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2015年10月16日 (金)

美、小さなヨーロッパ絵画たち:プラド美術館展

109日 プラド美術館展内覧会(三菱一号館)
151016prado 三菱一号館は展示品の選択がうまいなあといつも思うのは、作品が美術館の雰囲気にぴったり合っているから。今回は、サイズの大きな作品はほとんどなく小さい作品にこだわった展示で、美術館の展示室の大きさにもマッチして、その魅力が十二分に伝わってくる。こんなに間近で見ていいの?というくらい、油絵具がもたらす画面の盛り上がりなんか手を触れてみたくなるような近さで見られる。ただ、絵画そのものに対する解説はあまりなく、画家についてはすべての画家の紹介がある(ここの展覧会はいつもそうだったなあと思い出した)。絵はこちらの感性で好きなように鑑賞するように、ということだろうか。もっとも、いくつかの作品には音声ガイドもあるしね。
色々書くつもりだったのだけど、急に多忙になり(って、1週間も引っ張っておいて…)ごくごく簡単に。
目玉はアントン・ラファエル・メングスの「マリア・ルイサ・デ・パルマ」(Ⅴ章、18世紀ヨーロッパの宮廷の雅)らしい。きれいないい絵です。
ルーベンス「聖人たちに囲まれた聖家族」(Ⅲ章、バロック:初期と最盛期)を見ると、ルーベンスの構図っていつも(いつもじゃないかもしれないけど)、天へ天へと向かっているんだなあと思う。
「バベルの塔の建設」はピーテル・ブリューゲル2世の作で、有名な1世の同題異作。その細かさを間近で見て堪能。 
ゴヤ「酔った石工」と「傷を負った石工」(Ⅵ章、ゴヤ。やっぱりゴヤは別格なんだね)は、前者が後者の準備下絵ということだ。前者ではけが人の衣服が血で汚れ、けが人を両側から抱きかかえる
2人の同僚の衣服はぼろぼろ、そして2人は怪しげな視線を交し、笑みを浮かべている。何か企んでいる? しかし後者はけが人は血で汚れておらず、同僚たちの衣服もきれいになっている。変な表情も浮かべておらず、真剣に状況を憂いているような感じである。どうしてこのように変化したのかな。
マリアノ・フォルトゥーニ・イ・マルサル「日本式広間にいる画家の子供たち」(Ⅶ章、19世紀:親密なまなざし、私的な領域)は、どこが日本式広間?って感じだけれど…。でも全体の筆致や子供たちの様子がとてもよくて、好き。横長の画面や構図、装飾モティーフに日本美術の影響がみられる未完成の作品だそう(画家の急死により)。
一番好きな絵、感動的だった絵は、ファン・バン・デル・アメン「スモモとサワーチェリーの載った皿」(Ⅲ章)。私が静物画にこんなに惹かれるなんて珍しい。地味な絵なんだけど、サワーチェリーの実の輝き、美しさがたまらんのよ。光の表現が見事なんだと思う。
グイド・レーニの名前発見‼ 作品は「聖アポロニアの殉教」「祈る聖アポロニア」「花をもつ若い女」(Ⅲ章)。いやいや、グイド・レーニが好きなわけじゃなくて、グエルチーノのライバルだったってことで。なるほどね、グエルチーノの絵とは確かに違うわ。私はやっぱりグエルチーノのほうが好きだな。
まだまだ紹介したい絵はい~っぱいあるんだけど、ここらで。
なお、ここに取り上げなかった章は、「Ⅰ章、中世後期と初期ルネサンスにおける宗教と日常生活」、「Ⅱ章、マニエリスムの世紀:イタリアとスペイン」、「Ⅳ章、17世紀の主題:現実の生活と詩情」。

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