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2020年1月24日 (金)

「ハプスブルグ展」~「ゴシック写本の小宇宙」

1月17日 「ハプスブルグ展」~「ゴシック写本の小宇宙」(国立西洋美術館)
26日までの会期、12月中に行くつもりでいたのにあと10日ほどになって、とにかく行かれる日に、と上野へ。この後、浅草に行くのでちょうどいいし。
西美の入り口付近に人だかりが…。チケット行列だった。私は幸いチケットは持っていたので並ばずにすんだが、予想どおり中も大混雑。小さい展示物は2列目で人の隙間から、大きい作品や素通りされがちな展示物は目の前で見ることができた。しかし、解説の文字が私にはやや小さいのと照明が暗いのとで、ほとんど読めず(一番前に出て、ちょっと前のめりに見れば読めるんだけど)。
広い版図を誇るハプスブルグ家のコレクションというよりは、ハプスブルク家の歴史をたどるような展示であった(コレクションが中心で、それはそれでもちろん素晴らしい。でも印象として)。西洋史の記憶を甦らせられるといいのだが、何しろ政略結婚による血縁で複雑に結びついた王家の歴史は断片的にしか浮かび上がってこない。それでもハプスブルグ家の人々の肖像を見ると、彼らが実在したのだということ、歴史になってしまってはいても彼らが生きていたのだということが強く感じられた。その中でやはりすごいなと思うのはマリア・テレジアの堂々たる肖像である。苦労は多かっただろうが包容力を感じる。彼女がもっと長生きしていたら、マリー・アントワネットはどうなっていただろうか、なんて思いを馳せながら、2人の肖像画を見た。
フランツ・ヨーゼフ1世の肖像(ヴィクトール・シュタウファー、1916年頃)は老年でありながらこちらを見つめる目は鋭い。その鋭さにもかかわらず、ハプスベルグ家終焉時の皇帝としての苦悩だって抱えていただろうという悲しみや痛ましさのようなものを感じた。ウィーン・モダンで見た「シェーンブルン宮殿書斎での皇帝フランツ・ヨーゼフ1世」(マッチュ)と相俟って親近感が湧いた。
コレクションの中でまず度肝を抜かれたのは4体の甲冑である。マクシミリアン1世、ヴルテンベルク公ウルリッヒ、フェルディナント2世。ルドルフ2世の甲冑を360度の角度で見られる。映画やテレビで見る甲冑が目の前にある。西洋の甲冑は着脱しづらそう、動きにくそう。これを実戦でも用いたのか。
工芸品で目を引いたのは「角杯(グリフィンの鉤爪)」。カーブした角に鳥の足(鉤爪)がついて杯を立たせている。ちょっと恐竜を思い出した。
絵画ではなんといってもベラスケスだ(4点来ている)。有名な「ラス・メニーナス」の中の1人、「青いドレスの王女マルガリータ・テレサ」を見たとたん、おこがましくも「うまい‼」 打たれるものを感じたのだ。並べてあったマーソの模写(「緑のドレスの王女マルガリータ・テレサ」)と見比べたら、素人の私にもわかる格段の差である。マーソはベラスケスの最も才能のある弟子の1人だそうだ。
王女は15歳にして母方の叔父、神聖ローマ皇帝レオポルト1世に嫁ぎ、4人の子を産んで21歳で亡くなった。このあどけない8歳の王女の先行きを思うと切ない気持ちになる。


このあと、常設展のほうへ赴き、「内藤コレクション展 ゴシック写本の小宇宙」へ。
美しく興味深い中世の彩飾写本は、中毒学を専門とする学者・内藤裕志のコレクションで、約150点を2016年に西洋美術館に寄贈されたそうだ。
羊皮紙を用意し、レイアウトを決め、罫線を引く。羽根ペンと小刀で筆写する。小刀は誤記を削るために使う。尖筆で挿絵や装飾枠などの下書きを行う。金箔を置いたり、顔料で彩色したりして、インクで輪郭線などを加える。ざっとではあるが、彩色写本はこのように制作されるそうだ。
ラテン語だし読めないのではあるが、文字の中に絵が組み込まれていてというのか、絵と文字が一体化しているというのか、これみんな手写本なのか。うん、まさに小宇宙である。

 

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