« 10月名古屋錦秋公演、演目 | トップページ | わくわく楽しい国芳・国貞:「俺たちの国芳、わたしの国貞」 »

2016年5月16日 (月)

爆笑2時間:段之、徳松ふたり語り

513日 歌舞伎夜話「段之、徳松ふたり語り」
めちゃめちゃ面白かった。
徳松さんの暴走トーク(戸部氏はもちろん、段之さんでさえ引く暴走ぶり)に笑った笑った。歌舞伎夜話はメモを取らないし、時様の時は必死で頭に叩き込めたのに、今回は徳松さんのおかしなおかしなマシンガントーク(ご自分もバンバン話すけれど、そこからすっと段之さんに話を振るのがうまい)に笑い過ぎて、それに2人の口調や表情(段之さんの猿之助真似顔とか。段之さんをご存知の方は想像つくでしょう)が面白すぎて、文ではレポしきれない(だいたいこんな話だったということで)。
チケットは5分で完売したそうだが、取れたのはラッキーだったんだ。「5分で完売ってあんたたち何やってるのよ、貴重な時間を。こんなとこ来ちゃだめでしょ」と徳松さん。今日は松也さんも来るって言ってたんだけど、用事が入っちゃったんですって。残念。
徳松さんは和服、段之さんはユニクロと猿之助コラボのTシャツをジャケットの中から控えめに見せて(あとで、バッチリ見せてくれた)。座る時、徳松さんは「ずいぶん高いわね」(確かに、スツール高い!!)着物の裾がはだけそうになり「チラリズムもいいかしら」。段之さんが「迷惑よ」(うん、私も徳松さんのチラリズムは遠慮しておく)。徳松さんは座りにくいスツールのせいか、何度も立ち上がって文字通りの熱弁。1時間~1時間半という予定を大幅に過ぎて2時間たっぷり笑わせてもらい、と同時に、お2人の歌舞伎愛、歌舞伎熱、師匠と坊ちゃんを思う心に大いに感銘を受けた。

13日の金曜日>
徳松さんがやけに13日の金曜日にこだわる。しょっぱな「13日の金曜日にこの2人よっ」。「なぜ13日の金曜日なの。スプラッタ気味…」。ラストで、「また段之さんと一緒になることあるかしら」に戸部氏、「また歌舞伎夜話をこの2人でやりましょう」。で、じゃあ、「また13日の金曜日に」って(まだまだ話し足りないみたいなの)。戸部さんが13日の金曜日は年に何回かあるって言ってたけど、今年はもうなくて、次は来年1月と10月。ぜひ実現してほしいわ。

<徳松さんと段之さんの共通点>
徳松さんが「あたしたち2人には共通点がたくさんあるの」。
・段四郎さんと松助さんが同い年。
・師匠は2人とも立役、本人たちは女方。
2人とも坊ちゃんの世話をしている。
・坊ちゃんどうしの年齢が近い。
・坊ちゃんが勉強会をやっている。
2人とも毛で悩んでいる。でも徳松さんは「舞台では鬘かぶるし、普段もこのままでいい」。段之さんは「最近克服しつつある」(段之さんが入ってきた時、以前より毛が増えたなと思っていたら、やっぱり!!)。


<徳松さん・経歴>
話したら長くなるわよ~。NYのことなんて3時間はかかる(ぜひ、聞きたい)。国学院文学部神道科を出て、役者をやるか神主になるか迷っていたが、卒業後はマウイ島神社、ハワイ島大神社で神主を務めた(ハワイにも神社があるんだ)。ハワイ大学で英語を勉強しようとしたら演劇科があって英語と芝居を両方勉強できるチャンスに恵まれた。その後LAに行ったが空気が合わず、NYへ。NYとは性が合った。(どうして芝居をやりたかったのか、イマイチわからなかったが、なんと4年前の稚魚の会・歌舞伎会合同公演のイヤホンメッセージで語っていた。お父様が歌舞伎大好きで、幼い頃昔の蓄音機で歌舞伎の名優の名場面名台詞をよく聞かせてくれた。お母様は日舞が好きでよく稽古場に連れて行ってくれた。自分にとっては歌舞伎=両親である。というような内容だった。ちなみに徳松さんは仙台出身だということもこの時語っていた)。
<徳松さん・女方について>
「あたしは精神的には女だから、先生にactressになりたいと言ったら、明日からスカート穿いてきなさいと言われた」。そういう自分だから、舞台で正直に女になれるのはありがたく幸せだ(私はテアトル銀座で福助さん主演の「男の花道」で徳松さんの医師に感銘を受けたのだが、徳松さん自身は立役あんまりやりたくないのかもね)。
踊りで藤間の名前をいただいていたご縁で松緑さんのところの松助さんを紹介された。最初は女方ならうちじゃない方がいいと断られた。ところが松緑さんにも女方のお弟子さんの扇緑さんがいるではないか。(それをタテに)どうしても歌舞伎をやりたいと粘り、入門できた。年齢が年齢だから「最終切符だよ」と言われた。
実は女方の師匠は相手役のことがよくわかるから立役のほうがよい。女方に関しては舞台で見て覚える。
<徳松さん・英語>
徳松さんの話に英語がちょこっとでも出てくると発音にみんな「ほ~っ」。最初に「42nd street」という言葉が出てきた時、私も「おや」と思ったが、戸部氏と段之も顔を見合わせて「えいご~!!」って感じで笑った。英語については後でもう一度触れる。
<ママと呼ばれるわけ>
楽屋スナックで、徳松さんがママ役になるから。「ほかにやる人いなかったのよ~」。私はてっきり、坊ちゃんのお世話係から出たんだと思ってた。でも坊ちゃんのママはちゃんといるものね。

<徳松さんの信条>
「信じて一生懸命やる」。
神様を本当に信じて一生懸命神主をやった(笑う人もいたが、うちが神道だったから私にはその気持ちがわかる)。役者も同じ。信じて一生懸命やるだけ。

<段之さん・経歴>
宮崎県出身で、高校の修学旅行で京都に行った。どこへ行ったらいいかと県庁に聞きに行った(県庁っていうのが…)。そこで南座を知ったが時期的に歌舞伎はやっていなかった。すると歌舞伎に興味があるなら、と研修生募集のチラシを渡された。高校をやめてすぐに研修所に入ろうとしたら親からそんなお金はないと言われ、高校卒業後1年間働いてお金をためるつもりでダイエーの入社試験を受けた。合格するコツとして入社試験経験者の姉に「面接会場には必ずゴミが落ちているから拾いなさい」と教わった。そうしたら、「落ちていたのよ~銀紙が‼」。早速片膝ついて拾って印象付けた(こういうところの段之さんの演技、言葉では表せない)。また転勤についてきかれた受験生がみんな「それはちょっと…」と断るところ、「会社の命じるところどこへでもまいりますと答えた。だって1年しかいないつもりなんですものぉ。どうとだって堪えられるわよ」。5人並んだ受験生の真ん中だったので、質問はたいてい両側からくるため考える時間があり、受け答えもそつなくでき、合格した。勤務先は姫路で、売れ残りの靴を全部見事に捌いた。このままいけば出世間違いなしだったが、1年でやめる意志は変わっていなかったので、父親を怪我人に仕立て父の跡を継がなくてはならないからと言って辞めた。猿之助劇団で最初は明治座、次に中日劇場に出た。巡業で姫路に行ったら、スーパーのおばちゃんたちが見に来てくれた(おばちゃんたちには本当のことを言ってあった)。
<段四郎さんの弟子になりたかった理由>
研修後、いろいろな役者さんのところをまわる。自分は師匠の条件として、①腕とハートがあること(「うまくても、心のない人もいる、そういうのはダメ」)、②自分が一番弟子であること(「先輩にいばられるのはイヤ」)、③世継ぎがいること(わかるよね)。段四郎さんはすべてに当てはまった。はじめ、段四郎さんは老け役やるし(「すぐ死んじゃうのよね」)、猿翁さんの兄だと思っていた。「そうしたら8つも下じゃないの‼」
段四郎さんはとても優しい人で一度も怒ったことがない。トチったときには「一緒に謝りにいってあげる」。遅刻してギリギリだった時も「間に合ってよかったね」。絶対この人に付いて行くと決めた(猿之助さんもやさしいらしい)。
<猿翁さんのこと>
軽井沢の稽古場から猿翁さんと2人で東京に戻る機会があった。2時間寝て行こうと思ったら、猿翁さんがずっとアツく演劇論を語った。東京に着いて別れようとしたら、一緒にタクシーに乗せられ、そこでも演劇論が続いた。
<段之さんとおかま>

「段之さんは巡業でも海外でも必ず電気炊飯器を持っていくの」と徳松さんが言うと、戸部氏がぼそっと「おかま…」。すかさず徳松さんが「おかまじゃないわよ、炊飯器!!」。戸部さんがあまりに意図的でなく呟いたので場内は徳松さんの発言で初めて大爆笑だった。ロンドン公演の時は弟子たちに11キロ米を持ってこさせておにぎりをふるまった。段四郎さんには5キロ(エコノミークラスじゃないから)。あとビデオデッキも必需品だそうで、家には歌舞伎の録画が何千本もあるのだとか。段之さんのところに行けば、何でも出てくる。それは上村吉弥さんの影響だとか。吉弥さんもたくさん持っているそうだ。探しているビデオをもっていないかと聞くと、βでもってくる。今、自分はビデオをDVDに移さなくてはならなくて大変。「いつ見るの?」と徳松さんにつっこまれて「入院した時」。それから、段之さんは大の懐メロファン(段之さんのブログ名が「どうだ懐メロ決定版」だものね)で、レコードもいっぱい持っている。

<ニナガワとの思い出>
・徳松:NHKの俳優研修を受けようとしたら、「あなたはNHK向きじゃないと言われ、蜷川さんを紹介された。新宿の中村屋で2人で話す機会をもらった。『十二夜』のロンドン公演の時、向こうのスタッフと英語で喋っていたら『徳松、おまえ英語できるのか』と驚かれたが、名前を憶えていてくれたのがうれしかった」。ロンドン公演では菊之助に頼まれてお祓いをした。衣裳や持ち物は自前だが、祭壇を設えるのには向こうのスタッフに用意してもらう必要があり、この時は英語ができることで助かった。神主としてしっかり仕事をするために、身を清めたりして心身ともにへとへとになった。ホテルに帰って風呂の水栓をひねってベッドに横になったら風呂から湯が溢れだして大騒ぎになった。
・段之:「十二夜」では蜷川さんは何も言わない。亀治郎の匍匐前進に「それ、いいね!!」と言っただけ。歌舞伎では何も言わなくても「元禄」の時はすごかった。(蜷川さんの病気のため)稽古は2週間くらいしかなかった。その間、台本は1ページしか進まない。だから自分は稽古をつけてもらっていない。「元禄」の差し入れが豊富で、最初のうち出番のない猿弥は差し入れを食べて帰る毎日だった。ごぜ役の若い女優達が三味線を一生懸命稽古したのに、ニナガワが「ばばあをつれてこい」と言って、年配の女優を集めた。そのうち「やっぱり歌舞伎俳優がいいな」ということで自分と段一郎が引っ張られた。研修所以来の三味線で必死で稽古したのに、結局は女優たちだけの三味線になった。

<坊ちゃんたちの好きなところ>
・徳松:お友達を大切にするとこと。優しい。自分たち弟子に対しても声を荒らげたり怒ったりしない。松助さんの弟子だからということもあるかもしれないが。

・段之:(冗談半分に)海外旅行に連れて行ってくれる(冗談だけじゃないかもね~)。自分の信念を貫くところ。決めたことには妥協しない。亀治郎の会も10回と決めてその通りにした。最後は猿之助になっていたのでどうするのかときいたら「猿之助がやる亀治郎の会」だと言った。

<やりたい役>
「あたしたちの立場ではそんなこと言えない。与えられた役を一生懸命やるだけ」。段之さんは、巡業で一度竹三郎の代役を急遽やった。2回公演で、昼間は竹三郎さんがやり「ちゃんと見ていなさい」と言われた。夜の部は竹三郎さんが病院へ行き、段之さんには全部プロンプトがついていたから楽だったわよ~。で亀治郎さんに「こっち見てこっち見て」と言われても、そっちの方にばかり身体を傾けていた。楽しかった。ずっとスーパー歌舞伎だったのが金沢公演で久しぶりに生の「ドンシャン」を聞いて、やっぱり生演奏はいいわ~と思った。歌舞伎座に3カ月も出られるなんて初めてかも(え~と、67月は発表になっているけど、8月も? 戸部さんがちょっと慌てていた)。

ところで、段之さんによれば、博多座の「ワンピース」は演舞場とはだいぶ違っていたとのこと。ぜひぜひ映像で見せてほしい。シネマ歌舞伎は演舞場版なのよね…。

|
|

« 10月名古屋錦秋公演、演目 | トップページ | わくわく楽しい国芳・国貞:「俺たちの国芳、わたしの国貞」 »

歌舞伎ミーハー日記」カテゴリの記事

コメント

Fujisan様
 こんばんは。久しぶりにFujisanさんの詳細レポ楽しみました。歌舞伎への情熱がだいぶ戻ってこられたのではありませんか。三階の女形さんは独特の面白さ、サービス満点のところがありますよね。また、楽しいレポお願いします。
 ところで、5月の歌舞伎座はやはり「楼門」と「男女道成寺」でした。

投稿: レオン・パパ | 2016年5月17日 (火) 22時01分

レオン・パパ様
おはようございます。コメントありがとうございます。公開とお返事が遅れてすみません。
なにしろ、相変わらずミーハーなものですから、こういうお話は大好きでして…。
徳松さんは最近、松也さんと一緒にテレビに出られる機会も増え、トークのユニークさが目立っていますね。段之さんも徳松さんもとても努力された方なんだなあと感銘を受けました。
歌舞伎は自分の楽しみの中でずっとトップの座を占めてはいるのですが、最近体力気力が落ちてきて、夏に向けてこれを何とかしなくては、と思っております。
今月の歌舞伎座観劇、まだもうちょっと先です。待ち遠しい!!

投稿: SwingingFujisan | 2016年5月18日 (水) 11時20分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 10月名古屋錦秋公演、演目 | トップページ | わくわく楽しい国芳・国貞:「俺たちの国芳、わたしの国貞」 »