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2017年9月

2017年9月30日 (土)

ロス

ひよっこロス。
一番好きなドラマだった。全篇の3分の2以上は涙の日々。あたたかい涙、悲しい涙、嬉しい涙。ていねいにそれぞれの人物が描かれていて、また伏線の張り方がうまく、
こんなに泣かされたドラマはない。最終回のエンドロール、谷田部じゃなくて前田みね子になっていたのに又泣かされた。

やすらぎロス。
石坂浩二が元妻と元カノと共演するという話題に乗ってミーハー的に見始めたドラマだったが、石坂浩二扮する菊村栄
を次々悩ませる<やすらげない郷>にはまった。犬山小春の死、ちのやん夫婦の死、九条摂子の死、加納英吉の死、どれもしばらくは録画を消せないでいた。石坂浩二って演技がうまいんだなあと今さらながら思った(石坂浩二の現代ドラマは「二丁目三番地」「三丁目四番地」以来かも)。とくに人の死に際した表情と、男のみっともなさがうまい。中島みゆきの主題歌がたまらなくいいだけでなく、挿入歌も効果的で、感動が高まった。中島みゆきと倉本聡が夫婦役です~っと通り過ぎるのもよかった。こちらの最終回のエンドロールにはこれまでの出演者全員の名が五十音順に流れていた。あんなにたくさんの人が出ていたのか、と驚かされたが、これも「やすらぎの郷」らしい。
珍しく、朝と昼、半年も見続けた
連ドラが明後日からはもうないんだ…

もう一つ、8回という短い連ドラだったが、「悦っちゃん」にもロスである。可愛かったなあ、楽しかったなあ、悦ちゃん。

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2017年9月28日 (木)

圧巻、運慶

925日 「運慶」展内覧会(東京国立博物館)
170928unkei トーハクの内覧会は人が多くてよく見られない…が通常なので、2時開始のところを3時過ぎに到着するように行ってみたら、今回は展示数が少ないこともあって、人もいつもほどは多くなく、ゆったり丁寧に見ることができた。

私は彫刻は可能な限り全角度から見ることにしているが、今回の展示は360度どの角度からでも見られるようになっており、大変ありがたい。表情、筋肉、躍動感が伝わってきて、仏師・彫刻家の魂に圧倒されっぱなしである。
仏師であり彫刻家であること――運慶と並び名前の挙がる快慶にはバリエーションがあまりなく、信仰に基づいた仏師として美しい像を作ることがその目指すところであった。それに対し運慶は常に独創的な像を創造してきた。日本の仏像は形やポーズが限定されているとのことで、そうした中での仏像制作の姿勢から、快慶は仏師であり、運慶は仏師としても彫刻家としても高く評価されるのだそうである。これまでそんなことを考えたことなく、運慶・快慶と並べて言ってきたけれど、なるほどそういう違いがあるのかと興味深かった(だからと言って快慶の評価が低いわけではない。要するに二人の目指すところが違うということだ)。
展示は「第1章 運慶を生んだ系譜――康慶から運慶へ」「第2章 運慶の彫刻――その独創性」「第3章 運慶風の展開――運慶の息子と周辺の仏師」というわかりやすい3章から成っている。
理論的なことはわからないが、感覚として、運慶にはやはり父・康慶の影響がみられ、さらにそれを超えて自らの独創性を追求していく姿勢があるかなあと思った。康慶は「地蔵菩薩坐像」「四天王立像」「法相六祖坐像」が展示されており、どれもよいが、とくに「法相六祖坐像」が好きである。六人の僧侶の表情が個性的で親近感を覚えるのである。
運慶の作品は12点展示されている(うち1点は1021日以降の展示。1点は運慶筆の置文)。悟りの菩薩や如来には優しさからくる迫力が、毘沙門天や怒りの表情をもつ像では激しさの迫力が、どちらにしても圧倒される。20代の作品「大日如来像」の静かな美しさ、「不動明王立像」「毘沙門天立像」の圧倒的な存在感、「八大童子像」の生き生きとした魅力、その他どの像も心を惹く。運慶の像内納入品はもちろん読めるわけではないが、現代のX線、CTの技術でそういうものの存在が明らかになっていることを興味深く思った。
素晴らしいのは康慶や運慶だけではない。作者が特定されていない像も見事。子犬や神鹿のリアルな姿を表した珍しい像もある。十二神将立像は五軀がトーハク、七軀が静嘉堂に所蔵されていて(静嘉堂、持ってるよね~)、今回42年ぶりに再会を果たしたそうだ。それだけでも必見と言いたいが、これだけの運慶、そして康慶から息子の湛慶らの作品が集まったこの展覧会は見なきゃ損。そして、点数は少ないと言ってもじっくり見られるからそれなりの時間は計算に入れておいたほうがいいと思う。

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2017年9月24日 (日)

九月歌舞伎座昼の部

922日 秀山祭九月大歌舞伎昼の部(歌舞伎座)
今月中旬以降はなかなか予定は立たず、とりあえず昼の部は確保しておいたものの、やっぱり断念か→湯殿の長兵衛だけは見たい→見られるかも→見る→「道行」も見られそう。
ということで事情の推移があり、「毛谷村」は残念ながらパスせざるを得なかったが、何とか2番目の演目から見ることができたのはラッキー。できれば、昼の部の後、そのまま「逆櫓」を幕見したかったが…。
「道行旅路の嫁入」
松並木を背景にした置きの浄瑠璃が終わると、背景が真ん中から開き、富士山が。そして舞台中央では藤十郎さん(戸無瀬)と壱太郎クン(小浪)がセリ上がる。壱太郎クンは愛らしく、何がなんでも力弥のもとへ、という強い意志が感じられた。藤十郎さんには母親の大きな愛が溢れていた。奴・可内の隼人クンはどことなく錦之助さんに似ていた。やっぱり歌舞伎の父子って似るんだなあと改めて思った。
「極付幡随長兵衛」
何度も見ているのに、なぜか全体に新鮮な気持ちがした。
まず「公平法問諍」は劇中劇以上の迫力があって見応え十分。又五郎さんの公平が立派で客ウケもよかった。慢容上人の橘三郎さんが軽妙で
動きも軽くて楽しめた(橘三郎さんの踊りは初めて見るかも)。騒動にとまどう劇中劇の立派な公平とその役者(劇中劇の役者)とのギャップが可笑しい。
坂田金左衛門(吉之丞)が登場してからは侍と町人の身分差が強調される。理不尽でも、そういう時代だったのだと思わされた。
吉右衛門さんが通路に現れたらしく、1階席からどよめきと拍手が起こる。やがて3階からもその姿が見える。期待にわくわくして大きな拍手を送った。大きくて頼りがいがあって、カッコいい。
長兵衛が金左衛門をたしなめている間、劇中劇の舞台後方で頼義(児太郎)の家臣2人(芝喜松、中村福太郎)が本物の侍すなわち金左衛門に対して手をつきながら様子を窺うように見ているのが<らしく>てよかった。ところで、芝喜松というお名前に「あれ?」と思ったら、今年国立劇場の研修を修了して梅花さんに入門した方だったのね。三代目芝喜松さん、どんな役者になるか注目したい。
又五郎さんは、二幕目の役が子分の出尻清兵衛で、公平から一転、コミカルな味を出していた。
休演の情報が入って心配していたが、魁春さんのお時が見られてよかった(鼻血が止まらなかったとのことは未だちょっと心配)。夫の覚悟を察し黙って見送る妻の悲しみと覚悟、身支度の終わりに、袖口のしつけ糸を抜いて夫の顔を見上げるその瞬間が一番胸にぐっときた。
さて、その覚悟も、子供に行かないでくれとすがられ、苦しい表情の長兵衛、それを振り払うように唐犬に長兵衛としての意地・名誉を語る。子供への思いを断ち切るように、突き放す。ここはやはり泣ける。

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2017年9月20日 (水)

美しい黒

170920kuroageha
赤と黒

170920kurotombo
黄色と黒
スーパーの店内で発見。後を追ったら、こんなところに。

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2017年9月17日 (日)

豊かな発想、緻密な描写:「アルチンボルド展」

912日 「アルチンボルド」展(国立西洋美術館)
アルチンボルドの絵といえば、多くの人が少なくとも一度は見たことがあるだろう。そのせいか、西美にしては(失礼)入りがよく、しっかり見ることができたものの、作品によっては人の頭の後ろから眺めることもあった。そういう場合でも、ちょっと待てば絵の前でじっくり見ることはできた。

まず、「アルチンボルドの迷宮」というビデオを見て予習。
やや色モノ的に考えていたアルチンボルドだが、実際には類い稀な発想と博物誌ともなり得る緻密なスケッチによって完成されたものであること、ハプスブルグ家に抱えられたことでその才能は十分発揮されたこと、ダ・ヴィンチの影響を受けていることなどがわかり、これまでの偏見を愧じた。
アルチンボルドが注目を浴びたのは、1930年代、ダリをはじめとするシュールレアリスムの仲間たちが「シュールレアリスムの父」と讃えたあたりかららしい。アルチンボルドは1526年ミラノ生まれで、36歳頃ハプスブルグ家の招きで宮廷画家となった。フェルディナント1世、マクシミリアン2世、ルドルフ2世と3人の皇帝に仕えた。ハプスブルグ家では騎馬試合など華やかな祝祭行事がよく行われ、アルチンボルドはその衣裳、舞台装置、演出を手掛けたそうだ(現代で言うアートディレクター)。
アルチンボルドはハプスブルグ家、国王の力を示し讃える作品を描いた。たとえば有名な「春」「夏」「秋」「冬」のうちの「冬」では藁のマントに「M」の文字が現れており、頭の枝は冠を意味し、全体としてマクシミリアン2世を示している(マクシミリアン2世は行事に冬を表す衣裳で現れたそうだ)。また、冬は1年の始まりであり(そうなの? 春が始まりかと思っていた)、時を支配する皇帝を暗示している。また「四季」と並んで有名な「四大元素」は、「大気」が「春」、「火」が「夏」、「大地」が「秋」、「水」が「冬」に対応しており、四季を支配する皇帝は時を支配し、四大元素を支配する皇帝は世界を支配するという暗示により、ハプスブルグ家の皇帝を賛美している。
版図を広げたハプスブルグ家には世界各地から珍しい品々が献上され、芸術と驚異の部屋(クリストカンマー)という蒐集室に納められた。クリストカンマ―はフェルディナンド1世が創設し、ミュージアムの原型と考えられる。珍しい動物を集めた動物園にも出入りを許されたアルチンボルドにとって、博物図説の制作も重要な仕事であった。
アルチンボルドは晩年を故郷で過ごしたいと考え、ミラノへ帰る。そこで制作されたのが上下絵である。

170917arcimboldo ビデオを見たら、次は早々と「アルチンボルドメーカー」へ。10人くらいの列に並ぶ。メーカーは作品の前に立つと、自分の顔が果物や野菜で作られ、アルチンボルド風の作品になる。出来上がった顔を写真に撮ったのだが(画面で撮影のタイミングを教えてくれる)、顔は正面だけでなく横向きにもなるし、最後はバラバラと野菜や果物が下に落ちて消えるという動きがあるので、動画撮影にすればよかった。大失敗。

さて、展示はアルチンボルド約30点にダヴィンチやアルチンボルドの同時代人、アルチンボルドの影響を受けた画家、皇帝が作らせたり集めた美術工芸品など約100点。国芳を思わせる作品もあり(国芳が影響を受けていたのだろうか)、大いに楽しめた。

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2017年9月16日 (土)

高齢者の事故は家庭内で

やっちまった。まさにそれを実践してしまった。
屋根裏に昇る油圧式の階段を下ろしていた時、重い下半分が勢いよく落ちてきて、額にがーーん。
瞬間、血がほとばしり出て、顔じゅう血だらけ。慌てて手で押さえてもどくどくどくどく。たまたまそばいにいた息子に血止めを持ってきてくれるよう頼んだはいいが、あまりの出血量にどうしたらいいのか。とりあえず水道水で顔の血を流したけれど、流しても流してもどくどくどくどく。
息子のアドバイスでタオルに血を吸わせ、あおむけになって血止めを。保冷剤も当てて、5分ほど安静にしていたら、血は止まった。

昔ながらのホルム散、出血するたび、ありがたいと思う。

止血できたし、打撲部分が腫れて痛むものの、症状はそれだけだし、場所的にはあまり問題ないと思ったが、万が一のことを考え医者に行くことにした。本当はもう少し安静にしていたいところだったが、なかなかそうもいかなくて。 さて、医者では貼った傷バンを剥がされ、「消毒、ガーゼはしない」と言われた。8年ほど前、父がやはり自宅で転倒して怪我をしたとき、別の病院でこの治療法を紹介され実施したことがある。当時はまだそれほど普及していない治療法だったが、今ではほぼ常識化しているようである。血を洗い流すためではあったが、私が傷口を水洗いしたのは正解だった。傷バンは、再び出血するのを恐れて貼っただけ。医師は、この程度ならちょっと圧迫するだけで止血するって言ってたけど、大騒ぎした割にはそんな程度の怪我だったというわけ? でも、まだ痛いよ。打撲の痛みは長引くというからね。
ちなみに側頭がやられていたら、こんな出血量ではすまなかったみたい(私のは前額部生え際。あんな重くて大きい物が落ちてきたのに、傷口は何かでつついた程度)。

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2017年9月15日 (金)

九月歌舞伎座夜の部

910日 秀山祭九月大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)
今月は後半の予定が立てられず、昼夜迷った末、絶対見たい夜の部を先にした。昼の部は見なくてもいいというわけではないが、比較の問題で、月後半へ。全体に座席の混雑感はなかったが、イヤホンの前は混んでいた。
「ひらかな盛衰記 逆櫓」
久しぶりに重厚な歌舞伎らしい歌舞伎を堪能した。
吉右衛門さんは、松右衛門として権四郎やおよしに梶原の話をする間は「う~」「あ~」とセリフがスムーズでないようではあるが(世話的な場面ではわりとそうだよね)、それがまた話の内容と相俟って愛嬌と生き生きした感じを受ける。一転、樋口で時代がかってくると、言葉はすらすら、見得とカドカドの決まりがこれぞ歌舞伎のかっこよさ、大きい人物であることを思わせる。
東蔵さん(およし)は父親・権四郎(歌六さん)と夫婦に見えるんじゃないかと思っていたが、意外と若く幼子の母親として違和感は覚えなかった。
お筆(雀右衛門)の場面はいつもうとうとしてしまう。実は今回も…。
権四郎「笈摺を捨てよ」→樋口「供養してやれ」→権四郎「未練だと笑われないだろうか」→樋口「誰が笑うものか」→権四郎、笈摺を抱きしめて泣く。この場面は胸がつまって泣けた。お筆さんのところは半意識下であったのではあるが、権四郎の心の動きがこの芝居を回しているような気がした。
樋口と槌松(駒若君)が奥へ引っ込んだ後、権四郎とおよしがとぼとぼと後を追うその悲しげな足取りに、又泣けた。
逆櫓は子役を使った遠見。遠見のやっしっしーは、前にも見たことがあったかしら。子役ちゃんたちはセリフも、船上での立ち回りもしっかりしていた。槌松役の子役ちゃんも、大半が雀右衛門さんや歌六さんの膝の上でじっと動かない役なのに、きちんと務めていて感心した。
畠山の左團次さんは、わずかな出番の中に、捌き役としての存在感があった。
「逆櫓」は機会があったら幕見でもう一度見たいが…。

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2017年9月12日 (火)

徳川将軍家→モダン東京へ

98日 「徳川将軍家へようこそ」~モダン東京(江戸東京博物館)
相撲博の次は江戸博へ。
「徳川将軍家へようこそ」は常設展示室内の5F企画展示室で見ることができる。
つい先日、6月に録画した「ヒストリア―大奥ロイヤルウエディング 篤姫と和宮と運命のプリンス」を見たばかりだったし、東京新聞に毎週日曜日掲載される「幕末・明治の残照」という記事を読んでいるので(なかなか複雑で理解しきれない)、幕末については私の中で関心度がアップしていた。
徳川幕府でいつも思うのは、その組織の細かく膨大なことである。役職一覧を見ると頭が痛くなるくらい。そうした組織が作り上げられ、そういう中で大勢の人が働き生きていたのだなあと毎度感嘆するのである。
展示品を見れば、それを書いた人たち、それを使っていた人たちの息吹が感じられ、とくに幕末はさほど遠い昔のことでもなく、親しみがわいてくる。と同時に、あの激動の時代を垣間見て、自分だったらどういう生き方ができただろうと、これも常に考える。
篤姫と和宮が必死で守ったという田安亀之助(後の徳川家達)を徳川家の跡継ぎとして認める「徳川家名相続沙汰書」は、明治新政府が内政安定のために徳川家存続が必要とした証拠であり、ヒストリアのドラマが脳内に甦った。
歴代将軍の肖像画、将軍直筆の絵(書はよく見るが、絵画はほとんど見たことがない。多才なんだなあ)など、興味深い。
展示室の外で流れていた勝海舟の無血開城へ向けての努力も、見ていて力が入った。


 

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2017年9月10日 (日)

道産子力士

98日 「道産子力士」(相撲博物館)
170910kokugikan1 2日後には大相撲が始まって、相撲博物館にも相撲のチケットがないと入れなくなるので、今のうちに、と。もっとも相撲が終われば又入れる。

道産子の関取は平成12年を最後にしばらくいなかったが、267月場所で旭大星が十両に昇進し、100人目の道産子関取となったそうだ。
この9月場所に十両昇進を果たした矢後も北海道出身だが、この展示が始まった時にはまだ幕下だったためか、矢後の名前はなかった。ちなみに、私は矢後が全日本相撲選手権(だったと思う)で優勝したのをテレビで見ており、相撲漫画に出てくる典型的ないかつい顔が怖くて、ずっと「矢後は顔が怖い、顔が怖い」と言い続けていたのだが、角界に入ってからの顔は案外愛嬌があり、前言撤回。というわけで矢後は今場所の超注目株なんだけど、初日は惜しくも同じ新十両の大成道に負けちゃったね。
閑話休題。
170910kokugikan2 道産子力士と言えば、北の湖、千代の富士といった名前がすぐに挙がるだろうが、私はもちろん北の富士ね。その師匠の千代の山の化粧まわし三つ揃いは、横綱が富嶽三十六景神奈川沖浪裏で、太刀持ち・露払いは宗達の風神雷神図であった。
吉葉山の三つ揃いは、1951年ベネチア映画祭でグランプリを取った「羅生門」にちなんだ柄。平成195月場所後に白鵬が明治神宮における奉納土俵入りで使用したそうだ(へぇ~)。
大鵬の三つ揃いは「体」「技」「心」(横綱が「技」)。大野伴睦書だそうで、これも「へぇ~」。
北の富士は三つ揃いではなく、還暦の時に使用した赤綱が展示されていた。平成14223日、ホテルニューオータニの特設土俵にて、還暦土俵入り。太刀持ち九重(千代の富士)、露払い八角(北勝海)、呼び出し三平、行司は第32代伊之助(後に31代庄之助)。
北の湖の三つ揃いには解説がなかったな。
千代の富士の三つ揃いは露払い・太刀持ちはウルフにちなんだ柄で、横綱のには53連勝にちなみ「ⅤⅩⅢ」と刺繍されていた。
北勝海は和田光正による金彩友禅で、横綱には龍、露払い・太刀持ちには獅子。大乃国は「人」「地」「天」。
ビデオでは北海道出身の上記8人の横綱の土俵入りや一番を流していた。道産子横綱大号は千代の山だったんだ、と今さらながら知る。さらに千代の山は私の記憶にある最初の横綱でもある(歳がわかっちゃうけど、今さら若ぶることもないよね)。ビデオは北の富士からカラーになっていた。やっぱり北の富士が最高だね。
相撲博物館はもちろん、場所が近い国技館周辺は楽しい!!
記念に9月場所の番付表を買った。このあと、まだ行くところがあったので、くるくる丸めて破かないように、できるだけ皺をつけないように、気を遣ったわ。


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2017年9月 9日 (土)

4つの危機を乗り越えて―モリソン文庫

91日 東方見聞録展(東洋文庫ミュージアム)
東洋文庫がすっかり気に入っちゃって、又行ってきた。
今やっているのは「モリソン文庫渡来100周年 東方見聞録展~モリソン文庫の至宝」である。
今回はもちろん、素晴らしい至宝にも目を奪われたが、東洋文庫の歩んできた苦難の道に大いなる感銘を受けた。というのも、渡来100年、モリソンが蒐集を始めてからは120年、その間に4度の大きな危機があったからだ。

1の危機:義和団事変(1900年)
モリソンの蔵書は、清朝の税関近くのモリソンの自邸にあった。義和団の排外行動が激しさを増す中、モリソンは英国公使館のあるエリアに蔵書を含む財産を移動させた。しかしその地域でも銃撃戦、砲弾戦となった。よくぞ生き残った蔵書たち。動乱後、モリソンは北京の自宅にコンクリートの書庫を作ったとのこと。そういえば、文庫の入口にブラフォーの「北京の55日」が控えめに流れていた。
2の危機:大水害(1917、大正6年)
モリソン文庫が日本に到着したばかりの1917年930日(9月26日に汐留駅に到着しそのまま深川の三菱倉庫へ運ばれた)、暴風雨と高潮が東京湾岸を襲った。書籍は鉄板で覆った箱に入っていたため多くは難を逃れたが、一部は隙間から入った海水にさらされた。これらの資料は駒込に運ばれて洗浄、乾燥など復旧作業が行われた。これに尽力したのは石田幹之助という人である(モリソン文庫の購入・受領に尽力した人でもある)。石田氏はモリソンの蔵書を全部手に取り、その大きさ、厚さ、色合いなどを覚えたそうだ。
3の危機:関東大震災(1923、大正12年)
この頃、丸の内のビルの一角で文庫の整理作業が行われていた。ビルは鉄筋コンクリート製で文庫にはほとんど被害がなかった。貸出し中の研究書札が焼失したが、後に購入によって補填された。大震災の翌年、東洋文庫設立。

4の危機:第2次世界大戦中の疎開(194549年)
昭和203月、東京の空襲が頻繁になると、蔵書の疎開が検討された。蔵書は中国社会経済史研究家・星斌夫氏の郷里である宮城県に疎開した。1カ月後終戦を迎えたが、東洋文庫は財政の基盤が失われ、24千冊の資料を東京へ戻すことができないでいた。1948年に国立国会図書館の支部となったことで、1949年、すべての資料が無事、東洋文庫に戻ってきた。

 4つの大きな危機――ドラマチックなモリソン文庫の来し方にドキドキした。本当によくぞ、無事に生き残ってくれたと感嘆せざるをえない。上に名の挙がっている石田氏や星氏をはじめとする多くの人々の尽力があってこそではあるが、それでも不可抗力ということがある。貴重な資料の数々は火にも水にも弱い紙である。今年7月、パリを襲った豪雨から地方の博物館に避難していたルーヴルの美術品が何点か落雷による火災で焼損したという悲劇を思う(当の博物館の所蔵品も含めて200点近くが壊滅的な害を受けた)。またアフガンを思えば、義和団や第二次大戦をよくぞ乗り越えてくれたという気持ちになる。
こうした歴史を知ると、貴重な資料を見る目もまた違ってくるのは現金かしら。

展覧会のタイトルである「東方見聞録」については、1485年に刊行された世界で3番目に古いという印刷本(コロンブスもこれと同じものを愛読していたのだとか‼)に、各国語版、異本などがたくさん展示されている。


ところで、あの切ない映画「慕情」のウィリアム・ホールデン演じる従軍記者のモデルは、なんとこのモリソン文庫のジョージ・アーネスト・モリソンの息子イアン・モリソンなのである。ということをこのたび初めて知った。泣いたなあ、「慕情」。原作も読んだし、あの音楽を聞くと今でも切なくなる。あの従軍記者がモリソンさんの息子だったとは、なんとも不思議な感情が湧いてきて、ますます東洋文庫が好きになったとは、やっぱり私はミーハーである。

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2017年9月 8日 (金)

かたまっちゃって…歌舞伎座チケット

10月歌舞伎座のチケット、苦労しました。
最初はカレンダー画面まで行ったら画面の右半分がグレーになってしまって、なんだ?ととまどう。そんまま日付と座席を選んだら、その座席は取れないと。
仕方ないので別の座席を選び直そうとしたら、かたまっちゃって、全然先へ進めない。座席を選ぶこともできない。気持ちを落ち着かせ待っていたらやっと動き出して、まずは選択。ところが、再びかたまっちゃって、取れたのかどうかもわからない。
しばらく経って取れたことがわかったが、さっき「ご用意できない」とでた席が買い物籠に入っているではないか。つまり同じ日の同じ時間に2枚。怖いので、確実に取れた方を残し、もう1枚はキャンセル。
続けて購入を押したら、またかたまっちゃった。
とにかく、何をするにも先へ進むのに時間がかかり、イライラするよりも、ちゃんと取れるのかどうか心配だった。
でも、どうにか取れて一安心。
国立の時は○がぐるぐる回っているので、ある意味安心感はあったが、今回はウンともスンとも言わないのが超ストレスだった。
混雑しているようでもなかったし、私のパソコンが悪かったのかなあ。

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2017年9月 7日 (木)

まさに人生劇変

4日の「結婚したら人生劇変 ○○の妻たち」って、大谷桂三夫人が取り上げられるというので見ようと思っていながら録画を忘れてしまった。再放送ないかなと探したら、TBSオンデマンドで無料で見られた(11日18:59まで)‼
ミーハーな私は超ミーハーな覗き見気分だったのだけど、奥様の勇気、愛情、苦悩を乗り越えた素敵な笑顔にかなり感動してしまった。奥様と龍生クン
(桂三さんじゃなくて?と自分にツッコむ)秘かに応援しようと思った。
桂三さんに関しては、だいぶ前の「演劇界」で色々知ってびっくりしたのだけど、結婚生活についてもビックリ。

ところでオンデマンドにたどり着くまでに色々検索していたら(最初からオンデマンドに気づけばいいのにね)、梅玉さんのブログに行きあたった。桂三さん、「タニケイ」って呼ばれていた。なるほどね。

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2017年9月 4日 (月)

国立つながらないよ〜

もう10分も経とうというのに、全然繋がらない。

パソコンの前でいらいらしているうちに雨が降り出し、洗濯物を取り込み戻ってきてもまだ繋がっていない。

20分経って、やっとチケットゲットできた。それも、購入確認まで何とか辿りついたとほっとしたらエラー画面になって再送信を求められ、再送信したのに再び○がぐるぐるまわってるだけ。諦めてもう1つブラウザを立ち上げようとしていたらその途中で購入できたことが判明。
そういえば、ここのところ国立はいつもつながるのに時間がかかるなあと思い出した。10時に入店しなければいいのだろうけど、やっぱり希望の席を取るためには「あとで」というわけにはいかない。ちなみに携帯でもチャレンジしてみたけど、繋がらなかった。
混雑対応、どうにかしてほしいわ。

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2017年9月 1日 (金)

十一月顔見世の演目

今日は朝から忙しくて、午後は出かけて、夜帰宅してからも忙しくて、外出先で顔見世の演目は確認したんだけど、投稿する暇がなくて。
やっと今パソコンの前に座ったところ。
演目と配役は→ココ
先日、「最近あださん見てないからかからないかなあ」と書いたら、なんと顔見世にかかるではないかgood 

それにしても、夜の部は重いなあ…。

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