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2016年9月

2016年9月30日 (金)

踊りの魅力:藤間会

926日、27日 二世藤間勘祖 二十七回忌追善 藤間会(歌舞伎座)
160930fujima3 張り切って全部見るつもりで3公演ともチケットを取ったのだけど、あまりの上演時間の長さに、泣く泣くあきらめた演目も。踊りのことは全然わからないので、的外れなことを書いていたら(きっと書いていると思う)ごめんなさい。
26日夜の部
幕開けは宗家藤間勘十郎さんと松緑さん(藤間勘右衛門)の素踊り「漁樵問答」。この踊りは前に一度見たことがある。老樵(松緑)と若い漁師(勘十郎)の年齢が最後に入れ替わるというお話で、漁師は浦島太郎、玉手箱をあけた後、水に映る自分の姿にあっと驚く。樵は養老の滝の水を飲んで若返る。面白いのではあるが、浦島の変化にはしんみりというか、何かを感じるというか、複雑な気持ちになった。
藤間綾・あかね・勘綾乃さんの3人による「女車引」は先月の合同公演でも見たので復習を兼ねて面白く拝見。
160930fujima1 藤間雄大「雨の五郎」。宗家の御曹司・雄大クン(ちゃんかな)が可愛い可愛い、ちっちゃいちっちゃい。ちっちゃいけど、ちゃんと拵えをして、後ろからおとうさん(可愛さに目を細めるようなことはなかったから師匠と言うべきか。でも我が子を大きく包んでいるようで、おとうさんっていう印象の方が強かったな)しっかり支えてもらい、声をかけられながら、やるべきことはちゃんとわかっているようで、手を動かしたり見得をきったり。セリフも言えたし。移動するときにぴょんこぴょんこ(六方の真似?)跳ねるようにして走るのがこの上なく可愛い。
時蔵さんと梅枝さんの親子共演「金谷丹前」。梅枝さんがあんまり美しくてどきっとした。机の前にアンニュイな感じで横座りしている姿は竹久夢二の世界みたいだった。美しい2人が姉妹のように踊る世界も夢の世界だったが、見ているほうも夢のような世界。
「春駒」は先日巡業西コースで見たのとほぼ同じ。
この時点で1830前だったけど、仕事もあるし帰らなくてはならず、お目当ての「白蛇盗仙草」と「卒塔婆小町」(吉右衛門出演)は断念。終演が2130近くになってしまうんだもの。「白蛇」は藤間流の役者さんの他に猿之助、勘九郎、七之助、壱太郎、尾上右近という豪華な出演だし、「卒塔婆小町」は勘祖、吉右衛門共演で本当に残念。とくに27日夜の部で勘祖さんの踊りを見てとても素敵だったのであとから残念さが増した。
27日昼の部
160930fujima2 この日は逆に途中から鑑賞。13時過ぎの「現在道成寺」からずっと歌舞伎役者の踊りが続くので、そこから拝見。
「現在道成寺」は亀三郎さんって書いてあったから、へ~珍しいと期待して待っていたら、舞台に現れたのはどう考えても亀三郎さんじゃない。俯いていて3階からは顔が見えないのだけど、あれは雀右衛門さんじゃないの。で、プログラムを見直したら、坂東じゃなくて藤間の亀三郎(中村雀右衛門)だった。まったく、早とちりというか、無知というか。ちなみに坂東亀三郎さんの舞踊家としての名前は藤間善蔵。時様は藤間勘三郎なのよ。ややこしいので、ここではすべて歌舞伎の名前で書いています。ちなみついでに、相撲の世界では木村勘九郎という十両格の行司がいる。踊りの感想でなくて…。

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2016年9月29日 (木)

でっけえ、幸四郎さん:巡業西コース

924日 松竹大歌舞伎巡業西コース(川口リリア)
この日のリリアは2回公演で、私は夜の部を観劇。う~ん、入りが悪い。昼の部はどうだったか知らないが、夜は2階へ上がる階段のところにロープが張ってあったから、当然2階・3階席には客がいない(最初からそういう見込みだったってことなんだろうな)。1階は78割かなあ。最初の幕間のロビーが異様に静かで変な気分だった。開幕5分前の客席も静か…。
「當年祝春駒」
背景は満開の紅白の梅の木、向こうに富士山。
力強い大薩摩の前演奏があり、ツケとともに梅が両側に惹かれ、中から明石屋一家と高麗蔵さんが現れる。明石屋親子の対面モノとはレアな。とはいえ、なんか今一つ盛り上がりに欠ける…客席も拍手のしどころがなくて…と言う感じ。高麗蔵さんの存在感が目立った。
「口上」
この公演は五代目雀右衛門襲名披露なのでお披露目の口上がある。上手から高麗蔵、錦吾、幸四郎、雀右衛門、梅玉、廣太郎、廣松、友右衛門の並び。
座頭の幸四郎さんが「川口のみなさま、ご機嫌よろしゅうございます」と口を開き、大きな拍手が起こった。雀右衛門襲名の紹介をして3月の歌舞伎座から大阪、どこどこ…川口でという各地の流れで大阪を「おおざか」と言ったのが素敵だった。雀右衛門さんとは従兄弟どうしで、四代目の叔父には大変可愛がってもらい、勉強させてもらった。一力茶屋でもたびたび共演した。叔父のおかるは古風で(その後聞き取れず)。お父様と違い新雀右衛門さんのおかるは勘平一途のかわゆらしいおかる。(「かわゆらしい」がいいでしょ)亡き叔父を偲び、新しい雀右衛門さんの門出を祝して一生懸命つとめます、という口上だった。
錦吾:新雀右衛門さんは、昭和366歳の時、七代目幸四郎追善で初舞台を踏んだ。長いお辞儀が大変なので、赤い小さい枕に頭をつけて、すやすやということも時々あり、お父様に起こされていた。(小さい時は色々あるのねえ。松也さんも泣きだしてたし)立派になられた。
高麗蔵:若年の頃よりたびたびご自宅にもお邪魔し、色々教わった。ドライブにも連れて行ってもらった。自分が初めて手に入れた中古車の部品交換もしてくれた。(微笑ましい)
友右衛門さん:昨年別コースにて川口にはお邪魔した。
廣松・廣太郎:それぞれ、口上の席に列座してこの上ない喜びと一言。
梅玉:先代には公私ともに世話になった。新雀右衛門さんとは若き頃よりよく共演しているが、素敵な女方になった。とてもかわいらしい妹で、毎日充実している。3月、7月に続き声をかけてもらって巡業に参加している。今回は831日、板橋からの巡業だったが、台風や大雨の影響を受けることはなかった。
雀右衛門:襲名披露のお礼を述べた。
孝四郎さんが最後に「少々時間をいただき、一力茶屋をご覧に入れまする。京屋一門と歌舞伎をよろしく。

幸四郎さんがでっけえ。かっこいい。

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2016年9月28日 (水)

圧倒的な吉右衛門、玉三郎:秀山祭夜の部

922日 秀山祭九月大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)
「吉野川」
昼の部で既に両花道は見ていたが、「吉野川」の両花道だと思うとやっぱりテンションが上がる。
腰元・萬太郎クンの女方は初めて見るので楽しみにしていた。元々母親似だけれど、ますますそっくり。ちょっとコミカルなところもあって、川の向こうの久我之助に声をかけたり手を振ったり、川に落ちそうになったり客席のウケもよかったようだ。品よくやっていて女方もなかなかいけると思った。もう1人の腰元・梅枝さんはしっかりしていて、「頼朝の死」の音羽を思い出した。
染五郎さんはこういう役がよく合っているが、菊之助さんはどうなのかなあと思わないでもない。この頃の印象として立役が多く、それはカッコよくて素敵なんだが、その分女方では時々どうなのということがある。今月も個人的には雛鳥より鬼次郎の方が好きだ。声も若さを強調するためか、いつもの透き通るような声じゃなかったのが残念だった。菊之助さん、もっと女方やってほしいい。
前半は少し眠くなってしまった部分があったが、後半は引き込まれた。娘の死と息子の切腹を川の両側で互いに身振りで知らせ合う場面は素晴らしかった。2人の気持ちと気持ちが一つに溶け合ったような感じで、思わず息を詰めた。
雛道具を腰元たちが流すのを見ている玉三郎さんは座り方が美しく、全身で悲しみに耐えているようであった。
ところで、久我之助はずっと前に切腹して、うつ伏したままで苦しんでいる。早く介錯してあげればいいのに…。水杯をさせて悲しむ吉右衛門さん、2人の首を抱える吉右衛門さん、玉三郎さんにそれを見せる吉右衛門さん…。<大判事と定高>なんだけど、多分に<吉右衛門と玉三郎>と思った。
客席、途中の拍手がためらいがちだったのは、芝居にのめり込んで拍手を忘れていたというか、拍手で芝居の空気をこわしたくないというか、そういう人が多かったのではないだろうか。
普通に考えたら、雛鳥の首を息も絶え絶えの久我之助の前に置いて祝言をあげるとはグロテスクでもあるだろうに、歌舞伎だとこうも美しく悲しいのだなあ。約2時間が全然長く感じられなかった。

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2016年9月27日 (火)

初代へのオマージュ、「シン・ゴジラ」

916日 映画「シン・ゴジラ」(MOVIX川口)
ま~ったく興味がなかったのに、先に見た娘が「絶対見て。見なかったら損するから」とメッセージを送ってきたので、見るまでしつこく言われるのもかなわないと時間のあるうちに行ってきた。何が「見ないと損する」のか――私、「エヴァ」見たことないし――どうやら長谷川博己主演だということらしい(私が好きなの知ってたのね)。
何しろ無関心だったから、庵野作品だということ以外は(さすがにこれは、ネットの見出しだけでも出てるから)何も知らないで見た。エンドロールでソロで名前が出たのが長谷川博己、竹野内豊、石原さとみの3人だけ、それ以外はどの俳優もその他大勢並に3人よりかなり小さな文字でだ~っと並べられていた。そして最後に「野村萬斎」の名が。えっ、どこに出てたの? あとできいたら、ゴジラの動きだったんだってね。後付けだけど、道理でゴジラの動ききれいだった。以下、ネタバレします。結末も書きます。

160927godzilla さて、映画はなかなか面白かった(左は、入口でもらった名台詞集のステッカー)。まず思ったのは初代へのオマージュだねってこと。ゴジラの顔が最初ちょっとユーモラスで、え?と思っていたら、進化して怖い顔になった(姿かたちが初代に近い)。それから政治への皮肉が面白い。初代も政府の混乱ぶりが描かれていたが、今回はそれ以上に、戯画的と言えるくらい。でも実際にそうだっていう部分もきっとあるんだろうな。法治国家としての限界みたいなものも感じた。余貴美子演じる防衛大臣は稲田さんかと思っていたけど、この映画の製作当時はまだ稲田さんじゃなかったよね。ということで、小池さんか。実際そう言われているらしい。大杉漣首相が意外にもあっさり落命しちゃって、めぐりあわせで後を受けたドンくさい平泉成臨時首相代理が実は…(かっこよかったな、平泉成首相)っていうのは、企業ドラマなんかでありそうだが、ここでは政治家に対するはかない希望だろうか。日本が本当の危機に陥ったとき、そういう政治家が出てくると信じたい。
表立っては科学者グループがかっこよかったな。この科学者たちも主流からははずれた人たちで、これだって実際の科学界を皮肉ってるんじゃないの?
初代ゴジラが原爆に関係していたのと同様、今回は福島の原発を頭に置いているのだろうが、アメリカがすぐに反応してきたことは、あの当時の混乱と恐怖を思い出させた。ゴジラ映画がつくられる意味を考えさせられる。

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2016年9月25日 (日)

やったね、豪ちゃん!!

すごいすごい!!
カド番からの、そして初優勝の全勝。
もう、興奮したよ。

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2016年9月24日 (土)

豪栄道関、おめでとう!!

大関豪栄道が初優勝を決めた。
今日は川口リリアで巡業西コース観劇のため、相撲は見られない。もちろん録画はしたが、帰宅するまで待てず、幕間に大相撲アプリで結果を見ちゃった。
帰って録画を見て、もらい泣きした。
13日目の日馬富士との睨み合いは迫力あったな。行司が分けた場面なんて初めて見た。

豪栄道はたしか大関になった途端に怪我をして、2年間いい成績を残せなかった、どころかカド番を何度も経験し、私は気の毒な気持ちもあって、ずっと応援していたのだ。関脇のままだったら名関脇で終わるはずだったという声もあった豪栄道がカド番脱出初優勝とは、本当に嬉しい。誰の負けがもたらしたものではない、自らが毎日勝ってつかんだ優勝だ。気を引き締めて全勝優勝を!!
反対に稀勢の里は…。私は個人的にはこれまで優勝はまず横綱に、と思っていた。しかし今場所は稀勢の里に優勝させたかった(誰だってそうだったろうな)。これまでも何か1つ足りなかったんだろうが、今場所はその上に土俵の神様に見放された感じがする。大関としては抜群の安定感のある稀勢の里だし、毎場所毎場所綱取りの重圧に耐えていい成績を残すという精神力の強さももっているのだから(豪栄道とは違った意味で苦しい日々だったと思うよ)。
問題は照の富士だな…。今年はカド番→脱出→カド番→脱出→カド番の連続で、大関としてみっともない。土俵に上がる以上は大関らしい相撲を見せなくちゃ。大関陥落してもいいから休場して怪我をしっかり治せばいいのに。照の富士なら絶対又這い上がれるよ。大好きだからこそ、そう言いたい。
しかし、カド番を繰り返してきた琴奨菊と豪栄道が優勝し、一番安定している稀勢の里が優勝できないって皮肉だよねえ。

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2016年9月23日 (金)

秀山祭昼の部

915日 秀山祭九月大歌舞伎昼の部(歌舞伎座)
「碁盤忠信」
5
年前の日生劇場での上演、覚えていると思ったら、何と勘違いしていたのか、記憶にあったものと全然違っていた。つまりまったく覚えていなかったことになる(レオン・パパ様ごめんなさい、えらそうに覚えていますなんて)。で、1週間前の観劇なのに、今でもかなり忘れている。多分日生で見た時よりずっと面白かったんだと思うけど、私の頭では覚えにくい内容なのかなあ。それでも、今回の公演を何度も反芻しているうちに、小柴入道が忠信の奥さんのお父さんで、忠信を討ち取ろうとしているとか、少しだけ記憶が甦ってきた。
だんまりは好きだから楽しめたが、この鳥野辺の場が何のためにあるのかよくわからない(堀川御所との関連が…。だから記憶が薄れてしまうのかも)。義経と静御前は日生では出てきたが今回は出ていないのね。その辺も覚えていない…。
え~と、で、私はいったい何と勘違いしていたのか、ふっと思い出した。「碁盤太平記」だ!! こっちも染五郎さんだったのでごっちゃになったんだわ。
忠信の染五郎さんは線の細さが感じられず、大きさが出てきた。松緑さんの横川覚範とのツーショットは衣裳が赤と黒で絵になる。
「吉野川」用の両花道が効果的に使われていたのがよかった。
「太刀盗人」
この狂言は芝居であるにもかかわらず、盗人の狡さにイラっときて、あまり好きではない。盗人の又五郎さんは出てきた時から可笑し味たっぷりだが、田舎者をあまりにバカにしてるし、盗人が田舎者の言葉を盗み聞きして真似をして騙すのが許しがたい。それに気づかない目代(彌十郎)と従者(種之助)にもイラっとする。おうむ返ししてるんだから、気づけよ~、と心の中で何回も叫んでしまう。
とは言え、錦之助さん(田舎者)と又五郎さんの息がよく合って面白いことは面白い。又五郎さんはころころした体形がかわいいし、おうむ返しもオーバーでメリハリがあるので可笑し味が強く、許せない感がちょっと弱まってきた。錦之助さんと又五郎さんの踊りはソロでも連れ舞でも見応えがあった。
彌十郎さんの鷹揚さ、種之助クンの目端がききそうでいて肝心なところが抜けている(盗人に先にきけばいいのに)ところが面白い。いずれも品を落すことなくちょっとズレた感覚を見せているのがいい。
結局は田舎者が、盗人に先に言わせることに気づいて、バレてめでたし。と思いきや、刀は盗られてしまう。花道を逃げる又五郎さん、追いかける錦之助さん、舞台では長袴の裾を種之助クンに踏まれてひっくり返り怒る彌十郎さん、と笑える幕切れで、なんだ、好きじゃないと言ったくせにかなり楽しんだんじゃないか、ということでした。
「一條大蔵譚」
吉右衛門さんの大蔵卿はとにかく自然。阿呆も苦悩も自然。作り阿呆の間は苦悩を見せてはいけないわけだから、そこに作為は感じられすごく自然なんである。しかし本心を見せた大蔵卿からは自分の背負ったものに対する気持ちがにじみ出ていて、そんな大蔵卿に男らしささえ感じてしまった。常盤がそれに気づいていたかどうか知らないが、そういう夫を持ったことは、常盤にとっても幸せだと思う。魁春さんの常盤は品位が高く、悲しみながらも自分の宿命を受け入れて生きていく強さを感じさせた。
鬼次郎とお京――菊之助、梅枝というカップルがとてもよかったな。
2人の任務(誰に命令されたわけじゃないけど)とは別に、若い夫婦としての結びつきの強さが感じられた。菊五郎×時蔵みたいに、この2人にも濃密な空気の流れるときがくるのかもしれない。
勘解由の吉之助さん、じゃなかった、吉之丞さんのこういう役は好きだ。
それにしても、「曲舞」を又見たいものだ。
<上演時間>「碁盤忠信」78分(11001218)、休憩35分、「太刀盗人」42分(12531335)、幕間20分、「一條大蔵譚」85分(13551520

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2016年9月18日 (日)

贅沢な観劇:「銀座復興」

913日 演舞場発花形新派「銀座復興」(新橋演舞場 地下特設会場 東)
「銀座復興」は6月の三越公演を見逃してしまい残念に思っていたところ、この公演情報があり、飛びついた。というわけにはいかず、芝居は見たい、でも食事つきのため11,000円と高い。でもやっぱり見ておきたい、それにたまにはこういう贅沢もいいか…ということで席を取った。
チケット予約時点では食事が先かどうかわからず、もし先の場合は観劇中寝てしまいそうだと心配だったから、後ろ目の席で、食事中グループの中の1人はちょっと寂しいから、1人で来ていそうな人がいるテーブルを選んだ。
実際は観劇が先だったのでもっと前の席にすればよかったかな。でもやや見切れるところはあったものの、そんなに気になる問題ではなく(花道が見えないのには慣れてるしね。おっと、「東」の花道は舞台と直角に交わるものではなく、舞台を降りた延長だった)、何しろあの「東」に舞台を作っての芝居だから客席と舞台との距離がうんと近いため、ほどよい間隔だったかも。
「銀座復興」
場内が真っ暗になり、地震の轟音が響く。作り事ではないリアルな怖さを感じた。経験の有無の差は大きい。それが関東大震災であり、震災からの復興だってわかっているのに、「復興」「復興」と聞くたびに戦後の復興と勘違いした。主人公文吉(田口守)の「戦にも行って勲章をもらった」というセリフにもつい第二次大戦を思い浮かべてしまった。私が感じた芝居全体の空気が大正感ではなく昭和感寄りだったからだろうか。
上演時間が1時間ちょっとと短かったので(タイムテーブルより短かった)、せっかく復興の先陣を切った「はち巻」の後に続く者が出てこないもどかしさがやや伝わりにくい気がした。いっぽうで、常に前を向いて歩こうとする文吉と牟田(喜多村一郎)からは希望が失われることなく、心強い思いがすると同時に応援する気持ちになった。
田口守さんと瀬戸摩純さんが夫婦役なのは意外だったが違和感はなかった。田口さんはセリフが危ないこともあったものの、「振袖纏」の時と同様、芸の力で押し切った。復興のために頑張っている姿が感じられたのはとてもよかった。一番に店を再開させたとはいえ、物がない時に仕入も仕込みも大変だったろう、お客はどのくらい入ったのか、経済的にやっていけるのか…そんな心配をしながら見ていたが、文吉さんからは苦労や愚痴が見えてこない、聞こえてこない。悪い意味じゃなく、とにかく前を向いているという姿勢なのだ。瀬戸さんは上品で、時に弱音も吐くが夫を信じ支える妻のけなげさがぴったり。
一郎さん(私の中ではまだ猿琉さんなんだよな~)は爽やか好青年。三越劇場では山岸を演じたそうだが、ニンは牟田だと思う。文吉同様、一面焼け野原の町で当然苦労をしているだろうにそれを感じさせないひたすら前向きで元気な牟田が物語の世界を明るくしてくれた(牟田の仕事って何だったっけ?)。「社会は一度進んできた道を決して後戻りしない、東京は前より立派になる。その中心となるのは銀座」だと言う牟田の言葉は印象的だった。一郎さんは新派にも溶け込んでいて、一郎さんのためにも新派に移ったのはよかったかもしれないと思った。
山岸の市村新吾さんは東京にも銀座にも絶望した心の屈折の表現がよく、市村さんも山岸のほうがニンだと思った。ラスト、山岸の明るい笑顔を見てほっとした。光井の児玉真二さん、千八重の川上彌生さんは出番は少ないが、ちゃんとその空気の中に入るというか役作りがうまかった。
出色は稲村の笠原章さん。こういうおじいさん(って言ったら悪いかな)いるよなと思ったし、酒の飲み方酔い方、日常感の出し方が自然で感動してしまったほど。
舞台はバラックの「はち巻」内部だけなのだが、雷雨や虹、焼け野原の銀座、そこで行われている復興のイベントといった外の光景が見えるような感覚を覚えた。とくに瀬戸さんが虹を眺める場面は優れていた。日常のありがたさよ。

「銀座復興」のモデルとなった店は、今も銀座で営業している「はち巻岡田」。今年で創業100年だそうです!!



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2016年9月17日 (土)

「婦系図」に鳴りやまぬ拍手

911 九月新派特別公演千穐楽夜の部(新橋演舞場)
160917kitamura チケットを取った時は、私も含めて1列の両端しか売れていなかったのが行ってみたら私の列はだいぶ埋まっていた。それでもやっぱり見える範囲は寂しい。
「口上」
初日とほぼ同じだが、違う部分を少し(初日と同じ方は省略)。
八重子:喜多村緑郎襲名は「おめでとう」ではなく「ありがとう」と言いたくなる。(緑郎さんが若くなって戻ってきた、のところで客席から笑いと拍手が起きた)
松也:昨年9月、月乃助最後の舞台で共演した自分が今回出演するのは何かの縁。(「あらしのよるに」でのアクシデントの話は出なかった)
春猿:竹馬の友と言うべき人の襲名は誇らしい。
猿弥:かわいい後輩が歌舞伎から新派に活躍の場を移し、ますますの活躍をするのは嬉しい。(ダンちゃんの話は出なかった)
久里子:先代は私の祖父六代目菊五郎と懇意で、「一本刀土俵入」の我孫子屋で共演し(菊五郎:茂兵衛、緑郎:おつた)、父との共演では「瞼の母」で母親役をやってくれた。大先生の名前を継いだことは嬉しい。(初日にもこの話をしていたような気もするが、私が書いていなかったので)
緑郎:初代は新派のみならず、日本の演劇界に大きな足跡を残した人。29年間師匠のもとで修業してきたことを糧に茨の道に真正面から挑む。
「婦系図」
8年前に仁左様の主税、久里子さんのお蔦、八重子さんの小芳で見ている。その時が初見で、それまでもっていた「婦系図」に対する認識ががらっと変わったものだった(それまで「婦系図」の世界をほとんど全然知らなかったことを認識したと言ったほうが正しい)。今回は初代喜多村緑郎本による上演で、前回とは少し違う箇所があるようだった。
前回、だいぶ理解が進んだその世界だが、やっぱり未だよくわからないのが真砂町の先生(柳田豊)と主税の心の関係。先生がどれほど主税を可愛がっていたのか(柳橋の柏家で主税についに「女を捨てます」と言わせた後、「涙を乾かしてから外へ出ろよ」と声をかけた先生の気持ちにはちょっと心打たれた)、主税がどれほど恩義を感じていたかはわかるのだが、お蔦と主税をどうしてそこまでして別れさせたいのか、前回と同じ疑問が残った。自分自身芸者に子を産ませてしまったことへの苦悩がそうさせたのかもしれない。でも、ラスト死の床にいるお蔦のもとに駆けつけて許しを乞うなら…って、そういう時代だったんだろうな。
久里子さんは可愛らしくいじらしい。一途で耐え忍ぶ哀しい女がよく似合う。久しぶりに主税と連れだって湯島の境内を歩く姿には日蔭の女の嬉しさ、愛らしさが全身からにじみ出ていた。体調がすぐれないお蔦も体型が変わるわけじゃないのに、病んだ感じがよく出ていたし、得難い役者さんだなあとつくづく思う。
緑郎さんもこういう世界がしっくりくる役者さんだ。芸者と一緒になる人だし、河野家に対する怒りが、この時代のもう一つの道徳観を表していると思った。お蔦に別れを告げるときの血を吐くような気持ち、セリフにはこちらも思わず力が入った。河野家の秘密を暴いていくテンポのよさはカッコよかったが、罵倒する場面はちょっと熱すぎるというかヒステリックな印象を受けた。もっとも、そこには元スリであるという経歴を感じさせる何かがあったような気もしないではない。ただ、前回も感じたことだが、ここはどうも後味がよくない。
由香さん初舞台の妙子は、声が可愛く、一生懸命にセリフを言っている感じが初々しくて、素直に愛情たっぷりに育ったお嬢様らしさが見て取れた。小芳(八重子)が、産んだのは自分だがあんなにいいお嬢さんに育てたのは奥様、とお蔦に言うセリフに感動した。
ラストは泣けた。
幕が閉まっても拍手は鳴りやまず、終演のアナウンス中に幕があいて、緑郎さんと由香さんが出てきた。緑郎さんは花道の中ほどまで行って手を振っていた。モニターは自動的にonになるのだろうか、その様子を映し出してくれた。悲劇のラストにカーテンコールがあっていいのかとも思わないじゃないけど、これだけ拍手が続いたのはよかったよね。
<上演時間>「口上」15分(16001615)、幕間20分、「婦系図」一幕・二幕45分(16351720)、幕間10分、三幕45分(17301815)、幕間35分、四幕・五幕70分(18502000

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2016年9月14日 (水)

古代ギリシャ~古代日本

99日 「古代ギリシャ-時空を超えた旅―」~「日本の考古」(東京国立博物館平成館)
160914ancientgreece 展示品の点数325、トーハクじゃなくちゃできない展覧会だ。でも、その数字だけでなんか疲れてしまった。もちろん小さいアクセサリーなんかも含めての点数だし、壺系はこれまでにも同じようなものを何度も見ているので、そのあたりは流して眺めたのだけど(みんな、えらいの、ちゃんと熱心に鑑賞していた。私はそういうところがつくづく根性ないなと自己嫌悪に陥る)、それでも疲れた。
紀元前6500年あたりの出土品を見ると、人間の表現力ってすごいなと感嘆する。展示は古代ギリシャ世界のはじまり→ミノス文明/クレタ文明(私の中では神話の世界だ)→ミュケナイ文明→幾何学様式~アルカイック時代)→クラシック時代→古代オリンピック→マケドニア王国→ヘレニズムとローマと時代を追って進む。
やはり興味を引かれるのは都市国家の時代で、高校で学んだ世界史がもうほとんど忘れているにもかかわらず、こういうところで貨幣経済とか、民主政治とか記憶の奥底から顔を覗かせてくる。抽選器(クレロテリオン)の断片。大理石の石板に小さな溝が並んでいて、裁判員の抽選に使う物である。それから有罪、無罪それぞれの投票具(青銅の円盤)、名前の書かれた陶片(陶片追放、習ったよね)…。
一番面白かったのは古代オリンピック。リオ五輪が終わったばかりだし、流されやすい私。中でも第18回オリンピア競技祭(BC708)に初めて登場したという五種競技(徒競走、円盤投げ、槍投げ、走り幅跳び、レスリング)は、実際にその映像が流れ(もちろん、パンツだけ穿いた現代人。当時は全裸での競技だった)、当時の人たちがさぞエキサイトして観戦しただろうと遥か古代へ思いを馳せた。垢掻きヘラ(ストレンギス)っていうのが面白かった。持ち手のついたくの字型に曲がった青銅のヘラで体に塗った油や練習中・競技中に付着した砂を掻き落としていたのだそうだ。オリンピックのところではちゃんと壺も流さず見た。
マケドニアも興味深いよね~。アレキサンダー大王はどうしてあんなに版図を広げることができたのだろう。その死後あっという間に分裂してしまったなんて…。
そしてローマが憧れたギリシャ文化。アルテミス像、ニンフ像、アテナ像、アフロディテ像、彫刻が美しい。ローマに征服されたギリシャは実はローマを征服していたのではないかということが頷けるような気がした。
ポスター真ん中は、ミノス文明時代の「漁夫のフレスコ画」(BC17世紀)。いい作品を選んだなあ。右はアルテミス像(ヘレニズム時代、BC100年頃)、左は牛頭形リュトン(ミノス、BC1450年頃)

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2016年9月13日 (火)

1年1作、レベルの高い作品を堪能:ポンピドゥー・センター傑作展

97日 「ポンピドゥー・センター傑作展―ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで―」(東京都美術館)
160913pompidou 都美、いいものばっかりやるよなあ。
ポンピドゥーは建物が面白いので行ったが、展示してある作品はよくわからなかった。という先入観があったのだが、今回はフォーヴィズムが台頭してきた1906年からセンターがオープンした1977年までの作品をタイムラインに沿って11作品という形で展示されており、煩わしさがなく、1作品1作品をじっくり鑑賞できて非常によかった。また、各作家の芸術あるいは作品に関する一言が掲示されているのもある程度その人となりがわかるようで興味深かった。
現代アートは苦手と敬遠していたが、現代アート=抽象画というわけではなく、いいなと思う作品は多々あった。それでもやっぱり抽象画や前衛的過ぎる作品はわからない…。たとえば、私が紙なりカンヴァスに色を塗っただけ、あるいはそこに直線や曲線を描いただけで、それは私の今の心をぶつけたものです、と言ったらそれを受け止めてくれる人はいるのだろうか。残念ながら私には抽象画家あるいは前衛芸術家の心を受け止める感性がないようだ。
1906
年からの時間を辿っていくと、やはりどうしても戦争が画家たちに影を落している時代があるのは避けられない、ということを強く感じた。1918「叙情的爆発8番」(アルベルト・マニエッリ、油彩、カンヴァス)は抽象画であるにもかかわらず、戦争終結の喜びが強く感じ取れた。あらら、私にも受け止められる抽象画があったではないか‼ 
展示には絵画や彫刻だけでなく映像もあったが、長いので一部だけ見てパスした。中で「オルリーの飛行船格納庫」(建設工程の映像、1921-23年、35mm白黒サイレント)は興味深かった。吊上げや運搬にはクレーンなどの機械を使っているが、巨大建築にもかかわらずまだ手作業が多い感じだった。
1910
「眠れるミューズ」(コンスタンティン・ブランクーシ、ブロンズ)は具象とも抽象とも言い難い頬を台につけた卵形の頭部で、ぞくっとするほど美しかった。1920「女性の頭部」(アンリ・ローランス、テラコッタ)は面白い。キュビズムは絵画より彫刻で活きるような気がした。1955「リュクサンブール公園、初雪」(エドゥアール・ブーバ、ゼラチン・シルバー・プリント)は写真であるにもかかわらず絵みたい。モノクロなのに色を感じる不思議な印象を受けた。とても魅力的で好きだ。1974「墓地6番」(ジャン・オリヴィエ・ユクリュー、油彩、合板)は逆に写真か印刷物かと思った。色々な手法があって面白い。
知らない作家がいっぱいだが、有名な作家もいっぱい。個人的には好きなボナールが選ばれていたのが嬉しかった(1931「浴槽の裸婦」、油彩、カンヴァス)。
とにかくレベルの高い作品揃いで一見の価値ありです。
前日のルーヴルといい、あ~、パリに行きたくなってきたぁ!!

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2016年9月12日 (月)

漫画で見るルーヴルの魅力:「Louvre No.9」

96日 「LOUVRE No.9」(森アーツセンターギャラリ)
160912louvre_no9 同じ森アーツで今「ジブリの大博覧会」が行われており、そっちはすごい行列。平日午後でもチケット買うだけで30分待ち、休日なんか1時間待ちとか。
私が行った時は午前中でもあり、まだそこまでではなさそうだったが、チケット売り場は人で膨れ上がっていたし、レストランに長蛇の列ができていた。
それを横目に見て会場に入ると、オープニングスペースの壁一面に今回取り上げられた16人の漫画たちの作品がずらりと貼られて鑑賞者を迎えてくれる。ここは写真OK。例のごとくばかみたいに写真を160912louvre_no93 撮る私(コンデジが壊れてきれいに撮れないので最近スマホで撮るんだけど、カシャカシャうるさくて気が引ける)。しばらくすると、扉が開く。そこはオープニングシアターで、ルーヴルと漫画の関係を紹介する約3分の映像が流れる。それが終わるとスクリーンが観音開きの扉となって、展示会場へと誘われる(おお、い別世界へ足を踏み入れる期待感に盛り上がる)。
タイミングによってはすぐにシアターに案内されるかもしれないが、オープニングスペースとシアターには戻ってこれないので、壁の漫画はちゃんと見て撮影して、映像もちゃんと見たほうがいい。

さて、フランス人は日本の漫画が大好きであるが、もちろんフランスにも漫画(bande dessinéeBD)はあり、9番目の芸術とされているそうだ[フランスでの18番目の序列は、建築、彫刻、絵画、音楽、文学(詩)、演劇、映画、メディア芸術:諸説あり、だそう。文学(詩)ってどういうこと?]。ルーヴルではルーヴルを漫画で表現するという「ルーヴルBDプロジェクト」を発足させ、日本人ではジョジョで有名な荒木飛呂彦氏が「岸辺露伴ルーヴルへ行く」でその先陣を切った。私は2011年に「BDで楽しむルーヴル美術館展」を見ているが、そこで紹介されていた「氷河期」「ルーヴルの空の上」「レヴォリ美術館の地下」「奇数時間に」「岸辺露伴ルーヴルへ行く」が今回も展示されていた。
ルーヴルが認めた9番目の芸術、は日本の漫画とはかなり違う。その相違点を今回のキーワード「9」に絡めて紹介していた。BDの特徴(日本の漫画との違い)を挙げると、①フルカラー。②そのため画集用の紙を使っており重い。③A4サイズより少し大きくハードカバー(アルバムと呼ばれる典型的な単行本は50ページくらい)。④制作は11作程度。⑤115ユーロは当たり前(①~④が反映されている)。⑥描き下ろし単行本。⑦大型書店、専門書店で売られている。⑧リビングで椅子に座って読まれることが多い。⑨1コマ1コマがじっくり鑑賞の単位(漫画はコマ割りに読者の視線の流れを作る工夫が凝らされている)。
私もほんのわずかBDを持っているが、確かに…。
160912louvre_no92 このような外見上の違いもさることながら、一番大きな違いは、漫画はエンタテインメント性を重視しているが、BDにはそれはあまりなく、哲学的思想的な要素が強いということではないかと思う。セリフで語らせるから文字が多い(吹き出しはほとんど使わない)。それに絵もずいぶん違う。だから正直、前回の展覧会ではあまり魅力的に感じなかった。しかし今回、各BDの一部を翻訳付きで読んでみると、なかなか興味深い作品も多々あり、じっくり読むのも悪くないと認識を新たにした。おおむねではあるが、BDのほうはルーヴルに神秘性や異次元性を感じているところがあるように思った(ルーヴルの出発点が要塞であることにも関連しているのだろうか)。
16
の作品、ルーヴルの9つの名所などを見ていたら、モーレツにルーヴルに行きたくなった。そして、モーレツにサモトラケのニケに会いたくなった。
詳細は→ココで。

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2016年9月10日 (土)

迫力と知識が楽しい「海のハンター展」

92日 「海のハンター」(国立科学博物館)
160910aozame 夏休みが終わったので行ってきた。
科博の展覧会は、携わった科学者の自分が調べたこと、見つけたことをみんなに知らせたい、わかってほしいという熱意が感じられて、展示がわかりやすくてとても楽しい。写真
OKというのも嬉しいし(ばかみたいに写真撮ったから整理が大変だった)。
圧巻はやっぱりサメ‼
アオザメ(上の写真)、シロワニ、ホホジロザメ(下の写真)等々。中でもホホジロザメの初のホルマリン漬けはずいぶん話題になったし、今回の目玉である。
何もかも紹介したいけれどキリがないので、詳しくは→ココで(と丸投げ)。
海のハンターたちが捕食にさまざまなテクニックを使えば、弱い生物たちには「食べられないためのテクニック」があるというのが面白かった。小さな魚が大きな群れをなす(「弱い魚が協力して捕食 160910hohojirozame_2 者を避けているように見えるが、群れ自体は個体の利己的な行動の産物と言える」という解説は興味深い。つまり群れの中心にいれば襲われにくいという自己中心的な考えから群れができる、ということだそう。そうか、そんなこと考えたことなかった。)とか、粘液を出して捕食者を窒息させる(粘液は海水に触れるとゼリー状になって自分の数十倍にもふくらむそうだ)とか、寄らば大魚の陰とか、毒をもつとか。マンボウがやたら大きいのは、とくに頑丈な皮膚をもたないので、丸呑みされないためだとか。
ず~っと見てきて、最後にハッとさせられたのは、「ヒトも海のハンター」というコーナーである。それまで、海の生物どうしの食物連鎖を考えてきたのだ、ここへきて、そうだ、ヒトが一番危険なハンターなのかもしれないと気がつかされた。日本では海の資源を守るためにも養殖が研究されており、マグロやニホンウナギ、クエの完全養殖が成功している。成功に至るまでの研究者の苦労を思えば、また養殖とは言っても魚も命あるものだと思えば、大事にいただかなくてはいけないなあとあらためて心に刻んだ。

 

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2016年9月 8日 (木)

祝・喜多村緑郎襲名:九月新派公演

91日 九月新派特別公演初日昼の部(新橋演舞場)
やっと今月分。
市川月乃助改め二代目喜多村緑郎襲名披露公演の初日である。お祝いの意味も籠めて、また喜多村緑郎としての第一声を聞きたくて、昼の部を取った。とはいえ、席は3A席。1階、2階はいざ知らず、3階席はかなり空席が目立って驚いた。平日ではあるが、襲名公演としてはなんとも寂しい入りで、これでは緑郎さんも出演者もがっかりしているんじゃないだろうか。
「振袖纏」
物語として色々考えさせられた。老舗の質屋大黒屋の息子・芳次郎(松也)が家業を嫌って纏持ちに憧れ、家を飛び出して「ち組」にやっかいになっている。若旦那に戻ってきてほしい番頭・竹蔵(田口守)があの手この手で、とりあえず若旦那を連れ出すことに成功するが、途中で火消しの娘・お喜久(瀬戸摩純)が追いついてきて、芳次郎を取り戻す。と言っては言葉が悪いが、芳次郎とお喜久はお喜久の親も認める恋仲で、お喜久のおなかには芳次郎の子ができていたのだ。それを知らされた芳次郎は生涯実家には帰らない決意を固める。竹蔵は、子供が生まれたらその子を大黒屋でもらうという約束を取り付ける。そして1年後、生まれた男の子は芳次郎とお喜久の手で大黒屋の前に捨てられる。事前にそれを知らされていた竹蔵がすぐに赤ん坊を拾い、芳次郎の両親に事実を教えないで差し出す。でも、芳次郎の母親は赤ん坊の顔を見てすべてを察したのである。
と言うのが前半。そこだけで、親のエゴ、子供のエゴ、老舗を守らねばならない定め、等々考えさせられた。子供に家業を継がせたい親の気持ちはもっともだし、それに縛られたくない、自分の人生を歩みたい子供の気持ちもよくわかるし、それをエゴと言ってしまっていいのだろうか…。でも、生まれてきた赤ん坊が絡んでくると、どうなんだろう。そして後半、怪我で片目が見えなくなり纏をもてなくなった芳次郎には小頭への出世の道が開かれていたが、芳次郎はあくまで纏持ちに固執する。「纏に命を懸けている」と言う芳次郎だが、仕事に迷惑をかけることを考えないのか、なんか成長していないなあなんて思ってしまった。
一方、実家の親に顔ぐらい見せようとする芳次郎を何が何でも引き止めようとするお喜久は、おなかに赤ん坊がいるし、一度帰したらもう二度と自分のもとには戻ってこないかもしれないという不安はわかるけれど…。若さゆえのエゴか、いや一途と言うべきか。
竹蔵もお店を守りたい一心ではあるが、子供を質に取る(言葉は悪いが、そういうことでしょ)なんてやっぱりエゴじゃないか…。
でも、みんなエゴじゃないんだよね。それぞれがそれぞれの大事な人を守ろうとするあまりのことなんだよね。
親とお喜久の間で揺れ動き苦悩する芳次郎の松也さんは狸吉郎の時より好き。赤ん坊をおぶっている姿に、荒川の佐吉をやらせてみたいと思った。

瀬戸さんは芳次郎と一緒になりたい一心の女心と気の強さを好演。自分の産んだ子を手放す悲しみを乗り越える強さが切なかった。松也さんとのコンビもいい感じだった。
田口さんは、セリフの間がちょっと「あれ?」と思うようなところがあったが、そこは芸の年輪で押し切った感じ。
「ち組」の女房の春猿さんは、だいぶ新派に馴染んできた感じ。体の大きさが気にならなかったのは、火消しの男たちの中に混じっているせいか、あるいは頭が猿弥さんだったからか。それはともかく、鉄火肌な女がよく似合っていた。初孫を手放す心情は描かれていなかったけれど、義理を重んじる世界だろうから、何もかも呑みこんだのだろうか。
大事なラストにつながる火事のシーンは長かった。裏で火事場の騒ぎの声を聞かせながら幕が赤い炎を映しているだけで、ちょっと飽きた。初日ゆえ、中の準備に時間がかかっていたのかもしれない。
大人の思惑で、ほんとうの親ではなく祖父母を親として育つ子供が本当に幸せならいいんだけど(物語では愛情たっぷりにいい子に育てられていた)。子役が賢そうで可愛くて、ラストは泣けた。川口松太郎は、やっぱりどこかに泣ける場所を作るんだなあと思った。

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2016年9月 7日 (水)

8月分⑩:納涼歌舞伎第二部千穐楽

828日 納涼歌舞伎第二部千穐楽(歌舞伎座)
「東海道中膝栗毛」
初日以上に楽しかった‼ 「獅子王」をテレビで見たからっていうのもあるかもしれない。以下、思いつくままに箇条書きで。
・読売屋文春の弘太郎さんは「獅子王」でも狂言回し。エッジがきいていてうまい。ラップでの人物紹介も客席を乗らせてよかったし、その後の時事ネタをからませての進行も楽しめた(吹石一恵さんの妊娠は速報だと思ったけど、へ~と驚いたのは私1人みたいだった。みんな知ってたのか)。
・私のツボ2点。
1
つは、旅の親子連れ。第5場「東海道中の場」で初めて登場するが、茶店の前ででんでん太鼓で宣伝する飴売りを見て喜び飴を欲しがる子、親にダメと叱られて悲しそうな顔に変わりガクっと頭を垂れる。これが第6場「箱根旅籠五日月屋の場」の五日月屋の前、第13場「伊勢神宮おはらい町の場」の山鯨屋の前と、3回繰り返されるのだ。心中大ウケ。子供が何ともユーモラスでうまい、と思ったら猿クンだった。「荒川の佐吉」で卯之吉を好演した猿クン、ここでもうまい‼
もう1つはアラブの石油王・門之助さん。思いっきり似合っていた‼ このままアラブに行っても絶対間違われる。
・ラスベガスの獅童さん、やたらはねてやたら頭を振るのは千穐楽バージョン?(初日もそうだったっけ?) めちゃくちゃテンションが高くて、最後は獅子の毛振り風に頭を振って大ウケ。これも「獅子王」放送後だから? 
・五日月屋での弥次喜多の変名は舛田添門之丞、野村泣左衛門‼ 舛田はともかく、野村は音だけではピンとこず、筋書きを見てウケた。
・伊勢神宮で猿之助さんがひっくり返って團子クンの足にしがみついていた場面で、猿之助さんが何か仕掛けたらしく團子クンが必死で笑いをこらえていた。
・ラスベガスや、ラストの花火はプロジェクションマッピングを使ってダイナミック。とくにベガスは雰囲気を盛り上げた。
・弥次喜多と相長屋の駕籠かきの名前が権十と助三。これも筋書き見てわかった。当然、第一部の演目に絡めたんだろうが、思わずニヤリとしたくなる。
・梵太郎、政之助の名前も演じている本人の名前に絡めてるよね。
・團子クンが主君を守り通そうとする気持ちをずっと持ち続けているのがいい。コミカルに走る姿は金太郎クンのほうが少しうまいかな。
・大家の金を盗って逃げ回り、あちこちで湯水のように使うなんて、本当はいけないことなのに、そう感じない。むしろ痛快なのは、大家に対する庶民の感覚に共感するからかもしれない(でもこの大家さん、金をためてがめつそうではあるけれど、そんな悪い人には見えなかった)。
・ドタバタでも<歌舞伎>をはずしていないから、はちゃめちゃなラスベガスの場面も安っぽさや下品さがない。ただ楽しくて笑えた。
・染五郎さんの宙乗りでの回転は後転だった。初日もそうだったっけ。後転はけっこう怖い気がするけど…。宙乗りがよく見える席を頑張って取った甲斐があった。幸せ。
「紅翫」
わかったところとわからないところと…。でも初日よりは江戸の風情も踊りも楽しめた。国生クンに貫録が出てきてちょっと驚いた。もうすぐ橋之助だものね。

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2016年9月 6日 (火)

8月分⑨:狸御殿

824日 「狸御殿」千穐楽(新橋演舞場)
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年前に見た藤山直美×澤瀉屋バージョンのインパクトが強すぎて、「狸御殿」には色々なバリエーションがあるってわかってはいても、ついついあの面白さを求めてしまう。そういう視点から見ると今回のはちょっと…ドタバタ喜劇なのかラブロマンスなのか、その両方か…、う~ん、私にはあまり合わなかったと言わざるを得ない。ただ、これはあくまで好みの問題なので…。
物語は前半シンデレラ、後半白雪姫だが、無国籍、時代不詳。それは全然かまわないし、その面白さもあった。しかし私が一番ひっかかったのは語り部(花緑)である。幕開けは上手山台で義太夫風に始めていたのを突然やめて立ち上がって客席へ向かってお喋り。山台うしろの幕には狸のシルエットが描かれていて、語り部の存在と相俟ってそれなりにメルヘン効果があったんだけどな。第1部で語り部がきぬたを狸御殿に向かわせるために時間を戻したり、泥右衛門たちを動かしたり、本人も言っていたが登場人物と喋ったりと、物語に介入するのはなんかご都合主義だなあと思ってしまった。また、幕内の場面転換の間の芝居でドタバタしすぎるのは興をそいだ。
2部は語り部がカッパになったこともあって(ついに物語の中のキャラになってしまった)、第1部のようなことは少なくなり面白みが増した。
登場キャラ(人物って言ってもいいんだけど、一応人間じゃないようだから)で私が一番いいと思ったのは悪役・十六夜姫。翠千賀さんはさすがにオペラ歌手だけあって、歌には聞き惚れた。嘲笑いの声に少し品が欠けるのが気になったけど、こういうお芝居の場合は姫の「実は」キャラを強調する上でいいのかもしれない(歌舞伎はそういう時でも品を落さないから、つい気になってしまった)。歌舞伎じゃないんだから、とはわかっていながら、松也、徳松、國矢と歌舞伎役者が3人出ているし、歌舞伎的な要素も時々見られるし…。
もう1人の歌姫、白木蓮の城南海さんも清らかで力強い歌声、凛とした姿がカッコよかった。
きららの方(狸吉郎の母)の渡辺えりさんは、この前演舞場で見た「有頂天旅館」よりもよかった。歌もうまい。三越劇場で「愛唱歌」をやったのも頷ける。ミュージカルナンバーはどれもよく、とくにえりさんの歌う「♪18歳の時は♪」(「思い出のデュエット」かな??)は好き。日本語のミュージカルをもっと見たいと思ったほど。
主演の松也さんは、役のニンにぴったり。歌もうまいし、狸の王子としての華もある。母親や強い女(十六夜姫)に逆らえない弱さや繊細さもよかった。
瀧本美織さん(きぬた)は芯の強さと可憐さに加え、時にはコミカルな演技もあって、なかなか頑張っていた。
徳松さん(泥右衛門の子分)が楽しそうでうれしかった。カールおじさんみたいに口のまわりが濃いヒゲで覆われた典型的な山賊顔。女優になりたかった徳松さんはこんな化粧どうだったんだろうと心配したけれど、思いがけないラストが待っていて、大ウケした。國矢さん(同じく泥右衛門の子分)は元女方の役者(だった?)で、やっぱり絵になる。2人とももうちょっとその個性を活かせる場面が多いとよかったのだけど…。
シンデレラ風の前半、意地悪だった継母(あめくみちこ)と義理の姉たち(大地洋輔、土屋祐壱)は後半いつの間にか意地悪がどこかへいってしまっていたけど、どうしたんだろう。

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2016年9月 5日 (月)

8月分⑧:第2回双蝶会

824日 第2回双蝶会(国立劇場小劇場)
先日の合同公演の時にも書いたが、若手の勉強会は楷書で丁寧に演じられるのが清々しく、見る側としても勉強になる。今年は「菅原伝授手習鑑」から「車引」と「寺子屋」。
「車引」
梅王丸の種之助クンは小柄ながら骨太で稚気たっぷり、時平に対する怒りが伝わってきた。「存分言おうじゃあんめえか」のセリフで両脚をつけたまま伸ばして腕を振り上げ、しばらくそのままの姿勢でいた時はハラハラしたがよく踏みこたえた。種之助クンは決めの形がきれい。小劇場だからか、やたら声が大きいのがやや気になったが(しかもちょっと割れていたのが惜しい)、荒事の魅力を楽しめた。種之助クンの良し悪しというのではなく、梅王丸は難しい役なんだなとちょっと思った。
梅丸クンは女方がやる立役ではなく、女方と立役両方のいいところをミックスした感じだった。悲しげな雰囲気が漂っていて、セリフにあるとはいえ「賀の祝」の悲劇が予感される。これから持ち役にしてほしい。
歌昇さんにはさすがに一段上の大きさがあった。松王丸の化粧って、顔をとりわけ目立たせるような気がする。
全体に「青い」印象。悪い意味ではない。いい感じの青さだった。
「寺子屋」
種之助クンの武部源蔵は若すぎてどうかなと思ったが、意外に違和感がなかった。姿も声もおとうさんにそっくり。
米吉クンの戸浪はやることが多くて手一杯な感じを受けた。線香台を各々に差し出す仕草にもう少し丁寧さがみられるといいと思った。
歌昇さんの松王は千代への愛情、思いやりが濃く出ていて、小太郎を含めた松王丸一家の生活というものを強く感じた(そんな印象を受けたのは初めて)。それだけに小太郎を犠牲にする親の心情が胸に迫った。声も太くてよかった。
春藤玄蕃(蝶十郎)に菅秀才の首を早く差し出すよう迫られてからの切迫した場面は期待したより緊迫感がなく、それゆえ首実検が無事に終わった後の源蔵夫婦のがくっとくるほどの安堵がいまいち感じられなかった。
しかし、千代が現れると、源蔵とのやりとりにぐっと緊迫感が漂った。梅枝クンの千代は別格だ。悲しみの姿も義太夫にのって美しかった。
まだまだ課題は一杯だろうが、全体に基本に則って丁寧に演じているのがいい。それだけでも伝わるところは伝わってくるし(多少不足な点があったとしても)、一生懸命播磨屋の芸に打ち込んでいる姿に感動を覚えた。
<上演時間>13001528

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2016年9月 4日 (日)

8月分⑦:第22回稚魚の会歌舞伎会合同公演

821日 第22回稚魚の会歌舞伎会合同公演(国立劇場小劇場)
最近、暑い夏に行われる色々な勉強会を見る気力・体力がなくなってきて、合同公演も悩んだのだけど、やっぱりこれは見ないわけにはいかない。勉強会では、楷書で丁寧に演じられるので、見る側としても勉強になる。
「寿式三番叟」
厳粛な始まり。翁の吉兵衛さん、千歳の音近さん、梅寿さんはさぞ緊張したと思うが、粛々ときっちり仕事をしていた。いや、演じるという仕事ではなく、その場を清めるという仕事で、清々しく感じた。とくに梅寿さんの品がよく舞いもうまいと思った。三番叟は蔦之助さんとベテラン又之助さん。蔦之助さんはさすがに形がきれいで本当に踊りがうまい。又之助さんの踊りはほとんど初めて見る。若い蔦之助さんに負けず頑張っていたのが印象的だった。ただ、2人がちょっとばらばらに踊っているかなという気もした。なお、合同公演には芸歴30年以下という規定があり、又之助さんは今回が最後の出演だそうだ。
「寿曽我対面」
最初に登場する並び大名は22期研修生の6人。研修生はだいたい2年に1回、並び大名などの役で登場するが、鬘と衣裳が馴染んでいないのが初々しい。でも声とセリフがしっかりしている研修生も何人かいて感心した。この研修生たちが修了後は誰かの弟子となって本格的に活動するわけだが、その頃にはもうすっかり舞台に馴染んでいるように見える。合同公演でプログラムに顔写真を入れてくれれば、あああの子がこの役者さんになったのね、と後で感慨を覚えるのに。顔写真はぜひ、入れてほしい。
工藤祐経の喜之助さんは堂々とした大きさがあって見事だった。
小林妹舞鶴の春之助には一日の長があった。
五郎の新次さんは稚気たっぷりでよかった。音蔵さんの十郎ともども年齢相応の若さが兄弟の心を表しているように感じた。音蔵さんは、いつだったか国立の研修発表会以来、そのうまさに注目している役者さんである。
鬼王新左衛門の音之助さんの存在感はさすが。
「女車引」
多分初めて見る「女車引」を京妙、鴈之助、京蔵という、嬉しいベテラン揃いで、「なぜ?」と思ったら、国立劇場開場50周年記念狂言だからということらしい。
3
人ともさすがの芸歴、年輪の違いを見せてくれた。フレッシュな若手もいいけれど、こういうのを見ると、やはり歌舞伎の奥深さを思い知らされる。

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2016年9月 3日 (土)

8月分⑥:ルノアール~ヴェネツィア・ルネサンス

816日 「ルノアール展」~「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」(新国立美術館)
またまた、忘れてました(実は、7月分でもう一つ忘れていた美術展があるが、それはずっと後で)。
「ルノアール展」
けっこう混んでいるとのことで迷ったけれど、チケットもってるから…。
日本人ってほんと、ルノアール好きよね~。
目玉は、「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」と「浴女たち」が初来日、「田舎のダンス」と「都会のダンス」が45年ぶりに揃って来日、「ピアノを弾く少女たち」とその周辺、というところだろうが、あまりにも有名な絵だから、初来日とか45年ぶりとか言われても、そうなの?程度の感想しかない。とっくに見たような気になっているだけなんだけど、それだけルノアールはよく知られているということをあらためて認識した。
たしかに実際に見ると、いいなあと思う。思うけど、やっぱり少し食傷気味か…なんというもったいないことを言うのだ。
展示作品はルノアールだけではなく、ゴッホ、モリゾ、コローなどもある。中でティソの「夜会あるいは舞踏会」が気に入った。単純にきれい、というだけで。
とまあ、混んでることもあって(開館の10時ちょうどに着いたのに入口、もう行列。5分で入れたけど、ちょっと挫けた。でも出てくる時にはもう行列はなかった。な~んだ。前日の15時頃は20分待ちだったって)、さらっと流して出た。
目玉の「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は特別にコースが作ってあって、「目の前で見たい人は立ち止まらずに見てください」。そうでない人は2列目からじっくり見られる。印象派の絵なんて間近で見るより少し距離を置いたほうがいいと思ってるし、立ち止まらないで見るなんてつまらないし、何のかんのと言いながら、2列目でちゃんと見ちゃった。やっぱりちゃんと見ると、雰囲気とか伝わってきてよかったな。
全体に、ルノアールの絵には<生活>があるような気がして親しみを感じる。だから人気があるのかも。それは風景画でもそうで、そこを人が歩いているという空気が感じられる。好きなのは「草原の坂道」。実際に人が歩いている絵ではあるけれど、そこは私も歩いてみたい‼のだ。
「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」
こちらは始まったばかりのせいか、すいていてゆ~っくり見ることができた。素晴らしくよかったです‼ 1人でゆっくり鑑賞の美術展はメモることもできるのです。久しぶりに11点の感想をメモの中からかいつまんで。
Ⅰ章「ルネサンスの黎明―15世紀の画家たち」とⅡ章「黄金時代の幕開け―ティツィアーノとその周辺」は展示室の壁が落ち着いた赤で、これがとても効いている。実際とはもちろん違うのだろうが聖堂の厳かな雰囲気の中で絵画を鑑賞することができた。
Ⅰ章
ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子(赤い智天使の聖母)」
1485-90)は、赤い6人の智天使(天使って「人」って数えるのかな)が顔と翼だけ上方に見えて、ちょっとこわかった。ラザアロ・バスティアーニ「聖ヒエロニムスの葬儀」1470-80)は画面中央下~右下にヒエロニムスが横たわっていて、厳かな気分になった。直線的な絵で、周囲に立つ聖職者たちも直線的。カルロ・クリヴェッリ「福者ヤコポ・デッラ・マルカ」1480-90)は硬質な線描で描写が細密。同じ画家の「聖セバスティアヌス」1480-90)と中央を向くように左右に配置されていた。聖セバスティアヌス――「椿説弓張月」ですわ…。アントニオ・デ・サリバ「受胎告知の聖母」は、バックの黒が活きて、光の描写がよかった。受胎告知をする大天使は描かれず、マリアの前にいる鑑賞者が大天使の役割をするのだとか。そう言われるとまたまた厳かな気分になる。
Ⅱ章

ボニファーチョ・ヴェロネーゼ「父なる神のサン・マルコ広場への顕現」(「受胎告知」三連画より)(
1543-53)は、神はダイナミックに、下の町は繊細に描かれている。三連画というのは、右にマリア、左に大天使で、中央がこの絵。ドラマチックな印象を受けた。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「受胎告知」
1563-65頃)‼ これがこの展覧会の目玉。なにより展示法がいい。1つの部屋にデンと展示されていて、圧倒される。壁の赤、絵の上方から注ぐ光――聖堂で跪いて見ている感覚に陥る。写真で見た実際の聖堂での展示は全然そういう感じじゃなくて、もちろん現地に行けば違う印象を受けるのだろうけど、こっちの方が断然いいなと思った。絵のドラマ性とぴったり合う展示だ。その反対側に相対してかかっているのが同じティツィアーノの「聖母子(アルベルティーニの聖母)」1560頃)で、この展示もよかった。マリアの悲しげな表情、垂れた幼子の右腕が悲劇を予感させる。2つの絵の間の空間が、受胎告知からキリストの最期(予感)までをじっくり辿らせる感じ。


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2016年9月 2日 (金)

8月分⑤:妖怪~鉄舟~抱え相撲~写し絵

818日 「大妖怪展」~「伊藤晴雨幽霊画展」~「山岡鉄舟と江戸無血開城」(江戸博物館)~「抱え相撲の世界」(相撲博物館)~映像「写し絵」(江戸博物館)
「大妖怪展」
160902yokai 妖怪は3年前の8月に三井記念美術館での「大妖怪展」(江戸博とタイトルも同じだ)、去年9月「うらめしや~ 冥途のみやげ展」(芸大美術館)を見たので、今回はパスするつもりだったが、あまりに好評のようなので、やや駆け込みで行ってきた(チケット行列を避けてネットで購入して正解)。副題が三井は「鬼と妖怪そしてゲゲゲ」、江戸博は「土偶から妖怪ウォッチまで」なのがなんか微妙に面白い。会期によって展示作品が違うため、見逃して残念というものもあったが(2~3度行くべきだったな)、それらの作品に劣らずいい作品が見られたからまあいいか。
中心になるのは錦絵の妖怪だろうが、おなじみの国芳を見るとなんかほっとする(「相馬の古内裏」は何回見ただろうか。でも何回見ても嬉しくなる)。
「百鬼夜行絵巻」(伝土佐光信、真珠庵本)や「付喪神絵巻」(岐阜県崇福寺)、「法具変妖之図」(白隠)を見たら、なぜか「質庫魂入替」を思い出してしまった。
「稲生物怪録絵巻」は、30日間違う妖怪が現れても平然としていたという稲生平太郎の実体験をもとにした絵巻で、物語としても絵としても面白く、痛快でもある。

「針聞書」(茨木元行)、「姫国山海録」(南山)は、体の中にいる虫たちや全国の妖怪を集めたもので、絵が可愛い。長くなるので少ししか触れないが、妖怪たち(幽霊は妖怪とはちょっと違う気もするが、それも含めて)が日本人が古くから抱いてきた異界への恐れや不安感を表していることがわかるし(「六道絵」は妖怪とはちょっと違うものの、もろに地獄への恐れである)、生活に深く結びついていることから妖怪を身近なものとして受け止めていたこともわかる。土偶まで妖怪としたのは、そういう考えからなんだろうなと思った。
「伊藤晴雨幽霊画展」
伊藤晴雨は知らなかったし、評価もさほど高くないらしい。しかしジブリの鈴木敏夫さんの目には魅力的に映った、ぜひ世間の評価をひっくり返したいということで、この企画展が実現したそうだ。作品は全生庵の小さんコレクション。
きれいで悲しげな幽霊だと思った。とくに「怪談牡丹燈籠」「皿屋敷のお菊」「瀧夜叉姫」「茨木童子」「真景累ケ淵」は興味深く見た。
晴雨の作品は幽霊画だけでなく、東京の風俗を描いた絵なんかも紹介されていた。
妖怪展は終わってしまったけれど、こちらは常設展会場で925日までやっています。
「山岡鉄舟と江戸無血開城」
どうしたって「将軍江戸を去る」を意識しながら見るよね。
展示物は全生庵と江戸博の所蔵品。
鉄舟の胆力がすべてというわけではもちろんないけれど、江戸を火の海にしなかったその尽力を思うと、生い立ちも興味深いものであった。
山本海苔の「無双佳品」、銀座「木村家」の看板が鉄舟の揮毫とは知らなかった。驚いた。今度、心して見よう。こちらも伊藤晴雨の隣で25日まで。

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