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2016年7月29日 (金)

6月分⑩:四谷怪談

629日 「四谷怪談」千穐楽(シアターコクーン)
舞台の真ん中が客席のほうに少しせり出しており(蜷川さんの芝居ではこういう作りがあった)、これまでとは違うなという感じが、芝居もこれまでとは違いそうという予感を起こさせる。
下手側奥に大きな仁王像が立っていて、舞台を江戸時代~現代の色々な人が歩き回る。笹野さんが金きらの手袋をしている。サラリーマン集団が整然と舞台を横切ったり、現代人がちょこちょこ登場したりするのは、人の心の恐ろしさ・闇はいつの時代も同じ、伊右衛門の時代から現代に脈々と潜んでいるということを言いたいのだろうか。私にはそんな解釈しかできなかったが、それなら通常の歌舞伎のように人物を丁寧に描いていくだけでも十分なように思うから、私には理解できないもっと違うことが言いたかったのかもしれない(読みが浅くてすみません)。そういう私だから、現代人やごちゃごちゃと出てくる人たちの存在がうるさくて物語に入り込めない部分が多々あった。
もちろん、こういう歌舞伎を否定するものではない、試行錯誤は決して悪くないし、こういう「四谷怪談」(「東海道」はつかない)も「あり」だと思う。というより、これが新しいコクーン歌舞伎なのかも、とも思う。ただ、単純に好みで言えば、今回はあまり好きにはなれなかった。借金取りともう1人誰だったかが大正時代か昭和初期のような恰好で出てきたりして(歩き回る現代人たちは原作にないからまだしも…)。私は物語の時代、世界に入っていきたいほうだから、集中できないのだ。それと、全体に必要以上のコミカルさがあって、その分深みが薄れたような気がしないでもなかった。
また、お岩さんが薬を飲む場面では、お岩さんの心の内がセリフではなくスクリーンに文字で映し出されたのにもびっくりした。このあたりからお岩さんの顔が変わる場面はいつもなら自分の中でも感情が盛り上がって感動するのに、文字で見るとあっさりしており、感情移入ができなかった。これも好みの問題なんだろうが、ここはていねいにこってりと描いてほしかった。なんか中途半端で消化不良。扇雀さんは最近立役のほうが好きだが、お岩さんはよかった。ただ、何度も言うようだけれど、この演出だと見せ場が弱いし哀れさも薄まったように感じた。
宅悦の描き方も中途半端に思えた。お岩との人間的な関係が伝わってこない。伊右衛門もよくわからなくなった。伊右衛門には感情があまりないんじゃないか…とさえ思った。
鶴松クンのお梅は能天気な自分のことしか考えない娘(というより、ただ単純に恋に一途な箱入り娘か)ではあるけれど、可愛らしかった。笹野さんはデフォルメし過ぎな気もしたが、孫可愛さのお爺さんの気持ちはわからないでもなかった。小仏小平の国生クンが上手になったと思った。ずっと気になっていた発声がよくなって、歌舞伎としての違和感がなくなった。

一方、お岩さんと伊右衛門の物語に比べて、お袖と直助権兵衛の物語はわかりやすかったし、与茂七と3人がぶつかり合う場面は感動さえした。勘九郎さんのキレキレの演技もよかったし、何より体がかっこいい(魅せる肉体だ)。お袖の七之助さんは浅草の場面ではちょっと男っぽいところがあったが、三角屋敷では哀れでとてもよかった。
戸板返しは意外な趣向で面白くはあったが、四谷怪談はこれじゃなくちゃという人にはどうかな。土手の上のだんまり(与茂七、伊右衛門、直助)も音楽がにぎやか過ぎて、だんまりらしさに欠けるような気がした。
カーテンコールは3回目でスタンディングオベーション。その後もまだ拍手が続いていたが、帰る人も多々あり、私も最後まで残らずに席を立った。次のコクーンもこんな感じになるのかなあ。それでもきっと見には行くんだろうなあ。そして徐々にこのコクーン歌舞伎に慣れていくんだろうか。
<上演時間>序幕95分(13301505)、幕間20分、二幕目65分(15251630

 

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