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2016年11月15日 (火)

大好き仙厓さん:大仙厓展

1111日 「大仙厓展」(出光美術館)
161115sengai_2 三井の伊達からハシゴ。出光美術館開館50周年記念のこの展覧会も13日までで駆け込み。17時くらいに着いたが、出光は金曜日は19時までやっているので、けっこう仕事帰りらしい人が多くみられた(三井は金曜日の開館時間延長はない)。
仙厓ってこれまでそんなに興味がなかったのに、トーハクの「禅」とこの展覧会を見たらすごく好きになって、図録まで買ってしまった。時々眺めたいなあと思って。なんか父に通じるものが感じられたからかなあ(どこまでファザコンなんだ、って自分で自分に突っ込むわ)。
「仙厓和尚像」(山崎朝雲作)。高さ30cmほどの像は、仙厓さんってどんなお姿だったんだろうという興味を満たしてくれた。この像で見る仙厓さんは高僧らしい厳しいお顔をしているが、花柄(?)のちゃんちゃんこがその暮らしぶりを語るようである。この像の題は「庵の小春日」だそうで、なるほどとうなずけた。
以下、長くなるのは自分の記憶のために。
第一章 仙厓略伝―作品でつづる生涯
博多の虚白院での隠居生活中、仙厓さんは多くの書画揮毫に応えていたが、依頼が増えすぎて「うらめしや 我が隠れ家ハ雪ちんか くる人事ニ紙置て行」と「家訓」に書き記している(こういう感覚が父に似ているの)。そして絶筆を決心し、それを世間に知らせるために「絶筆」の石碑を建てた。それでも書画希望者は多くて、結局亡くなるまで筆を休めることはなかったそうだ。このエピソードを知ると、仙厓さんの生活ぶりが目に浮かぶようである。
「不動明王図」1837)は、すごく迫力ある作品である。後事を託していた湛元が前年藩の怒りを買って大島遠島になったこと、聖福寺復興を願う湛元の意図を汲まない藩の無理解に対する怒り、湛元を失った落胆、再び就かざるを得なくなった聖福寺住職としての責任(住職の責はかなり重かったらしい)・決意の遣る方ない思いが伝わってきて、じんとした。仙厓が没する1カ月ほど前に描かれたそうで、しばらくこの画の前から離れられなかった。
第二章 仙厓の画賛―道釈人物画で画風の変遷をたどる
仙厓さんの画としては自由な、時には子供が描いたみたいな作品がよく知られているが、初期、画を始めた頃の作品が展示してあった。「布袋画賛」40歳代の頃のものと51歳の2点(後者は年記から1800年の作と明らかになっている)。前者は素人目にはうまい画と見えるが、全体にぎこちなさが残っていて、習画期の作品とされているそうだ(こんな布袋さんの像がうちにあったな、昔)。前者の画の路線でいったらただ絵の巧い禅僧がいた、で終わっていただろうと図録には書いてあった。たしかに、仙厓の個性はこの画には感じられない。62歳で隠棲して以降、仙厓独自の画法がみられるようになり、73歳で「厓画無法」を宣言したのだそう。87歳という生涯で73歳のこの宣言はすごい。なんか、歌舞伎に通じるものを感じる。
仙厓は禅僧ではあるが、仙人や天神像も描いている。天神といえば、仙厓の暮していた福岡の守り神、それを描いた仙厓さんがこの地に根差していたことが伝わってくるようだった。
画賛と画の表す物語がわかると、本当に面白い。
第三章 仙厓禅画の代表作。「指月布袋」「円相」「○△□」―禅の心、ここに集う
「香厳撃竹画賛」はトーハクの「禅」にも同じテーマの画があった。聡明博識で修行に熱心な僧・香厳智閑はどうしても悟りに至ることができず、余生は先師の墓守として生きようと決めたが、ある日掃き掃除をしていて、掃き飛ばした瓦礫が竹に当たってカチンと音を立てた瞬間悟りを開いたという逸話。悟りはまったくわからないが、面白い逸話だなあと記憶に残っていた。仙厓は画賛に「轉為黄金」(その瓦礫は黄金の響きを持っていたことだろう)と書いている。この4文字からだけでも仙厓さんの気持ちがわかる。
「自画像画賛」は数少ない自画像の1点。とはいえ、この自画像は後姿で、しかもゆるキャラみたいなふわっとした感じ。面壁の達磨の後姿のようでもある。賛は「仙厓そちらむひて なにしやる」。
「指月布袋画賛」。布袋さんと子供がはしゃいで月を指さしているほのぼのした画であるが、月は描かれていない。画賛に記された「を月様 幾ツ 十三七ツ」がこの画の微笑ましさ、愛らしさを増すが、実は厳しい禅の教えが隠されているのだそうだ。私なんぞにはわからない世界だが、仙厓が描いたものであれば、たしかにそういう含みがあるんだろうなと思う。ちなみに、この作品は、出光コレクション第1号なんだそうである。
衝撃は「○△□」。仙厓の代表作だそうだが、私は知らなかった。△を中心に、向かって左に□、右に○が描かれている。賛がないために解釈が最も難しい作品とのこと。出光左三はこの作品は宇宙を表していると考えたそうで、「universe」が現在英訳作品名になっているとのこと。

第四章 「崖画無法」の世界―この世の森羅万象を描く
日常生活の様々なテーマを自在に描いている。
「自画像画賛」。こちらの自画像は、先の後姿と違って前を向いている。絵筆を手に持ち、揮毫の依頼に応えようとしているところだそうだ。依頼に辟易しながらも、穏やかな笑顔でいることから、仙厓さんの人柄が伝わってくる。
「章魚図」は唯一着色された作品。本物をしっかり観察したうえで仙厓独特の描き方をしているという解説があった。見れば見るほど味わいのある画である。賛がちょっと艶っぽいのが面白い。同様の観察的画「トド画賛」1832)は写実的ではないが、この珍しい海獣を書物で研究した様子が窺えるところが、共感できる。
「布袋画賛」。何点かある布袋画賛のうちこの1点は、布袋の下にミニ布袋がいる、というユニークな作品だ(チケットの画)。「世画有法 崖画無法 佛言 法本法無法」の賛が仙厓の考えを表している。
第五章 筑前名所めぐり―友と訪ねた至福の旅をたどる
住職をやめたあとは福岡の各地を訪ねて歩いたという。なんか、ほっとしたものを覚える。
「蒙古襲来図」は荒れ狂う海に元の船が沈んでいく様を描いている。単純とも思える浪の線に迫真感がある。賛では、九州に元の舟十万が押し寄せるも、神風が吹き、モンゴル人の死者多数、その屍が山となるほどだったということが書かれている。画と賛を合せて見ると、戦の悲惨さ、哀しみが感じられて粛然とした気持ちになった。
「曲芸画賛」は一転、ジャグリングの一瞬を切り取った画で、それを見る人たちも含めて、<動>と一瞬の<静>が素晴らしい。
第六章 愛しき人々に向けたメッセージ―仙厓の残した人生訓を味わう
あらためて人生訓と言われなくても、これまでの作品でたっぷり味わったが、ここで取り上げている作品はやはり賛が味わい深い。
「双鶴画賛」は出光佐三、最後のコレクションだそうだ。最初と最後が仙厓。一対の鶴に「鶴ハ千年 亀ハ萬年 我れハ天年」の賛がある。「老人六歌仙画賛」に籠められたメッセージに通じるようで、老いを恐れず楽しんで天寿を全うしようと思った(とはいえ、凡人たる私、これからも老いに悩むことだろう)。
仙厓遺愛の品々
目を引かれたのは「亀石」。仙厓は珍奇石蒐集という趣味があったそうだ。この石は亀に似ているということでその名を付けたのだとか。そして「亀石之銘巻」で亀石への思いを綴っている。「銅象鈕仙厓印」は達磨型の印で、印字面は普通だが、持ち手が象‼ 特注だよね。「箱(筥)崎宮鳥居形陶硯」は筥崎宮の大鳥居を硯に仕立てたもの。作陶にも手を染めていたことが明らかと解説にあったが、自分で作ったのかしら。それとも注文した硯の鳥居の両脚に自分で文字を刻んだということかしら。
いろいろな品を見たら、仙厓さんが近く感じられて感動してしまった。

 

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