« 四月大歌舞伎昼の部:「新版歌祭文」 | トップページ | 四月歌舞伎座夜の部:「実盛物語」「黒塚」 »

2019年4月29日 (月)

帝釈天さま再び:「東寺」

4月10日 「東寺 空海と仏像曼荼羅」(東京国立博物館平成館)
前回東寺の素晴らしいお宝を拝見したのは2011年8月のことであった。あの時惚れ込んだ美男の帝釈天様に再び会えるとは‼ しかも今回は帝釈天様のみ写真撮影OKであった。展示は10期にも分かれており、私が行ったのは第3期。
前回も解説があったのかもしれないが、密教とはについて、今回、解説を読んでよくわかった(つもり)。以下、受け売り。密教とは秘密の教えのことである。空海曰く、秘密には2つある。1つは人々が無知であるため真実を覆い隠すことで、この秘密は大したことではない。究極の秘密は大日如来の説く真理である大日如来のもとで修行する菩薩さえも理解できない奥深い境地であり、そのため経典でもあえて説明することがないという秘密である。すなわち密教とは見つけることのできない秘密を求めるものである。とのことです。
東寺の所蔵品、国宝・重文がずら~りですごい‼
「第1章 空海と後七日御修法」
「御請来目録」は、空海が唐から持ち帰ったもののリストで調停に提出したもので、実に細かく記載されている。空海撰・最澄筆というのが次の「風信帖」という空海が最澄に宛てた手紙とともに印象に残った。というのも、小学校か中学か忘れたが空海と最澄について習った時、空海と最澄はライバルだと信じ込んでしまったから。そういうわけではなかったんだな、と今さらながら遠い9世紀に思いを馳せる。

「真言七祖像」は空海が留学中、師の恵果から賜った5幅と帰国後追加した2幅から成る。展示替えがあって、第3期は不空・恵果・一行の3人が本物、善無畏・龍猛・金剛智・龍智は写真パネルであったが、この技術がまた素晴らしく、まるで本物のようであった。他にも展示替えの「五大尊像」「十二天像」は同様に写真パネルが見事。
「金銅舎利塔」は恵果から授かった舎利80粒を収めるために作られたもので、後七日御修法で重要な役割を果たしており、水精念珠は空海が使ったと言われ、代々の住職が後七日御修法で使ったそうだ。この後七日御修法は一部レプリカを用いてその道場の様子が再現されていて厳かな気持ちになり、国立劇場で見た様々なお寺の声明公演が思い出された。
「第2章 真言密教の至宝」

「両界曼荼羅図(甲本)」は壁一面を使って展示されるほどの大きい曼荼羅である。空海が唐から持ち帰ったものの写しの写しだそうで、絵は不鮮明ながら、感動を覚えた。「北辰神像(妙見菩薩像)」は北極星を神格化したもの。「蘇悉地儀軌契印図」は、僧は経典に従って様々な手の形を作るが、経典には詳しく書かれていないため絵が必要と空海が述べているそうで、その手の形の絵である。

「第3章 東寺の信仰と歴史」
「金銅鈸子」は儀式で鳴らすシンバル、「銅鑼」は同じく儀式で鳴らすドラ。「散華」も含めて、ここでも国立劇場での声明公演を思い出した。
「武内宿禰坐像」は上半身裸で別に布の衣裳を着せかけていたと考えられ、裸形着装像最初期の像だそうである。
「後宇多天皇宸翰 東寺興隆条々事書」など後宇多天皇筆の書巻を見ると、この時期でもあり、なんとなくどきどきするような気がした。「舎利奉請誡文」も後宇多天皇筆で、舎利が調停に分与されるに至った経緯と受け取ったという文だそうである。後宇多天皇はのちに密教の僧になっている。「東宝記」には当時の歴史すべてが書かれている。「執事高師直奉書 暦応二年十月二十九日ほか(東寺文書のうち)」、おお、あの高師直か。史実と歌舞伎の人物はもちろん違うのだが、名前としてはなじみ深い。
ここから第二会場へ。仏像たちの世界である。
「兜跋毘沙門天立像」は羅城門にあった。「平安京入口の守護神」だそうで、それに相応しく第二会場の入口に立っておられた。「地蔵菩薩立像」は、今は無き西寺にあった。
「第4章 曼荼羅の世界」
梵字で表わされた「両界曼荼羅図」、中国で作られた立体曼荼羅「五大虚空蔵菩薩坐像」、そして4体の如来坐像等。4体の如来は手の形でしか区別できないそうで、確かに…。
私は神道の家で生まれ育ったので仏教徒ではないが、仏像を見るのは大好きで、落ち着く。東寺の仏像たち、それも国宝・重文の仏像を360度見られて幸せであった。


|

« 四月大歌舞伎昼の部:「新版歌祭文」 | トップページ | 四月歌舞伎座夜の部:「実盛物語」「黒塚」 »

展覧会」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 四月大歌舞伎昼の部:「新版歌祭文」 | トップページ | 四月歌舞伎座夜の部:「実盛物語」「黒塚」 »