展覧会

2017年9月28日 (木)

圧巻、運慶

925日 「運慶」展内覧会(東京国立博物館)
170928unkei トーハクの内覧会は人が多くてよく見られない…が通常なので、2時開始のところを3時過ぎに到着するように行ってみたら、今回は展示数が少ないこともあって、人もいつもほどは多くなく、ゆったり丁寧に見ることができた。

私は彫刻は可能な限り全角度から見ることにしているが、今回の展示は360度どの角度からでも見られるようになっており、大変ありがたい。表情、筋肉、躍動感が伝わってきて、仏師・彫刻家の魂に圧倒されっぱなしである。
仏師であり彫刻家であること――運慶と並び名前の挙がる快慶にはバリエーションがあまりなく、信仰に基づいた仏師として美しい像を作ることがその目指すところであった。それに対し運慶は常に独創的な像を創造してきた。日本の仏像は形やポーズが限定されているとのことで、そうした中での仏像制作の姿勢から、快慶は仏師であり、運慶は仏師としても彫刻家としても高く評価されるのだそうである。これまでそんなことを考えたことなく、運慶・快慶と並べて言ってきたけれど、なるほどそういう違いがあるのかと興味深かった(だからと言って快慶の評価が低いわけではない。要するに二人の目指すところが違うということだ)。
展示は「第1章 運慶を生んだ系譜――康慶から運慶へ」「第2章 運慶の彫刻――その独創性」「第3章 運慶風の展開――運慶の息子と周辺の仏師」というわかりやすい3章から成っている。
理論的なことはわからないが、感覚として、運慶にはやはり父・康慶の影響がみられ、さらにそれを超えて自らの独創性を追求していく姿勢があるかなあと思った。康慶は「地蔵菩薩坐像」「四天王立像」「法相六祖坐像」が展示されており、どれもよいが、とくに「法相六祖坐像」が好きである。六人の僧侶の表情が個性的で親近感を覚えるのである。
運慶の作品は12点展示されている(うち1点は1021日以降の展示。1点は運慶筆の置文)。悟りの菩薩や如来には優しさからくる迫力が、毘沙門天や怒りの表情をもつ像では激しさの迫力が、どちらにしても圧倒される。20代の作品「大日如来像」の静かな美しさ、「不動明王立像」「毘沙門天立像」の圧倒的な存在感、「八大童子像」の生き生きとした魅力、その他どの像も心を惹く。運慶の像内納入品はもちろん読めるわけではないが、現代のX線、CTの技術でそういうものの存在が明らかになっていることを興味深く思った。
素晴らしいのは康慶や運慶だけではない。作者が特定されていない像も見事。子犬や神鹿のリアルな姿を表した珍しい像もある。十二神将立像は五軀がトーハク、七軀が静嘉堂に所蔵されていて(静嘉堂、持ってるよね~)、今回42年ぶりに再会を果たしたそうだ。それだけでも必見と言いたいが、これだけの運慶、そして康慶から息子の湛慶らの作品が集まったこの展覧会は見なきゃ損。そして、点数は少ないと言ってもじっくり見られるからそれなりの時間は計算に入れておいたほうがいいと思う。

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2017年9月17日 (日)

豊かな発想、緻密な描写:「アルチンボルド展」

912日 「アルチンボルド」展(国立西洋美術館)
アルチンボルドの絵といえば、多くの人が少なくとも一度は見たことがあるだろう。そのせいか、西美にしては(失礼)入りがよく、しっかり見ることができたものの、作品によっては人の頭の後ろから眺めることもあった。そういう場合でも、ちょっと待てば絵の前でじっくり見ることはできた。

まず、「アルチンボルドの迷宮」というビデオを見て予習。
やや色モノ的に考えていたアルチンボルドだが、実際には類い稀な発想と博物誌ともなり得る緻密なスケッチによって完成されたものであること、ハプスブルグ家に抱えられたことでその才能は十分発揮されたこと、ダ・ヴィンチの影響を受けていることなどがわかり、これまでの偏見を愧じた。
アルチンボルドが注目を浴びたのは、1930年代、ダリをはじめとするシュールレアリスムの仲間たちが「シュールレアリスムの父」と讃えたあたりかららしい。アルチンボルドは1526年ミラノ生まれで、36歳頃ハプスブルグ家の招きで宮廷画家となった。フェルディナント1世、マクシミリアン2世、ルドルフ2世と3人の皇帝に仕えた。ハプスブルグ家では騎馬試合など華やかな祝祭行事がよく行われ、アルチンボルドはその衣裳、舞台装置、演出を手掛けたそうだ(現代で言うアートディレクター)。
アルチンボルドはハプスブルグ家、国王の力を示し讃える作品を描いた。たとえば有名な「春」「夏」「秋」「冬」のうちの「冬」では藁のマントに「M」の文字が現れており、頭の枝は冠を意味し、全体としてマクシミリアン2世を示している(マクシミリアン2世は行事に冬を表す衣裳で現れたそうだ)。また、冬は1年の始まりであり(そうなの? 春が始まりかと思っていた)、時を支配する皇帝を暗示している。また「四季」と並んで有名な「四大元素」は、「大気」が「春」、「火」が「夏」、「大地」が「秋」、「水」が「冬」に対応しており、四季を支配する皇帝は時を支配し、四大元素を支配する皇帝は世界を支配するという暗示により、ハプスブルグ家の皇帝を賛美している。
版図を広げたハプスブルグ家には世界各地から珍しい品々が献上され、芸術と驚異の部屋(クリストカンマー)という蒐集室に納められた。クリストカンマ―はフェルディナンド1世が創設し、ミュージアムの原型と考えられる。珍しい動物を集めた動物園にも出入りを許されたアルチンボルドにとって、博物図説の制作も重要な仕事であった。
アルチンボルドは晩年を故郷で過ごしたいと考え、ミラノへ帰る。そこで制作されたのが上下絵である。

170917arcimboldo ビデオを見たら、次は早々と「アルチンボルドメーカー」へ。10人くらいの列に並ぶ。メーカーは作品の前に立つと、自分の顔が果物や野菜で作られ、アルチンボルド風の作品になる。出来上がった顔を写真に撮ったのだが(画面で撮影のタイミングを教えてくれる)、顔は正面だけでなく横向きにもなるし、最後はバラバラと野菜や果物が下に落ちて消えるという動きがあるので、動画撮影にすればよかった。大失敗。

さて、展示はアルチンボルド約30点にダヴィンチやアルチンボルドの同時代人、アルチンボルドの影響を受けた画家、皇帝が作らせたり集めた美術工芸品など約100点。国芳を思わせる作品もあり(国芳が影響を受けていたのだろうか)、大いに楽しめた。

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2017年9月12日 (火)

徳川将軍家→モダン東京へ

98日 「徳川将軍家へようこそ」~モダン東京(江戸東京博物館)
相撲博の次は江戸博へ。
「徳川将軍家へようこそ」は常設展示室内の5F企画展示室で見ることができる。
つい先日、6月に録画した「ヒストリア―大奥ロイヤルウエディング 篤姫と和宮と運命のプリンス」を見たばかりだったし、東京新聞に毎週日曜日掲載される「幕末・明治の残照」という記事を読んでいるので(なかなか複雑で理解しきれない)、幕末については私の中で関心度がアップしていた。
徳川幕府でいつも思うのは、その組織の細かく膨大なことである。役職一覧を見ると頭が痛くなるくらい。そうした組織が作り上げられ、そういう中で大勢の人が働き生きていたのだなあと毎度感嘆するのである。
展示品を見れば、それを書いた人たち、それを使っていた人たちの息吹が感じられ、とくに幕末はさほど遠い昔のことでもなく、親しみがわいてくる。と同時に、あの激動の時代を垣間見て、自分だったらどういう生き方ができただろうと、これも常に考える。
篤姫と和宮が必死で守ったという田安亀之助(後の徳川家達)を徳川家の跡継ぎとして認める「徳川家名相続沙汰書」は、明治新政府が内政安定のために徳川家存続が必要とした証拠であり、ヒストリアのドラマが脳内に甦った。
歴代将軍の肖像画、将軍直筆の絵(書はよく見るが、絵画はほとんど見たことがない。多才なんだなあ)など、興味深い。
展示室の外で流れていた勝海舟の無血開城へ向けての努力も、見ていて力が入った。


 

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2017年9月10日 (日)

道産子力士

98日 「道産子力士」(相撲博物館)
170910kokugikan1 2日後には大相撲が始まって、相撲博物館にも相撲のチケットがないと入れなくなるので、今のうちに、と。もっとも相撲が終われば又入れる。

道産子の関取は平成12年を最後にしばらくいなかったが、267月場所で旭大星が十両に昇進し、100人目の道産子関取となったそうだ。
この9月場所に十両昇進を果たした矢後も北海道出身だが、この展示が始まった時にはまだ幕下だったためか、矢後の名前はなかった。ちなみに、私は矢後が全日本相撲選手権(だったと思う)で優勝したのをテレビで見ており、相撲漫画に出てくる典型的ないかつい顔が怖くて、ずっと「矢後は顔が怖い、顔が怖い」と言い続けていたのだが、角界に入ってからの顔は案外愛嬌があり、前言撤回。というわけで矢後は今場所の超注目株なんだけど、初日は惜しくも同じ新十両の大成道に負けちゃったね。
閑話休題。
170910kokugikan2 道産子力士と言えば、北の湖、千代の富士といった名前がすぐに挙がるだろうが、私はもちろん北の富士ね。その師匠の千代の山の化粧まわし三つ揃いは、横綱が富嶽三十六景神奈川沖浪裏で、太刀持ち・露払いは宗達の風神雷神図であった。
吉葉山の三つ揃いは、1951年ベネチア映画祭でグランプリを取った「羅生門」にちなんだ柄。平成195月場所後に白鵬が明治神宮における奉納土俵入りで使用したそうだ(へぇ~)。
大鵬の三つ揃いは「体」「技」「心」(横綱が「技」)。大野伴睦書だそうで、これも「へぇ~」。
北の富士は三つ揃いではなく、還暦の時に使用した赤綱が展示されていた。平成14223日、ホテルニューオータニの特設土俵にて、還暦土俵入り。太刀持ち九重(千代の富士)、露払い八角(北勝海)、呼び出し三平、行司は第32代伊之助(後に31代庄之助)。
北の湖の三つ揃いには解説がなかったな。
千代の富士の三つ揃いは露払い・太刀持ちはウルフにちなんだ柄で、横綱のには53連勝にちなみ「ⅤⅩⅢ」と刺繍されていた。
北勝海は和田光正による金彩友禅で、横綱には龍、露払い・太刀持ちには獅子。大乃国は「人」「地」「天」。
ビデオでは北海道出身の上記8人の横綱の土俵入りや一番を流していた。道産子横綱大号は千代の山だったんだ、と今さらながら知る。さらに千代の山は私の記憶にある最初の横綱でもある(歳がわかっちゃうけど、今さら若ぶることもないよね)。ビデオは北の富士からカラーになっていた。やっぱり北の富士が最高だね。
相撲博物館はもちろん、場所が近い国技館周辺は楽しい!!
記念に9月場所の番付表を買った。このあと、まだ行くところがあったので、くるくる丸めて破かないように、できるだけ皺をつけないように、気を遣ったわ。


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2017年9月 9日 (土)

4つの危機を乗り越えて―モリソン文庫

91日 東方見聞録展(東洋文庫ミュージアム)
東洋文庫がすっかり気に入っちゃって、又行ってきた。
今やっているのは「モリソン文庫渡来100周年 東方見聞録展~モリソン文庫の至宝」である。
今回はもちろん、素晴らしい至宝にも目を奪われたが、東洋文庫の歩んできた苦難の道に大いなる感銘を受けた。というのも、渡来100年、モリソンが蒐集を始めてからは120年、その間に4度の大きな危機があったからだ。

1の危機:義和団事変(1900年)
モリソンの蔵書は、清朝の税関近くのモリソンの自邸にあった。義和団の排外行動が激しさを増す中、モリソンは英国公使館のあるエリアに蔵書を含む財産を移動させた。しかしその地域でも銃撃戦、砲弾戦となった。よくぞ生き残った蔵書たち。動乱後、モリソンは北京の自宅にコンクリートの書庫を作ったとのこと。そういえば、文庫の入口にブラフォーの「北京の55日」が控えめに流れていた。
2の危機:大水害(1917、大正6年)
モリソン文庫が日本に到着したばかりの1917年930日(9月26日に汐留駅に到着しそのまま深川の三菱倉庫へ運ばれた)、暴風雨と高潮が東京湾岸を襲った。書籍は鉄板で覆った箱に入っていたため多くは難を逃れたが、一部は隙間から入った海水にさらされた。これらの資料は駒込に運ばれて洗浄、乾燥など復旧作業が行われた。これに尽力したのは石田幹之助という人である(モリソン文庫の購入・受領に尽力した人でもある)。石田氏はモリソンの蔵書を全部手に取り、その大きさ、厚さ、色合いなどを覚えたそうだ。
3の危機:関東大震災(1923、大正12年)
この頃、丸の内のビルの一角で文庫の整理作業が行われていた。ビルは鉄筋コンクリート製で文庫にはほとんど被害がなかった。貸出し中の研究書札が焼失したが、後に購入によって補填された。大震災の翌年、東洋文庫設立。

4の危機:第2次世界大戦中の疎開(194549年)
昭和203月、東京の空襲が頻繁になると、蔵書の疎開が検討された。蔵書は中国社会経済史研究家・星斌夫氏の郷里である宮城県に疎開した。1カ月後終戦を迎えたが、東洋文庫は財政の基盤が失われ、24千冊の資料を東京へ戻すことができないでいた。1948年に国立国会図書館の支部となったことで、1949年、すべての資料が無事、東洋文庫に戻ってきた。

 4つの大きな危機――ドラマチックなモリソン文庫の来し方にドキドキした。本当によくぞ、無事に生き残ってくれたと感嘆せざるをえない。上に名の挙がっている石田氏や星氏をはじめとする多くの人々の尽力があってこそではあるが、それでも不可抗力ということがある。貴重な資料の数々は火にも水にも弱い紙である。今年7月、パリを襲った豪雨から地方の博物館に避難していたルーヴルの美術品が何点か落雷による火災で焼損したという悲劇を思う(当の博物館の所蔵品も含めて200点近くが壊滅的な害を受けた)。またアフガンを思えば、義和団や第二次大戦をよくぞ乗り越えてくれたという気持ちになる。
こうした歴史を知ると、貴重な資料を見る目もまた違ってくるのは現金かしら。

展覧会のタイトルである「東方見聞録」については、1485年に刊行された世界で3番目に古いという印刷本(コロンブスもこれと同じものを愛読していたのだとか‼)に、各国語版、異本などがたくさん展示されている。


ところで、あの切ない映画「慕情」のウィリアム・ホールデン演じる従軍記者のモデルは、なんとこのモリソン文庫のジョージ・アーネスト・モリソンの息子イアン・モリソンなのである。ということをこのたび初めて知った。泣いたなあ、「慕情」。原作も読んだし、あの音楽を聞くと今でも切なくなる。あの従軍記者がモリソンさんの息子だったとは、なんとも不思議な感情が湧いてきて、ますます東洋文庫が好きになったとは、やっぱり私はミーハーである。

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2017年8月22日 (火)

不思議で、懐かしい不染鉄

818日 不染鉄展(東京ステーションギャラリー)
「玉兎・団子売」をもう一度見たくて、幕見狙いで歌舞伎座に行ったのだけど、ちょっと前に完売になったと…。発売時刻の1115直前に着いた私も甘いのだけど…。そこで、急遽、東京駅へ。不染鉄を見たかったから。
不染鉄、全然知らない名前だった。小石川・光円寺住職の子として生まれ、本名哲二(のちに哲爾)というから不染は珍しい姓だが本名だろう。
不染鉄の絵は、決してうまくはない(下手というわけでもない。絵の描けない私がそんなことを言ったらおこがましいが)。でも目にしたとたん、すっとその世界に入っていけるような、懐かしく、温かい感情が溢れてくるような絵だ。彼が何年か漁師生活を送ったという伊豆大島の村や漁港を描いた絵は、そういう光景に縁はないのにたまらなく懐かしく愛おしくなる。同じタイトル、同じようなタイトル、絵もおおまかに言うと似たような感じで、このタイトルを見てすぐあの絵が思い浮かぶというわけにはいかないのだけど、全体としてほんわか、本当にステキな絵なのだ。
不染鉄は距離感が独特で、俯瞰していながら近い視線ももち、遠景と近景が本来なら不自然な形で並べられているのに、すんなりとその風景が受け入れられるのが不思議だ。
伊豆の他に富士山、奈良(薬師寺東塔が面白い)など、どれも心惹かれる。
絵の中に小さい文字でその時々の気持ちや光景を書いてあるのが興味深い(いわゆる画賛なんだろうか)。文字が細かすぎて、全部は読み切れないから、図録を買いたかったけれど、ぐっと我慢。
不染鉄の展覧会はかつて1回しか開かれたことがなく、今回は一見の価値ある貴重な機会。今月27日まで。


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2017年8月20日 (日)

実物を見るべし:ジャコメッティ展

816日 ジャコメッティ展(国立新美術館)
170820dog 前日、アルチンボルドを見に行こうと準備したら雨。ちょっと気がそがれて、アルチンボルドはまだ当分やっているからと取りやめたら、ちょうど私が上野に着く予定だった頃、上野周辺は大変な雨だったようで、西美までのわずかな距離でもどうなっていたことか。
仕切り直しで翌日、会期終了が近いジャコメッティ展へ。
ジャコメッティといえば、あのほそ~い像、程度の認識しかなかったが、今回展示を見て、あの像を作るのにどれだけ葛藤していたのかと知って驚いた。目に見えるものと自分との距離、目に見えるものをその通りに捉える…そのためにはモデルに長時間、長期間、動かぬことを強いる。その要求に応えられたのは弟ディエゴ、妻アネット、そして日本人哲学者矢内原伊作などわずかだった。
展示はなんと16セクションに分かれている(油彩も数点展示あり)。
初期の「キュビズム的コンポジション―男」はキュビズムってこういうことか、と初めて具体的にわからせてくれた気がする。これまで理論的には大まかにわかっていても、自分の中ではどうしてもそれがうまく具象化できなかったのだ。キュビズム、シュールレアリズムから離れて、モデルに基づく彫刻へ。最初の頃の彫刻はとにかく小さい。3.3×1×1.1cmなどという「小像(女)」、どうしたらこんなに小さく作れるんだろう。余分なものを削っていくうちに、最後には破壊してしまうこともあったそうだ(これらの小像は後述の撮影可能エリアから後姿を見ることができる)。
170820largestandingwomanii その後、像はおなじみのあのイメージ通りに大きくなっていく。この像たちは写真じゃなく、実際に目にするのが絶対にいい。展示がゆったりしていたせいもあるだろうが、大きく細長い彫刻の間を歩いていると、自分もその中の1人になったような、不思議な気分がした(とくに、セクション4の群像)。その気分は彼の苦悩がわかるようでもありながら、なんとなく心地よいのだ。それから、面白いことに、ジャコメッティの像は正面から見ても左右から見ても顔から受ける印象があまり変わらない。仏像なんかだとその印象がまったく違うことが多いのだが、ジャコメッティの場合、細いからなんだろうか。細いからこそ変わってもいいような気もするのだが…。もっともこれは私の感覚であって、正面と左右は全然違うよというのが正しいのかもしれない。
170820largehead 彫刻だけでなく、下絵やリトグラフもあった。そういう平面上の人物は彫刻のように細くはなく、普通。私はこういう作品もいいなと思った。垂涎ものは、先述の矢内原がジャコメッティと食事したりしたときに、彼が走り描きした10数点の紙ナフキンや手帳のページ。矢内原はそれを持ち帰り今は神奈川県立美術館所蔵となっている。矢内原とジャコメッティの親しさを感じさせる。
チェース・マンハッタン銀行の依頼を受けて始めたプロジェクト、実現しなかったが、「女性立像」「頭部」「歩く男」の3点が写真撮影OKである。

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2017年6月 7日 (水)

利休、長次郎に思いを馳せる:「茶の湯」

62日 「茶の湯」(東京国立博物館)
170607tyanoyu1 4
日に終わってしまった展覧会で、これもギリギリで鑑賞。「茶の湯」は近美の「茶碗の中の宇宙」(楽焼)ともコラボしていたし、会期最初の方が混んでいたように思うので、逆に会期末のほうがいいかななんていう期待もあった(土日じゃ混むだろうけど)。実際のところ、中はけっこう混んでいて、人の頭の間から見るという箇所もあったけれど、おおむね、ちゃんと見られた。
でも、ちゃんと見たところで、やっぱり茶碗の世界はわからない。自分の感覚としてこの茶碗はいい、この茶碗は好きというのはあっても、客観的な評価を見てもわからないし、茶碗に表現された作者の深い考えも私には察することができない。
それでも、茶の湯が日本人を魅了したことはDNAだろうか、なんとなくうっすらと理解できるような気がした。そして茶の湯の歴史を辿りながら、タイムスクープハンターの壮絶な「闘茶」を思い出した。
茶碗としていいなと思ったのは長次郎だ。轆轤を使わない手捏ね茶碗。長次郎って確か楽焼の始祖(もう、その程度の記憶…)、楽焼って手捏ねだったんだっけ。って、楽焼の展覧会を見た時にわかってなかった…。情けない話だけれど、今回再び長次郎の作品を見て、手捏ねを始めた理由、その独創性、それが認められた社会を思い、楽焼の良さをあらためて認識した次第。
当然、利休は大きく取り上げられているわけだが、利休の作品や書を見ながら、武士でない利休は秀吉に自害を命じられてどんな気持ちだったんだろうとそれが切々と胸に迫ってきた。作品としては竹茶杓(利休に限らず)が面白かった。とくに利休の「ゆがみ」は利休から徳川三斎に、三斎から平野長奏に贈られたそうだが、三斎が手放すとき「涙をこほし申候」と書いた手紙を添えたとのことで、竹茶杓への愛着を思うとより興味深く感じられた。
「油滴天目」が2点出ていた。油滴は「禅」の展覧会(201611月)に見たことがあるよなあと思い出していたら、1点は同じ油滴だった(と、後でわかった)。大阪市立東洋陶磁美術館所蔵で、豊臣秀次が持っていた物。静嘉堂の持っている「曜変天目」も57日まで展示されていたようだ。
お宝ガレリアで見た「初花」、小堀遠州の「転合庵」(トーハクの庭にある)を思い出したが、あの番組はこの「茶の湯」とコラボしていたんだっけ。
最後に近代数寄者として、平瀬露香、藤田香雪、益田鈍翁、原三溪、畠山即翁が取り上げられていて、美術と財力の関係をここでも実感した。私が名前を知っているのは原三溪だけだが、たまたま最終期は原三溪のコレクションが展示されていた。

トーハクらしくボリュームたっぷり(疲れた)、貴重な品々ばかりだったが、茶の湯の世界はやはり、静かに味わいたいものかもしれない。

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2017年5月29日 (月)

0.2ミリからヒトへ:「卵からはじまる形づくり」

525日 「卵からはじまる形づくり」(国立科学博物館)
170529egg 自然史博物館の後、日本館でやっていたので、覗いてきた。地球館でも展示があったようだけど、疲れて足を運べなかった。
「あなたも私も、みんな最初は直径0.2mmの受精卵でした」で始まる展示。本当に不思議だよね、0.2ミリの卵が細胞分裂を繰り返して(昔、生物の授業でやったけど、苦手だったな)、約10週後にはヒトの形になるのだから。ここではまず、成長のモデルとしてニワトリを取り上げ、腸管、脳、手足、骨などができる様子が紹介されている。ニワトリとヒトの遺伝子の数には大した差がなく、体ができていく仕組みはよく似ているのだそうだ。脳の発生はすべての脊椎動物で共通していて、基本の管からどの部分が発達するかが動物によって違うのだそうだ。大脳はやっぱり人間が一番大きく、大脳の大切さをあらためて認識した。
私が興味を持ったのは細胞の標識。ゼブラフィッシュ(1世代3カ月)やメダカの受精卵に試薬を注入する技術で、蛍光色素で標識された細胞が分裂していく様子を追跡することができる。観察していたら面白いだろうなあと思う。
植物も卵から始まる。植物の受精卵ははじめ動物のそれとよく似た卵割をするが、動物のような原腸形成は行われない。つまり動物は増えた細胞が激しく動いて原腸ができあがり、その後各胚葉から多くのパーツ(器官)が発生するけれど、植物は葉、茎、根の3パーツだけを作るのだ(もちろん、これ全部受け売り)。

細胞移植、生殖細胞、細胞の再生、分化…難しいけれど興味深い。自然史でエネルギーを使ってしまったので、さ~っと流して見たが、元気な時にこれを中心に見たい展示だった。理研100年と同様知っていたら、絶対別の時に行っていたのに。

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2017年5月28日 (日)

大英自然史博物館展

525日 大英自然史博物館展(国立科学博物館)
ず~っと大英博物館展だと思っていて、まあ向こうでもざっとだけど見たことあるし…と躊躇していたが、大英「自然史」博物館だったよ。見に行ってよかった。
展示の順序がわかりやすくて、まずはイントロとしてジョン・オーデュポンの「アメリカの鳥」からショウジョウトキとイヌワシの絵。多分(自信はないけど)、どこかで目にしたことがある有名な絵だと思う。ほかにアレクサンドラトリバネアゲハのメスとオスやはりオスのほうが小さく美しい)、宝石(「呪われたアメジスト」、なんてミステリアスなものも)、化石類などで心をつかまれる。「キリンの頭」は思わず本当に本物?と首を傾げて見入ってしまうほどインパクト大だ。
以下、「第1章 大英自然史博物館の成立」、「第2章 自然史博物館を貫く精神」、「第3章 探検がもたらした至宝」、「第4章 私たちの周りの多様な世界」、「第5章 これからの自然史博物館」と、自然史博物館の創立やコレクション、研究に貢献した人たちを紹介しながら、様々な化石、動植物、鉱物などが展示されている。
自然史博物館のコレクションの中核となった標本を収集していたハンス・スローン(彼の死後、膨大なコレクションが国に寄贈され、自然史博物館が創設された)、リチャード・オーウェン(なんか名前聞いたことがある)、私でも知っているカール・リンネ、チャールズ・ダーウィン、デビッド・リビングストン(子供の頃、リビングストンの探検物語を本で読んだことを思い出した)、財閥一家のウォルター・ロスチャイルド等々。女性のコレクター、研究者も56人いて、19世紀半ば~20世紀初頭くらいの人たちだろうか。自らの足で標本や化石を採集し、あるいは研究に身を投じた彼女たちの熱意に感銘を受けた。
エンデバー号(キャプテン・クック)やビーグル号(ダーウィン)の航海で収集された標本を見ると、当時の人たちの興奮が共有できるようなワクワク感があった。南極(ロバート・スコットのディスカバリー号、テラ・ノバ号)、アフリカ、そして19世紀のチャレンジャー号は日本にも来ていて、ロンドンに渡った日本の動植物・鉱物・隕石も展示されていた。ハンス・スローンはチャレンジャー号の前にオランダの東インド会社を通じて日本の植物標本を入手していたというから、その貪欲なコレクター精神には驚く。

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