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2019年5月16日 (木)

西洋で日本美術を商った初めての日本人:「林忠正」

5月8日 「林忠正」(国立西洋美術館)
ル・コルビジュエ展の後、西洋美術館の奥で開かれていた林忠正展へ。
林忠正という人のこと、全然知らなかった。画家かなと思って見に行ったら、明治期に活躍した美術商――西洋で日本美術を商った初めての日本人とのことだった。以下、パンフレット等を参考にごく簡単に林忠正について紹介する。
1853(嘉永6)年、高岡に生まれる。林忠正は、大学南校→開成学校(現在の東京大学)でフランス語を勉強し、1878年のパリ万博に際し「起立工商会社」という貿易会社の通訳として渡仏した。当地での日本美術熱を目の当たりにして万博終了後もパリにとどまることを決意し、日本の美術・工芸品を商う店を開く。
日本美術、とくに浮世絵の紹介に尽力した林忠正は、1900年のパリ万博では博覧会事務総長を務め、「日本古美術展」を開催した。1000年以上にわたる国宝級の日本美術品を多数展示したこの展覧会は大きな反響を呼んだ。彼は、日本の美術品を販売するだけでなく、該博な知識によってジャポニズム隆盛の大きな原動力となった。また日本美術を西洋に紹介する一方で、文化的役割における美術館の重要性を認識し、日本での美術館建設を構想して同時代の作家を中心とした西洋美術を収集した。松方幸次郎に先立つこと25年前のことであった。
しかし1905年にそれらの作品とともに帰国した林忠正は間もなく病に倒れ、翌1906年、52歳の若さでこの世を去った。そのため美術館構想は実現せず、彼のコレクションも帰国前パリで、そして没後は日本やアメリカでの売り立てによって散逸してしまったとのことである。
大量の日本美術・工芸品を国外に流出させた人物として時に批判にさらされることもあるそうだが、日欧文化交流に生涯を捧げた人物が明治期にいたということを初めて知ったし、もっと広く知られていい人物だと思った。

私が感銘を受けたのは、単なる美術商ではなく、その当時すでに美術館建設を考えていたという点である。たられば、は意味ないかもしれないが、彼が早逝しなかったら、松方幸次郎とタッグを組んだだろうか。
今回の展示には、万博関連の書籍、日本美術に関する文献、林忠正のコレクションのほか、フランスやイギリスの芸術家・美術商・コレクターとの書簡多数や林忠正のパスポートなど、貴重で興味深い品々が並んでいる。散逸した林コレクションではあるが、品質管理の意味で浮世絵や版本に押した小さな朱印がかろうじて彼の手を経たものであることを証しているそうである。
展覧会終了(5月19日)まであと3日しかないが、ル・コルビジュエ展をご覧になったら、林忠正展にも足を運んではいかが。

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