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2017年6月 7日 (水)

利休、長次郎に思いを馳せる:「茶の湯」

62日 「茶の湯」(東京国立博物館)
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日に終わってしまった展覧会で、これもギリギリで鑑賞。「茶の湯」は近美の「茶碗の中の宇宙」(楽焼)ともコラボしていたし、会期最初の方が混んでいたように思うので、逆に会期末のほうがいいかななんていう期待もあった(土日じゃ混むだろうけど)。実際のところ、中はけっこう混んでいて、人の頭の間から見るという箇所もあったけれど、おおむね、ちゃんと見られた。
でも、ちゃんと見たところで、やっぱり茶碗の世界はわからない。自分の感覚としてこの茶碗はいい、この茶碗は好きというのはあっても、客観的な評価を見てもわからないし、茶碗に表現された作者の深い考えも私には察することができない。
それでも、茶の湯が日本人を魅了したことはDNAだろうか、なんとなくうっすらと理解できるような気がした。そして茶の湯の歴史を辿りながら、タイムスクープハンターの壮絶な「闘茶」を思い出した。
茶碗としていいなと思ったのは長次郎だ。轆轤を使わない手捏ね茶碗。長次郎って確か楽焼の始祖(もう、その程度の記憶…)、楽焼って手捏ねだったんだっけ。って、楽焼の展覧会を見た時にわかってなかった…。情けない話だけれど、今回再び長次郎の作品を見て、手捏ねを始めた理由、その独創性、それが認められた社会を思い、楽焼の良さをあらためて認識した次第。
当然、利休は大きく取り上げられているわけだが、利休の作品や書を見ながら、武士でない利休は秀吉に自害を命じられてどんな気持ちだったんだろうとそれが切々と胸に迫ってきた。作品としては竹茶杓(利休に限らず)が面白かった。とくに利休の「ゆがみ」は利休から徳川三斎に、三斎から平野長奏に贈られたそうだが、三斎が手放すとき「涙をこほし申候」と書いた手紙を添えたとのことで、竹茶杓への愛着を思うとより興味深く感じられた。
「油滴天目」が2点出ていた。油滴は「禅」の展覧会(201611月)に見たことがあるよなあと思い出していたら、1点は同じ油滴だった(と、後でわかった)。大阪市立東洋陶磁美術館所蔵で、豊臣秀次が持っていた物。静嘉堂の持っている「曜変天目」も57日まで展示されていたようだ。
お宝ガレリアで見た「初花」、小堀遠州の「転合庵」(トーハクの庭にある)を思い出したが、あの番組はこの「茶の湯」とコラボしていたんだっけ。
最後に近代数寄者として、平瀬露香、藤田香雪、益田鈍翁、原三溪、畠山即翁が取り上げられていて、美術と財力の関係をここでも実感した。私が名前を知っているのは原三溪だけだが、たまたま最終期は原三溪のコレクションが展示されていた。

トーハクらしくボリュームたっぷり(疲れた)、貴重な品々ばかりだったが、茶の湯の世界はやはり、静かに味わいたいものかもしれない。

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古田織部の燕庵の再現。

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