展覧会

2018年5月19日 (土)

プーシキン美術館展:風景画、いいね

520日 「プーシキン美術館展―旅するフランス風景画」(東京都美術館)180519pushkin2 会期は78日までだが、手持ちのチケットが25日までで、体調もかなりよくなってきたので出かけた。まったく予備知識を持たず、点数も多くて疲れそうと覚悟していたが、風景画、それもフランスの風景に焦点を当てた展覧会で、出品点数は65点、ゆっくり見られたし、疲れもしなかった。個別の感想はなしで、全体的に感じたことを。
1章「近代風景画の源流」
風景画は宗教画や歴史画と違って背景がわからなくても鑑賞できるからいい。第1章は神話や歴史の背景としての風景。画家は物語を主体としているのかもしれないが、背景である風景が主体なんじゃないかという印象を受けた。物語を知っていればなお理解が進むのではあるが、知らなくてもその風景から物語性を感じ取ることもできるような気がした。そういう展示をしていることや、実際は11点につけられた解説(全部の作品に解説があるのはありがたい)を読んでいるからそんな気がするだけなのかもしれないけど。
2章「自然への賛美」
単純に自然=風景画という公式にあてはめられないような、人も動物も「自然」の一部であり、そういう「自然」に視点を置いた作品たちであるように見えた。
3章「大都市パリの風景画」
パリという風景の中に生き生きと息づく人たち。人を描きながら、その時々のパリの空気までも描いている、そんなふうに感じられた。一番好きな章である。
4章「パリ近郊―身近な自然へのまなざし」
印象派が登場する。人物は描かれていても風景の一部であり、光・色などから風景そのものへの関心が一段と高まっているのではないかと思った。
5章「南へ―新たな光と風景」
鉄道網の発達によって中~南部フランスへの旅が可能になる。画家たちも南仏の明るい陽射しを描き、フォーヴィズムが誕生する。こうして第1章から眺めてくると、そういうものに魅せられた画家たちの気持ちがわかるなあと思う。
6章「海を渡って/想像の世界」
面白いと思ったのは、ゴーギャンは実際にタヒチに渡ったがルソーは植物園から遠くに行ったことはないそうで、彼のあの独特の絵は想像で描かれたものだということ。そういう目であらためてルソーを見ると、うまく言えないが自由と想像の枠が重なりあっているようで、非常に興味深い。

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2018年4月30日 (月)

名作誕生

420日 「名作誕生 つながる日本美術」(東京国立博物館)
180430meisaku いずれきっと混むからと、珍しく会期の早いうちに鑑賞。
ミーハー素人が生意気だけれど、流れもよくわかり、大変いいものを見せていただいた、と思った。
1章 祈りをつなぐ
 テーマ1 一本の祈り
 テーマ2 祈る普賢
 テーマ3 祖師に祈る
2章 巨匠のつながり
 テーマ4 摂州と中国(①風景をつなぐ、②玉澗をつなぐ、③本場の水墨をつなぐ④「和」「漢」をつなぐ)
 テーマ5 宗達と古典
 テーマ6 若冲と模倣(①鶴の変容、②若冲の鶏)
3章 古典文学につながる
 テーマ7 伊勢物語
 テーマ8 源氏物語
4章 つながるモチーフ/イメージ
 テーマ9 山水をつなぐ(①松林、②富士三保松原、③吉野山)
 テーマ10 花鳥をつなぐ(①蓮、②雀)
 テーマ11 人物をつなぐ(①戸をたたく男、②縁先の美人、③交わされる視線、注がれる視線)
 テーマ12 古今をつなぐ(①江戸の坂、東京の坂、②寒山としての麗子)

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2018年3月31日 (土)

寛永の雅

328日 「寛永の雅」(サントリー美術館)
何を期待とか予想して行ったわけではないのだが、美術展のタイトルからイメージした内容とはずいぶん違った。
後水尾院を中心とした宮廷文化、遠州の美意識、仁清、探幽の作――日本の雅、知識はなくても静かな世界に触れることができた。
構成は
第一章 新時代への胎動―寛永のサロン
第二章 古典復興―後水尾院と宮廷文化
第三章 新たなる美意識―Ⅰ 小堀遠州
第四章 新たなる美意識―Ⅱ 金森宗和と仁清
第五章 新たなる美意識―Ⅲ 狩野探幽

古文書を見るといつも思うのだが、私は文字にその人の空気を感じる。後水之尾天皇の書では、古典文学を研究する天皇の姿を想像した。ちょっと興味深かかったのは源氏物語を収める箪笥(近江八景歌書箪笥)。源氏物語が古典復興の機運の中、大事にされていたことがわかる。

小堀遠州では、遠州が愛した茶道具、これらを実際に使っていたのだと思うと、私のようなガサツな人間にはわからないなりに、当時のその世界に魂が連れて行かれるような錯覚を覚えた。
仁清は御室窯を始めた人。1月に仁和寺と御室派の仏の展覧会を見たばかりで、「おお」と盛り上がったが、仁和寺の門前に窯を開いたというだけで、御室派の仏とは関係なさそう(?)。宗和の影響を受けた作品と宗和死後の作品で色調などが違うそうだが、それを意識して見なかった…。印象に残ったのは白釉円孔透鉢。丸い穴がいくつもあいていて、これはインパクト大だった。
茶碗は見るのは好きだが、鑑賞能力はない。だから、探幽のところに来て、ちょっとほっとした(と言って、絵画の鑑賞能力があるわけではない)。
探幽では、モチーフの極端に少ない「桐鳳凰図屏風」、右幅に三保松原、左幅に清見寺、中央に富士と三幅で一つの大画面を構成する「富士三保清見寺図」(まんまだね、作品名)が印象的だった。
寛永という一時代、そして主に京都の文化に焦点を当てたこの展覧会は、一つ一つの作品に解説がついていて、学芸員さんの研究に対する熱意が感じられた。
4
8日まで。

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2018年3月26日 (月)

ビュールレ・コレクション

319日 「ビュールレ・コレクション」(国立新美術館)
180326buhrle1 混まないうちに、と珍しく早めの鑑賞。ず~っと前のバーンズ・コレクションのトラウマがあるし(遅くなっちゃって、早朝8時頃から並んだ記憶がある)、ぐずぐずしていると、春休みだ、連休だと慌てるから。チケット売り場には10人くらいの列ができていたが、案外ゆっくり見ることができた。そうしたらこの日、なんと10万人目の来場者があったとか。
コレクターって、見る目の確かさ、エネルギー、資力等々、すごいなと思う。ビュールレも、ここに展示されているだけで、ハルス、アングル、ファンタン=ラトゥール、クールベ、ルノワール、ドガ、グァルディ、カナレット、シニャック、モネ、マティス、コロー、ドラクロワ、シャヴァンヌ、マネ、ピサロ、シスレー、セザンヌ、ゴッホ、ロートレック、ピカソ、ヴュイヤール、ゴーギャン、ボナール、ヴラマンク、ドラン、ブラックと錚々たる画家を集めている(展示作品数が64点と少ないし、どの絵もいいので誰1人落したくなくて、全員の名前を挙げてしまった。絵についても1点1点、感想を言いたいけれどそうもいかない)。しかも、出品作のおよそ半数が日本初公開だとか。
1章 肖像画
2章 ヨーロッパの都市
3章 19世紀のフランス絵画
4章 印象派の風景―マネ、モネ、ピサロ、シスレー
5章 印象派の人物―ドガとルノワール
6章 ポール・セザンヌ
7章 フィンセント・ファン・ゴッホ
8章 20世紀初頭のフランス絵画
9章 モダン・アート
10章 新たなる絵画の地平

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2018年3月17日 (土)

その心と作品に触れて:「熊谷守一 生きるよろこび」

313日 「熊谷守一 生きるよろこび」(東京国立近代美術館)
180317kumagai 後の予定が入っていたので朝イチで出かけ、1010分ほど前に着いたら、すでにもう20人ほどの姿が美術館前の椅子やチケット売り場に見えた。その後も人は増え、熊谷って人気あるんだなあと認識不足を認識。
さて、展覧会は、
「第1章 闇の守一(190010年代)」「第2章 守一を探す守一(192050年代)」「第3章 守一になった守一(195070年代)」
というユニークな3章に分かれている(作品リストの番号通りに展示されていないので、記憶に頼っているが、以下の作品の章分けは間違っているかも)。ユニークなタイトルなうえ、いきなり「闇の守一」って‼ 引き込まれた。

同級生の青木繁(‼)と親しく、共通の関心事をもっていたそうだ。青木には赤の輪郭線の自画像があるが、「自画像」(1904)は赤色が印象的な作品である。そして熊谷もやがて赤の輪郭線を使うようになる。
この「闇の守一」時代は後の「猫」シリーズに見るような作品からは想像もできない。デッサン力をつけていた時代でもあり光と闇を追求していた時代でもあるそうで、「蝋燭」はそれがわかる代表作だろうか。授業で描いた裸婦像も、意図的に薄闇を思わせる表現をしているのだとか。また、ある日女性の飛び込み自殺を目撃して描いた「轢死」(1908)は絵全体が暗すぎてほとんど見えないが、もともとの闇にさらに油脂の劣化が加わってのことらしい(何とかならないのかしら)。少し離れてみたら、ぼんやりとわかる…いや、わからない。
「守一を探す守一」では<死>が意識される。闇の中の裸婦像が多いのは轢死の衝撃によるものだそうだ。「轢死」をふまえた「夜」という作品からは、ほとんど見えなかった「轢死」がこんな絵だったのかということが示唆される。
私の胸に刺さるのは「陽の死んだ日」(1928)。以前「美の巨人たち」で見たんだと思うが、「陽(熊谷の次男)がこの世に残す何もないことを思って陽の死に顔を描き始めましたが、描いているうちに<絵>を描いている自分に気がつき、嫌になってやめました」という言葉が記憶に残っていた。その絵が目の前にある。絵具をぬりたくったような激しいタッチの絵を熊谷のその言葉とともに見ると、悲しみの深さと幼い死に対するやりきれなさが感じられて、泣けてきた。画家はとかく近しい人の死を描きたがるものだと常々思っていたが、浅はかな考えだと自省した。
赤い輪郭線はこの時期から見られるようで、「夜の裸」(1936)はそれがくっきり引かれている。この時代は風景画への移行がみられ、赤い輪郭線は風景画によりはっきり現れる。「裸婦を見ると風景画が描ける。風景を見ると裸婦が描ける」という熊谷の言葉は面白い。時々あるよね、裸婦のような山とか(そういうことじゃないか)。そして、だんだん色も明るくなってくる。

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2018年2月 9日 (金)

1月積み残し③:「アラビアの道」

129日 「アラビアの道」内覧会(東京国立博物館表慶館)
180209roadsofarabia セレモニーが終わる1630分頃表慶館に着くように行った。ところがセレモニーはまだ終わっていないとのことで、案内を受け先にレセプション会場へ。そこではアラビアの室内楽団がアラビア音楽を奏で(雰囲気盛り上がる)、サンドウィッチやプチガトー、飲み物が供されていた。少しずついただき、音楽を聞いていたが、なかなか案内がない。30分も経つとちょっとくたびれてきて外へ出てみたら、表慶館の前のテント脇に行列ができている。あら、もうじき入れるのかしら、と私もその列に並んだが、まだまだセレモニーは終わらないのだと。日の落ちかけた屋外の空気は冷えていたが、中でしっかり暖まった体には案外心地よい。そこでも30分ほど待ち、やっと本館から人がぞろぞろ出てきた。セレモニーに出席した関係者やお偉いさんたちがまず表慶館に入り、しばらく後にやっと一般の入場が始まった。内覧会開始が1時間遅れだったので、終了時刻も1時間延長になった。
出品リストを見たら、なんと展示数424点。表慶館のキャパで?‼ なので、装飾品など小さい展示物もかなり多く、一方、巨大な展示物もあり、見応え十分。またサウジアラビアの方がところどころに立って、日本語で質問に答えてくれたり説明してくれたり、熱意が感じられた。サウジアラビア王国の至宝とサブタイトルがついているのも然りだ。そして、知っているようで知らないサウジの歴史(展覧会のタイトルは「アラビアへの道」ではなくて「Roads of Arabia」)。それを辿りながらの展示は、アラビア独特の文化を見せながら、時に人間の営みはみな同じだと感じさせる。
とくに興味深かったのは文字で、偶像崇拝が禁じられていたイスラムではクルアーン(コーラン)を美しく書いたり刻んだりするために書が芸術として発達したそうで、確かに見事な文字だった。
香料の産地であったことがヨーロッパとの交易を通してアラビアに繁栄をもたらしたこと、二大聖地であるマッカ(メッカ)、マディーナ巡礼という信仰が巡礼路、宿泊施設、給水施設の整備を進めたことも興味深い。そういうことを考えながら展示品や遺跡の写真を眺めると、当時の町の様子が勝手な想像で甦り、ロマン心をかきたてられた。
鑑賞中、あちこちで携帯のカシャ音がしているので聞いてみたら、展示品すべて写真撮影OKとのこと。なんと太っ腹。
外に出たら、アラビアコーヒーでおもてなしをしていますと声が聞こえたので、1杯いただいてみた。コーヒーというよりはハーブティーのようでちょっとクセはあるものの、普通のコーヒー苦手な私には美味しく感じられた。あまりなじみのない文化に直接触れられるいい機会だった。

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2018年1月24日 (水)

必見、仁和寺と御室派のお宝

115日 「仁和寺と御室派のみほとけ」内覧会(東京国立博物館平成館)
「仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ」、また「これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて」――私にとって仁和寺と言えば、徒然草である。その仁和寺へは多分1回だけしか行ったことがない。徒然草からイメージしていたものとは全然違う、早朝の静かな空気と広い伽藍に圧倒されたものだ。という程度の認識しかなく、このたび仁和寺の歴史を知って勉強になった。

1章 御室仁和寺の歴史
2章 修法の世界
3章 御室の宝蔵
4章 仁和寺の江戸再興と観音堂
5章 御室派のみほとけ

光孝天皇が建立を発願、888年(仁和4年)に宇多天皇が完成させた真言密教の寺院で、皇族が門跡を務めてきたということで、皇室と深いつながりをもつのだそうだ。 
ということで、最初に興味深く見たのが高倉天皇はじめ各天皇の宸翰消息(第1章)、すなわち天皇直筆の書である。文字についてはわからないけれど、歴史で習った天皇たちの自筆というだけでミーハー心はわくわくするのである。
そして圧倒されたのは「三十帖冊子」(第1章)。空海が唐で伝授された密教経典などを書写して持ち帰ったもので、書写は空海だけでなく唐の写経生にもよるのだが、その細かくびっしり書かれた冊子を見ると、内容はもちろんわからなくても、勉強の密度の濃さに胸を打たれる。コピー時代には考えられないような熱を感じた。2週間のみ全帖公開だそう(もうじき公開時期終わってしまう)。
医学に関係する仕事をしていたこともあって、「医心方」「黄帝内経」(第3章)を見られたのは嬉しかった。
子島寺の「両界曼荼羅」(第2章)がすごい。私が見たのは胎蔵界であるが351.5×306.2cm紺地に金泥
豊富な文書、仏画、曼荼羅、仏像、彫像、全国の御室派寺院の秘仏(以前に行った屋島の寺も御室派だったとこの度知った)、そして展示室に再現された仁和寺観音堂(第4章)。33体の仏像に壁画は撮影OK。壁画に囲まれた通路は何とも言えない雰囲気で、しばしこの空間に佇みたいと思った。秘仏(第5章)はめったに見られないまさに秘仏であり、たとえ見られなくてもそれが安置されているお寺へも足を運んでみたいと心がうずいた(どこでもドアや~い)。運慶展に勝るとも劣らず、これら必見の展示品の数々(国宝、重文がずらり)は、この展覧会も行列ができそうと予想させる。
私は3時ごろ入ったのだが、あっという間に時間が過ぎて、最終コーナーにかかる頃、「内覧会の終了は1630です」とガードマンさんが知らせて歩いている声が聞こえ、駆け足でラスト数体の仏像を拝観したのであった。じっくり見るには2時間必要かもしれない。


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2018年1月 9日 (火)

北斎の面白さを知る:北斎とジャポニズム

17日 「北斎とジャポニズム」(国立西洋美術館)
180108 日曜美術館やぶらぶら美術館でも取り上げたし、CMも流れているから混んでいるんだろうなあと予想。そしてやはり事前の混雑情報では待ち30分、でももうこの日しか取れない。ということで、今年の始動は美術展。通常の正面出入り口からは入れず、建物脇からの入館になっていた。30分弱でやっと会場へ。
「第1章 北斎の浸透」、「第2章 北斎と人物」、「第3章 北斎と動物」、「第4章 北斎と植物」、「第5章 北斎と風景」、「第6章 波と富士」という分け方でもわかるように、北斎の作品は多彩なジャンルに亘るのだと改めて感心した。
どの展覧会でもそうだが、最初の部屋の最初の展示は格別に混む。この展覧会では最初の展示が書物で、ケースの前に立たないと見ることができない。そのため何重にも人垣ができていて、それだけでかなり挫けた。真ん前にはなかなか行かれないので、背伸びして何とかざっと眺めるだけ眺めて移動。
とにかく展示作品数が多い。
北斎の影響を受けた(あるいは受けたと考えられる)西欧の作品が220点、その元となった北斎の作品が約80点、書籍や小さい作品も多く(小さい作品は壁に展示されているのでけっこうちゃんと見られる)、じっくり見たら大変な時間がかかるが、人の多さにその気力をなくし、比較的流してしまった。それでも後で日曜美術館を見たら、取り上げている作品は全部覚えていた。ぶらぶらは後日見て復習しようと思う。
今回はそういうわけでメモをしないで回ったので、一つ一つの作品についての感想はパス。全体として、北斎の影響が素人目にもあきらかに見える作品もあれば、言われてみると確かにそうかもという作品、解説されてもよくわからんという作品、様々であった。言われてみると確かにそうかも、という作品では、本当にそうなのかな、たまたま同じようなオリジナリティで描かれたのではないのかしら、などと首をひねってみたり…。よくわからんという作品では、色々な角度からその影響を探してみたり…。でも彼らはきっと北斎を見ていただろうし、やっぱりインスピレーションは受けたに違いない。その影響がどこに現れているのかということを知るのは大変面白かったし(お相撲さんの後姿→踊り子、なんて面白いよね~)、北斎を見た西欧の人の衝撃がどれだけ大きかったかということをあらためて認識した。さらに、この展覧会からは北斎の奥深さ、面白さを教えてもらった(北斎って第一人者すぎて、ちょっと敬遠というのではないが不勉強にもその価値をあまり知らなかったような気がする)。今後は、まだ足を運んでいない北斎美術館にぜひ行ってみたい。

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2017年11月17日 (金)

フランスの伝統工芸:「フランス人間国宝展」

1110日 「フランス人間国宝展」(東京国立博物館表慶館)
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運慶を再見しようと16時過ぎにトーハクへ(金曜日なので21時までやっている)。しかし入場50分待ちですと‼ では先にフランス人間国宝展を見よう。ということで表慶館へ戻る。
さほど関心があったわけではなかったのだが、見てよかった。15人のフランス人匠(メートル・ダールは13人で、2人はメートル・ダールに近いと言われている)は私が日本の伝統工芸の人間国宝にもっている狭いイメージと違って、1947年~1977年生まれと若い。それぞれの作品は興味深く、これもまた私のもっているイメージとしての日本の感覚とは違うが、職人技という点では世界共通のものがあるんじゃないかと思った。
「陶器」のジャン・ジレル(1947)は曜変天目の再現研究をしているそうで、暗い室内の壁には風景が焼き付けられた陶板が掛けられ、中央の大きな机にずら~っと並べられた茶碗は11点に小さな光が当てられ、圧巻であった。
「鼈甲細工」のクリスティアン・ボネ(1949)の作品は主に眼鏡。サン=ローラン、ル・コルビュジエ、オナシス、I.M.ペイ(この人だけ知らなかった。中国系アメリカ人建築家だそうだ)に提供した眼鏡(復刻)には、それぞれの顔が思い浮かんでちょっとテンション上がった。
「革細工」のクフ王19の名がつけられた美しいバッグはピラミッドから着想を得たという。私はバッグが好きだから欲しいけれど、高すぎて手が出ないよね~。作者のセルジュ・アモルソ(1950)はケリー・バッグを手掛けたそうだ。
「金銀細工」のロラン・ダラスブ(1959)のグラスや皿などは繊細で、微妙なバランスが美しいが、実用性は薄いかも。と言うより、もったいなくて使えない。
リゾン・ドゥ・コーヌ(1948)の「麦わら象嵌細工」。初めて聞く技術だ。ライ麦の藁を乾燥させ、中を開いて平らにして土台の上に1枚ずつ貼るのだそうだ。展示作品はコナラの木に麦藁を貼ったルクソール(サイドボードのようなものかな)1点のみ。解説を読んで想像していた物とは全然違い、麦藁を開くとこうなるのか、と初めて知った。根気のいる作業だろうなあ。

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2017年11月 2日 (木)

建築家による個人住宅:「日本の家」

1028日 「日本の家」(東京国立近代美術館)
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19日に始まった「日本の家」、1029日の終幕を前にまさに駆け込みで見てきた(感想も積み残してしまった)。好評でチケット売り場に行列ができているなど聞いていたが、実際その通りだった。私はすでにチケットを持っていたので並ばずに済んだが、こういうちょっと特殊な展覧会だけに、建築関係の人が多いように見えた。後で知ったんだけど、スマホに無料の音声ガイドアプリをダウンロードできたんだそうだ。なかなか画期的なこのシステム、知らないで失敗した。

展示は時系列に関係なく13のテーマに分かれていて、建築がわかる人には見やすかったんじゃないかな。私は「ドリームハウス」が好きで見ているが、その程度で建築のことは全然わからない。それでも戦後からの日本建築の流れを辿った映像はとても面白かった。黒川紀章のあの中銀ビルも紹介されていた。「プロトタイプと大量供給」では2×4とか、プレファブとか、画期的な製法だったんだなあと改めて思った。
欧米では建築家の仕事の中心は公共建築だそうだが、日本では個人の家を手がけることもしばしばということで、丹下健三、伊藤豊雄、清家清など、私でも知っている有名建築家(もちろん、他の建築家も私がしらないだけで有名)の設計した住宅が写真と設計図とともに展示されていた。私など建築の素人には設計図も解説もよくわからないものの、無印良品の「木の家」シリーズのもととなった「箱の家」(無印良品のそんなシリーズ知らなかったぁ)、建築家の自邸は興味深かった。丹下健三の自邸は映像も公開されていたので、丹下自身の息遣いが感じられた。清家清の「斎藤助教授の家」は実物大の模型が展示されていて、中に入り、畳や椅子に座ることもできた。この日は専門家の解説があって、私が行った時には斎藤助教授の家の解説をしていたが、熱心に聞いている人がたくさんいた。
展示の後半は写真撮影OK。色々な建築の模型がたくさん展示してあり、私の家は耐震性とか心配なので建て替えるならどういう家がいいかなあという目で見てしまった(お金がないから、実際の建て替えは無理…)。それも、ついついそれぞれの家のネガティブな問題を考えてしまう。現実的には掃除。家事の中で一番苦手な掃除だから…。とはいえ、建築家の創意工夫を見ると、家にはやはり夢が詰まっているんだなあと思う。ポジティブな思考なら、どの家も一度は住んでみたい。
171102kaitakusyanoie 写真は石山修武「開拓者の家」

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