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2017年11月21日 (火)

顔見世歌舞伎夜の部

1112日 吉例顔見世大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)
日付を打って、あらもう1週間以上も経ってしまったわ、と我ながら…。
「仮名手本忠臣蔵五段目・六段目」

仁左様の勘平に触れる前に、特筆しておきたいのは彦三郎さんの千崎弥五郎である。終始勘平への友情に満ちていて、再会の喜び、50両を返す無念さ、裏切られたことへの怒りと悲しみ、勘平の無実が明らかになった時の安堵と喜び、その直前に起きた衝撃の切腹、すべてが勘平への思いを表していた。勘平の絶命後、外へ出て泣く姿は、千崎の気持ちに観客を同化させる、と言おうか、あるいは見る側の気持ちを千崎が代弁していると言おうか、私はそういう千崎がとても好きである。権十郎さんがよく演じていた千崎、おお叔父から甥へ、という感慨もあるが、こんな千崎は初めて見たような気がする。
彌十郎さんの不破数右衛門は年上でもあり、勘平に対して千崎ほどの個人的な友情はないせいか(多分、ない?)、冷静に見ている感じがした。一方で彌十郎さんという役者の人柄が大きな暖かさを示していたと思う。
仁左様、舞台中央に座っている幕開き、笠を取った時の猟師としての生活感を感じさせながらも一抹の寂しさを含む姿が美しい。千崎と出会った懐かしさにはこちらも胸が躍った。武士である勘平の、落ちてからず~っとの気持ちが伝わってくる。そして人を撃ってしまった驚きとおののき、それなのに50両を奪う…それってどうなの?と疑問が湧いた(何回も見ている場面だけど、そんな疑問、これまでに持ったことあったかな)。
自分が撃って金を奪ったのは舅らしいと気がついてからがず~っと辛さに耐えていたから、潔白がわかった時の嬉しい表情がリアルに胸に沁みた。売られていくおかるを呼び止め、抱き寄せて「まめで」と別れを告げる場面、二人侍に申し開きを懇願する場面には泣けた。「色にふけったばっかりに」は、「色に」で一度言葉を止め、再び「色に」と始めるのが、勘平のどうしようもない悔いを強調しているように感じられた。
この物語は勘平の物語でもあるが、いっぽうでおかやの物語であるともいつも思っている。しかし、今回はおかやの物語がやや薄かったような気がする。なん全体にちょっと違う…吉弥さんは案外ニンじゃないのかも。
孝太郎さんのおかるはよかった。秀太郎さんのお才の巧みさ、松之助さんの源六の軽妙さもよかった。
染五郎さんの斧定九郎、線が太くてなかなかよかった。ただ、五段目は全体に<雨>があまり感じられなかった。

「新口村」
しょっちゅう見ていたような気がしていたが、意外と上演回数は少ないようだ。
浅葱幕が振り落されると茣蓙に身を包んだ2人。昼の部の袖萩といい、直侍といい、こちらの身にまで沁みとおるような寒さが感じられ哀れを催す(そういう情緒は別として、あとのお掃除が大変そう。というのは、昼の部で花道下をくぐった時、掃除機の音が聞こえたから)。茣蓙を開くと扇雀さんがきれい。藤十郎さんはそこにいるだけで絵になる。
歌六さんはゆっくりゆっくり花道から登場。私の席から姿が見えるまでかなり時間がかかった。このおとうさんは、いつ見ても気の毒でその気持ちを考えると泣けてくる。梅川の人柄を知って、よかったのか悪かったのか。いや、よかったとおとうさんは思っているに違いない。忠兵衛が思わず飛び出して父のもとへ行こうと扉をあけると、「今じゃない」。ここで小さな笑いが起きたのは納得いかない。
それにしても、85歳の息子に67歳の父親、芸の力ってすごい。
「大石最後の一日」
高麗屋三代が最後の名前で一つの舞台に揃ったという点だけでも見どころと言っていいだろう。
金太郎クンはセリフがもう少しな感じを受けたが、身長もますます伸び演技もよくなってきていると思った。そして、夏の「東海道中膝栗毛」でもそうだったが、若様が似合う。
おみのはこれまでどうしても好きになれなかったが、児太郎クンは一途さがいじらしくて可愛くて、とてもよかった。この役は円熟の女方より若い子の純粋さのほうが合うのかもしれない。
染五郎さんも屈折した思いをよく表現し、苦しい心を最後にパッと解き放ったのがよかった。
ここの大石は幸四郎さんが一番合うと思った。いつも泣き過ぎてしらけるのだが、今回はそれもさほど目立たず、泣いたとしても共感できる。
仁左様がスッキリすてきだった。
<上演時間>「五段目・六段目」100分(16301810)、幕間30分、「新口村」50分(18401930)、幕間15分、「大石最後の一日」80分(19452105

 

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歌舞伎ミーハー観劇記」カテゴリの記事

コメント

「五・六段目」は、歌舞伎座でこの場だけ単独上演するのは戦後二回目でいずれも当代松嶋屋の勘平です。基本は十五代目羽左衛門系だが鉄砲は一回撃つだけとか、仏壇の下の戸棚から渋紙に包んだ刀を自ら取り出すあたりに松嶋屋の工夫も。猪も旋回せず真直ぐに退場してましたね。あそこは旋回して定九郎のこしらえの時間稼ぎをするところですが、猪突猛進の猪が旋回するのはおかしいとよく言われるところですね。赤でなく黒鞘の定九郎でしたね。赤の方が好きだなぁ。秀太郎のお才が良いのは当然として吉弥も手強く演じて好演。二人侍は彌十郎と彦三郎で東京式。最後、五十両おかやに返すのは疑問。百両はそのまま納め、あそこは寸志を別に出すべきかと。おっしゃるように彦三郎はぴったりの役どころでしたね、夏のお芝居から中幕は一転し冬の「新口村」。藤十郎の忠兵衛。所作は内輪だが滲み出る風情は貴重ですね。切が「大石最後の一日」。高麗屋三代の襲名前最後の狂言としてぴったりの好企画でした。「初一念」が幸四郎の役者人生と符合します。染五郎の磯貝と児太郎のおみのの悲恋が心打ちました。金太郎の内記も懸命の演技。荒木に仁左衛門が付き合う。顔見世らしい大顔合わせを来年は期待したいですね。

投稿: うかれ坊主 | 2017年11月22日 (水) 07時31分

うかれ坊主様
歌舞伎座での五・六段目の単独上演は戦後2回目ですか。何度も見ていたような気がしていました。
刀を自分で取り出すのは勘平の武士としての心を象徴しているような気がします。
五十両をおかやに返すのは、勘平の気持ちを考えると私も納得いきません。いつもあそこでモヤモヤした気分になります。
「大石最後の一日」は高麗屋三代が揃ったうえに、芝居としても感動的で、見てよかったと思いました。
今年は「大石」で幸四郎さんと仁左様が一緒だった以外、大看板が1つの演目で顔を合わせることはなかったですが、来年は1つでも大看板が揃う演目があるといいなあと思います。

投稿: SwingingFujisan | 2017年11月23日 (木) 00時04分

音羽屋の型ですと刀(大小)は紋服と一緒におかるに用意させてお才らに対峙するんですよね。特に紀伊國屋の勘平は、刀(大小)で彼(女)らをはっきり威嚇する風に演じると記憶しています。九世宗十郎が勘平を演じたときのプログラム(新聞記事だったかも)に本人の談話として書いてあった記憶があります。

成駒屋(鴈治郎)系ですと、二人侍を迎えるときに紋服と大小を仏壇の下の押入れから自ら刀(大小)を取り出そうとするとおかやに引ったくられるので諦めるのでどっちもなしになりますものね。

従って、刀(大小)を自ら出すのは松嶋屋独自の工夫かと思います。(鴈治郎系とは違い、おかやに邪魔されません。)

音羽屋は最初から紋服大小あり、成駒屋(鴈治郎)系は紋服大小なし、松嶋屋は、紋服あり、あとから大小用意。という違いでしょうか。

鞘走った大刀を鏡にして髪の乱れを直すのは、音羽屋と松嶋屋ということになります。

東京にも音羽屋型とは別に團蔵式があって初代吉右衛門はこの型だったようです。上方式に近い勘平です。父が三世歌六ですからね。
当代には「一世一代」でこの初代の型の復活をこの目で拝見したいのが密かな望みなんですよね。

投稿: うかれ坊主 | 2017年11月23日 (木) 02時50分

前にもコメントしたような気がしますが、、「大石最後の一日」の内蔵助役は先代の幸四郎から引き継いだ息子二人が「替りバンコ」に演じていてここ30年以上、他の役者が割り込むことができない役になっていますが、そろそろ次世代にもバトンを渡してほしいところです。勘三郎・三津五郎というところだったのでしょうけどね・・・父幸四郎が先代からバトンタッチとしたのは1981年。この時38歳、染五郎だってすでに現在44歳ですからその歳を超えているわけで躊躇う必要はないのかと。

内記は歴代の配役表を見ていると感慨深いですね・・・
戦後は「扇鶴」を皮切りに、錦之助(昭和26)雷蔵(昭和28)与一(昭和34)、すこしおいて玉三郎(昭和44)などなど。

あと伝右衛門は何と言っても我當さんのお役が好きでした。
今は体調を崩されてして再演はかなわないのでしょうけれど、人柄が滲み出るような伝右衛門でしたね。記憶に残る名演技だったと思っています。ハイ。

投稿: | 2017年11月23日 (木) 07時36分

2017年11月23日 (木) 07時36分の投稿は「名無しの権兵衛でした」ね 申し訳ありませんでした!

投稿: うかれ坊主 | 2017年11月24日 (金) 12時00分

うかれ坊主様
ご丁寧にありがとうございます。お名前の入力がなくても、多分うかれ坊主様だろうと思っておりました(^-^)

内蔵助役、そうなんですね。勘三郎さん、三津五郎さんを失ったことは今さらながら残念でなりません。その下の世代としては芝翫さんあたりなんでしょうか。染五郎さんはまだ磯貝が似合うし、大石はどうかしらという気がしないでもありませんが、いずれは演じることになるんでしょうね。期待しています。

歌舞伎役者時代の錦之助、雷蔵は知りませんが、さぞきれいな内記だったでしょうね。
興味深かったので俳優協会のデータベースをちょっと見てみましたら、寿海さんが磯貝をやっていらしたのが目につきました。ご高齢なのに美青年が似合う役者さんだったという記憶があります。雷蔵さんは寿海さんの養子だったんですね!!

投稿: SwingingFujisan | 2017年11月24日 (金) 22時30分

うかれ坊主様
同じ勘平でも、色々な型があるんですね、紀伊國屋型は見たことがないかもしれません。染五郎さん、松也さんは何型だったんでしょう(残念ながら見逃しました。松也さんは音羽屋型でしょうね)。藤十郎型は亀治郎さんで見ていました。当時の自分の記録を読んでみたら、大変わかりやすい勘平だったと書いていました。紋付はおかやと奪い合って、おかやがしっかり握りしめ、最後、命の火が消えかかっている勘平の背中にかけてあげたようです(覚えていない…。記録しておいてよかった)。
松嶋屋さんの勘平は、武士であるという心根がはっきり感じられたように思います。

投稿: SwingingFujisan | 2017年11月24日 (金) 22時51分

11月の公演の大口屋寮を観るとつい思い出すのが、歌舞伎役者時代の錦之助、雷蔵で、新造の千代春、千代鶴を演じた写真が残っています。記憶違いでなければ、寿海・時蔵のコンビの時ですね。大阪歌舞伎座。
「錦之助 雷蔵 千代春 千代鶴」で検索すると画像を確認できますよ。
立っている方が錦之助(千代春)で右側が雷蔵(千代菊)ですね。

投稿: うかれ坊主 | 2017年11月25日 (土) 07時42分

(勘平となるとつい書き込みたくなってしまいます。ゴメンナサイです。)
染五郎も松也も音羽屋系ですね。東京の役者では猿之助(当時:亀治郎)が、おっしゃるように上方の鴈治郎系の勘平を演じたのがありましたね。あとは右團次(当時:右近)が自主公演で河内屋型(延若)をベースにした勘平を演じていたはずです。またちょっと違うはずですが、プログラムを探したのですが埋もれていて見つけられませんでした・・・<右團次(当時:右近)さんは「封印切」も河内屋型だったと思いますよ>
初代吉右衛門は弟の十七世勘三郎に團蔵型を教えたのですが、六代目崇拝だったので音羽屋型で演じて、ひどく怒られたという有名な話があります。姿・形、様子がいいので音羽屋系にどうしてもなってしまいますね。あそこでもし十七世が團蔵型を演じていれば東京の勘平ももう少し様々なものが観ることができたのかも・・・と思ったりします。

投稿: うかれ坊主 | 2017年11月25日 (土) 08時07分

うかれ坊主様
コメントをいただいているのに、最近パソコンの前に座る時間がなかなか取れず、公開もお返事も遅くなってしまってすみません。
千代春・千代菊の写真情報ありがとうございます。さっそく検索して記事も読みました。錦之助・雷蔵ともに颯爽とした立役からは想像できないしっとりした美しさ(元々美形だから女方でもきれいなのは当然ですね)。その記事を読んで思い出したのは、あの小川ひなさんが三代目時蔵夫人だったことを知った時の驚きです。ミーハー的な驚きですが…。

勘平のエピソードもありがとうございます。色々な型を集めた勘平を一度に見られると興味深いけれど、重いお話だから疲れてしまいますね。

投稿: SwingingFujisan | 2017年11月26日 (日) 19時21分

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