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2016年12月 3日 (土)

あたたか~い「あらしのよるに」

122日 十二月大歌舞伎初日第一部(歌舞伎座)
161203syoniti 久々の初日観劇。どうしても早く見たくて。
私は原作を知らないが、メルヘンチックな世界が歌舞伎のいろんな要素とうまく融合して、まったく違和感なく、面白く感動的な舞台であった。昨年南座で初上演された新作歌舞伎が早くも歌舞伎座で再演されることからも、この芝居が歌舞伎として質のいい作品であることがわかる。久しぶりの観劇なのでオペラグラスを忘れ、やっぱり3階最後列じゃ必需品だから歌舞伎座で借りた(客席歩きはどう頑張ってもほとんど見えなかった)。
「あらしのよるに」
幕が開くと舞台は真っ暗。オオカミチームが現れて暴れ出す。荒い踊りが力強くカッコいい。猿弥さん(ばりい)がキレキレで、見ていてテンション上がった。一方の白いやぎさんチームの世界は優しい。
オオカミチームがやぎチーム襲う。ああっ、徳松やぎさんがぎろ(中車)にやられるっ。窮鼠猫を噛む、ではあるが、徳松やぎさんはぎろの右耳をかじって片方の耳を失わせたものの力尽きてしまう。ぎろは本当に卑怯な悪いヤツで自分たちの頭を殺し、その罪をやぎに着せるが、実はこのカラクリに気がついた狼がいた。がい(権十郎)である。
この発端が伏線となって、後で意味をもってくること、またこういう発端はいかにも歌舞伎っぽい話で、すっと入り込めた。
161203arasi 場面変わって。モーレツな嵐の中、小屋でやぎのめい(松也)が嵐を避けて休んでいる。そこへもう1人というか1匹、嵐を避けようと誰かが入ってくる。ここだけは、今月第二部の「吹雪峠」みたいだ。2人は(擬人化されているので「匹」じゃなくて「人」にする)互いに食う、食われる立場であることを知らない。動物だからにおいでわかりそうなものだと思ったら、「嵐のせいで鼻かぜをひき、においがわからなくなった」とめいが言い訳していた。
やさしく気のいいがぶは獅童さんにぴったり。やり過ぎない程度にコミカルで「~でやんす」という喋り方がまた獅童さんだからこそで、その言葉を聞くとなんか安心するような気がした(ラストで、めいも「やんす」と言って客席を笑わせた)。オオカミ仲間にいじめられていて、ずっと1人でいたというがぶの孤独感、だからこその友達ができた嬉しさ、守っていきたい友情というものが獅童さんを通じてよく伝わってきた。それでも悲しいかな、オオカミの本性、がぶはやぎが大好物で、友達のメイのことさえ「食べたい」と思ってしまうのだ。「食べたい」「いや、友達だからそんなことを考えてはダメ」という心の葛藤を義太夫が何度も繰り返して代弁するものだから、がぶが義太夫に向かって「勝手に入ってくるな」と文句を言ったりして。全体に古典歌舞伎としての要素が詰まっているこの芝居で、ここだけは遊んだなという感じ。
あらしのよるの翌日、再会した2人の手土産が互いに四つ葉のクローバーというのが微笑ましい(「べっぴんさん」か、なんてね)。
めいと引き離されたがぶの「めい~」と何度も叫ぶ声が悲しくて悲しくて。

松也さんもめいにぴったり。女性とも男性ともつかぬ不思議な性としての存在は、女方から立役とシフトしている松也さんならでは、か。怯えやすい弱い立場のやぎでありながら、再会した相手がオオカミだと知ってもその優しさを信じようとする気持ちは芯の強いめいの本質だろう。それを松也さんがしっかり見せていた。
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人の場面は、2人が仲良く一緒にいる場面も、互いに相手に嘘をついていたことを打ち明け合う場面も、ずっと心あたたかく、時々泣きそうになった。2人で切羽詰まった場面、空腹のがぶに「僕を食べて」と懇願するめいに、自ら火に飛び込んだ月の兎を思い出した。雪崩に巻き込まれた後、がぶがめいに襲いかかろうとする場面では、がぶどうした、本当はがぶはそういう人だったのか、と疑ってしまった(ごめん、がぶ)。
ぎろの失われた耳を元に戻すための変な薬を作ろうとオオカミのおばばを中心にオオカミたちが忙しくしている間にやぎのたぶ(萬太郎)が縛られた縄を包丁で後ろ手に切ろうとする場面は、包丁の刃がなかなかロープに向かずはらはらしたが、薬の鍋が爆発するタイミングで縄が切れ、おおこれを狙っていたのかと、安心かつ感心した。
オオカミのがい(権十郎)は仲間であるぎろの悪事を暴き、やぎの味方をするのであるが、オオカミとやぎという立場を考えるとちょっと複雑な気持ち(がぶは別として、やぎを見て食べないでいるオオカミなんて、って)。でも擬人化されているので、そこは案外スルーすることができて、見ている間は何とも思わなかった。あとで考えたら…というところ。だけど、歌舞伎って理屈で見るものじゃないし。権十郎さんがいい役で嬉しかった。
擬人化というのは歌舞伎としての違和感なしという点で大きく、たとえばやぎのみい姫(梅枝)は赤姫だし、ぎろは敵役だし。やぎのおじじ(橘太郎)は擬人化されていると同時に、うん、やぎならこういうおじじがいそう、という感じもあった。
中車さんは舞台に出るたび、歌舞伎に慣れてきているように見える。
<上演時間>発端・序幕・二幕目95分(11001235)、幕間30分、三幕目65分(13051410

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コメント

Fujisan様
おはようございます。歌舞伎座初日第一部のレポ拝読しました。歌舞伎座初日久しぶりですか。私は昨日、一部、二部通しで見てきました。終演が5時40分ごろで、正直疲れました。二部の狂言配列、逆だと思うのですが。さらに言えば、「吹雪峠」「二人椀久」入れ替えたほうがすわりがいいのではと。
「あらしのよるに」は歌舞伎の常套的な演出がいろいろ取り入れられていて面白かったです。獅童の責任演目でとして、工夫を重ねているのが想像されます。死んだ中村屋が「新作」「新作」といっていたのを隣でみていただけのことはあります。(染五郎も同様ですね)。権十郎、悪役ではないこのような実事風の脇役、ぴったりでしたね。
 中車、本当に歌舞伎の色合いになじみつつあるようです。本人の努力の賜物でしょう。「吹雪峠」も大変結構でした。役にぴったりです。正月は、「黒塚」にも出ますが、日本舞踊もしっかり練習しているのでしょうね。「妹背山 御殿」の豆腐買いもびっくりするようなできでしたから。
 「寺子屋」勘九郎、おとうさんのセリフ回しにそっくりですが、もともと線が太い優なので、松王丸にはあっています。主役4人、若手花形といったところで、細かい点をあげればいろいろありますが、皆、素質としての良さ、一所懸命の素直な演技で充実していました。

投稿: レオン・パパ | 2016年12月 4日 (日) 11時25分

レオン・パパ様
こんばんは。
コメントありがとうございます。
歌舞伎座初日は8月の第二部以来です。
一部・二部の通しはやはりきついですよね。まる一日ですものね。お疲れ様でした。
「吹雪峠」と「二人椀久」は確かに入れ替えてもいいように思います。役者さんの都合でもあったのでしょうか。
「あらしのよるに」は、歌舞伎としてとてもよくできたお芝居ですよね。歌舞伎を知り尽くした藤間勘十郎さんの演出がさすがだと思いました。獅童さんの熱意が実ったことが嬉しいです‼ 権十郎さんの実直な感じが、がいにぴったりでしたね。
中車さんについては、テレビに出ながら(「スニッファーのマザコン刑事も面白いですが、一番はカマキリです。また、やってくれないかなあ)あれだけ歌舞伎に馴染んでくるのですからすごい。才能+努力ですね。舞台が役者を育てると思いますから、歌舞伎の舞台にもどんどん出てほしいです。
私の第二部観劇はまだ先ですが、「吹雪峠」も「寺子屋」もフレッシュな配役で大いに期待しています。

投稿: SwingingFujisan | 2016年12月 5日 (月) 01時54分

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