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2016年12月

2016年12月31日 (土)

1年間ありがとうございました

毎年、今日が明日になるだけなのに、と思うのに、今日の今日と明日の明日は特別なんだよね。
1年間、おつきあいくださってありがとうございました。私の今年の漢字は「痛」で、挫けたこともしばしばありましたが、1人じゃないと思い、励みになりました。
明日からの1年はどんな年になるんでしょう。毎年の願いですが、「いい年」になりますように。
明日からもどうぞよろしくお願いいたします。


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2016年12月29日 (木)

十二月歌舞伎座第三部

1226日 十二月大歌舞伎千穐楽第三部(歌舞伎座)
第一部から第三部までの約4時間、本当は寺子屋を幕見したかったのだが、色々用事があって断念。あちこち歩くことで時間が過ぎた。1万歩以上歩いたよ。
「二人椀久」
前半はどうしてもちょっと眠くなる。玉さまの色っぽい微笑み、そして全体的に勘九郎さんを包んでいるような感じが姉さん女房みたいに見えて微笑ましかった。
「京鹿子娘五人道成寺」
玉さまが愛らしい。最年長であるにもかかわらず、5人の中で一番若くて愛らしいと思った。児太郎クンがかわいかったのだけど、そういう若さからくる可愛さとはちがう、可憐というのか、いや、なんと言ったらいいのか説明できないけれど、とにかくその可愛らしさに見とれた。
勘九郎さんと七之助さんを「連獅子」じゃなくて「道成寺」で見られるなんて!! 勘九郎さんの踊りは、七之助さんに比べて立役らしいダイナミックな感じがした。
「元禄花見踊」は玉三郎先生が若い生徒たちを引っ張るといった趣があったが、この道成寺ではそういう印象はあまり受けず、自らの芸を示しながら玉さまもみんなと楽しんで踊っているような気がした。ただ、鐘への恨みは全体にやや薄く、やはり玉さまが一番意識していたように見えた。
とにかく見ているこちらも楽しくて楽しくて。私は残念なことに1回しか見られなかったが、何度リピートしても楽しかったに違いない。所化さんたちもたくさんいて、豪華(吉之丞さんがいたのでびっくり)。
<上演時間>「二人椀久」35分(18301905)、幕間35分、「五人道成寺」65分(19402045

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2016年12月27日 (火)

「あらしのよるに」:千穐楽にリピート

1226日 十二月大歌舞伎千穐楽第一部(歌舞伎座)
初日に見た「あらしのよるに」を千穐楽にリピート。この間、一度見ただけでもよかったかなあと思わないでもなかったけれど、忘れていたところもあったし、2度見ても感動できたから、リピートしてよかった。何度も繰り返し見ている演目でさえ完璧に覚えているなんてことはないんだから、たった1度しか見ていない、しかも新作の「あらしのよるに」に覚えていない箇所があっても当然か。何度見ても覚えていないからリピートするたび新鮮な感動を覚えるんだともいえるし、覚えていても質のいい作品にはそのたび感動するんだね。
ところで今回は1階の前方席。久しぶりに花道の下をくぐったし、オペラグラスなしで見られる席はやっぱりいいなあと思う。そうそう何回もは取れないけどね。
この日は冬休みに入っていたせいか、子供の観客がけっこう多くみられた。私の後ろにも子供さんが何人か。おかげで、がぶ(獅童)とめい(松也)の客席歩きは私の2列後ろで、もうほんと目の前に2人がいて盛り上がったわ~。子供のいる列を歩くって、開幕前に噂が聞こえてきたからちょっと期待していたのよね。
以下、箇条書きで。
・嵐の場面、小屋が舞台に登場する前に、吹き荒れる風が私の席にも吹いてきて涼しかった(やや寒い)。雪の場面では、送風機がこちらを向いているのに気がついたから一応心構えはできていたが、やっぱりちょっと涼しかった。
・<めい>を食べたいという欲求と友情との葛藤に苦しむ<がぶ>の心はコミカルに表現されているのだが、子供への配慮かなと思いつつ、初日よりはその葛藤が痛切に感じられた。義太夫へのクレームは2度入ったが初日も2度だったかしら。<がぶ>の苦しみが強く感じられたので、このクレームも初日よりは抵抗なく受け入れられた(作中人物が義太夫に話しかけるって、初日はちょっとどきっとしたのだ)。
・<がぶ>の葛藤を考えると、そういう思い入れのない狼が山羊を救うというのだから、<がい>(権十郎)はやはり特別な狼なんだなと思う。原作にはない役だそうだし。でも権十郎さんがそういう役を演じるのは嬉しい。

・石牢で、時々<がぶ>から漂う血のにおいがたまらなく疎ましかったと告白した<めい>。捕食される側とする側の永遠の対立や葛藤があるわけだが、それを乗り越えるだけの友情の強さに心を揺さぶられた。一方で、<がぶ>は<めい>の仲間を食べることはしないが、他の山羊は食べるんだと考えると、なんか複雑な気持ちになる。
・徳松さん二役目のうさぎ、口の動かし方が絶妙にうまい‼ 決して目立つ存在ではないのに、一度その口元を見たら目が離せなくなった。うさぎそのものだぜ。
・中車さん、どんどん歌舞伎らしさが身についてきている。近くで見たせいもあるかもしれないが、国崩しの悪役としての迫力がたっぷり。
・この日の流行語は「神ってる」。

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2016年12月23日 (金)

「ありえねえ」話

なぜか歌舞伎公演の代役として1日だけ舞台に立つことになった。役は「四の切」の静御前だと思っていたが、どうやら大蔵卿の常盤御前だったみたい。

 出番前、衣裳はごちゃごちゃと山積みにされており、その中から自分で選ぶのだが、普段着みたいなものばかり、それも洋服。みんな大忙しの中、いよいよ出番直前。
そのとき、大変なことに気がついた。
セリフ!!
私は一言だけのつもりでいた。ところがその一言に行く前にいくつか長いセリフがあったのだ。まったく準備していないから、まるちゃんの顔みたいに縦の筋が顔に何本も入る。焦りまくって、誰か台本貸してと騒いでやっと借りたはいいが、セリフの意味が少しも理解できない。腰元役の女性が1人そばにいて心配してくれていて気持ちが少し癒されるのではあるが、どうしようもない。ええい、ままよ、こうなったら台本を手に持って、上に布でもかぶせてごまかしちゃえ。
という状態で舞台に出た。
一難去って(まだ去ってないけど)また一難。今度は自分が着ているものが衣裳じゃなくて長襦袢であることに気がついてしまった。またまた顔に縦筋が。その割には落ち着いて「ちょっとお待ちくださいませ」なんて言って一度引っこむ。誰も私の衣裳の面倒をみてくれない。腰元役の人たちはみんなちゃんと衣裳をつけているのに。でもなぜか、意外と客席は騒いでいない。別に意地悪されてるわけではなくて、みんな自分のことで忙しくしているだけ。私は衣裳のありかがわからないし、それならいっそこのまま長襦袢で出ちまえ。
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度目の登場では客席から見えないように台本を置いた。はいいが、再び一難が(これで三難目だわ)。セリフの出がわからない~。遠くから仁左様の高い声で歌うようなセリフが聞こえてくる。この聞こえ方は、私は回り舞台の裏側にいるような感じ。芝居をこわして仁左様さぞ怒ってるだろうなという申し訳なさと恐ろしさに震えているところで目が覚めた。
10日ほど前に見た夢でした。

妙に現実的にこわい夢だったな。

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2016年12月19日 (月)

十二月歌舞伎座第二部

1217日 十二月大歌舞伎第二部(歌舞伎座)
三部制は3度出かけなくてはならないけれど、1回の時間が短いので私にとっては楽。国立の「仮名手本」は5時間超えだったりして、見ている時は面白いことは面白いのだけれど、見終わるとどっと疲れが出るし、覚悟も必要。
「吹雪峠」
松也さん(助蔵)、七之助さん(おえん)ともに割とあっさりしていてドロドロ感が薄い。そのくせ、これまで見たおえん・助蔵で一番醜い気がした(私の中に、若さゆえの清潔感を求める気持ちが無意識にあったのだろうか)。たしか直吉(中車)は、病に苦しむ助蔵におえんが口移しで薬を飲ませるのを見て、一度は許した2人の仲に耐え切れなくなって2人に出て行くように命じるのだと思ったが、そのあたりはちょっとわかりづらかった。しかし一方で、その醜い2人の言い訳、命乞いを突っ立ったまま聞いている中車さん(直吉)の存在感の大きさ、うまさはさすがだと思った。自分から出て行ったのは、女にそこまで入れ込むほどの価値がないことを知ったむなしさからか、人間の存在そのものがばかばかしくなったからか。
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人のこれからはどうなるのだろうか。互いに罪をなすりつけ合ったことを忘れたかのように、再びくっつきそうな気がする助蔵とおえんであった。
「寺子屋」
一番感動したのは七之助さんの千代。千代としては寺入りが一番苦しい時であったと思うが、死なせるために子を置いて出る覚悟と、子にすがられて未練を断ち切る厳しさ・つらさと、その場でわっと泣き伏したいであろう悲しみとおそらくすまなさと、そういう母の思いが表情にも全身にも表れていた。すべてが終わった後で子の死を嘆く時には夫である松王丸がそばにいるが、1人でこの計画を実行しなければならない母親の胸のうちを思うと、こちらもつらくて泣きたくなった。
松王丸の勘九郎さん、武部源蔵の松也さんはどちらもちょっと力み過ぎなような気がした。もちろん、双方とも置かれた立場として力が入るのは当然だろうし、丁寧に演じていたことの証であるとは思うのだが。勘九郎さんは松王丸のニンだと思ったし(松王丸を持ち役の1つにしてほしい)、松也さんもニンでないとは思わない。力みすぎに思えたのは骨太に見せようとしているからだろうが、そのあたりにメリハリをもたせるともっとよくなるのではないかと感じた。梅枝クンの戸浪には安心感があった。この2人のコンビ、もっと見たい。
弘太郎さんの涎くりがとても自然で、本当の子供のように見えた(童顔だし)。お仕置きも久しぶりに見たな。へのへのもへじは実際に書いていた。寿猿さんの下男三助はユーモアたっぷりだったし、猿弥さんの春藤玄蕃は憎々しい敵役であったし、澤瀉屋の存在感が際立っていた。
不思議なもので、現時点でリピートしたいと思うのは「あらしのよるに」よりも「寺子屋」なんである。「あらしのよるに」は渇望していた演目で、初日に見てとても面白かったし実際にリピートする予定なのだが、今はモーレツに「寺子屋」をもう一度見たい気になっている。ま、私のことだからすぐにその気も薄れちゃうのだろうし、「あらしのよるに」に又興奮するのだろうけど。しかし「仮名手本」にしろ、よくできた芝居というのはやはり繰り返しの上演に堪えるだけの魅力があるんだろうな。「またか」とうんざりしたり、見るには重い覚悟が必要だったりはしても、見終わるとその魅力にとりつかれているのだと思う。
<上演時間>「吹雪峠」32分(15001532)、幕間25分、「寺子屋」118分(15571755

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2016年12月16日 (金)

浅草ご挨拶スケジュール決まる

浅草歌舞伎お年玉ご挨拶の日程が発表になっていた→ココ
私は松也さん、巳之助クン。嬉しいけれど、やっぱりご挨拶は全員のを聞きたいよね。
とくに梅丸く~ん。
でも、1月の日程はかなりきびしくて、どうかなあ、入れられるかなあ。

中車さんの歌舞伎夜話、とてもとても聞きたかったし、行くつもりだったけれど、その日の外出は難しくなったので諦めた。10時前のアラームも泣く泣く切って…もしまだ残券があったらと思ったけど、即売だよね。

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2016年12月15日 (木)

十二月「仮名手本忠臣蔵」

1214日 「仮名手本忠臣蔵」第三部(国立劇場大劇場)
161215tyusingura せっかくなので討入の日に観劇することにした。
プログラム売り場にはベルトパーテーションがあって「入口」「出口」が表示され、短いながら行列ができていた。驚き。イヤホンガイドにも長蛇の列でさらに驚き。プログラムには幕間にも並んでいる人がいて、またまた驚き。台本は10月が売り切れで後日注文、11月は初日に見たからわからないが、今月もきっとかなり売れているのだろう。客席もかなり埋まっていた。
「八段目」
松林の舞台。柝で松の後ろの黒幕が落ち、富士山が現れたが、ほんの一部しか見えない。3階から見ているからそれでも見えたのであって、1階席だと見えなかったかも。やがて松が上手下手の両側に分かれると富士山が今度ははっきり見え、旅姿の戸無瀬と小浪が立っていた。自分のあてにならない記憶というか感覚では花道から登場すると思っていたから、不意をつかれた(花道を時々気をつけていたのに、なかなか出てこない…そりゃそうだ)。
児太郎クン(小浪)は可愛かった。華もあるなあ、この子、なんて思ったりもして。魁春さん(戸無瀬)に母の情愛が感じられた。
浄瑠璃の詞章がよくできていて、感心した。舞台と台本、両方見るのは大変だったけど、耳で聞いていただけではわからないところが多過ぎる。文字を見て、ああそういうことなのかと面白かった。
「九段目」
珍しくお昼を食べてしまったので、案の定、途中寝た(最近、すっごくおなかがすくのだ。食欲の冬?)。
幕が開くと、梅乃さん(下女りん)が門前の雪を竹箒で掃いている。掃き出しは重く、掃き終わりはさっと、という感じで雪の重さが感じられた。裸足に下駄なんだなあ。
雪転しは初めて見た(ような気がする。平成中村座でもやったかしら?)。雪玉に込められた意味を由良之助が力弥に語るが、そこはあまりよくわからなかった。しかし、後にこの雪玉で作った二基の五輪塔が窓の外に現れると、そういうことかとはっとさせられた。
力弥は錦之助さん。声を高めにしてかつ武士としての力強さも籠められているような立居振舞で、ニンとしてはぴったり。1人でいる時は若々しくて違和感はないのだが、みんなの中に入ると年齢的に少し無理があるかなあという気がしないでもなかった。
笑也さんのお石は、透明感が邪魔するのか、冷たい印象だった。もちろん、戸無瀬と小浪には思うところがあって冷たくするのだが、それ以上に冷たさを感じた。祝言の引き出物として本蔵の首がほしいと激昂した時に初めて人間らしさが見えたような気がした。しかし声を低く抑えているせいか、また武士の妻として気張った雰囲気を出しているせいか、全体に男っぽく聞こえてしまった。
戸無瀬と小浪の到着、「道行」では2人だけだったのに、しかも2人とも歩きだったのに、小浪は乗物に乗り、供侍までついている。「葛の葉」でも思うのだが、娘は乗物に乗せ、母親は歩くのね。大事な箱入り娘だからってことなのかな。
寝たのはお石に嫌味を言われ、母娘が嘆いている間で、小浪の死の覚悟あたりからは目が覚めた。

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2016年12月14日 (水)

討入の日に

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国立劇場で討入を見たあと泉岳寺へ。
赤穂浪士の墓参は何年か前にしたことがあるが、12月14日は初めて。

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屋台も出て賑やか。まさにお祭り。一方で、お線香を買って墓前に手向ける人たちが長い行列を作っていて、忠臣蔵は日本人の心に生き続けているんだなあと思った。本懐を遂げた塩冶浪士たちに涙したばかりだったので、私も一人ひとりの名前を仮名手本の登場人物に重ねて手を合わせた。
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2016年12月12日 (月)

眞秀くん、来年團菊祭に初お目見え

寺島しのぶさんの長男眞秀くんが来年の團菊祭、「魚屋宗五郎」丁稚役で初お目見えだそうだ。
團菊祭は坂東彦三郎一家の襲名披露公演でもあり、話題満載だね。
そして團菊祭の演目のひとつは決まりってことでもある。
菊五郎さんによると、名前は「寺嶋・グナシア・眞秀」にしようかな、なんて考えてるそうだ。ほんとかな。
詳しくは→ココを。

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2016年12月11日 (日)

秘仏をもう一度:「平安の秘仏」

12月10日 「平安の秘仏」(東京国立博物館本館)
161211hibutu 11日までの会期なので混んでいる混んでいるとさかんにアピールされていたが、展示の規模が小さいので混んでいるとは言っても、ちゃんとじっくり拝観することができた。
この展覧会は珍しく早々と9月28日に見て、大変感動したのでもう一度と機会を窺っているうちに会期末前日になってしまった。

先に追記:あらまっ。会期延長ですって‼ 1月9日まで。チャンスです。ぜひぜひご覧を。

感想は前回詳述しているから、今回は2つだけ。
①もちろん、ご本尊の大きな銃一面観音菩薩坐像は素晴らしいし、他の仏像もそれぞれにいい。その中で今回は地蔵菩薩坐像に見とれた。なんといいお顔をしていらっしゃるのだろう。しばらく像の前を動けなかった。
②みうらじゅん、いとうせいこうの仏像トークをもう一度聞きたくて、また音声ガイドを借りてしまった。そしてまた吹き出しそうになってしまった。毘沙門天立像が持つ宝塔は、前回「ワイングラスのよう」と書いたが、「ワイングラスをもつ石原裕次郎」と言っていた。前回、音声ガイドの営業妨害になるからとヒミツにしておいたご本尊を拝観できる条件は、団体であること。いとうさんとみうらさんは、いかにも団体で来ているようにわいわい騒いだそうだが、拝観できなかった。2人であることを和尚に見抜かれていたと語っていた。その和尚は元「クリスチャンだったんや」だそうで、本当にユニークな方だが、残念ながらもう他界されている。いとうさんとみうらさんの話には和尚への敬愛が満ちていて、楽しかった。私がここでネタをばらしても、実際のトークの面白さは一聞しなくちゃわからないから、前回紹介してもよかったかも。仏像はそれを守る人も込みで伝わっていくのだという話に納得。
平成30年10月には33年に一度のご本尊大開張があるそうだが、できたら櫟野寺という、本来ご本尊があるべき場で拝観したいものだ。

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2016年12月10日 (土)

今日も上野で

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冬の桜並木
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銀座線上野駅のホームドアがこんなにかわいくなってるなんて知らなかった。

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2016年12月 9日 (金)

襲名ラッシュ、今度は高麗屋

2018年、高麗屋三代がそれぞれ白鸚、幸四郎、染五郎を襲名するそうだ。
いずれとは思っていたけど、いざ発表されると、そうか…という気持ち。
不思議なもので、私は染五郎さん時代の幸四郎さんも知っているのに今、「当時染五郎」と聞くと、あの幸四郎さんに染五郎の名がそぐわない感じがする。では白鸚が合うかというと、う~ん。しかし今の染五郎さんの幸四郎はもっとう~~ん。ま、慣れの問題で、襲名後数カ月もすれば馴染んじゃうんだろうけど。襲名では過去の名前にもこれからの名前にも、いつもそういう感覚がつきまとうのは仕方ないよね(一番、感じたのは勘太郎→勘九郎。でも今では勘九郎と言えば、今の勘九郎さん)。
襲名披露公演は18年1月、2月歌舞伎座で。

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2016年12月 8日 (木)

奇抜だけじゃない、認識を新たにしたダリ展

128日 「ダリ展」(国立新美術館)
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日までの会期でいつものように駆け込み。混雑状況レポをネットで見て覚悟を決めて行ったが、デトロイトがお昼頃比較的すいていたのでその時間帯を狙って昼前に着いたら、入口には行列もなく、中も人は多かったもののちゃんと作品を目の前で見ることができた。小さい作品の前はさすがに何重にも人垣ができていたが、それでもどうにか前に出て見られた。
もう10年以上も前になると思うが、パリのダリ美術館に行ったことがある。絵画鑑賞というよりも、全体的になんか楽しかったような気がする。今回は作品そのものを鑑賞した(と思う)。
絵画のタイトルは時々抽象的すぎて作品の何を表しているのかわからないことがあるが、ダリのタイトルは非常に具体的で、また作品も具象的でわかりやすいにもかかわらず、「??」なことも間々あった。こっちの頭がついていかれないのよ。そして、私はダリについてほとんど何も知らなかったことに気が付かされた。これまでは、奇抜な発想の奇抜な作品が面白いという程度の認識だったが、ダリは真剣に「この世界」、「生」を考えていたんじゃなかろうか。的外れかもしれないけど、時計とか速度とかをモチーフにした作品を見るとなんかそんな気がしたのだ(私がそこから「生」を感じたということ)。
初期の頃のダリは、古典的な画法、印象派、点描画、ポスト印象派、ピュリスム、キュビズムなど様々な技法に取り組んでいて、ちょっと驚いた。初期の作品の中では「縫い物をする祖母アナの肖像」(第1章)が好き。青を基調として窓からは海が見え、すっと胸にしみこんできた。
ヘレナ・ルビンスタインのための壁面装飾3点の「幻想的風景」(暁、英雄的正午、夕べ)(第5章)―おお、ヘレナ・ルビンスタインとは‼ 肌に合っていたのか若い頃ずっと使っていたから、そっちのほうでなんか感動してしまった。

別の画家の作品を自分風に描いているのが面白かった。「テトゥアンの大会戦」(第8章)はフォルトゥーニの作品に基づいた大作で、細部にダリらしさ満載。「子ども、女への壮大な記念碑」(第3章)ではミレーの「晩鐘」の一部を、「謎めいた要素のある風景」(第3章)ではフェルメールの「画家のアトリエ」の一部を作品に取り入れている。「船」(第5章)はドーソンの「風と太陽…稲妻号」を大胆にアレンジしている。初期の「ラファエロ風の首をした自画像」(第1章)は、もちろんラファエロの自画像に基づいている。
原爆投下にショックを受けて描いた作品の数々(第7章)は、ダリのことだからストレートな表現ではないし、反戦作品というわけでもない。しかしなんかそこからインスパイアを受けたことが伝わってくるように思った。
興味深かったのは<形態学的なこだま>という技法。言葉だけ聞くと難しくてさっぱりわからないが、要するに同じモチーフを繰り返し作品に描いていくことだと解説されて実際に見ていくと、なるほどと理解できる。代表的なのが「奇妙なものたち」(第3章)だろうか。奇妙なのに美しい作品だ。

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2016年12月 7日 (水)

花見? 紅葉狩り?

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上野で。
十月桜だそうです。なんか、得した気分。

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2016年12月 6日 (火)

心安らぐ良質の展覧会:デトロイト美術館展

12月6日 デトロイト美術館展(上野の森美術館)
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全作品、写真撮影OK(ただし、月曜日と火曜日のみ)というので、ずっと前から狙っていたが、なかなか機会がなくて。やっと念願かなった。
「印象派」「ポスト印象派」「20世紀のドイツ絵画」「20世紀のフランス絵画」という構成で、それぞれ作品数が10~15点ということもあり、また全作品に解説がついており、ほどよい心地よさで見ることができた。印象派もあまり数が多いとうんざりしてくるが、今回の展示はどれも「ザ・印象派」という感じではなくてよかった。全体におなじみの画家が多いが、こぢんまりした展覧会は心にやさしく、あらたな印象を得たような気がする。とくに、20世紀のドイツ絵画と20世紀のフランス絵画はとてもよかった。気に入った絵は色々あるのだが、それぞれから1点ずつを。

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モネ「グラジオラス」
ポスト印象派では

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ドニ「トゥールーズ速報」
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もう1点、ルドン「心に浮かぶ蝶」
つい御舟の「炎舞」を心に浮かべてしまった。
20世紀のドイツ絵画のではお気に入りは

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キルヒナーの「月下の冬景色」。今回の作品の中で一番好きかも。
20世紀のフランス絵画ではマティスの「窓」

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ピカソは6作品もあって、なんか、ピカソいいなあと思ったが、SNSでの公開は禁止とのこと。

最後に、触れる複製画が5点。ゴッホ、セザンヌ、マティス、モネの作品の絵の具のデコボコ感、タッチなんかが感じられて非常に興味深い。

写真撮影はともかく、心安らぐ良質な展覧会という印象だった。
ゴッホとゴーギャンの半券があれば100円引きというのを知らなかった。たかが100円、されど100円である。

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2016年12月 4日 (日)

国立、一番長い入店時間

今日は1月公演の発売日。日曜日だし混むだろうとの予想通り、なっかなか入店できず、焦った。やっと入店しても、カレンダー画面が全然出てこない。画面の色が薄くなって、丸いのがくるくるくる回ること15分。諦めて改めて画面を立ち上げて、やっとカレンダーにたどり着いた。
案の定、希望の席は取れず、やむをえず別の席で妥協。リピートは迷ったけど、結局することにして探すと、希望の日はもう席が取れず、これまたやむをえず別の日で妥協。最終的にチケット取るのに20分以上かかった。
希望の席というのは、私の場合、足も脚も痛いため、できるだけ通路際を押さえたいのだ。このままではそのうち、歩けなくなって歌舞伎を見ることすらできなくなるんじゃないかとこわい。整形外科に行っても痛み止めくれるだけだし、
なるべく歩いたりするようにはしてるんだけどね(五十肩はやっと、痛みつつもどうにか腕を伸ばしたり、肩を上げられるようになってきた。結局、時が経つのを待つしかないんだね。半年以上…)

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2016年12月 3日 (土)

あたたか~い「あらしのよるに」

122日 十二月大歌舞伎初日第一部(歌舞伎座)
161203syoniti 久々の初日観劇。どうしても早く見たくて。
私は原作を知らないが、メルヘンチックな世界が歌舞伎のいろんな要素とうまく融合して、まったく違和感なく、面白く感動的な舞台であった。昨年南座で初上演された新作歌舞伎が早くも歌舞伎座で再演されることからも、この芝居が歌舞伎として質のいい作品であることがわかる。久しぶりの観劇なのでオペラグラスを忘れ、やっぱり3階最後列じゃ必需品だから歌舞伎座で借りた(客席歩きはどう頑張ってもほとんど見えなかった)。
「あらしのよるに」
幕が開くと舞台は真っ暗。オオカミチームが現れて暴れ出す。荒い踊りが力強くカッコいい。猿弥さん(ばりい)がキレキレで、見ていてテンション上がった。一方の白いやぎさんチームの世界は優しい。
オオカミチームがやぎチーム襲う。ああっ、徳松やぎさんがぎろ(中車)にやられるっ。窮鼠猫を噛む、ではあるが、徳松やぎさんはぎろの右耳をかじって片方の耳を失わせたものの力尽きてしまう。ぎろは本当に卑怯な悪いヤツで自分たちの頭を殺し、その罪をやぎに着せるが、実はこのカラクリに気がついた狼がいた。がい(権十郎)である。
この発端が伏線となって、後で意味をもってくること、またこういう発端はいかにも歌舞伎っぽい話で、すっと入り込めた。
161203arasi 場面変わって。モーレツな嵐の中、小屋でやぎのめい(松也)が嵐を避けて休んでいる。そこへもう1人というか1匹、嵐を避けようと誰かが入ってくる。ここだけは、今月第二部の「吹雪峠」みたいだ。2人は(擬人化されているので「匹」じゃなくて「人」にする)互いに食う、食われる立場であることを知らない。動物だからにおいでわかりそうなものだと思ったら、「嵐のせいで鼻かぜをひき、においがわからなくなった」とめいが言い訳していた。
やさしく気のいいがぶは獅童さんにぴったり。やり過ぎない程度にコミカルで「~でやんす」という喋り方がまた獅童さんだからこそで、その言葉を聞くとなんか安心するような気がした(ラストで、めいも「やんす」と言って客席を笑わせた)。オオカミ仲間にいじめられていて、ずっと1人でいたというがぶの孤独感、だからこその友達ができた嬉しさ、守っていきたい友情というものが獅童さんを通じてよく伝わってきた。それでも悲しいかな、オオカミの本性、がぶはやぎが大好物で、友達のメイのことさえ「食べたい」と思ってしまうのだ。「食べたい」「いや、友達だからそんなことを考えてはダメ」という心の葛藤を義太夫が何度も繰り返して代弁するものだから、がぶが義太夫に向かって「勝手に入ってくるな」と文句を言ったりして。全体に古典歌舞伎としての要素が詰まっているこの芝居で、ここだけは遊んだなという感じ。
あらしのよるの翌日、再会した2人の手土産が互いに四つ葉のクローバーというのが微笑ましい(「べっぴんさん」か、なんてね)。
めいと引き離されたがぶの「めい~」と何度も叫ぶ声が悲しくて悲しくて。

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2016年12月 2日 (金)

初冬の街で

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今日、久しぶりに銀座を歩いたら↑。
美術館も劇場もほとんどいつも往復だけだから。

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黄葉の中の玉ねぎ。
こちらは11月最後の日。近美工芸館からの帰り、北の丸公園を通ってみた。初冬満喫。
銀座も北の丸もテンション上がった。

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2016年12月 1日 (木)

陶器による表現の豊かさに驚く:「革新の工芸」

1130日 「革新の工芸」(国立近代美術館工芸館)
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4日までの会期で毎度の駆け込み。
まさに革新の工芸。陶器に対する概念を完全に覆された。陶器なのに金属っぽく見えたり、形も自在、とても大きな作品もあり、陶器でこんな表現ができるなんて!! 作品は陶器ばかりでなく磁器、漆・蒔絵、竹細工、布、糸等々だが、なんといっても陶器にびっくりさせられた。
順路が「Ⅱ “伝統と前衛”の革新」、「Ⅲ 伝統の現代」「Ⅳ 現代の造形」と続いていて、陶器の概念が崩れ、表現の可能性の大きさに感心しつつも、Ⅰは?と訝っていたら、最後に「Ⅰ 工芸の時代の先駆者」があった。
「面―MAN―面」(佐藤敏、1972年)(Ⅱ)は螺髪みたいなぶつぶつで人の頭部を作っている(うまく説明できない。写真がネットに公開されているので興味ある方は探してみてください)。タイトルを見て、角度を変えてあちこちから眺めて、確かに人の頭部、顔面だとわかった。これも陶器の作品なのだ。ビックリ。
「沈黙―いし」(伊藤慶二、1991年)(Ⅱ)も面白い。陶器でやや大きめの石を表現しているのだが、普段なら意味わからなくて「??」というところなのに、なんとなく私にもわかるものがあるような気がしたのはタイトルに「沈黙」とあるせいだろうか。
I-4街」「I-5街」(川崎 毅、2009年)(Ⅳ)は、陶器で作った街。白いせいか、いやイメージ的にも映画「カサブランカ」に出てきそうな街だった。
「宙」(深見陶治、1994年)(Ⅳ)は磁器であるが、大きなラッパみたいな形で、色のグラデーションやカーブに沿って入った1本の白い筋が空間の広がり、大きさ、深みを感じさせた。
Subterranean Horison’15」(松本ヒデオ、2015年)(Ⅳ)は陶器で、白い平たい陶器の板何枚かが作る平面の下を覗くと、地下世界への空想が広がった。
I」では魯山人はもちろん、富本憲吉とか浜田庄司とか、私でも名前を知っている作者の作品が展示されている。陶器、磁器、ガラス、銀、漆・蒔絵(螺鈿が入ったり入らなかったり)など。中で高村豊周の「朱銅みすぢ花入」は青銅・蝋型鋳造だそうだが、青銅のイメージは全くなく、漆塗りのように見えた。

どの展覧会でもそうだが、作品名と作品の関係がわからないというものが必ずいくつかある。この作品にこの名前をつけたということには当然ながら作者の意図があるんだろうけど、私のほうでそれを見抜けない。今回も何点かそういうのがあったな(もちろん、その逆もある。先述の「いし」のように)。でもそれはそれで、自分なりの見方をして楽しませてもらった。

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