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2016年11月

2016年11月30日 (水)

襲名2人のギャラリートーク:梅花丈、吉之丞丈

歌舞伎美人でレポが出るのを待っていたのだけど、出そうもないので。

1121日 歌舞伎夜話「中村梅花丈・中村吉之丞丈」(歌舞伎座ギャラリー)
この秋、それぞれ四代目梅花・三代目吉之丞を襲名されたお2人の珍しいトーク、それに吉之丞さんは先代も当代も大好きなので、チケット発売と同時に即取った。
司会はいつものように戸部さん。こちらもいつものように、うまく聞き取れなかったところもあり(とくに梅花さんのお話はどんどん進むのでついていけないところもあり)、間違っていたらごめんなさい(ところどころ敬称略です)。
登場したお2人、椅子の高さに驚いているようで梅花さんは「すごいな」と苦笑しながら腰かけた。服装が全く同じで、「まるかぶり」と梅花さんもテレ笑い。襲名後だからと戸部さん。
●まずは襲名しての心境を。
吉之丞(以下、吉):吉之丞は弟子の名前で、初代は大番頭だった。2代目は女方だが立役のことも全部知っていて、子供の頃から世話になった。大きな名前を汚さないように精進する。
戸部(以下、戸):緊張してる?
吉:僕、こういうところ全然ダメなんで、緊張しています。(と、椅子を1回降り、腰かけ直す)。
梅花(以下、梅):(心境は吉と)ほぼ同じ。先代吉之丞も梅花をついこの間までいらした方。2人で顔を見合わせて「吉之丞さんと梅花さんになるんだね~。いいのかなあ」と言っていた。初代梅花は大番頭というよりは先生。なんでも知っていた。あの頭脳をそのまま移植してもらいたい。
私が入った時は先代も舞台に出ていたが、その後出なくなった。先代には女方はみんな世話になっている。先代の子役時代の名前が芝喜松だったご縁だし、大きな名前を途絶えさせたくない。
吉:歌昇さんたちに旦那の芸はこうだと伝えるのが僕の役目。
梅:とても先代のようなことはできないので、私は違うスタンスで。女方は前半先代梅花に、後半は先代吉之丞に教わった。
吉:先代は女方だが、「石切」の大名などもやっていたので立役も教わった。
●どうして歌舞伎に入ったのか。
吉:最初は児童劇団に入っていた。小学校の同級生が入っていて、たまたま新聞にその劇団の広告が載っていた。友人に「あ、これ俺が入ってる劇団。お前も入れよ」と言われて、入った。劇団でも引っ込み思案なので出演はテレビのエキストラ程度。オーディションもよく落ちた。ある時、音羽先生の歌舞伎のオーディションがあった。児童劇団は自主公演をしていて、残っているのはカスばかり。オーディションでぼそぼそ喋っていたら、「もっと大きな声が出るでしょ」と言われ、大きな声を出したら合格した。お客さんの反応がわかる舞台は楽しかった。とくに歌舞伎は面白かった。旦那の舞台に出た。怒られる役ですごくこわかったが、舞台を降りると優しい。音羽先生からこの先どうするのかきかれ、歌舞伎に入りたい、吉右衛門さんのところに入りたいと言ったら、先生が旦那に話してくれた。
梅:音羽先生、怖かった。飴とムチ…飴はほとんどない。
吉:飴はあった。遊びに連れて行ってくれたり、先生の自宅に呼んでくれたり。猿弥クンとも遊んだ。猿弥クンが部屋子になった年が僕の初舞台。
梅:演劇に興味があった。面白くない芝居ばかりやっていた(なんとかという)劇団で猿の役をやった。猿がうまかったマルセ太郎(「猿そのものだったわよ」)のところへ行って直接教わった。でも、この人がお金を稼ぐために作った芸をただでもらうのはイヤだという気持ち(青年らしい潔癖さ)があった。安い月謝で歌舞伎が学べる国立劇場の研修所があることを知り、研修生になった。女方になったのは体がきゃしゃなせいもある。歌右衛門さんに質問されてごちゃごちゃ答えてたら、次の小三郎さんも同じ質問をされて「きれいだからです」と。私が色々言ったからもう疲れてたんじゃない?
吉:中2だったので先代は親みたい。甘えていた。本当の親みたいに甘えっぱなしで、(何も恩返しをしていないで)後悔している。
梅:旦那は怒る、怖い。拵えの時、旦那の周りはきびしさの中に楽しさ。福助さんの周りは楽しさの中にきびしさ。
●「七段目」の見立てについて
吉:梅花さんの見立てで忘れられないのは、太鼓持ちを56人寝かせた餃子の見立て。
梅:これは新蔵さんのパクリなの。新蔵さん来月いないならやってもいい?ってことで(本人がいない時じゃないとね)。
吉:僕、餃子やりました。
梅:見立ての名作は「武豊」。
吉:マグロの刺身の見立てをした。自分が作ったんじゃないけど。(どちらも、何をどうしてその見立てにしたのか、聞き取れなかった)。
梅:鯉紅さん。ネタをやる前に立ちあがるだけでウケる。変なことをやると由良之助が「なにぃ?」って。
2人とも参加したアメリカ公演(平成26月~7月)の話
吉:ディズニーランドへ旦那とそのほかの何人かで行った。この時はディズニーランド組とユニバーサルスタジオ組に分かれた(梅花さんはユニバーサルスタジオ組)。現地では個人行動だったが、旦那に「吉男(当時の名前)、行くぞ」と言われ、一緒に行動した。なるべく日本にないものをと選んで、そのうちの1つボブスレーをやった(今は日本にもあるらしい)。旦那が後ろ、僕が前でダ~~ッと降りてくる。集合時間ぎりぎりまで遊んで帰ろうとすると、「お土産買わなくていいのか」と旦那が言う。それで買わせてもらったが、その間旦那は店の前で待っていてくれた。当然集合時間には遅刻。旦那が一緒だからみんな何も言えない。後で「おまえ、きったねえな」とみんなに言われた。
梅:吉右衛門が千穐楽にみんなを集めて「つらくてきつい公演だったと言え」。バブルの頃で2カ月公演だった。日本人を初めて見るような過疎地をまわった。うさんくさく見られないように「KABUKI」と書いてある札を下げて歩いた。僕はどこでも入れたが、他の人たちは…。
吉:ID出せと言われる。身分証明と言っても…そこで日本の免許証をみせて、何とか押し切った。
梅:吉之丞さんは割と言いたいことが通じていた。
吉:旦那は広いスイートなのでみんなでパーティをしたり。
梅:町中じゃないんで、夜、人がいない。
吉:スーパーで食材を買ってきて。
●演目は
梅:吉右衛門と児太郎(現・福助)の「鳴神」と宗十郎の「於染久松」(?)。
吉:「身替座禅」の小枝をやった。
梅:私は「鳴神」の後見だけ。つらくて…。

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2016年11月29日 (火)

眠すぎて…11月歌舞伎座昼の部

1121日 十一月顔見世大歌舞伎昼の部(歌舞伎座)
161129iwaimaku なんだか眠くて眠くての1日だった。申し訳ないながら色々やることがあって、朝一番の「四季三葉草」はパスしたのだが、次の演目開演が1136じゃ、あまり時間がなくて。以下、とにかく眠かったので、本来なら出さないほうがましな感想にもならない感想だが、自分の記憶として残すために。
「毛抜」
座席が久ぶりに32列目のせいか(いつもは最後列)、舞台の声がやけに大きく聞こえた。
染五郎さんは大きく見せようとして力み過ぎなきらいがあった。また弾正のちょっとエッチな面を見せようとしていたが、爽やかさは隠せない。染五郎さんがもっと年をとったらしっくりくるかも。「毛抜と小柄は踊る。煙管は踊らぬ」のところはドラマチックに盛り上げていて、大変面白かった。
亀鶴さんは声よくセリフがはっきりしていて、コミカルなメリハリが客の笑いを呼んでいた。
「祝勢揃壽連獅子」
子供たちの身長が揃っているように見えるなあというのが第一印象。そして当然ながら、歌舞伎の空気感、雰囲気として新・橋之助クンに一日の長あり。動きが自然で踊りも3人の中では一番大きく力強く見えた。舞台が役者を作るというのは本当だとこれまでも実感してきたが、福之助、歌之助の2人にもいずれそういう日がくるのだろう。
間狂言は中抜け…萬太郎クン・右近クンだ、藤十郎さんだ…気が付くと仁左様がやや高い声でセリフを言っていた。間狂言もお目当てだったのに…。
兄弟3人の獅子が後ろ向きで花道を一度引っこむのはさぞ難しいだろうと思ったが、私の席からはあまりよく見えなかった。あとは勇壮な毛振りを楽しんだ。
「加賀鳶」
前半は黒御簾の音にセリフがややかき消されるような感じがした(最近、耳が悪くなっている…)。歌舞伎役者の火消し姿はカッコいいなあとほれぼれする。
序幕・二幕目は一応見た。三幕目の菊坂盲長屋は前半だけでダウン。竹町質見世と大詰はほぼ大丈夫。やはり筆跡鑑定のところが面白い。そして松蔵が煙草入れで道玄を追い詰める場面はスカッとした。けれど、十両やっちゃうのかぁ。松蔵、大人だな。という松蔵の梅玉さんがカッコいい。幸四郎さんのこういう悪役にもやっと慣れてきて、面白いと思えるようになってきた。秀太郎さんのお兼がぴったり。秀太郎さんは懐の深い大店の女将もいいけれど、じゃらじゃら感(じゃらじゃらという感覚は秀太郎さんのためにあるみたいな気がするほど)がこの悪役にもよく合っていた。
<上演時間>「四季三葉草」21分(11001121)、幕間15分、「毛抜」59分(11361235)、幕間30分、「連獅子」53分(13051358)、幕間25分、「加賀鳶」90分(14231553

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2016年11月28日 (月)

同感同感

また、大相撲の話です。
栃ノ心の太もも、私は以前から取組を見るたび毎日のように、「栃ノ心の太ももの太さは半端じゃない。絶対太い。一番太い」と繰り返していた。そうしたら、九州場所千秋楽に栃ノ心と対戦した石浦について「仕切ってて恐ろしかったと思うよ。そばで見てるとすごい体しているもの。居間で見ててもこわい」と北の富士さんが言い、それを引き取って舞の海さんが「映像じゃわかりにくいかもしれないけれど、お尻から太ももにかけての太さは驚異的」と言ったから、そうだそうだ、やっと栃ノ心の太ももの話が出た、と快哉。太ももの太い力士はもちろんほかにもいるんだけど、栃ノ心は全体的なバランスとしてお尻から太ももが本当に太いのよ、それも肉がぎっしりって感じ。栃ノ心は怪我で幕下まで落ちて、這い上がってきたので応援している。今場所は10勝5敗といい成績でよかった。

いつになったら本当の力が発揮されるのか、それともあれは幻だったかの逸ノ城。ウエイトトレーニングで胸の筋肉をつけたいと言っているという本人について北の富士さんが「ウエイトトレーニングもいいけど、もっとシコを踏んでぶつかり稽古をして」と色々苦言を呈していると、アナウンサーが「大器なだけにね」。すると北の富士さん「そうですよ、どうしてくれるんですか。今ごろは横綱になっていなければおかしいんだから」って。そうだそうだ、私だってあんなに期待して、しかも川口に部屋があるんだから、よっぽど後援会に入っちゃおうかと思ったほど。ほんと、どうしてくれるのよ、って感じ。

14日目、館内が凍りつくようなことがあった。英乃海が琴勇輝の一撃で土俵に落ち、うつぶせになったまま起き上がれなくなってしまった。何とか車椅子で退場したが、脳震盪を起こしたのは心配なことだ(脳震盪って、ほんと危険らしいよ)。千穐楽に北の富士さんが「顎を上げて相撲を取るので心配していた」と言っていたが、実際10日目の解説で英乃海について顎を上げ過ぎだと(「ほとんど毎日天井向いて相撲取ってる」)と注意したばかりだったのだ。まさに北の富士さんの心配が当たってしまった。「僕も経験あるからよおくわかるんだ」と言った途端アナウンサーが「福の花から一発くらったことがある」。NHKのアナウンサーって、すぐにデータが出てくるし(これって、事前の打合せかなんかでその話が出たんだろうか)、決まり手もすぐに言えるし、すごい。

5日目の千代翔馬と荒鷲の対戦。北の富士さんが「この2人よく似てるからどっちがどっちかわからなくなる」と言っていたけど、私もずっとそう思っていたから、イェイ。でも、今場所後半、やっと2人の区別がつくようになってきた。私は以前、峰崎親方夫人が「この子は本当に性格のいい子。優しい」と言っていたのを聞いて以来、荒鷲に注目しつつ応援もしていた。優しい性格が裏目に出るのかあまり成績がぱっとしなかったが、今場所は11勝をあげたからよかった。もっとも10日目、貴ノ岩戦で立ち合い変化して勝ち越したのは感心しない(しかも、最初から狙っていたというから、なおさら)。北の富士さんも変化については厳しい指摘をしていた。「千代の富士も北勝海も変化したのを見たことがない。したい時もあっただろうに。それを僕はちょっと誇りに思ってるんですよ」という北の富士さんの言葉に感動しつつ、大きく頷いたのであった。

そして高安が
今場所負け越したことについては、他の解説も指摘しているが、体を大きくし過ぎたのが原因だと言い、「余計な体重はいらない。みんな、体が大きくなれば当たりが強くなって相撲が強くなると思い込んでいるフシがある。過去の名横綱・名力士の多くは中くらいからちょっと上くらい。相撲には取り頃というものがある。大きければいいという妄想にとりつかれてはだめ」。これにも同感だ。体が大きすぎると怪我も増えるリスクがあるもの。

相撲が終わって寂しくもあり、ほっとしてもおり。 横綱鶴竜の優勝は、先場所の豪栄道同様、怪我の苦しみを乗り越えたことを思い、本当におめでとう‼︎

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2016年11月27日 (日)

2月歌舞伎座演目発表

最近、ちょっと懸念事項があって、気持ちがなかなかこっちにこないでいたら、2月歌舞伎座の演目が発表になっていた→ココ
昼の部は自信がないから(今月も寝に行ったみたいだった。それもあって、感想がまだ書けない)夜だけにしようかと思ったが、「大商蛭子島」は見たことないから見たいし…(「四千両小判梅葉」は、アレだよね。やっぱり菊五郎・時蔵夫婦で以前に見た。けっこう覚えてるかも)。一幕見で、って言っても絶対行かないと思うし…。
ま、いずれにしても「桃太郎」は楽しみだ。

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2016年11月22日 (火)

微妙な気持ち

今日は演舞場来年1月の発売日。どんなにか争奪戦きびしいかと昨夜から胸がドキドキしていたところへ今朝の揺れ。
すぐにテレビをつけたら、津波警報。「すぐに逃げてください。東日本大震災のことを思い出してください」という緊迫したアナウンサーの声。
途端、あの日の記憶が鮮明に蘇ってきて、体が震え、逆に動けなくなってしまった。うちの揺れは強めの震度3くらいな感じだったのに…。東北の方たちはどんなにかこわい思いをしているだろうと思ったら、チケットへの意欲が急に低下してしまった。
なんとか気持ちを奮い立たせて、Web松竹へ。意外にもすんなり取れてしまった。でもねえ、気持ちは重いよ。せっかく東北も元気になり始めてるんだし、前を向かなくちゃいけないんだけどね。

ニュージーランド、スーパームーン、信じてしまう。

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2016年11月20日 (日)

やっぱりラジオが面白い

北の富士さんの相撲解説のことです。
今日、九州場所中日はテレビ解説かと思ったらラジオ。テレビは録画できるけど、ラジオはずっとついてなくちゃならない。それに、時々交通情報が入る。リスナーは相撲ファンばかりじゃないし、車に乗っていれば交通情報は大事だからそれは当然だけど、せっかく面白い話の時になあ、と歯がゆい思いをすることもある。
そのひとつが、勢 vs千代の国。交通情報の後、「反射神経」とか北の富士(以下、敬称略)が言っているのが聞こえて「それを見ている北の富士さんもすごい」と沢田石アナが驚くと「いやいや退屈だから。そう見えただけで俺の話は本当かどうかわからない」。どうやら、勢の歯が折れたことについての話らしいが、詳細はわからない。最後は北の富士が「はは~、なんて」。後で録画を見たら、確かに勢の歯が折れたようで、自分で口の中から取り出していた。
今日も、面白い話がたくさんあるんだけど、そのうちのいくつかを。
北勝富士の四股名が師匠の北勝と北の富士の富士をもらったことについて(このこと、しょっちゅう触れられる。北の富士解説の時にはとくに)。「後から聞いたんだけどね、そういうわけだと。北の富士の富士じゃいけないんじゃないの? 千代の富士の富士と思えばいいんだな。伯父さんになるね」。って、このエスプリ。
遠藤 vs 佐田の海で、遠藤の人気について「羨ましいね。負けてもこの人の人気は衰えていかない。何かお客様に訴えるものがあるんでしょうね。いい男だけじゃこうはいかない」。沢田石アナが「北の富士さんもいい男」と持ち上げると「どうでもいい男だ」。私はこういう返しがすごく好き。
豪栄道が優勝したことで、稽古を見学にくる人たちが朝から大勢来る。九重部屋では「千代の富士、北勝海が優勝を続けていたからしまいには飽きて来なくなった。又ですか、って。たまにするからいいんだよ」。
北の富士の名誉のために言っておくが、人を食ったような話ばかりではなく、ほとんどがちゃんと真面目な解説だし、ちょっとじんとするような話もあるのよ、北の富士の解説には。

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2016年11月19日 (土)

あめちゃん

161119candy
はまってる。 今ごろって感じ?

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2016年11月16日 (水)

ジンジャーの甘い香り

161116ginger
ジンジャーの花。
昨日、雨上がりの空気の柔らかさがあまり心地よくて自転車であちこち紅葉狩していたら、知り合いが庭に咲いていたこの花を切ってくれた。
初めて見る花。甘い香りがたまらない。

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2016年11月15日 (火)

大好き仙厓さん:大仙厓展

1111日 「大仙厓展」(出光美術館)
161115sengai_2 三井の伊達からハシゴ。出光美術館開館50周年記念のこの展覧会も13日までで駆け込み。17時くらいに着いたが、出光は金曜日は19時までやっているので、けっこう仕事帰りらしい人が多くみられた(三井は金曜日の開館時間延長はない)。
仙厓ってこれまでそんなに興味がなかったのに、トーハクの「禅」とこの展覧会を見たらすごく好きになって、図録まで買ってしまった。時々眺めたいなあと思って。なんか父に通じるものが感じられたからかなあ(どこまでファザコンなんだ、って自分で自分に突っ込むわ)。
「仙厓和尚像」(山崎朝雲作)。高さ30cmほどの像は、仙厓さんってどんなお姿だったんだろうという興味を満たしてくれた。この像で見る仙厓さんは高僧らしい厳しいお顔をしているが、花柄(?)のちゃんちゃんこがその暮らしぶりを語るようである。この像の題は「庵の小春日」だそうで、なるほどとうなずけた。
以下、長くなるのは自分の記憶のために。
第一章 仙厓略伝―作品でつづる生涯
博多の虚白院での隠居生活中、仙厓さんは多くの書画揮毫に応えていたが、依頼が増えすぎて「うらめしや 我が隠れ家ハ雪ちんか くる人事ニ紙置て行」と「家訓」に書き記している(こういう感覚が父に似ているの)。そして絶筆を決心し、それを世間に知らせるために「絶筆」の石碑を建てた。それでも書画希望者は多くて、結局亡くなるまで筆を休めることはなかったそうだ。このエピソードを知ると、仙厓さんの生活ぶりが目に浮かぶようである。
「不動明王図」1837)は、すごく迫力ある作品である。後事を託していた湛元が前年藩の怒りを買って大島遠島になったこと、聖福寺復興を願う湛元の意図を汲まない藩の無理解に対する怒り、湛元を失った落胆、再び就かざるを得なくなった聖福寺住職としての責任(住職の責はかなり重かったらしい)・決意の遣る方ない思いが伝わってきて、じんとした。仙厓が没する1カ月ほど前に描かれたそうで、しばらくこの画の前から離れられなかった。
第二章 仙厓の画賛―道釈人物画で画風の変遷をたどる
仙厓さんの画としては自由な、時には子供が描いたみたいな作品がよく知られているが、初期、画を始めた頃の作品が展示してあった。「布袋画賛」40歳代の頃のものと51歳の2点(後者は年記から1800年の作と明らかになっている)。前者は素人目にはうまい画と見えるが、全体にぎこちなさが残っていて、習画期の作品とされているそうだ(こんな布袋さんの像がうちにあったな、昔)。前者の画の路線でいったらただ絵の巧い禅僧がいた、で終わっていただろうと図録には書いてあった。たしかに、仙厓の個性はこの画には感じられない。62歳で隠棲して以降、仙厓独自の画法がみられるようになり、73歳で「厓画無法」を宣言したのだそう。87歳という生涯で73歳のこの宣言はすごい。なんか、歌舞伎に通じるものを感じる。
仙厓は禅僧ではあるが、仙人や天神像も描いている。天神といえば、仙厓の暮していた福岡の守り神、それを描いた仙厓さんがこの地に根差していたことが伝わってくるようだった。
画賛と画の表す物語がわかると、本当に面白い。
第三章 仙厓禅画の代表作。「指月布袋」「円相」「○△□」―禅の心、ここに集う
「香厳撃竹画賛」はトーハクの「禅」にも同じテーマの画があった。聡明博識で修行に熱心な僧・香厳智閑はどうしても悟りに至ることができず、余生は先師の墓守として生きようと決めたが、ある日掃き掃除をしていて、掃き飛ばした瓦礫が竹に当たってカチンと音を立てた瞬間悟りを開いたという逸話。悟りはまったくわからないが、面白い逸話だなあと記憶に残っていた。仙厓は画賛に「轉為黄金」(その瓦礫は黄金の響きを持っていたことだろう)と書いている。この4文字からだけでも仙厓さんの気持ちがわかる。
「自画像画賛」は数少ない自画像の1点。とはいえ、この自画像は後姿で、しかもゆるキャラみたいなふわっとした感じ。面壁の達磨の後姿のようでもある。賛は「仙厓そちらむひて なにしやる」。
「指月布袋画賛」。布袋さんと子供がはしゃいで月を指さしているほのぼのした画であるが、月は描かれていない。画賛に記された「を月様 幾ツ 十三七ツ」がこの画の微笑ましさ、愛らしさを増すが、実は厳しい禅の教えが隠されているのだそうだ。私なんぞにはわからない世界だが、仙厓が描いたものであれば、たしかにそういう含みがあるんだろうなと思う。ちなみに、この作品は、出光コレクション第1号なんだそうである。
衝撃は「○△□」。仙厓の代表作だそうだが、私は知らなかった。△を中心に、向かって左に□、右に○が描かれている。賛がないために解釈が最も難しい作品とのこと。出光左三はこの作品は宇宙を表していると考えたそうで、「universe」が現在英訳作品名になっているとのこと。

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2016年11月14日 (月)

英太郎さんが亡くなった

新派の女方、英太郎さんが11日亡くなったそうだ。
「深川年増」のおよし役で大いに笑わせてもらったのがついこの間(9月)。新派での長年の経験が伝わる達者な芸の一方で、81歳というお年を感じさせないお元気さだったから、突然の訃報にショックを受けた。
9月に改名し、新幹部になったお弟子さんの英ゆかりさんのお気持を思う…。
これからは新派に新加入された春猿(雪之丞)さんの役割が大きくなっていくことだろう。
英太郎さんのご冥福をお祈りいたします。

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2016年11月12日 (土)

文化人政宗の一面を知った「松島瑞巌寺と伊達政宗」

1111日 「松島瑞巌寺と伊達政宗」(三井記念美術館)
161112mitui 13
日までの会期で、またまた駆け込み。やはり会期末近いせいか、夕方近い時間なのにそこそこ入っていた(それも、ふだんなら午前中に鑑賞しているような客層で、ちょっと意外だった)。
展覧会は東日本大震災復興祈念(この日はたまたま震災から58カ月…)、瑞巌寺国宝「本堂」の平成の大修理完成と伊達政宗生誕450年を記念する特別展。松島にはずっと昔に行ったことはあるが、瑞巌寺を拝観した記憶がない(平泉の帰りに宿泊しただけだったような…。あるいは瑞巌寺の記憶だけ抜け落ちているのか…)。だから今回の展覧会を見ることができてよかった。しかも、瑞巌寺は臨済宗。「禅」の展覧会繋がりだ。
展示室1 「瑞巌寺と伊達家の伝統」
最初が「天台由緒記」。瑞巌寺の前身、慈覚大師円仁が開いた延福寺の盛衰記録だそうだ。もちろん内容はわからないので後で調べたら、比叡山延暦寺第三代座主だった円仁は3000もの学生・堂衆とともに松島にやってきて、天長5年(828)に天台宗延福寺を開いた。延暦寺と比肩するということから延福寺の名がつけられたが、約400年後の鎌倉時代に滅した。その後、やはり天台宗の円福寺がとってかわったものの、戦国時代を経て臨済宗妙心寺派に属するようになったとのこと。そして伊達政宗が1609年に瑞巌寺を完成させたそうだ。天台宗から臨済宗に変わったというところに、先日見た禅宗の日本での広がりを実感した。
「水晶五輪仏舎利塔(北条政子寄進)」。頼朝が進行していた仏舎利を政子が寄進し菩提を弔ったそう。小さくて可愛らしい感じがした。
「松島山円福禅寺住持次第」は瑞巌寺歴代住職の僧名、月命日が記されていて、現存最古のもの。
伊達政宗書「徒然草 抄」。私なんぞが言うのもおこがましいが、字がうまい!! 何とも繊細な流れるような雅な文字で、伊達政宗のイメージからは想像できなかった。
「小倉色紙『うかりける…』」は藤原定家の筆になる。定家74歳の筆ということで、字にはやや震えがみられると解説にあったが、そうなのかな。私は「乃」という文字の筆遣いが好き。
政宗所用の「金製ブローチ」。そういうものをあの時代に持っていたことに驚いた。
展示室2 
「伊達政宗書状(瑞巌寺宛)」は酒肴の礼状。「徒然草」の文字とは味わいが違う。
展示室3 伊達政宗と茶の湯
茶室を模した展示室3には「高野切『なつとあきと…』」がかかっていた。贅沢でもあり、質素でもあり、という感じ。そういえば先の定家の「うかりける」の書も茶掛だった。
茶室の脇の大きな雲版が目を引く。円福寺の庫裡にかかっていたもので、食事の合図に使われていた。
政宗が作った「竹茶杓」が政宗が茶の湯に深い関心をもっていたことがわかるようで、興味深かった。

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2016年11月10日 (木)

2万4千冊、一見の価値あり:東洋文庫ミュージアム

11月10日 「本の中の江戸美術展」(東洋文庫ミュージアム)
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ずっと前から行きたいと思っていたところ、お誘いを受けたので行ってみた。
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東洋文庫って、すぐ近くに医師会があるので医師会関連かと思っていたら(「解体新書」があるっていうイメージが強くて)、勘違いもいいとこ。もとは国会図書館の支部だったそうだ。今は公益財団法人。
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今、やっているのが↑。「本の中の江戸美術展」。
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江戸美術を見る前に、「モリソン書庫」。
オーストラリア人ジャーナリスト、G・E・モリソン(1862-1920)の東洋に関する書物のコレクションで、その数なんと約2万4千冊!! 写真下方で光っているのはガラスケース入りの書物。その上で光って見えるのはライトではなくて全部書物!!
これを全部購入した三菱三代当主岩崎久弥氏の財力と慧眼に感嘆する。

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イタリア語に翻訳された「仮名手本忠臣蔵」(1948年)。訳者マリオ・マレーガ氏。
このページは二段目かな。

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ドナルド・キーン氏による「国姓爺合戦」(1951年)の英訳。
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「春の曙」。なななんと、歌麿・北斎が1図ずつ挿絵を担当した狂歌本だそうで、現存は3冊しかないのだとか。このページは北斎。
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「東海道細見大絵図」。わかりにくいけれど、真ん中より左寄りに江戸があって、左へ向かい、富士山を迂回するようにして上へ進む。道なりにさらに進むと名古屋から京都三条大橋へたどり着く。53宿駅を1枚に描いた鳥瞰図は素晴らしい!!

「東方見聞録」(1496年ベネチア刊)、「天正遣欧使節記」(1586年ローマ刊)、日本で最も古い印刷物とされる「百万塔陀羅尼」、そして国宝「史記」(1145年書写)等々、もっともっと紹介したいけど、それは次の機会に。
なお、写真撮影は基本的に可だが、一部NGのところがあった。春画が含まれるためらしいが、そこのコーナーに「撮りた~い」のがたくさんあって残念。


東洋文庫は駒込駅から徒歩7~8分だろうか。本郷通りに並ぶ店を横目にしながら、歩いていても全然苦にならない距離だった。
ぜひご一見を。



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2016年11月 9日 (水)

「禅―心をかたちに―」

118日 「禅―心をかたちに―」(東京国立博物館平成館)
161109zen 仏教のことはよくわからないし、禅のこともわからないのだけど、禅が日本人の心を捉え、文化の中心になり、政治にも影響を与えていったという流れはなんとなくわかったような気がした。しかし、やはりトーハク、展示点数が多くて(リストには300点以上載っていたのでゲゲッと思ったら、実際は期間による展示替えがあったりして150点強)、なにしろ日本全国の禅寺の協力のもと集めた見応えたっぷりのお宝ばっかりなので疲れた。
最初に迎えてくれるのはポスターにもなっている白隠の「達磨図」(大分・萬壽寺)。広い額(顔の半分ちかくある)、大きなギョロ目がインパクトある。「直指人心 見性成仏」の文字まんまの絵だ。そうそう、ちなみに、今回の出品リストは展示順通りに並べてあるので大変助かる。たとえば、この「達磨図」は作品No197でありながら、リストでは1番にきている。どの展覧会でもそうしてくれればいいのに。それから、今回も各作品名の上に1言キャッチフレーズがついていて、わかりやすかった。
1章「禅宗の成立」
ここで印象的なのは雪舟の「慧可断臂図」(愛知・齊年寺)。慧可と言う人が達磨に入門の覚悟を示すため自らの左腕を斬り落としたところで、達磨が弟子を取った瞬間を描いているそう。西洋絵画もそうだが、宗教画は物語や意味を知ってみるととても面白い。
「臨済義玄像」(大徳寺)を見て、臨済宗って臨済義玄が開祖だったのか…。臨済宗といえば栄西の名前しか出てこない。柔和なお顔でした。臨済義玄像は通常、大慧宗杲が創始した<怒目憤拳>で描かれたり彫られたりすることが多く、このように柔和なお顔は珍しいんだとか。「達磨・臨済・徳山像」(京都・養徳院)の臨済さんは怒目憤拳だった。
「臨済慧照禅師語録」(京都・禅文化研究所)は白隠の講義を書き込んであって、そういう勉強に
親しみを覚えた。
2章「臨済宗の導入と展開」
禅宗の各寺ごとに展示をまとめてある。禅寺については各寺のデータも掲げられていた(そこはさ~っと流してしまった。ネットで見ればわかるかな、なんて)。考えてみれば錚々たるお寺からの錚々たる出展が一堂に集まるのだから素晴らしい。
「円爾岩上像」(東福寺)は野外にくつろぐ珍しい肖像画。「直綴」(京都・栗棘庵)は南宋・元・日本の織物79片を縫い合わせたもの。79!!
織物つながりで「九条袈裟」(京都・天授庵)は、布に人物像が刺繍されている。この人物像は、道教が融合した中国の仏教観を表しているそうだが、よくわからん。
「夢中問答集」(五山版)(東洋文庫)は足利直義と夢窓疎石の問答集。おお、足利直義!!とミーハーなだけな私の関心をひいた。この問答集は仮名混じり文字を使っているのが画期的なんだそうだ。
「寂室元光墨跡 遺偈」(滋賀・永源寺)は寂室元光の遺言。最後の力を振り絞った気概が感じられる筆の震えに胸打たれた。
「一休宗純墨蹟のうち 七仏通戒偈」(京都・真珠庵)は「先の割れた筆で大胆に」というキャッチフレーズ通り、一休さんの大胆な書だった。

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2016年11月 8日 (火)

初紅葉狩

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トーハク庭園

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やや紅葉気味。
ちょっと早いのはわかっているのだけど、遠くに行かれない私にとって上野は紅葉狩に最適の場

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2016年11月 7日 (月)

祝 段四郎さん、久里子さん

段四郎さんが旭日双光章、久里子さんが旭日小綬章を受章された。
おめでとうございます。
段四郎さんは「ワンピース」にガーブ役で出演されたが私が見た日は寿猿さんだったから、もう何年も段四郎さんの舞台は見ていない。段四郎さんの良さがわかってきたところでお休みが増えたので、ずっと残念に思っていた。お体に無理なくまた舞台に立っていただけたらなあと期待しています。
久里子さんの受章は新派での努力・活躍が実ったようで、嬉しい。これからもかわいくいじらしい娘役を見せていただきたいと思っています。

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2016年11月 5日 (土)

振り返る9月場所-はまった幕下以下の取組

大相撲九州場所初日を13日に控え、昨日4日の「徹子の部屋」は北の富士(9月場所で、今日5日は「がっぷり総見」、また深夜の「はくがぁる」は相撲学ということで、私の中の相撲熱も徐々に盛り上がりつつある。
そこで「がっぷり総見」に倣って9月場所をちょっと振り返ってみた。9月場所は、悪いことに幕下以下の相撲を見るのにはまってしまって…。ま、徒然なるままに。
その前に、9月場所の北の富士解説で一番ツボだったのが、11日目の審判交代時、豪栄道 vs 稀勢の里の先々場所、先場所のビデオが流れた後、「お客さんに話しかけられていましたね」と言う大坂アナへの返事。「長生きしてねと言われましたよ」。大坂アナも「それはみんなが願っていることではあるんですが」と苦笑?


・けっこう年配の力士が多い。三段目は80何枚、幕下は50何枚もあり、十両から幕内に上がれるのはほんの一掴みであることがわかる。十両以下で相撲人生を過ごす力士がたくさんいるということだ。芝田山部屋の翔傑は40歳、通算出場896回で、九州場所では900回を目指す。こういう力士を応援したくなるではないか。
・三段目くらいになると元幕内や元十両力士もいるから身体が出来上がっていることも多い。元幕内、元十両は怪我で落ちている人も多いわけで、栃ノ心みたいにそこから又這い上がっていく力士もあり、やっぱり応援したくなる(9月場所序の口優勝の舛の山、頑張れ!!)。もっとも、こう力士の怪我が多いと、相撲界全体で何とかしてほしいと切に願うわ(そもそも、大型化し過ぎだよね)。
9月場所限りで引退した三段目の琴仁成(花道で師匠の佐渡ヶ嶽親方から花束をもらっていて、じ~んとした)、引退後は理学療法士の勉強をしたい、怪我をしない力士を増やしていきたい、経験した者にしかわからないが事前に伝えれば怪我が減ると思うと語っていたそうだ。
9月場所での引退は、ほかに三段目の十勝海(八角部屋)、序二段の大天佑(山響部屋)。大天佑は名前からもわかるように、北天佑の二十山部屋に入門したが、親方の死去に伴い北の湖部屋に移った。36歳。引退は時天空も含めて14人。
豪栄道の同期が下のほうでまだ取っている。引退して親方になった人も、残って相撲をとっている人も、みんな同期の優勝を喜んでいるのが、とても嬉しい。
・幕下の諫慎、豪栄道の付け人である。前日のインタビューを間近で見ていた時には込み上げてくるものがあって大関の顔を直視できなかった。かつて自分が膝の大けがをした際に豪栄道に絶対くさるなと声をかけてもらって、それに支えられて今がある(序の口まで落ちたんだそうだ)。怪我を乗り越えた大関は憧れの存在。少しでも近づきたい、と語っていた。千穐楽の取組は思いっきり気合いが入って鳰の湖に勝った。やっぱり怪我、怪我、怪我との戦いなんだ。
・仕切が近くて、誰だったか、仕切り線を越えて手をつき、注意を受けていた。
13日目に4分半を超える取り組みがあった。時計係の審判がそわそわして、4分を過ぎたところで審判長に手振りで合図していたが、そのまま勝敗がついた。幕下以下で水が入ることってないのだろうか。
14日目にはじめて十両で相撲を取った幕下の明生(立浪部屋)、相手の朝弁慶に勝利し、力水のつけ方を呼び出しさんに教わっていた。部屋の先輩にも指導してもらったそうだが、柄杓の持ち方とか確認していたのが初々しい。
14日目ともなると、それぞれの段の上と下は1番が大事(もちろん、どの力士も11番が大事だけど)。この1番で上に上がれたり、下に落ちたり。十両、幕の内は6番が目安らしかった。安美錦は6番勝てば十両残留と言われていたが、見事勝ち越した。相撲の取り方を知っている、さすが。天風は1番足りず十両落ち。

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2016年11月 3日 (木)

十一月「仮名手本忠臣蔵」

112日 「仮名手本忠臣蔵」初日(国立劇場大劇場)
161103kokuritu1 なぜ初日を取ったんだか忘れたけど、久しぶりの初日観劇。先月に続き11時開演、1615終演というのはきつい(今月は歌舞伎座も5時間超えでしょ)。
「道行」
道行は逆幕だったことを忘れていたから、ちょっと新鮮な驚きがあった。
花道から勘平・おかるが登場。ビジュアル的には申し分のない2人。錦之助さんと菊之助さんのガチ共演は「十二夜」以来のような気がするが、どうだったかしら。
途中までは仲良く歩んできたのに、おかるの疲れを思いやった勘平は自分の過ちの重さに耐えきれず自害しようとする。おかるが止める。おかるにはこれから勘平の女房として暮らす喜びと希望がみられた。「ちっとは女房の言うことも聞いてくれたが」のセリフには自信と恥じらいが感じられた。
花道での勘平はおかるへのいたわりと優しさを見せておかるも幸せそうだった。
伴内が亀三郎さんというのはイメージが違うが、伴内も武士であることを亀三郎さんは意識させてくれつつコミカルな味も見せていた。いつも思うのだが、伴内はどうしてあんな妙な衣裳(長襦袢)で追いかけてくるんだろうか。
ところで、おかるはすごく田舎から出てきてお屋敷勤めをしていたんだということを今回初めて意識した。
「五段目」
闇夜の悲劇だとあらためて認識した。
勘平(菊五郎)と千崎(権十郎)の再会にはちょっと感動した。千崎は大げさに再会を喜ぶことはしないが、恐らく勘平の行く方を心配していたであろうことが察せられた。権十郎さんの千崎は何度も見ているが、そのたび好きだ。
二つ玉の二つ目は、定九郎にかなり近づいて撃っていたが、そんなに近かったけ?(役者によって違うとはいえ、忘れるものだなあ)。
松緑さんの定九郎には暗い鬱屈したもの、そして寂寥たる孤独感があった。この人、どうしてあの九大夫からも勘当されるような人生を歩むことになってしまったんだろうと考えさせられた。
「六段目」
一番感じたのは、勘平とおかるの心のすれ違いだろうか(「道行」でもすれ違っている)。もちろん2人はずっと相思相愛だし、おかるは勘平が落ちる原因を作った責任だけでなく愛情から身売りするのであろう。勘平もおかるを愛おしく思っているだろう。それでも終始勘平の心を占めているのは、悔いと討入なのである。そしておかるがいよいよ家を出て行くにあたっては、自分が舅を手に掛けてしまったことで頭がいっぱい。おかるはいつも置いてきぼりだなあと可哀想に思っていたのが、「おかる待て」の一言ですべてが溶けて、泣けた。

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2016年11月 2日 (水)

いなくなったちくわパン

いつも買い物をしているスーパーで。
ちくわパンがない。いつも置いてあるところにない。
あちこち探した。ない。
パン売り場の店員さんがいた。きいてみた。
「あれは先月の商品だったんですよ~」
shock
毎月、新商品を入れ替えて出すんだそうだ。
それじゃあ又出ることはあるのですか?
「…。…ちょっと。…」
crying
「ご要望があれば、その旨出しておきます」
「はい、では強く強く要望します」

当面は別のスーパーで捜してみよう。

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2016年11月 1日 (火)

音羽屋坂東一家の襲名

彦三郎さんが初代坂東楽善を、亀三郎さんが九代目彦三郎を、亀寿さんが三代目亀蔵を、そして亀三郎さんの倅マンが六代目亀三郎を、それぞれ襲名されることになった(4人同時襲名は私が知っている範囲で3回目)。
楽善というお名前はどこから?と思ったら、江戸時代の二代目彦三郎の俳名だそうだ。
右近も2人だけど
亀蔵の名も2人になるね(以前市川右近さんが、ご自身が右團次を襲名したら右近が3人になるって。右近さんの本名が右近だから)。う~ん、松島屋のイメージが強烈過ぎて、亀寿→亀蔵はピンとこない。披露がすんだら慣れるんだろうか…。
襲名披露
公演は来年5月、歌舞伎座で(團菊祭での披露になるようだ)。

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