも思ったのだけど(「うらめしや~」は全生庵所蔵品が中心らしいのだ)、91日からしか公開されていない絵があって、それは全生庵の所蔵ではないから、今しか見られない。台風だからすいているだろう、ということで上野へ向かった。芸大は上野の美術館の中で駅から一番遠いから、今回もめぐりんバスで。幸い23分の待ちでやってきた。
会場入り口ではまず、折井方一郎原画の圓朝像が迎えてくれる。なるほど、圓朝さんはこういうお顔だったのか(考えてみたら、どんな顔だか知らなかった)と眺めつつ行くと、暁斎の「三遊亭圓朝像」があった。思わずもとへ戻って顔を見比べてしまった。似ていない。暁斎のほうが本人とかけ離れているらしい。
展示は「Ⅰ 圓朝と怪談」「Ⅱ 圓朝コレクション」「Ⅲ 錦絵による<うらみ>の系譜」「Ⅳ <うらみ>が美に変わるとき」の4章から成り立っている。
「圓朝と怪談」では、歌舞伎座発行「怪異談牡丹燈籠」の番付が興味深かった。番付、要するに筋書で、明治25年の公演の配役とあらすじがハイライト場面の絵(今で言ったらイラストか)とともに1枚の紙に納められている。配役が全幕細かく載っているのがすごい。圓朝自筆本「元祖荻江露友之傳」では圓朝の几帳面な文字が見られる。
「圓朝コレクション」では幽霊の絵が並べられている壁の前に結界を作るかのようにしめ縄が張ってある。この部屋の真ん中情報には蚊帳が吊られていて、これも幽霊気分を盛り上げる。ここの幽霊たちは、それぞれに怨み、怒り、哀しみ、愛情、情念などを訴えかけてくるようだ。子供の頃、無条件にこわかった幽霊に対する感覚は大人になるにつれ変わってきたが、あらためて「幽霊は怖くないんだよ(生きている人間のほうがよほど怖い)」と言った父の言葉を思い出した。
見たかった絵のひとつ、「夫婦幽霊図」(筆者も制作年も不詳)からは怖くて悲しい感じを受けた。川端玉章の「幽霊図」は、思わず見とれるほどのくっきりした顔立ちが、きれいなだけにちょっと怖い。数多くの作品を見ているとコレクターとしての圓朝の、怪談への愛着・熱意を感じる。
「圓朝コレクション」、「錦絵による<うらみ>の系譜」ともに、歌舞伎に出てくる幽霊にはやはり親近感を覚える。牡丹燈籠、怪談乳房榎(伊藤晴雨:重信の怒りの形相がすっごく怖いけど、赤ん坊と赤ん坊を抱いている胸のあたりにだけほのかに赤みを帯びた着色がされていて、父親の愛情が伝わってくる)、四谷怪談、皿屋敷のお菊、桜姫の清玄、大物浦の平家、岡崎の猫…。「浅倉当吾の霊」(国芳)は佐倉惣五郎の物語だろう。
「<うらみ>が美に変わるとき」の「美人図」(蕭白)はもの狂いの女性の悲しい情念が印象的だ。「墨染」(池田輝方)はとても美しい。「幽霊図」(伊藤晴雨)は町娘の幽霊で、愛らしい。「焔」(松園)は91日から13日までしか公開されていない作品で、これを見たいがために722日からの会期をずっと我慢してここまで引っ張ってきたのだった。髪を口に咥え悲しみを湛えた表情は能面のように静かでありながら、よく見ると激しい情念を持て余しているかのように見えた。着物のあちこちに蜘蛛の巣が描かれているのが象徴的・印象的だ。
やっぱり見てよかった、ゆうれい展。今の人はいざ知らず、昔の人(私も含めて)の生活の中には「ゆうれい」はきっといたと思うし、ゆうれいは日本人の心の一部を作っていたんじゃないか、ゆうれい画は心の美術でもあるんじゃないかなと思った。
さて、この後トーハクでクレオパトラとエジプト展を見るつもりだったが、腰痛がひどく真っ直ぐ立っていられなくなったので帰ることにした。外に出たら激しい雨。行きはほとんど降っていなかったのに。防水スプレーもむなしく足はびしょびしょになった。ゆうれいなら足が濡れるなんてことないけどね~。

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