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2017年3月18日 (土)

日本の科学発展史:理研100年

316日 「理化学研究所百年」(国立科学博物館)
170318riken1 大英博物館のついでに見ようと出かけたら、大英はまだやっていなかった(318日~)。そこで理研のみ見たのだが、単独で見て正解。展示は企画展で小規模なのだが、じっくり見て、さらに関連展示で地球館を久しぶりに訪ねたらすっかり疲れてしまった。体力落ちてるし…。

理研は最近ご無沙汰しているが、過去に23度一般公開日に見学したことがある。ニホニウム合成チームのリーダー、森田浩介博士から直接お話も伺っているのだ(プチ自慢、いやかなりの自慢)。熱心な研究者の熱心な解説というのは人を惹きつける、と当時感動したものだった。そのくせ理研のことは何にも知らないに等しいと、この展示を見て思い知らされた。科学のことなんてさっぱりわからないけれど、記録しておくことは自分にとって必要だと思うので、以下に。
財団法人理化学研究所ができたのは大正6320日、今から100年前のことである(20日に行けばよかったかしら)。高峰譲吉(タカジアスターゼ、アドレナリンの発見者)らの提唱で政財界、官学界協働で設立された。明治時代、日本は欧米の文化や科学技術を導入してきたが、その欧米の工業は基礎研究に基づくものへと変化していた。そうした事情を熟知していた高峰が、欧米諸国に劣らぬ国力をつけるには国産の基礎科学研究が必要と考えて各界に働きかけたそうだ。設立に尽力したメンバーとして、渋沢栄一、櫻井錠二(化学者)、池田菊苗(グルタミン酸ナトリウムの発明)、伏見宮貞愛親王の名が挙がっていた。
理研の発展に大きく尽力したのは第3代所長、大河内正敏である。研究費は惜しまず、一方で理研の財政を支えるために製品化に結びつきやすい研究に力を入れた。ベンチャー企業のさきがけだね。財団法人理研は1948年に解散するが、大河内は192146年の実に25年間所長を務めたのだ。
この時代に活躍した研究者として、長岡半太郎(長岡原子模型提唱)、本多光太郎(新KS鋼発明)、鈴木梅太郎(ビタミンB1発見)、寺田寅彦、真島利行(日本の有機化学の父)、朝永振一郎、湯川秀樹、黒田チカ(日本で初めて帝国大学に入学した女性の1人、ベニバナの色素研究、日本で2人目の女性理学博士。ちなみに第一号を調べたら東大の保井コノという人だった)、加藤セチ(アセチレンの重合研究により、3人目の女性理学博士)がいる。長岡、本多、鈴木は理研の三太郎と言われていたそうだ。
そしてかの有名な仁科芳雄。大河内の後、4代目所長となり、その後1948年に理研が株式会社科学研究所になるとその初代社長に就任した。仁科は1921年からヨーロッパに留学し、コペンハーゲン大学のニールス・ボーア教授の下で量子力学を学び、28年に帰国すると理研に仁科研究室を開設した。ボーア教授を日本に招いた時の貴重な映像が紹介されていたが、若き日の朝永振一郎らの屋上でのランチやはしゃいでいる姿が印象的であった。また研究者たちが活発に討論している映像は、なんか感動的であった。仁科は湯川にボース粒子の助言を与え、それが中間子論のヒントになったと言われているそうだ。湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞は1949年のこと。そして1958年には朝永振一郎がノーベル物理学賞を受賞する。
仁科は1937年小サイクロトロン、1943年大サイクロトロンを完成させるが、小サイクロトロンは空襲で損壊、大サイクロトロンは、原子爆弾の研究に繋がるとのGHQの誤解で太平洋に投棄された。これには海外の科学者から抗議の声が上がったそうだが、この時の仁科らの心情を思うと胸の奥がフツフツしてきたし、一方で海外の声について知ると仁科が世界レベルで尊敬を集めていたことと科学者たちの科学に対する誇りを感じてまた別の意味で胸が熱くなった。

理研に株式会社時代があったなんて知らなかったが、では今はどういう団体なのかと思ったら、19582003年特殊法人、20032015年独立行政法人、2015年~国立研究開発法人だそうだ。そういえば、理研発祥の地は本駒込で、和光に移ったのは1967年。今では、国内に9カ所、海外に4カ所の拠点がある。

170318riken2 理研ではどんな研究が行われているのか。
ゲノム(写真はヒトゲノムの模型)、宇宙、脳、再生医療、新元素、などなど。脳や宇宙、新元素は理研公開の際、見学した記憶がある(新元素は先述のとおり。それからサルの脳に触ったことがある)。展示されていた中で興味深かったのは、「将棋プロ棋士で計測した脳のはたらきの研究」。棋士の頭ってどうなってるんだ?とずっと感心していたが、大脳基底核が直観の創出に大きく関与していることがわかったんだとか。大脳基底核って鍛えることとかできるのかな、そういうことを知りたい(ま、鍛えることができたところで今さら遅いけど)

これらの研究が結びついた製品は。
アドソール(理研初の製品化。空気中の水分の吸着・分離に優れた物質で、気化熱により冷房効果を生み出す)、合成清酒(大正7年の米騒動から、米不足の時代が来ることを懸念した鈴木梅太郎が米を原料としない清酒を開発。「利休」という名のその清酒は現在でも販売されているとのこと)、アルマイト、ペニシリン生産(サイクロン製作での真空技術をペニシリンの真空乾燥に応用)、ストレプトマイシン開発(大量生産の技術開発)、酸素生産(低圧酸素製造法)、スポーツ飲料(スズメバチの研究からVAAM)、安全性の高い農薬(カリグリーンなど6種類の農薬で17種類の病害虫を防除可能に)、乳酸菌製品(プラズマ乳酸菌)、タイヤ(大型放射光施設SPring-8、大強度陽子加速器施設J-PARC、スーパーコンピュータ京を連携活用して)などなど、広範囲、多岐に亘る。タイヤなんて想像外でビックリである。

ここから地球館へ。
科学技術の偉人たちというコーナーで、理研関係者だけでなく、科学・技術の発展に貢献した先人の経歴とか業績とかを眺めて歩いた。私の頭では理解しきれないことが多いのだけれど、かなり噛み砕いて説明してあるのでなかなか興味深かった。あとは体験型の科学に触れ(理研でも見せてもらったが、宇宙線の見える霧箱が面白い)、もっと体力あったら1日楽しめるのになあと残念に思いつつ帰路についた。
STAP
細胞の問題なんかもあったが、ニホニウムは快挙だし、理研なくして日本の科学発展はなかっただろう(科学は正しく使い、正しく発展してほしい)。それにしても私は全然リケジョじゃないのに(学生時代、だいっきらいだった分野)、どうしてこういうことに関心をもつようになったのだろう。最近、文科系ですとも言えなくなってきて、じゃあ何系なんだろう…まあ、何系と敢えて分類する必要もないか。

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コメント

こんばんは
「理化学研究所」と言えば、わたしがすぐ思い出すのはマキノノゾミの「東京原子核クラブ」ですね!!
僭越ながら「名作」だと思っています
是非観て欲しい舞台ですし、読んでも素晴らしい戯曲だと思います
朝永振一郎が友田晋一郎で仁科芳雄が西田義雄で登場します

投稿: うかれ坊主 | 2017年3月19日 (日) 23時03分

うかれ坊主様
こんにちは。
「東京原子核クラブ」は存じませんでした。朝永、仁科をモデルにしているのであれば公演はぜひ見てみたいのですが、お芝居はいつになるかわからないので、まずは戯曲を読んでみようと思います。教えてくださってありがとうございます。

投稿: SwingingFujisan | 2017年3月20日 (月) 15時50分

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