展覧会

2018年11月22日 (木)

トーハク内ハシゴ:「大報恩寺のみほとけ」「マルセル・デュシャン」「斉白石」

1113日 「京都大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」(東京国立博物館平成館)、「マルセル・デュシャンと日本美術」(東京国立博物館平成館)、「斉白石」(東京国立博物館東洋館)
181122tohaku1 展覧会のハシゴは疲れるので避けたいところだが、平成館で2つの展覧会というのだからハシゴしないわけにはいかない。また、東洋館の「斉白石」は平成館のチケットで見られるので、そのまま足を運ぶことになった。
①大報恩寺のみほとけたち
千本釈迦堂と呼ばれる大報恩寺は1220年創建され、洛中で最も古い木造建造物として国宝に指定されている(私、行ったことあるかなあ…)。京都の建造物は数々の災禍で焼失しているが、大報恩寺は応仁の乱も無事に潜り抜けたという奇跡の寺である。その大報恩寺から28体のみほとけたちがトーハクにいらしている。今回は展示の11点についての感想を述べる余裕がないので、全体的な感想で。
出品リストを見ると、No.9から始まっていることにちょっとびっくり。「大報恩寺の歴史と寺宝――大報恩寺と北野経王堂」で、まずはその歴史を辿るというわけだ。北野経王堂は足利義満によって建てられた仏堂で、大報恩寺の近くにあり、大報恩寺がその運営に密接に関係していたそうだが、今はない。あまりに巨大な建築であったため維持がむずかしく1670年に解体されたのだとか。ここでの展示を見ると、戦乱の時代、信仰はやはり心のよりどころだったのだろうなと思う。
「聖地の創出――釈迦進行の隆盛」では、ご本尊の釈迦如来坐像と十大弟子立像が圧巻。ご本尊がリストのNo.1ということに納得。釈迦如来坐像は行快作、十大弟子立像は快慶作で、弟子がご本尊を作ったというのが面白い。十大弟子にはキャッチフレーズではないが「神通第一」(目犍連)「天眼第一」(阿那律)のようにそれぞれ得意ジャンルがある。出品リストに像の写真とともに得意ジャンルとその意味が載っているのはありがたい。日本の仏像や人物像を見ると、みんな意外に鼻が高いといつも思うのだが、十大弟子たちも鼻が高い。表情豊かなお顔もあれば、仏様のように穏やかなお顔もあり、それぞれ個性的である。
「誕生釈迦仏立像」は灌仏会のご本尊で鋳造の原型は行快の可能性が大きいそうで、寺創建期ものと考えられる。鎌倉時代の誕生仏で現存しているものは少なく、しかも大型のものは珍しいとのことだ。誕生仏であるから天上天下唯我独尊のポーズをしているが、人差し指が長くて鋭いのが印象に残った。ちなみに、前にも書いたことがあるかもしれないが、私は生まれた時そのポーズを取ったので親は大いに期待したと言っていた。残念ながら最初からまったくただの人であった…。
181122tohaku2 「六観音菩薩像と肥後定慶」では、六観音の光背がはずされ、像の後ろに展示されていた。おかげで観音像の後姿も光背もよく見ることができた。前期は光背をつけたままの展示だったようだ。後期に見てよかったかもしれない。聖観音のみ写真OKだった。
本当は快慶、行快、肥後定慶の特徴や違いに注目しなくてはいけないのだが、その辺はよくわからなかった。ところが、これも後から見たぶらぶら美術館で詳細を知り、予習していけばよかったとちょっと後悔した。


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2018年11月16日 (金)

こんなお姿、初めて見た:「仏像の姿」

118日 「仏像の姿~微笑む・飾る・踊る~」(三井記念美術館)
Photo 「姿」と書いて「かたち」と読む。
仏像好きだからというだけで何の予備知識もないまま見に行ったらが、これがなかなか面白くてヒットだった。一点一点に解説と一言(あるいは一文)見どころがついているのもわかりやすくてよかった。
仏像たちは姿勢や表情、装飾など、ふだんほとんど見る機会のないちょっと変わったお姿をしている。よくこれだけ揃ったなと感心したら、後日見た「ぶらぶら美術館」の録画で、館長と学芸員さんが運送トラックに同乗し、3週間かけて集めたのだそうだ。「仏師がアーティストになる瞬間」というキャッチフレーズ(副題)も納得(大半が名もなき仏師なのか、作者名が載っているのは3体のみ)、その熱意が感じられる展示である。
ぶらぶらで予習していけばよかったかなとも思ったが、予習すると先入観が入るから復習でよかったのかも。しかも、ぶらぶらで取り上げた仏像はすべて私がチェック&メモした中に入っていたし。ただ、ここでそれを全部記録するのは。そもそものお姿から書いておかないとならないので、大変な分量になるから、数点のみにしておこうと思う。
★迦陵頻伽立像(15世紀)
最初に出迎えてくれる像である。迦陵頻伽というのは極楽浄土に住む想像上の鳥だそうで、その鳴き声は妙音だという。この像は上半身が人間、脚が鳥になっている。目を細め口を開いているのは鳴いているのか、と解説に書いてあった。お顔だけ見ていると声が想像できないから、ぜひ聞いてみたいと思った。個人蔵だそうだが、どなたがお持ちなのだろう。ぶらぶら情報によると、単体として作られたのではなく、日光菩薩かなにかの光背の一部だっただろうということ。
★四天王眷属立像(東方天眷属・南方天眷属)(1267年、康円作)
東方天眷属は怒りの表情、南方天眷属は口笛でも吹いているようなちょっとユーモラスな表情である。前者は衣に飛龍が彫られており(衣の模様はよく見なかったのか見えなかったのか、記憶にない。ぶらぶら情報)、彩色も鮮やかなのに対し、後者はブーツのような履きものの左足踵と右足爪先がなぜか破れている。爪先は全部の指が出ている。その対照が面白い。これはトーハク蔵。康円は運慶の孫。先般見た運慶の流れがどう伝わっているかとか専門的なことはわからないから、ただ、ああ、お孫さんの作品なのねという感嘆のみで。
★十一面観音立像(9世紀)
右足踵を軽く浮かせ、前に出ようとしている姿勢(これ、よく見ないとわかりにくい)が珍しい。修行をしていると扉が開いて観音様が前に出ていらっしゃるというその瞬間を捉えたものだそうだ。瞼がふっくら、小鼻も膨らんで特徴的なお顔である。館長と学芸員さんの「ぜひ」により、三重県津市瀬古区の集会所からのお出まし。こんな素晴らしい像がそういう場にあるとは地元の方々の古くからの信仰心を窺わせ、なんと素敵なことだろうと思った。

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2018年11月10日 (土)

深い感動が押し寄せる:東山魁夷展

115日 「東山魁夷展」(国立新美術館)
181110higashiyama1 感動、感動、大きな感動が湧いてくる。
東山魁夷は「道」など有名な作品、そして東山ブルーを知っている程度(以前にBSかなんかで特集番組を見たことがある)。特別に関心をもっていたわけではなかった。ところが多くの作品を実際に目にすると、私の心の琴線が震え出し、時に涙しそうになる。絵画作品でこういう感動に包まれるなんて、これまでそうそうはなかっただろう。東山魁夷はとてもまじめな人だと思った。他の画家が真面目じゃないというのではなく、この人には「真面目」という言葉が似合うと思ったのだ。作品にはその真面目で優しい人柄がにじみ出ていて、おのずと魁夷先生と呼びたくなった(便宜上、ここでは呼び捨てにさせていただく)。
今回の展示では制作年に当時の年齢も加えられており、これまで時々しか意識しなかった画家の年齢というものに少なからぬ関心がいった(計算すれば年齢はわかるんだけど、書いておいてくれるとありがたい)。

★自然と形象
1章の前にプロローグ的に「自然と形象」三部作が展示されている。1941年(33歳)の作品で、簡素化されて見える表現が「形象」というタイトルに合っているように思った。「雪の谷間」は綿のような雲と青い谷、「秋の山」は手前の黄色い葉が印象的、「早春の麦畑」には春への希望が感じられた。
・色のすべてが穏やかで、日本人の心に素直に染み入りそう。とくに戦後の作品はどんなに人々に慰めと希望を与えたことだろうと推測する。
・先日のムンクもそうだが、画家は死と向き合うとその影が常につきまとう、というか死の衝撃や不安からなかなか逃れられず、作品にもそれが強く現れることが多い。東山魁夷も終戦前後に両親と弟を失い、家族は妻だけになった。さらにはそういう時代であるから自らも死の淵にいたわけだ。しかし魁夷は平凡な風景が生命に満ち溢れて輝くことに気づき、それが何よりも美しいと感じたのだ。死から生命の美しさ・力を掬い取った感性が作品に現れている(私もたまに、とくに雨上がりの朝など、草木の生命力と美しさを感じることがある)。
1章 国民的風景画家
・「残照」(1947年、39歳)の美しさ、泣きそうになった。何度見ても泣きそうになるのはただ美しいからなのではなく、この風景を素直に絵画にした魁夷の自然への感動が感じられるからではないだろうか。
・「月宵」「郷愁」(1948年)はどこか懐かしい。日本人の心の琴線に触れる作品だと思った。
・「道」(1950年)―魁夷自身の道、鑑賞する人の道、私の道、日本の道…画像などで何度も見ているのに、この道は人それぞれに自分の道を思わせるんだろうなあと考えたら、なんだかドキドキしてきた。
・「たにま」(1953年)は「自然と形象 雪の谷間」に似ていると思ったら、やはりそこに立ちかえりさらにそぎ落とした結果抽象的になったが、琳派の水流など伝統的な感覚もみられ、より普遍性をもつようになったと解説があった。あらためて前作と比べてみると、たしかにこちらのほうが優しく、見やすいかもしれない。
2章 北欧を描く
・作品が評価されて、画家としての地位も確固としたものになった魁夷はそれに甘んじることはなかった。そこにあぐらをかいていては怠惰になると自分を諌め、北欧へと旅立つ。こういう考え方も魁夷が真面目だと思う点の1つだ。
・北欧の風景は当然とはいえ明らかに日本の風景と違う。日本を描くもわっとした柔らかさ(うまく表現できないが綿のような質感)とは違う。日本の風景にはあまり用いられていない線で表現した風景だ。厳しい自然を強調するではなく、それでいて凍てつく澄んだ静かな空気が直接肌拭触れるように感じられる。色があるのにモノトーンのような印象を受けるのは、静謐さによるのだろうか。
・「冬華」(1964年、56歳)は見た途端、ハッとするような白さに目を奪われる。雪原、白樺だろうかびっしりと立つ木々。その前面に霧氷に覆われた枝を張り巡らせた一本の木が毅然として立っている。上方に弱く光る太陽は月かと思った。寂しい光景ではあるが、木が美しく、魁夷の自然に向ける目が感じられるように思った。

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2018年11月 6日 (火)

10月分:叫びや不安だけじゃない、ムンクの魅力

1030日 「ムンク展―共鳴する魂の叫び」(東京都美術館)
181106munch 27日からの展覧会にこんな早く行くなんて我ながら珍しい。テレビ等で取り上げられたら混むからその前に。午後2時半前に都美到着。それなりに混んではいたが、めちゃくちゃ混んでいることもなく、11点を十分堪能できた(土日は入場待ちがあるみたい)。唯一並んだのは、「叫び」。
「不安」「叫び」「絶望」と3点が並べられており、「叫び」の前はフェンスで仕切られ行列ができていた。仕切の中は2列で鑑賞。「2列目の方が早くご覧になれます」という案内の声を聞きながら、行列とはいえ、まだそれほどでもなかったので、前列に並んだ。
間近で見る「叫び」――「不安」から始まって、あのゆらゆら曲線に色……じっと見つめているうちに眩暈がしてきた。列を離れてもまだちょっとくらくらした。
ムンクのこと、知らないことばかり。絵も有名な何点かしか知らないし、ムンク自身のことについてはほぼまったく知らなかった。

展覧会の構成は
1
 ムンクとは誰か
2
 家族-死と喪失
3
 夏の夜-孤独と憂鬱
4
 魂の叫び-不安と絶望
5
 接吻、吸血鬼、マドンナ
6
 男と女-愛、嫉妬、別れ
7
 肖像画
8
 躍動する風景
9
 画家の晩年

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2018年10月20日 (土)

科学の楽しさ実感:イグ・ノーベル賞の世界

109日 「イグ・ノーベル賞の世界展」(東京ドームシティGallery AaMo
181022ignobel1 科学に親しみをもたせてくれるイグ・ノーベル賞、毎年その発表を楽しみにしている。アップしそびれたが、今年も日本人が受賞した。
だから絶対見たい展覧会だし、絶対人気出そう。混まないうちに行っちゃおうというので、朝イチで出るつもりでいたら、12時オープンだった。15分ほど前に到着。並んだが、12時に行ってもまだまだ混雑には程遠く、余裕で見られた。

イグ・ノーベル賞とは、1991年、アメリカの科学雑誌「Improbable Research」の編集長マーク・エイブラハムズ氏により創設された賞で、人々を笑わせ、考えさせてくれる研究に対して贈られる。
この展覧会ではパネル展示が主だが、研究内容を図や写真入りで簡単に読みやすく説明してくれている。また、体験できる研究では、1人で行っても十分それを楽しむことができる。
すでに知っている研究もある一方で初めて知る研究もあり、一見ばかばかしいようなテーマでも、人間の生活にどう関係するのか、どう役立つのか、とあらためて考えながら見て歩くととても楽しい。それでも、時に、「これってどうなの?」と首をかしげるのもまた楽しい(受賞したっていうことは、絶対に意味があるんだよね)。ガスマスクになるブラジャー(これ、けっこう話題になったよね)とか、逃げだして隠れる目覚まし時計とか、聴覚障碍者向けのわさびを使った火災報知器とか、商品化された研究も多々ある。どのテーマも興味深くて、スルーできるパネルなんて一つもない。
授賞式の映像は必見。レポートだけでも楽しめるが、実際の場面を見るとめちゃくちゃ笑える。
授賞式では、聴衆全員が紙飛行機を舞台に立つ人めがけて飛ばす。紙飛行機はいつ投げてもいいが、2度ほど山場が設けられていて、その時には的に扮した人をめがけて一斉に飛行機が飛ばされる。毎年この飛行機を掃除するのはハーバード大学物理学教授のロイ・グラウバー氏だが、教授はなんと2005年のノーベル物理学賞受賞者である。まさにイグ・ノーベル賞らしい授賞式だと思った。
研究発表のパフォーマンスが品位を落とすようだと、NSFW18歳未満禁止)のプラカードを持ったVチップ・モニターが登場して、即行発表者を退場させる。
研究者のスピーチの長さは60秒以内と決められており、それを超えると8歳の少女(Miss Sweetie Poo)が出てきて「Please stop. I’m bored.」と繰り返すのは有名な話。これは、制限時間を超えて熱く語りがちな研究者に、どうしたら失礼なくスピーチを終わらせてもらえるかと考えた末のアイディアである。Miss Sweetie Pooは効果てきめん、彼女が登場してからは授賞式全体の時間が40%も削減されたそうである。これもイグ・ノーベル賞の面目躍如といえるgood ideaだ。

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2018年10月12日 (金)

虫苦手でも楽しめた昆虫展

104日 「特別展 昆虫」(国立科学博物館)
181012insect2 虫は大大大の苦手。その私がカマキリ先生の熱意に影響されて、見たい見たいと思いつつ、713日からの展覧会は夏休みを挟むため9月以降にと計画していたのが、体調不良だったりなんだったりで、108日までの会期ギリギリになってしまった。入場に並ぶようなことはなかったが、中は盛況。午後だったので子供連れもいて、膨大な数の展示をみんな熱心に解説を読んだり標本を観察したり。科博の特別展はいつも研究者の熱意が漲っていて好きだ。その全部について触れるのはとても無理なので、感じたことを箇条書きで簡単に(感想と展示順は一致しません)。見どころの詳細は展覧会サイトで→ココ
★最初に展示されている超拡大した昆虫たちの模型に度肝を抜かれた。まさに「摑みはOK」だ。写真は約30倍のオオムラサキ。
★研究者の熱い心。昆虫採集の映像で見た、新種らしい個体を見つけた研究者の喜びが微笑ましくてこちらも嬉しくなった。子供の心と学問的追求心、研究者にそういうものを感じた。ちなみに、「新種の昆虫」とは、「新種」になる可能性のある「名前のない昆虫」(未記載種)で、学説発表後、世界中でそれが認識されたもののみが「新種」になるとのことだ。だから、見つけた段階では「新種」で181012insect3 はなくその可能性がある種なのだが、「このあたりの種は全部頭に入っているから」と新種に自信を覗かせる研究者って、すごい。たしか、期待どおり新種として認められたんじゃなかったかしら。学説発表にも気の遠くなるような細かい規定があり、好きじゃなくちゃできないよなあ、とため息が出た。
★昆虫採集の方法が面白い。
<スウィーピング> 文字通り網を大きく掬い取るように8の字に動かして中に入ってきた昆虫を取る。植物の葉っぱや枝なども一緒に取るし、う~んと小さな虫もいるから、取るには慎重さが要求される。これで取れるのはハチ目、甲虫目、カメムシ目など。
<ライトトラップ> これも文字通り灯火採集。ガなどが取れる。
<
イエローパントラップ> 黄色の容器に中性洗剤を入れた水を張り、虫のいそうな場所に設置する。小型のハチ、ハエ、甲虫などが取れる。
<ノムラホイホイ> 他にもいろいろなトラップがあるが、最高に面白いのがノムラホイホイだ。ベートトラップ(餌トラップ)の一種で、従来のベートトラップは用具や設置方法が全部違っていて非常に非効率だった。そこで野村周平さんが約20年前に、1種類の容器で多くの種類の昆虫を採集できるトラップを考案した。それがノムラホイホイである。ペットボトルを利用したトラップで、中にバナナなど昆虫の好きな餌を入れて設置しておくと、たくさんの昆虫がペットボトルの中に入っているというわけ(バナナ→カブトブシ)。映像でその成果を見た時には私のみならず多くの人から思わず「おお~」の声が漏れた。ノムラホイホイ(ネーミングがいいよね。これは野村さん本人の命名によるのではないそうだ)は、中に入れる餌や設置場所を変えることによって色々な種類の昆虫が取れるという優れもの。作り方がネットに出ているから、興味ある人はやってみれば面白いと思う。採集の際にはマナーを守りましょうね。
★昆虫採集をする際、トラップにかかった虫をみんな素手で触っていたが大丈夫なんだろうか。つい先ごろ、節足動物が感染源だったり媒介したりするウイルス感染症の本を読んだばかりなのでひどく心配になった。とくに海外での採集なんて怖いと思うけど…。
★標本の作り方には繊細・緻密な作業が求められる。子供の頃、作った標本なんていい加減なものだったなあとつくづく思う。もっとも学術的な標本と比べたってしょうないが。標本作りの映像を見ていたら、江戸川乱歩を思い出してしまった。
100年前にイギリス人が採集した日本産甲虫の標本が科博に残っている。標本や、採集・標本つくりに使った道具なども展示されている。100年前だよ~、なんという貴重な財産だ。

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2018年10月 7日 (日)

9月分②:「ピエール・ボナール展」

926日 「ピエール・ボナール展」内覧会(国立新美術館)
181007bonard 通常、内覧会は展覧会開催日の前日、美術館の休館日に行われるのだが、今回はオープンが26日水曜日で、したがって休館日ではない(近美の休館日は火曜日)。ということで、内覧会も午後7時からと遅い開始だった。しかも雨。でも大好きなボナールだから。
1
 日本かぶれのナビ
好きだ好きだと言いながら、ボナールのことは何も知らない。ナビ派の中心的存在であったボナールは「日本の版画展」(1890年)に強い衝撃を受け、浮世絵に傾倒するあまり「日本かぶれのナビ」とあだ名されるようになったのだそうだ。縦長の画面に浮世絵を思わせる構図の初期の作品、とくに「庭の女性たち 白い水玉模様の服を着た女性」(189091)はいいなと思った。また「乳母たちの散歩、辻馬車の列」(18971899)は屏風形式なのが面白い。「男と女」(1900)はなかなか、な作品だ。裸の男女は性的な関係を示唆しながら(ボナールが男性の裸体を描くことは少ないそうだ)、2人は衝立で隔てられている。男女はボナールとマルトらしいが、嫌らしい感情はまったく湧かない。
2
 ナビ派時代のグラフィック・アート
ボナールもこんなポスターとか描いていたのか。私がボナールのことを何もわかっちゃいなかったのは、この章でも明らか。「フランス=シャンパーニュ」(1891)とか「ラ・ルヴュ・ブランシュ」(1894、これが面白い、いい)なんて、ロートレックかと思ったわ。で、ロートレックの影響を受けているのかと思ったら、その逆。
ポスターだけでなく、本の表紙や挿絵、楽譜の挿絵も描いている。ボナールの妹の夫がクロード・テラスという作曲家で、彼の楽譜のために描いているのだが、その絵からも、またテラスやの肖像画などからも、彼らが仲良かったことが窺える。楽譜にこんな絵をつけてもらえたらしあわせだろうなぁ。
3
 スナップショット
1898
年、コダック社が蛇腹式のポケットカメラを発売するとボナールはすぐに購入したそうだ。もっとも、ボナールは1890年頃からすでに写真を撮り始めているのだ。カメラの登場に、ノスタルジー的な感情を覚えた。当時の画家たちは多分、写真を絵画より下に見ていたんじゃなかったっけ。そして写真への興味は構図とか光に関するものだっただろうが、ボナールはまさに生活、その瞬間を撮っていたように見える。そして写真を素描のようにして制作した絵画作品もある。今回公開された30点もの写真はボナールの生活を知るうえで、また絵画作品との関連を考えると興味深い。一方で、写真には絵画とは違った「素」の良さがある。理由はわからないが、ボナールは1905年以降、ほとんど写真を撮らなくなり、残されている最後の写真は1916年のものである。

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2018年9月27日 (木)

お弁当を作りたくなった:「BENTO おべんとう展」

921日 「お弁当展」(東京都立美術館)
180927bento1 藤田嗣治展の後、同じ都美で「お弁当展」へ。
最初の部屋は江戸時代から現代までの日本の弁当箱、そして世界の弁当箱のコレクションで、とても興味深くて楽しかった。この部屋だけが写真撮影禁止だったのが残念でならない。
江戸時代の弁当箱とか、いつも見るたびに思うのは、洗うの大変だっただろうなということ。漆など高価な弁当箱はとくに大変だっただろう。弁当箱に触れるコーナーでは、懐かしのアルマイト弁当箱に係の人と話が盛り上がった。ゴールドのちょっと大きめの四角い弁当箱は父が使っていた。赤い楕円形の弁当箱は蓋に花が描かれていて、私が使っていた。どちらも懐かしくて、久しぶりに胸がきゅんとした。私と同じように、「これ、持っていました」という人が多いらしい(同じ年代だね)。
お弁当を食べている人やお弁当の写真がずら~り並んでいたのはこの部屋の真ん中だったらしい(各部屋の入口にいる係員さんにまわる順番を指示されていたが、他人頼りだと全然その順番を記憶できない)。まるで<サラめし>だ、と思ったら、それらの写真を撮影したのは阿部了さん(お弁当ハンターの人ね)だった。さすがにいい写真だ、納得。
同じ部屋だったかな、「あゆみ食堂」に感動。あの人にこんなお弁当を届けたいという手紙に応えて大塩あゆみさんが考えたレシピ。手紙に綴られたお弁当を届けたい人の相手への思いが胸を打つ。
次の部屋は、「intangible bento」(下の写真)。たくさんのリボンで仕切られたいくつかのブースを進み、展示物を見ながら受話器のようなものを耳に当て、お弁当の精霊のメッセージを聞く。一番興味深かったのは「骨植物」。植物と肉が融合したものだということだが、未来的にありえなくはないなと思った。
エスカレーターを上がると、「おすそわけ横丁」。弁当を食べる時におかずを分け合う「おすそわけ」によって生まれる人と人とのつながりを生み出そうとしている。色々な人からおすそ分けされた品々が所せましと並べられ、東南アジアの賑やかで雑多な市に紛れ込んだような錯覚に陥る。
最後の部屋には「おとうちゃん弁当」とワークショップ。おとうちゃん弁当は、幼稚園児の弟のために小学生の姉が弁当をデザインし、父親がその通りに作った弁当の指示書と完成品の写真がたくさん展示されていた。弟本人の希望も入ることがあるようだが、おねえちゃんのアイディアは素晴らしい。夜寝る前に読んだ本(地学とか科学的な本が多い)や散歩のときに見た植物や虫などからインスピレーションを受けるそうなのだ。おねえちゃんの指示はけっこう厳格なようで、完成品は合格だったりイマイチだったり。こういう家族、いいね。
なんかね、お弁当を作りたくなってきた。

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2018年9月25日 (火)

知ればなお魅力のフジタ:「藤田嗣治展」

921日 「藤田嗣治展」(東京都立美術館)
180925foujita フジタは箱根のポーラでもたくさん見ているし、近美でも何度も見ていて、ほぼ知っている気になっていた。しかしこの回顧展を見て、フジタのことをほとんど何も知らなかったと思い知らされた。一つにはこれまでの展覧会ではフジタの絵を断片的に見てきたこともあるだろう。断片的だからこそ、一度見ているのに忘れている作品もあるかもしれない。今回はフジタの生涯を追った展示で、伝記としての興味に加え、系統的に整理されていることでわかりやすかった。で、鑑賞はまたまた金曜日、早い夕方。雨が降っていたこともあって、ちょっと待てばじっくり見られる程度の混雑状況。
Ⅰ 原風景――家族と風景
1910
年に描かれた「自画像」は、斜に構え、挑戦的とも思える強い意志(弱い表現なら意欲的)が感じられた。「父の像」は画家になりたいという息子の希望に理解を示した父親に対する敬愛が見えるような気がした。よく見ると父子の顔は似ている。ちなみに父親は軍医総監にまでのぼりつめた。「婦人像」は最初の妻がモデルらしい。柔らかく、ほのぼのしている。
Ⅱ はじまりのパリ――第一次世界大戦をはさんで
父の援助でパリに渡ったフジタの絵には、色々な画家の影響がみられる。「キュビズム風静物」は言うまでもなくピカソ、「巴里城門」(巴里周縁風景画の原型。フジタ「最初の会心作」だそうだ)がルソー、「断崖の若いカップル」「目隠し遊び」はモディリアニ。「私の部屋、目覚まし時計のある静物」1921)は自身の愛用品を描くことで、自分を表している、一種の自画像なのだそうだ。アイディアも素晴らしいし、とってもいい絵で好きだ。「母と子」1918年の作品でⅧに分類されるが、Ⅱに展示されていた。フジタチックな聖母子とでも言おうか。
Ⅲ 1920年代の自画像と肖像――「時代」をまとうひとの姿
1918
年頃からすでに乳白色への傾向がみられ、「座る女」では乳白色の下地に衣裳の黒、唇とソファの布の赤の対比が印象的だ。「エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像」はアメリカ人女性に依頼された肖像画で、この時代フジタの名が世界に轟いていたことを物語る。唯一、銀箔の使用が確認される作品だそうだ(背景の黒くなった部分が銀箔?)。「人形を抱く少女」も背景が乳白色である。
Ⅳ 「乳白色の裸婦」の時代
フジタの乳白色使用は、背景から人物へと変わる。「五人の裸婦」は五感を表している。これって西洋画ではよく見るテーマだ。「舞踏会の前」3番目の妻ユキ(本名は忘れてしまったが、雪のように白い肌だったからユキと呼ばれていたそうだ)を中央に立たせている。フジタにとって理想的だったというユキの肉体にくわえ、正面に向けられた黒い瞳の強さが印象的だ。この乳白色の肌は油彩であるにもかかわらず厚みがなく、その透明感は当時の画壇のみならず人々をさぞ驚かせたことだろう。また、裸婦像に限らないが、ジュイ布という西洋更紗の模様がこまかく丁寧に描かれているのがすごい。

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2018年9月23日 (日)

魅惑のショーメ

914日 「ショーメ 時空を超える宝飾芸術の世界――1780年パリに始まるエスプリ」(三菱一号館美術館)
180923chaumet1 何年ぶりかで会う学生時代の友人と4人の女子会で楽しい時間を過ごした後(みんな、シワは増え、話題は健康のことが主になったけれど、やっぱり時間と空間を共有した仲間は当時と変わらない)、帰り道の途中なので三菱一号館へ。展覧会は917日に終了ということで、またまたギリギリ。チケットを持っていると、ついついぎりぎりになってしまう。会期末だったせいか、金曜午後3時半過ぎだったにもかかわらず、入場制限がかかっていた。夕方にはちょっと早かったか。もっとも中に入ってみると、大勢入れたのでは展示品がよく見えないし、恐らく展示品のためにもよくないのだろうと思った。
3
年近く前にブルガリを見たが(もう3年前になるのか‼)、思い切りざくっと言ってしまえば、新参のブルガリは革新性の魅力、グラン・メゾンでは創業が一番古い(1780年)ショーメは伝統と独自性の魅力、というところだろうか。トーハクの表慶館もブルガリとよくマッチしていたが、三菱一号館とショーメの相性もなかなかいい感じだった。
ショーメだけでなく宝飾全般、知らないことばかりで、ナポレオンの戴冠式の宝石を担当したのがショーメだと知っただけで、「おお」と心の中で盛り上がった。ナポレオンはつい先日、ルーヴル展でも見たばかりだが、宝石にはまったく目がいかなかった。今回の肖像画ではもちろん宝石に注目。と言ったところでよくわからないのだが、さすがに豪奢だ。今回の展覧会はジュエリー中心ではあるが、それを身に着けた貴婦人やナポレオンの肖像画が見られたのがよかった。さらにはナポレオン1世が教皇ピウス7世に贈ったティアラ‼ 
ナポレオンと言えばジョゼフィーヌ(最初の部屋ではナポレオンとジョゼフィーヌの肖像画が並んでいた)。国のトップレディとして、優雅で豪華な衣裳に高価な宝石は必需品だったそうだが、ナポレオンによれば「いつなんどきもエレガントで気高い」女性だったジョゼフィーヌの宝石に負けない教養と美しさが、肖像画からあらためて感じられた。当時の歴史を思い浮かべながら鑑賞した。


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