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2016年12月 1日 (木)

陶器による表現の豊かさに驚く:「革新の工芸」

1130日 「革新の工芸」(国立近代美術館工芸館)
161201kogei 12
4日までの会期で毎度の駆け込み。
まさに革新の工芸。陶器に対する概念を完全に覆された。陶器なのに金属っぽく見えたり、形も自在、とても大きな作品もあり、陶器でこんな表現ができるなんて!! 作品は陶器ばかりでなく磁器、漆・蒔絵、竹細工、布、糸等々だが、なんといっても陶器にびっくりさせられた。
順路が「Ⅱ “伝統と前衛”の革新」、「Ⅲ 伝統の現代」「Ⅳ 現代の造形」と続いていて、陶器の概念が崩れ、表現の可能性の大きさに感心しつつも、Ⅰは?と訝っていたら、最後に「Ⅰ 工芸の時代の先駆者」があった。
「面―MAN―面」(佐藤敏、1972年)(Ⅱ)は螺髪みたいなぶつぶつで人の頭部を作っている(うまく説明できない。写真がネットに公開されているので興味ある方は探してみてください)。タイトルを見て、角度を変えてあちこちから眺めて、確かに人の頭部、顔面だとわかった。これも陶器の作品なのだ。ビックリ。
「沈黙―いし」(伊藤慶二、1991年)(Ⅱ)も面白い。陶器でやや大きめの石を表現しているのだが、普段なら意味わからなくて「??」というところなのに、なんとなく私にもわかるものがあるような気がしたのはタイトルに「沈黙」とあるせいだろうか。
I-4街」「I-5街」(川崎 毅、2009年)(Ⅳ)は、陶器で作った街。白いせいか、いやイメージ的にも映画「カサブランカ」に出てきそうな街だった。
「宙」(深見陶治、1994年)(Ⅳ)は磁器であるが、大きなラッパみたいな形で、色のグラデーションやカーブに沿って入った1本の白い筋が空間の広がり、大きさ、深みを感じさせた。
Subterranean Horison’15」(松本ヒデオ、2015年)(Ⅳ)は陶器で、白い平たい陶器の板何枚かが作る平面の下を覗くと、地下世界への空想が広がった。
I」では魯山人はもちろん、富本憲吉とか浜田庄司とか、私でも名前を知っている作者の作品が展示されている。陶器、磁器、ガラス、銀、漆・蒔絵(螺鈿が入ったり入らなかったり)など。中で高村豊周の「朱銅みすぢ花入」は青銅・蝋型鋳造だそうだが、青銅のイメージは全くなく、漆塗りのように見えた。

どの展覧会でもそうだが、作品名と作品の関係がわからないというものが必ずいくつかある。この作品にこの名前をつけたということには当然ながら作者の意図があるんだろうけど、私のほうでそれを見抜けない。今回も何点かそういうのがあったな(もちろん、その逆もある。先述の「いし」のように)。でもそれはそれで、自分なりの見方をして楽しませてもらった。

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