展覧会

2017年5月23日 (火)

強く惹かれた「シャセリオー」、「スケーエン」

520日「シャセリオー展」~「スケーエン」(国立西洋美術館)
170523chasseriau シャセリオー、誰?というくらい、名前も知らなかったが(だいぶ前から開催しているので、名前は聞き覚えがあるような錯覚に陥っていた)、やはり知名度は高くないらしい。西美の外にかかっている肖像画(←)がとても素敵で、上野に行くたびに心惹かれていたのに、例のごとく会期末近くになってやっと足を運んだ(28日まで)。
シャセリオーは早くからアングルに認められるほど豊かな才能に恵まれていたが、27歳という若さで他界したこともあり、知名度が上がらなかったらしい。また、やがてアングルとの方向性の違いがはっきりして師と訣別することになったそうだが、そんなことも影響していたのかしら。そういえば、3月に放送された「美の巨人たち」、アングルとドラクロワをつい先日見たが、シャセリオーと同時代に活動したドラクロワをアングルは絶対に認めようとせず、アカデミー入会に断固として反対し、ドラクロワがアカデミーに入れるまでに20年もかかったと言っていた。デッサン重視のアングルに色彩重視のドラクロワという対立のようだが、実はアングルはドラクロワの才能に嫉妬していたという説もあるそうだ。詳しいことはわからないが、アングルに気に入られたシャセリオーのデッサン力は確かなものだったのだろう。
この展覧会はシャセリオーの作品を中心に、師のアングル、同時代人のドラクロワ、シャセリオーが影響を与えたモロー、ルドンなどの作品も展示してあって、へ~、モローってもろシャセリオーの影響受けてるんじゃん(シャレじゃないよ)、と驚いた(全然関係ないんだけど、シャセリオーの「アポロンとダフネ」を見てたら、「やすらぎの郷」の高井秀さんの絵を思い出してしまった)。
170523chasseriau2 シャセリオーの自画像はかなり印象的。彼自身は容貌にまったく自信がなかったそうだが、決してそんな容貌には見えず、むしろ惹きつけられるものがある。それが恐らく彼の才能なんだと思う。シャセリオーの肖像画は自画像、ポスターにもなっている「カバリュス嬢の肖像」(上の写真)をはじめ、どれも目に人を惹きつけるものがあるような気がする。肖像画はどれも好きだが、中でも「政治家にして公法学者のアレクシ・ド・トクヴィルの肖像」は、トクヴィルという人の人物性がとくに強く感じられて惹きつけられた。
フランスの画家にとってオリエントは魅力的だったようで、シャセリオーもアルジェリアを旅して(北アフリカもオリエントなんだ…)、いかにも触発されたんだなあとその興奮というかオリエンタリズムに対する関心の表れというか、そういう作品を残している。そうした画家の関心度が高いとこちらもその作品にのめり込めるのだ。
シャセリオーは、会計検査院大階段の壁画も手掛け、モローだけでなくシャヴァンヌにも影響を与えたが、その壁画はパリ・コンミューンの際に建物とともに焼かれてしまい、いまでは断片が残るのみだそうだ。昨年見たアフガンの展覧会でも思ったことだが、人の命のみならず人類の財産である芸術品が失われることの痛ましさをここでも非常に残念に思った。
ほとんど肖像画にしか触れなかったが、展覧会は
1
 アングルのアトリエからイタリア旅行まで
2
 ロマン主義へ――文学と演劇
3
 画家を取り巻く人々
4
 東方の光
5
建築装飾――寓意と宗教主題
で構成され、肖像画以外の魅力的な作品もいっぱいです。

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2017年5月 1日 (月)

4月分①:命を削る草間彌生

424日 「草間彌生 我が永遠の魂」(国立新美術館)
Kusama3 草間彌生という人を一言で表現するとしたら、私には「すごい人」としか言いようがない。
ずっと前、草間彌生の制作風景をテレビで見たことがある。まさに命を削っている感じがした。
水玉、点描、鮮やかな色、かぼちゃ。去年、TIMEによる「世界で最も影響力のある100人」に選ばれ、文化勲章を受章した。そんなに好きというわけでもなく、と言って嫌いなわけでもなく、草間彌生について知っていることと言えばそれくらいか。
170501kusama4 最初の展示室、「わが永遠の魂」という連作500点のうち132点が上下2枚ずつ壁にずらりと並べられている。まずはその強烈な色の壁に圧倒される。本当ならうんざり疲れそうな色なのに、全然そんなことはなくて、彼女の魂の中に入り込んだみたいで、むしろテンションが上がってくる。すべての作品に題名がつけられていて、それと絵を合せて見ると、草間彌生の中ではこれはそういう表現になるのか、と興味深い。ここは写真OKだった(上の写真は「真夜中に咲く花」)。
この後、初期の作品から見て行くのだが、初期はこんな作品も描いていたのかと驚いた。今の作品からは想像もつかない。けれども、幼いころに悩まされた幻視の影響は既に現れているようだった。草間彌生の病みは現代人の誰もが少なからず侵されているもののように思っていたが、もっともっと深いのだ、自分の中の何かと戦っているのだ、きっと。だから、作品を見る側はその命を削った魂の叫びを感じるのだ。
ニューヨーク時代の突起物で埋め尽くされたボートや「The Man」などの作品、帰国してからのやはり突起物で作られた「ドレッシング・テーブル」などからも彼女の病みが伝わってきて、少しつらくなる。
しかし「無限の鏡の間」はステキだった。全面鏡張り、小さな電飾が無数にきらめく空間でおぼつかない足元。宇宙の中に迷い込んだみたいで幻想的。幽体離脱して、魂だけが宇宙を浮遊しているような感じがした。
チケット売り場は二重、三重の長蛇の列、グッズ売り場のレジは何重もの行列。これを見ただけでも草間彌生の人気が格別なことはわかる。とはいえ、好きな人ばかりでもないだろう。しかし、草間は嫌いという人でも、草間彌生の「凄さ」は認めざるを得ないのではないだろうか。そんなことを考えた鑑賞であった。
Kusama2_2
展示室の外に鑑賞者が水玉のシールを受け取って貼れるブースがあった。何だかわからないまま並んでシールを受け取り、かなり埋め尽くされている中の隙間を見つけて大中小数個の水玉を貼ってきた。なんか楽しかったな。
外には水玉のかぼちゃ。かぼちゃの実物を最初に見たのは20107月、直島でだった。当時は草間彌生のことを今以上に知らなかったみたいだけど、海辺の水玉かぼちゃにはやっぱりテンション上がったな。直島、又行きたくなってきた。







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2017年4月12日 (水)

まさに昔と今をつなぐ「今様」

411日 「今様―昔と今をつなぐ」(松涛美術館)
170412imayo 雨の中、渋谷へ。考えてみれば、これまで雨が降っても都内はほとんど地下道で済んでいたし、本格的な雨の日に出かけたのは久しぶりで、傘が持ちなれないなあと変な感慨を覚えた。ハチ公バスを15分以上も待って2停留所。松涛美術館前で降りたはいいが、曲がる道を間違えたことで、松濤公園の周辺をぐるぐると迷ってしまった(迷うような所じゃないのにね)。

雨のせいもあるのか、鑑賞者は私1人だけ(私が出る時1人入ってきて、なんかほっとした)。あとで気がついたのだが、5日に始まったばかりだったのね。私がこんなに早く行くとは珍しい。
「今様」に取り上げられている作家は、染谷聡、棚田康司、石井亨、木村了子、山本太郎、満田晴穂の6人。どの方も初めて知った。それぞれの作家に参考作品としてインスピレーションを与えたというか背景となった作品が展示されているので、「今様」がよりわかりやすい(今様って、言葉の意味としては知っていても、あまりピンと来ていなかったのが、今回そういうことかとよくわかった)。

まず地下1階へ。
染谷さんの作品は蒔絵仕立で(よくわからないけど、そう言うのかな、)、材料として鹿の骨や角などを使っているのが面白い。最初に目に飛び込んできたのは「Displayism/御頭」。ハワイの鹿の頭蓋骨である。日本では鹿は神の使いであったりするが(先般の春日神社とか)、ハワイではスポーツハンティングの獲物でもあるそうで、地域による文化の違いを考える。参考作品として国芳「武者尽はんじもの」が展示されていて、「おすましる代」「御椀獣三郎」「おにぎゅり」など、たしかにそういうラインを連想させる作品が何点かあって面白かった。
棚田さんの作品は一木彫り。圧巻は「12の現れた少女たち」で、神社建立時に使われていた柱の端材を使用しているのだそうだ。どの少女たちもどこか寂しげ、はかなげでいて、芯の強さを感じさせるように私には見えて、好き。彼女たちに囲まれている「木の花は八角と星形の台に立つ」も、とても印象的な作品だった。参考作品は円空4点。棚田さんの作品が円空の方を見ている。
山本さんは<平成琳派>と言われているのを納得。「隅田川 桜川」は能の「隅田川」をモチーフにしていて、「隅田川」は能の拵えの母親が懐に抱いているのはキューピーさん。「桜川」はやはり能装束の母親が掃除機を持って桜を吸い取っている。この2双は左右どちらに並べても成立するそうで、今回、前後期で並べ方を変えるのだそうだ。前期は左隻が「隅田川」。「紅白紅白梅図屏風」(紅白紅白なのだ)はもちろん光琳の「紅白梅図屏風」を、また「誰ケ袖図屏風 模ホノルル本」は、ホノルル美術館の「誰ケ袖図屏風」本歌とする。参考作品は「光悦謡本」2点。

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2017年4月 9日 (日)

「伝統」と「今」と:「茶碗の中の宇宙」

45日 「茶碗の中の宇宙」(東京国立近代美術館)
170406raku1_2 茶碗の中の宇宙――わかったようなわからなかったような…。ただ、一子相伝、初代からの歴史を辿った展示を見ていくと、各代の作家が伝統を背負いながらその時代時代の「今」における自分の個性を追求していることがわかり、茶碗の中にある樂家代々の宇宙をちょっとだけ覗けた…ような気がしないでもなかった。
初代回帰があってもそれだけではない、そこに自分の追求するものを加える。そうしないと伝統は廃れてしまう。伝統を頑なに守っていくだけでは、その伝統が生きていけない世界なのだということもわかった。それは歌舞伎にも通じることかもしれないと思った。
樂家は現在十五代目。もう次の十六代目も作陶生活に入っていて、作品も展示されていた。初代長次郎から現在の吉左衛門に至るまで、苦難の時代も何回かあったそうだが、樂焼きを絶やすことなくそれを乗り越えてきたことに感銘を受けた。
私は何となく陶器が好きで見に行ったのだが、東近美はわりといつもすいているのに、この日は桜効果なのか展覧会自体への関心なのか、かなり人が多かった。おそらくお茶をたしなまれる方たち(和服姿の方も見かけた)、陶芸をやる方たちが大勢いたと思う。みなさん、「この黒がどうとか」「形がどうとか」と非常に熱心に見ていらしたが、私はくわしいことはよくわからなくて一応各代の紹介を読み、なるほどと思う部分とよくわからないという部分と…。でも、紹介解説はとても面白かった(と言うと語弊があるかな)。その中で感じたことが上記のこと。
茶碗の世界は落ち着くなあと思った。

11
日からはトーハクでも茶の湯の展覧会が始まる。東近美とコラボして、両館を結ぶシャトルバスが走るそうだ。
3月31日には、当代と玉三郎さんの対談があったのだが、事前申し込み制だったので断念。
なお、この展覧会の詳細は→ココで。



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2017年4月 8日 (土)

見て楽しい「動物集合」

45日 「動物集合」(東京国立近代美術館工芸館)
170408animals1 ランチの約束があったので、花見と運動を兼ねて九段下→靖国→千鳥ヶ淵緑道入口→北の丸→工芸館というルートで。靖国はいつも屋台と花見客で賑やかな一帯が外苑整備工事中とかで防護壁に囲われていて、桜も上のほうしか見えなかった。そんなことに気を取られていたら見事にスッ転んで、右の太ももをかなり痛め、歩けなくなるんじゃないかと心配したが、無事1日で1万歩超えできた。帰宅後インドメタシンの入った薬を塗ったら痛みも残らずほっとした。このトシだと転倒=大腿骨頸部骨折が即頭を過るからね。
さて、「動物集合」。日本の工芸品が動物(生物)と密接に結びついている、日本の動物と日本の工芸品はよく似合う、と実感した。虫、魚や海の生き物、鳥、身近な動物、想像上の動物――帯留めやブローチのような小さな作品から螺鈿、蒔絵の箱、着物、彫刻など、作品は多岐にわたる。虫は四季を象徴するし、動物には愛らしさ、雄々しさなどがあり、またそれぞれの生物に籠められた意味のようなものもある。そうしたものをあるいは繊細に、あるいは華麗に、あるいは素朴に生き生きと表現している。どの作品も見て楽しいと思ったのは、日本人の生活は動物とともにあること、そしてどんな動物であれ彼らに対する作者の親しみや愛おしみの目を感じられたからだろう。
工芸館に行くようになったのは去年あたりからだけど、ロケーションもいいし、建物もいいし、展覧会もいい。「動物集合」はもう一度見てもいいな。

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2017年4月 7日 (金)

東洋文庫の「ロマノフ王朝展」

4月6日 ロマノフ王朝展(東洋文庫ミュージアム)
170407romanov1 お花見に誘われたので、それだけではもったいないからと久しぶりに東洋文庫に出かけた。気がついたら、見たいと思っていた「ロマノフ王朝展」が9日までで、またまた駆け込み。
今年はロシア革命から100年、すなわちロマノフ王朝滅亡から100年だそうで(世界史、すっかり忘れてる)、ロシアと日本との交流を中心にロマノフ王朝の歴史を辿るという展覧会である。→ココ 参照
とにかく資料がすごい。全部写真撮影もブログアップもOKという太っ腹なのもすごい。本当なら全部紹介したい‼(写真は後出)

ピョートル1世(1672~1725)、エカチェリーナ2世(在位1762~1796)、アレクサンドル1世(同1801~1825)、ニコライ1世(同1825~1855)、アレクサンドル2世(同1855~1881)、アレクサンドル3世(同1881~1894)、ニコライ2世(同1894~1917)が皇帝代表として(?)取り上げられ、その時代背景の解説とともに、簡単な人物像がイラストで紹介され、さらにその時代の資料が展示されていて、わかりやすい。
すぐ近くの隣国ロシアとの交流は、アイヌなどの先住民から始まる。
18世紀になると東方進出を狙うピョートル大帝治下、様々なロシア人が日本近海に現れ、それを警戒する日本も役人たちが北方へ進出する。そういう緊張関係とは別に、民間人の交流があった。私がもっとも興味深いと思った漂流民たちだ。有名な大黒屋光太夫、世界初の露日辞典を著した薩摩のゴンザ、石巻の若宮丸乗組員。そして19世紀、プチャーチンがやってきて、いくつかの条約が結ばれ、ニコライ2世も来日した(大津事件!)。ロマノフ王朝300年間には暗い歴史も多々あっただろうが、日本との交流の歴史をこうして実際に見てみると、現実を忘れロマンに思えてくるから不思議だ。

ロマノフは企画展示であって、他にも東洋文庫所蔵の貴重な資料が展示されている。その中で今回は「トバエ」と「解体新書」に出会えた‼ 「トバエ」はビゴーが来日して(そうなんだ、日本に来たんだ)描いた風刺画。ビゴーは自国の伝統ある文化を忘れて西洋文化を追い求める日本人(当時―1882年頃来日―既にそうだったのか)に落胆したそうだ。「解体新書」はエンカウンタビジョンといって、書物と映像をコラボさせた展示だ。腑分けを見た杉田玄白らが「ターヘルアナトミア」の正確さに感銘を受け、翻訳する決意をしたはいいが、オランダ語がまったくわからず苦労して「解体新書」を出したという経緯を、実際の「解体新書」と「ターヘルアナトミア」に絡ませながらイラストで映し出す。面白くて2度見てしまった。

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2017年4月 5日 (水)

3月分②:「パロディ、二重の声」

325日 「パロディ、二重の声」(東京ステーションギャラリー)
ステーションギャラリーは以前「無言館 遺された絵画展」に大いなる感銘を受けて以来。調べたら2005年のことだった。今回、久しぶりにギャラリーに入って、あれ前もこんなだったかしらと、スペースそのものの記憶がない。東京駅の中にありながら、その喧騒からまったく隔離された空間だった。

パロディと言えば、私はマッド・アマノをまず思い出すが、展示の最後(本当の最後は伊丹十三:懐かしい:の「アートレポート
 質屋にて」の映像)で取り上げられていた。オリジナル作品とマッド・アマノのパロディ作品が並べて展示されてあり、一審から最高裁の判決まで、判決文すべてが紹介されていた。最終的な判決がどうなったか覚えていないので興味深かったが膨大過ぎてさ~っと流して読んだ。それでもパロディの定義とか、作品がパロディなのか盗作なのかの決定のむずかしさをあらためて感じた。

ギャラリーに入るとまず、山縣旭(レオ・ヤマガタ)の「モナ・リザ・シリーズ」(ph.1)に圧倒される。「この展覧会は助走期間としての1960年代におけるパロディの実践例の紹介出発点に、70年代に入って爆発的に増殖したパロディの足跡を追いかけ、軋轢を起こした事件の跡地にも訪れるひとときのツアーです」というコンセプトであるから、作品は6070年代のものが中心である。ヤマガタのモナ・リザは大半が2016年制作なので特別出品となっていた。「歴史上100人の巨匠が描くモナ・リザ」シリーズ。ボッティチェリ、ルーベンスから、モジリアーニ、ピカソ、黒田清輝まで多くの画家の「モナ・リザ」を興味深く眺めていたら、そのうち「ヒラリー・クリントンのモナ・リザ」とか画家以外のモナ・リザが出てきた。画家のモナ・リザはその画家の特徴をよくつかんで描かれているが、画家以外の人物はその人がモナ・リザになっている。つまりヒラリーがモナ・リザ。すべての作品で服装や背景もそのモナ・リザに相応しいものになっている。解説によると、ヤマガタはパロディというよりパスティーシュなのだそうだ。私の大好きな清水義範(最近、読んでいないなぁ)はパスティーシュの代表的作家だし(ph.6)、そういえば昔翻訳の勉強をしたとき最初に学んだのは文体模写、つまりパスティーシュだったのだ、と今ごろ気がついた。

名画のパロディは、オリジナルに触発されたという感じがなんとなくわかる…ような気がする(ph.23)。
ビックリハウスの表紙が創刊号からずら~っと展示されていて、ああそんな雑誌があったっけなあと思い出した。当時はビックリハウスとどの程度かかわっていたのだろう。あまり記憶がないので、ほとんど読んだことはなかったかもしれない。
わかりやすかったし記憶にもあったのは営団地下鉄のポスター(ph.4)。懐かしかった。
赤瀬川原平、横尾忠則のビッグネームの作品、都知事選のポスター(秋山祐徳太子)、マンガや物語のパロディ等々。パロディ漫画を読めるスペースもあって、何人かが熱心にページをめくっていた。秋山祐徳太子といえば、「秋山祐徳太子のポップ・ハプニング『ダリコ』」(原榮三郎)が笑えた(ph.5)。
ラストに先述の伊丹十三の映像のオチで又笑った。

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2017年3月18日 (土)

日本の科学発展史:理研100年

316日 「理化学研究所百年」(国立科学博物館)
170318riken1 大英博物館のついでに見ようと出かけたら、大英はまだやっていなかった(318日~)。そこで理研のみ見たのだが、単独で見て正解。展示は企画展で小規模なのだが、じっくり見て、さらに関連展示で地球館を久しぶりに訪ねたらすっかり疲れてしまった。体力落ちてるし…。

理研は最近ご無沙汰しているが、過去に23度一般公開日に見学したことがある。ニホニウム合成チームのリーダー、森田浩介博士から直接お話も伺っているのだ(プチ自慢、いやかなりの自慢)。熱心な研究者の熱心な解説というのは人を惹きつける、と当時感動したものだった。そのくせ理研のことは何にも知らないに等しいと、この展示を見て思い知らされた。科学のことなんてさっぱりわからないけれど、記録しておくことは自分にとって必要だと思うので、以下に。
財団法人理化学研究所ができたのは大正6320日、今から100年前のことである(20日に行けばよかったかしら)。高峰譲吉(タカジアスターゼ、アドレナリンの発見者)らの提唱で政財界、官学界協働で設立された。明治時代、日本は欧米の文化や科学技術を導入してきたが、その欧米の工業は基礎研究に基づくものへと変化していた。そうした事情を熟知していた高峰が、欧米諸国に劣らぬ国力をつけるには国産の基礎科学研究が必要と考えて各界に働きかけたそうだ。設立に尽力したメンバーとして、渋沢栄一、櫻井錠二(化学者)、池田菊苗(グルタミン酸ナトリウムの発明)、伏見宮貞愛親王の名が挙がっていた。
理研の発展に大きく尽力したのは第3代所長、大河内正敏である。研究費は惜しまず、一方で理研の財政を支えるために製品化に結びつきやすい研究に力を入れた。ベンチャー企業のさきがけだね。財団法人理研は1948年に解散するが、大河内は192146年の実に25年間所長を務めたのだ。
この時代に活躍した研究者として、長岡半太郎(長岡原子模型提唱)、本多光太郎(新KS鋼発明)、鈴木梅太郎(ビタミンB1発見)、寺田寅彦、真島利行(日本の有機化学の父)、朝永振一郎、湯川秀樹、黒田チカ(日本で初めて帝国大学に入学した女性の1人、ベニバナの色素研究、日本で2人目の女性理学博士。ちなみに第一号を調べたら東大の保井コノという人だった)、加藤セチ(アセチレンの重合研究により、3人目の女性理学博士)がいる。長岡、本多、鈴木は理研の三太郎と言われていたそうだ。
そしてかの有名な仁科芳雄。大河内の後、4代目所長となり、その後1948年に理研が株式会社科学研究所になるとその初代社長に就任した。仁科は1921年からヨーロッパに留学し、コペンハーゲン大学のニールス・ボーア教授の下で量子力学を学び、28年に帰国すると理研に仁科研究室を開設した。ボーア教授を日本に招いた時の貴重な映像が紹介されていたが、若き日の朝永振一郎らの屋上でのランチやはしゃいでいる姿が印象的であった。また研究者たちが活発に討論している映像は、なんか感動的であった。仁科は湯川にボース粒子の助言を与え、それが中間子論のヒントになったと言われているそうだ。湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞は1949年のこと。そして1958年には朝永振一郎がノーベル物理学賞を受賞する。
仁科は1937年小サイクロトロン、1943年大サイクロトロンを完成させるが、小サイクロトロンは空襲で損壊、大サイクロトロンは、原子爆弾の研究に繋がるとのGHQの誤解で太平洋に投棄された。これには海外の科学者から抗議の声が上がったそうだが、この時の仁科らの心情を思うと胸の奥がフツフツしてきたし、一方で海外の声について知ると仁科が世界レベルで尊敬を集めていたことと科学者たちの科学に対する誇りを感じてまた別の意味で胸が熱くなった。

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2017年3月10日 (金)

ムハに魅入られる

310日 ミュシャ展(新国立美術館)
170310mucha1 ムハ――ミュシャ。チェコ語ではムハと読むとは知らなかった(ミュシャはフランス語読み)。でも今さらムハと言われても、ちょっとピンとこないな。
さて、このミュシャ展、8日に始まったばかりで、私にしては珍しく早く行ったのは、オープニングに行った人の感想を聞いて、これは日が経つと混みそうと思ったから。そのうちテレビでも取り上げるだろうし(すでに7日のNHKで紹介されていた)。

ミュシャといえば、何年前だろうか、松竹座に行った帰りに堺のアルフォンス・ミュシャ館に寄って、切手やお札のデザインまでしていた人なんだと認識を新たにしたものだが、今回は完全にミュシャのイメージを覆させられた。
展示は、まず今回の超目玉である20点の「スラヴ叙事詩」から。スラヴ叙事詩が全20点、海外に出るのは初めてなんだそうだ。その超目玉をもったいぶらずに展示の最初にもってくるという気概が嬉しい。これを見てもらいたかったんだ、という気持ちが伝わってくる。しかも、撮影可能エリアっていうのがあって、そこでは「スラヴ抒事詩」のうち5点が撮影できるという太っ腹。今日は程よい混み方だったから(すいてそうな時間を狙った)、11枚の絵をそばまで行ってじっくり見ることもできたし、遠く離れて眺めることもできたし(何しろ、大きいから)、写真もそこそこの余裕で撮ることができた。

「スラヴ叙事詩」、とにかく11枚がデカい‼ どうやって運んだんだというほどデカい(先日のNHKによれば、丸めたカンバスを1枚ずつ1つのコンテナに入れて3回に分けて空輸したとのこと。1つのコンテナの重さは400㎏にもなった)。この連作絵画を見ると、ヨーロッパの歴史は支配と被支配、戦いの連続だったんだなあと思う(フス戦争――思い出した)。その渦の中にいる人々の悲しみ、恐れ、喜び、希望、力強さ、そういうものが押しつけがましくなく、それでいて圧倒的に強く心に沁み込んでくる。多分、祖国への愛の強さにプラスして冷静に歴史を見つめる姿勢があったのではないだろうか、と感じた。50歳から16年かけてこれだけの大作を細部に至るまで丁寧に描いたミュシャに感動するとともに、これまで知っていたミュシャとはまったく違う(まったくというのは言い過ぎかな)この20作に魅入られたわ。
とはいえ、やっぱり自分の中にあったミュシャらしいリトグラフや絵画もやっぱり素敵で、思わず見入ってしまう(そういう絵の大半は堺からの出展であった)。
彫刻も1点。「ラ・ナチュール」。美しい。それから「ウミロフ・ミラー」が面白い。歌手ボザ・ウミロフのアメリカの自宅マントルピースに飾るための鏡だそうで、鏡だから当然ながら作品を見る自分が映り、自分も作品の一部になった気分。
チェコスロヴァキアは1918年独立宣言をする。独立宣言が行われたプラハ市民会館の壁画には力強さが漲っている。ここにもミュシャの魅力が溢れている。「スラヴ叙事詩」だけで満足と書いたが、いやいや、もっと欲張るべき。
この素晴らしい展覧会、必見ですぞ。なお、スラヴ叙事詩を見る際には双眼鏡があったほうがいいかも。私はたまたまカバンに入れっぱなしになっていたオペラグラスがあって、さっきまでは少しでも荷物を軽くしたいのに失敗したと後悔していたのが大逆転。

追記1階の草間彌生展は入口が長蛇の列で驚いたが(混んでいるとは聞かされていた。そのうち見に行くつもりだけど、覚悟しておかないとな)、2階のミュシャ展はグッズ売り場のレジに二重に行列ができていてビックリ。びびって何も買わずに出てきた。

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2017年2月26日 (日)

超・魅力、もっと知りたくなった日本刀:「超・日本刀入門」

224日 「超・日本刀入門」(静嘉堂文庫美術館)
170226seikado1 だいぶ前にチケットをいただいていたのだが、遠いので迷っていたところ、最近この展覧会の評判をあちこちで目にし、心が動き始めていた。何となく「ぶらぶら美術館博物館」の録画フォルダを開いたらこの展覧会があったので見た。そしたら、何が何でも行きたくなって、来週なんて言ってると機を逃すかもしれないから、即行くことに決めた。
二子玉川は学生時代1度降りたことがあるかどうか…ほぼ初めて。大きな駅なので驚いた(昔、こんな大きかったかなあ)。静嘉堂文庫HPの丁寧なアクセス説明を頭に入れて、バスターミナルへ。さらに驚いたことに、家を出る時は青空だったのに、二子玉川は今にも降り出しそうな曇り空。あららら、霙がちらほら舞っている。傘の心配をしながら成育医療研究センター行の東急コーチバスに乗る。けっこう混んでいて、ほぼ全員静嘉堂かな、なんて考えたら、やっぱり大半が静嘉堂文庫で降りた。
バス停から少し先に入口があり、さあ美術館と思ったら、な~んとそこから緑に囲まれた坂道を約5分のぼる。びっくりしたわ~。しかし後にその敷地の広さにもっとびっくりすることになる。鑑賞後外に出て見たら山1つ分という感じなんだもの。
静嘉堂文庫は岩崎彌之助・小彌太親子(三菱2代・4代社長)によって設立され、20万冊の古典籍および6500点の東洋古美術品を収蔵しているのだそうだ。三菱と言えば、昨年東洋文庫に圧倒されたばかり。三菱財閥恐るべしだわ‼ 静嘉堂文庫については事前予習しておいたけれど、とにかく、驚きの連続。

刀は不思議な魅力を持っている。見方がわからなくても、どこか魅入られるような<気>が感じられることがある。しかし見方を多少なりとも齧り、その線で見ていくとまた別の魅力が立ち上がってきて、そうすると逆に<気>は二の次になってしまう。
もちろん齧ったと言ったところで刀の何がわかるということもなく、入口で配られた「図説・刀剣鑑賞の手引き」というリーフレット(刀の類別」、「刀の時代区分」、「刀の各部名称」、「刀の見どころ」と丁寧な資料は初心者にはありがたい)とぶらぶらの記憶を重ね合わせれば「姿」「刃文」は(初心者には色々な刃文が覚えられない)、「ああ」と感じるものがあるものの、「地鉄(肌)」になるとまったくわからない。もっとわかるようになりたい‼
静嘉堂にある国宝・重文9振のうち7振(国宝は手搔包永太刀)が展示されていて、それぞれに押し形と姿、波文、地鉄が書いてある。押し形というのは、刀剣の形状を原寸大で写し取り、刃文の特徴を抜き出したものだそうで、魚拓みたいなものかなと思った。重文「嘉禎友成太刀」は伝通院から明治初期に刀商に流出し、より古い作に格上げするため偽銘切里の名人細田直光により年紀銘がつぶされたのだそうだ。子供の頃よく遊んだ伝通院にあった刀というので興味をもって見たが、そんな細工がされることもあるのかと驚いた。
刀は作られる地域によってその特徴が異なるということを初めて知った。古刀は五カ伝と言われ、山城伝・大和伝・相州伝・備前伝・美濃伝の5つに分かれる。考えてみれば、仏像だってなんだって地域による特徴があるのだから驚くにはあたらないが、そういうことも耳新しくて面白かった。
さらにワクワクする展示が、武将たちの愛刀。信長から滝川一益に下された「古備前高綱太刀」とか直江兼続の愛刀「後家兼光」とか、刀工、刀の特徴、由来を読むと、佩刀している武将の姿が脳裏に浮かんで、わくわくするのだ。
刀の他には鐔(つば)、三所物(みところもの:刀剣の外装金具で、笄、小柄、目貫。歌舞伎でも小柄が悪業の証拠になる演目があったよね)、印籠などが展示されていた。
重文「平治物語絵巻 信西巻」は日本に3巻しか存在しないのだそうだ。信西が自害する場面、遺体を埋めた家来が信頼方にみつかり遺体の場所を教えざるを得なくなり遺体が掘り起こされる場面、遺体の首が斬られ、槍先にぶら下げられて京へ戻る場面、信頼の首実検の場面がけっこうリアルに描かれていて、昔の日本に内乱が何度もあったこと、戦の無残さ、むなしさが胸に迫って感じられた。
たしかに三菱財閥すごい‼ それに加えて学芸員さんの熱意とアイディアが今回の展覧会の魅力だね‼

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