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2017年4月 5日 (水)

3月分②:「パロディ、二重の声」

325日 「パロディ、二重の声」(東京ステーションギャラリー)
ステーションギャラリーは以前「無言館 遺された絵画展」に大いなる感銘を受けて以来。調べたら2005年のことだった。今回、久しぶりにギャラリーに入って、あれ前もこんなだったかしらと、スペースそのものの記憶がない。東京駅の中にありながら、その喧騒からまったく隔離された空間だった。

パロディと言えば、私はマッド・アマノをまず思い出すが、展示の最後(本当の最後は伊丹十三:懐かしい:の「アートレポート
 質屋にて」の映像)で取り上げられていた。オリジナル作品とマッド・アマノのパロディ作品が並べて展示されてあり、一審から最高裁の判決まで、判決文すべてが紹介されていた。最終的な判決がどうなったか覚えていないので興味深かったが膨大過ぎてさ~っと流して読んだ。それでもパロディの定義とか、作品がパロディなのか盗作なのかの決定のむずかしさをあらためて感じた。

ギャラリーに入るとまず、山縣旭(レオ・ヤマガタ)の「モナ・リザ・シリーズ」(ph.1)に圧倒される。「この展覧会は助走期間としての1960年代におけるパロディの実践例の紹介出発点に、70年代に入って爆発的に増殖したパロディの足跡を追いかけ、軋轢を起こした事件の跡地にも訪れるひとときのツアーです」というコンセプトであるから、作品は6070年代のものが中心である。ヤマガタのモナ・リザは大半が2016年制作なので特別出品となっていた。「歴史上100人の巨匠が描くモナ・リザ」シリーズ。ボッティチェリ、ルーベンスから、モジリアーニ、ピカソ、黒田清輝まで多くの画家の「モナ・リザ」を興味深く眺めていたら、そのうち「ヒラリー・クリントンのモナ・リザ」とか画家以外のモナ・リザが出てきた。画家のモナ・リザはその画家の特徴をよくつかんで描かれているが、画家以外の人物はその人がモナ・リザになっている。つまりヒラリーがモナ・リザ。すべての作品で服装や背景もそのモナ・リザに相応しいものになっている。解説によると、ヤマガタはパロディというよりパスティーシュなのだそうだ。私の大好きな清水義範(最近、読んでいないなぁ)はパスティーシュの代表的作家だし(ph.6)、そういえば昔翻訳の勉強をしたとき最初に学んだのは文体模写、つまりパスティーシュだったのだ、と今ごろ気がついた。

名画のパロディは、オリジナルに触発されたという感じがなんとなくわかる…ような気がする(ph.23)。
ビックリハウスの表紙が創刊号からずら~っと展示されていて、ああそんな雑誌があったっけなあと思い出した。当時はビックリハウスとどの程度かかわっていたのだろう。あまり記憶がないので、ほとんど読んだことはなかったかもしれない。
わかりやすかったし記憶にもあったのは営団地下鉄のポスター(ph.4)。懐かしかった。
赤瀬川原平、横尾忠則のビッグネームの作品、都知事選のポスター(秋山祐徳太子)、マンガや物語のパロディ等々。パロディ漫画を読めるスペースもあって、何人かが熱心にページをめくっていた。秋山祐徳太子といえば、「秋山祐徳太子のポップ・ハプニング『ダリコ』」(原榮三郎)が笑えた(ph.5)。
ラストに先述の伊丹十三の映像のオチで又笑った。

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