展覧会

2017年11月17日 (金)

フランスの伝統工芸:「フランス人間国宝展」

1110日 「フランス人間国宝展」(東京国立博物館表慶館)
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運慶を再見しようと16時過ぎにトーハクへ(金曜日なので21時までやっている)。しかし入場50分待ちですと‼ では先にフランス人間国宝展を見よう。ということで表慶館へ戻る。
さほど関心があったわけではなかったのだが、見てよかった。15人のフランス人匠(メートル・ダールは13人で、2人はメートル・ダールに近いと言われている)は私が日本の伝統工芸の人間国宝にもっている狭いイメージと違って、1947年~1977年生まれと若い。それぞれの作品は興味深く、これもまた私のもっているイメージとしての日本の感覚とは違うが、職人技という点では世界共通のものがあるんじゃないかと思った。
「陶器」のジャン・ジレル(1947)は曜変天目の再現研究をしているそうで、暗い室内の壁には風景が焼き付けられた陶板が掛けられ、中央の大きな机にずら~っと並べられた茶碗は11点に小さな光が当てられ、圧巻であった。
「鼈甲細工」のクリスティアン・ボネ(1949)の作品は主に眼鏡。サン=ローラン、ル・コルビュジエ、オナシス、I.M.ペイ(この人だけ知らなかった。中国系アメリカ人建築家だそうだ)に提供した眼鏡(復刻)には、それぞれの顔が思い浮かんでちょっとテンション上がった。
「革細工」のクフ王19の名がつけられた美しいバッグはピラミッドから着想を得たという。私はバッグが好きだから欲しいけれど、高すぎて手が出ないよね~。作者のセルジュ・アモルソ(1950)はケリー・バッグを手掛けたそうだ。
「金銀細工」のロラン・ダラスブ(1959)のグラスや皿などは繊細で、微妙なバランスが美しいが、実用性は薄いかも。と言うより、もったいなくて使えない。
リゾン・ドゥ・コーヌ(1948)の「麦わら象嵌細工」。初めて聞く技術だ。ライ麦の藁を乾燥させ、中を開いて平らにして土台の上に1枚ずつ貼るのだそうだ。展示作品はコナラの木に麦藁を貼ったルクソール(サイドボードのようなものかな)1点のみ。解説を読んで想像していた物とは全然違い、麦藁を開くとこうなるのか、と初めて知った。根気のいる作業だろうなあ。

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2017年11月 2日 (木)

建築家による個人住宅:「日本の家」

1028日 「日本の家」(東京国立近代美術館)
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19日に始まった「日本の家」、1029日の終幕を前にまさに駆け込みで見てきた(感想も積み残してしまった)。好評でチケット売り場に行列ができているなど聞いていたが、実際その通りだった。私はすでにチケットを持っていたので並ばずに済んだが、こういうちょっと特殊な展覧会だけに、建築関係の人が多いように見えた。後で知ったんだけど、スマホに無料の音声ガイドアプリをダウンロードできたんだそうだ。なかなか画期的なこのシステム、知らないで失敗した。

展示は時系列に関係なく13のテーマに分かれていて、建築がわかる人には見やすかったんじゃないかな。私は「ドリームハウス」が好きで見ているが、その程度で建築のことは全然わからない。それでも戦後からの日本建築の流れを辿った映像はとても面白かった。黒川紀章のあの中銀ビルも紹介されていた。「プロトタイプと大量供給」では2×4とか、プレファブとか、画期的な製法だったんだなあと改めて思った。
欧米では建築家の仕事の中心は公共建築だそうだが、日本では個人の家を手がけることもしばしばということで、丹下健三、伊藤豊雄、清家清など、私でも知っている有名建築家(もちろん、他の建築家も私がしらないだけで有名)の設計した住宅が写真と設計図とともに展示されていた。私など建築の素人には設計図も解説もよくわからないものの、無印良品の「木の家」シリーズのもととなった「箱の家」(無印良品のそんなシリーズ知らなかったぁ)、建築家の自邸は興味深かった。丹下健三の自邸は映像も公開されていたので、丹下自身の息遣いが感じられた。清家清の「斎藤助教授の家」は実物大の模型が展示されていて、中に入り、畳や椅子に座ることもできた。この日は専門家の解説があって、私が行った時には斎藤助教授の家の解説をしていたが、熱心に聞いている人がたくさんいた。
展示の後半は写真撮影OK。色々な建築の模型がたくさん展示してあり、私の家は耐震性とか心配なので建て替えるならどういう家がいいかなあという目で見てしまった(お金がないから、実際の建て替えは無理…)。それも、ついついそれぞれの家のネガティブな問題を考えてしまう。現実的には掃除。家事の中で一番苦手な掃除だから…。とはいえ、建築家の創意工夫を見ると、家にはやはり夢が詰まっているんだなあと思う。ポジティブな思考なら、どの家も一度は住んでみたい。
171102kaitakusyanoie 写真は石山修武「開拓者の家」

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2017年10月30日 (月)

日本への憧れとゴッホへの憧れと:「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」

1023日 「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」内覧会(東京都美術館)
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ジャポニズムの展覧会が秋の上野で
2件。1つはその名もずばり「北斎とジャポニズム」(西洋美術館)、そしてもう1つがこのゴッホ展だ。
ゴッホが浮世絵の影響を受けていたことは知識としては知っていたが、実際にこの絵が浮世絵のこの部分を取り入れているということは、解説を見ないとわからない。タッチとか色使いが違い過ぎて、解説されてもよくわからない部分が多々ある。絵を見て影響、類似を指摘できるほど、絵のことはわかっていないのだ、私。その一方で、ああそういうことか、となんとなく理解できることもある。ゴッホばかりでなく、浮世絵も展示されているから、比べて見ると、なんとなくわかった気になるんでしょうね。たとえば「雪景色」の地平線を高くした構成、画面右上から左下に流れる構図は広重の雪景色を意識しているそうだが、浮世絵そのものの構図についても、あらためて認識したことであった。また、「アルルの女<ジヌー夫人>」「男の肖像」が浮世絵の人物画の影響を受けているのも、解説を見てなるほどと思い、ゴッホの日本への憧れが何だか愛おしく感じられるのだった。
興味深いのは、ゴッホの日本憧憬に対し、逆にゴッホに憧れた日本人の足跡である。ゴッホが日本に紹介されたのはその死から約20年後のことだったそうだ。白樺派及びその周辺の文学者・美術家たちが渡仏し、ゴッホのコレクションを所有していたガシェ家のあるオーヴェールを訪ねる(聖地巡礼のはしりだろうか)。ガシェ家に残されている芳名録3冊、ガシェ(息子のほう。父親のガシェ医師はもう亡くなっていた)からのハガキ、日本人の旅行記、写真等々、貴重な資料が展示されており、これまた日本人のゴッホへの憧れが愛おしく感じられるというか、互いの憧れを通じてゴッホと日本がつながった気がした。
ゴッホはアルルを日本と同一視しており、「ここに日本の絵を置いておく必要はない。ここにいるのは日本にいるようなものだ」と言うほど日本に傾倒していたそうだが、そこまでとは知らなかった。実際に訪れたことのない日本への憧れをアルルで膨らませていたゴッホの気持ちが、先述したように愛おしく胸が熱くなる。しかし、私もかつてアルルに行ったことがあるが、日本と同一視…そうかなあ…。いや、それはゴッホの心の中にある日本だから、そんなヤボなことを言っちゃいけないね。ちなみに、ゴッホの「夜のカフェテラス」のモデルになったカフェで食事した際、店の真ん中の通路に大きな犬のフンが落ちていたのが強烈な思い出である。
ゴッホは既に同じ都美の「ゴッホとゴーギャン」、上野の森美術館の「ボストン美術館の至宝」などで何度も紹介されており、ジャポニズムに視点を合せた今回の展覧会もなかなか面白いが(西美はまだ見ていないが、やはりゴッホも展示されているのだろうか。チケットの相互割引があるようだから、展示されているかもね)、日本人はゴッホが好きだなあとあらためて感心したのでありました。

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2017年9月28日 (木)

圧巻、運慶

925日 「運慶」展内覧会(東京国立博物館)
170928unkei トーハクの内覧会は人が多くてよく見られない…が通常なので、2時開始のところを3時過ぎに到着するように行ってみたら、今回は展示数が少ないこともあって、人もいつもほどは多くなく、ゆったり丁寧に見ることができた。

私は彫刻は可能な限り全角度から見ることにしているが、今回の展示は360度どの角度からでも見られるようになっており、大変ありがたい。表情、筋肉、躍動感が伝わってきて、仏師・彫刻家の魂に圧倒されっぱなしである。
仏師であり彫刻家であること――運慶と並び名前の挙がる快慶にはバリエーションがあまりなく、信仰に基づいた仏師として美しい像を作ることがその目指すところであった。それに対し運慶は常に独創的な像を創造してきた。日本の仏像は形やポーズが限定されているとのことで、そうした中での仏像制作の姿勢から、快慶は仏師であり、運慶は仏師としても彫刻家としても高く評価されるのだそうである。これまでそんなことを考えたことなく、運慶・快慶と並べて言ってきたけれど、なるほどそういう違いがあるのかと興味深かった(だからと言って快慶の評価が低いわけではない。要するに二人の目指すところが違うということだ)。
展示は「第1章 運慶を生んだ系譜――康慶から運慶へ」「第2章 運慶の彫刻――その独創性」「第3章 運慶風の展開――運慶の息子と周辺の仏師」というわかりやすい3章から成っている。
理論的なことはわからないが、感覚として、運慶にはやはり父・康慶の影響がみられ、さらにそれを超えて自らの独創性を追求していく姿勢があるかなあと思った。康慶は「地蔵菩薩坐像」「四天王立像」「法相六祖坐像」が展示されており、どれもよいが、とくに「法相六祖坐像」が好きである。六人の僧侶の表情が個性的で親近感を覚えるのである。
運慶の作品は12点展示されている(うち1点は1021日以降の展示。1点は運慶筆の置文)。悟りの菩薩や如来には優しさからくる迫力が、毘沙門天や怒りの表情をもつ像では激しさの迫力が、どちらにしても圧倒される。20代の作品「大日如来像」の静かな美しさ、「不動明王立像」「毘沙門天立像」の圧倒的な存在感、「八大童子像」の生き生きとした魅力、その他どの像も心を惹く。運慶の像内納入品はもちろん読めるわけではないが、現代のX線、CTの技術でそういうものの存在が明らかになっていることを興味深く思った。
素晴らしいのは康慶や運慶だけではない。作者が特定されていない像も見事。子犬や神鹿のリアルな姿を表した珍しい像もある。十二神将立像は五軀がトーハク、七軀が静嘉堂に所蔵されていて(静嘉堂、持ってるよね~)、今回42年ぶりに再会を果たしたそうだ。それだけでも必見と言いたいが、これだけの運慶、そして康慶から息子の湛慶らの作品が集まったこの展覧会は見なきゃ損。そして、点数は少ないと言ってもじっくり見られるからそれなりの時間は計算に入れておいたほうがいいと思う。

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2017年9月17日 (日)

豊かな発想、緻密な描写:「アルチンボルド展」

912日 「アルチンボルド」展(国立西洋美術館)
アルチンボルドの絵といえば、多くの人が少なくとも一度は見たことがあるだろう。そのせいか、西美にしては(失礼)入りがよく、しっかり見ることができたものの、作品によっては人の頭の後ろから眺めることもあった。そういう場合でも、ちょっと待てば絵の前でじっくり見ることはできた。

まず、「アルチンボルドの迷宮」というビデオを見て予習。
やや色モノ的に考えていたアルチンボルドだが、実際には類い稀な発想と博物誌ともなり得る緻密なスケッチによって完成されたものであること、ハプスブルグ家に抱えられたことでその才能は十分発揮されたこと、ダ・ヴィンチの影響を受けていることなどがわかり、これまでの偏見を愧じた。
アルチンボルドが注目を浴びたのは、1930年代、ダリをはじめとするシュールレアリスムの仲間たちが「シュールレアリスムの父」と讃えたあたりかららしい。アルチンボルドは1526年ミラノ生まれで、36歳頃ハプスブルグ家の招きで宮廷画家となった。フェルディナント1世、マクシミリアン2世、ルドルフ2世と3人の皇帝に仕えた。ハプスブルグ家では騎馬試合など華やかな祝祭行事がよく行われ、アルチンボルドはその衣裳、舞台装置、演出を手掛けたそうだ(現代で言うアートディレクター)。
アルチンボルドはハプスブルグ家、国王の力を示し讃える作品を描いた。たとえば有名な「春」「夏」「秋」「冬」のうちの「冬」では藁のマントに「M」の文字が現れており、頭の枝は冠を意味し、全体としてマクシミリアン2世を示している(マクシミリアン2世は行事に冬を表す衣裳で現れたそうだ)。また、冬は1年の始まりであり(そうなの? 春が始まりかと思っていた)、時を支配する皇帝を暗示している。また「四季」と並んで有名な「四大元素」は、「大気」が「春」、「火」が「夏」、「大地」が「秋」、「水」が「冬」に対応しており、四季を支配する皇帝は時を支配し、四大元素を支配する皇帝は世界を支配するという暗示により、ハプスブルグ家の皇帝を賛美している。
版図を広げたハプスブルグ家には世界各地から珍しい品々が献上され、芸術と驚異の部屋(クリストカンマー)という蒐集室に納められた。クリストカンマ―はフェルディナンド1世が創設し、ミュージアムの原型と考えられる。珍しい動物を集めた動物園にも出入りを許されたアルチンボルドにとって、博物図説の制作も重要な仕事であった。
アルチンボルドは晩年を故郷で過ごしたいと考え、ミラノへ帰る。そこで制作されたのが上下絵である。

170917arcimboldo ビデオを見たら、次は早々と「アルチンボルドメーカー」へ。10人くらいの列に並ぶ。メーカーは作品の前に立つと、自分の顔が果物や野菜で作られ、アルチンボルド風の作品になる。出来上がった顔を写真に撮ったのだが(画面で撮影のタイミングを教えてくれる)、顔は正面だけでなく横向きにもなるし、最後はバラバラと野菜や果物が下に落ちて消えるという動きがあるので、動画撮影にすればよかった。大失敗。

さて、展示はアルチンボルド約30点にダヴィンチやアルチンボルドの同時代人、アルチンボルドの影響を受けた画家、皇帝が作らせたり集めた美術工芸品など約100点。国芳を思わせる作品もあり(国芳が影響を受けていたのだろうか)、大いに楽しめた。

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2017年9月12日 (火)

徳川将軍家→モダン東京へ

98日 「徳川将軍家へようこそ」~モダン東京(江戸東京博物館)
相撲博の次は江戸博へ。
「徳川将軍家へようこそ」は常設展示室内の5F企画展示室で見ることができる。
つい先日、6月に録画した「ヒストリア―大奥ロイヤルウエディング 篤姫と和宮と運命のプリンス」を見たばかりだったし、東京新聞に毎週日曜日掲載される「幕末・明治の残照」という記事を読んでいるので(なかなか複雑で理解しきれない)、幕末については私の中で関心度がアップしていた。
徳川幕府でいつも思うのは、その組織の細かく膨大なことである。役職一覧を見ると頭が痛くなるくらい。そうした組織が作り上げられ、そういう中で大勢の人が働き生きていたのだなあと毎度感嘆するのである。
展示品を見れば、それを書いた人たち、それを使っていた人たちの息吹が感じられ、とくに幕末はさほど遠い昔のことでもなく、親しみがわいてくる。と同時に、あの激動の時代を垣間見て、自分だったらどういう生き方ができただろうと、これも常に考える。
篤姫と和宮が必死で守ったという田安亀之助(後の徳川家達)を徳川家の跡継ぎとして認める「徳川家名相続沙汰書」は、明治新政府が内政安定のために徳川家存続が必要とした証拠であり、ヒストリアのドラマが脳内に甦った。
歴代将軍の肖像画、将軍直筆の絵(書はよく見るが、絵画はほとんど見たことがない。多才なんだなあ)など、興味深い。
展示室の外で流れていた勝海舟の無血開城へ向けての努力も、見ていて力が入った。


 

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2017年9月10日 (日)

道産子力士

98日 「道産子力士」(相撲博物館)
170910kokugikan1 2日後には大相撲が始まって、相撲博物館にも相撲のチケットがないと入れなくなるので、今のうちに、と。もっとも相撲が終われば又入れる。

道産子の関取は平成12年を最後にしばらくいなかったが、267月場所で旭大星が十両に昇進し、100人目の道産子関取となったそうだ。
この9月場所に十両昇進を果たした矢後も北海道出身だが、この展示が始まった時にはまだ幕下だったためか、矢後の名前はなかった。ちなみに、私は矢後が全日本相撲選手権(だったと思う)で優勝したのをテレビで見ており、相撲漫画に出てくる典型的ないかつい顔が怖くて、ずっと「矢後は顔が怖い、顔が怖い」と言い続けていたのだが、角界に入ってからの顔は案外愛嬌があり、前言撤回。というわけで矢後は今場所の超注目株なんだけど、初日は惜しくも同じ新十両の大成道に負けちゃったね。
閑話休題。
170910kokugikan2 道産子力士と言えば、北の湖、千代の富士といった名前がすぐに挙がるだろうが、私はもちろん北の富士ね。その師匠の千代の山の化粧まわし三つ揃いは、横綱が富嶽三十六景神奈川沖浪裏で、太刀持ち・露払いは宗達の風神雷神図であった。
吉葉山の三つ揃いは、1951年ベネチア映画祭でグランプリを取った「羅生門」にちなんだ柄。平成195月場所後に白鵬が明治神宮における奉納土俵入りで使用したそうだ(へぇ~)。
大鵬の三つ揃いは「体」「技」「心」(横綱が「技」)。大野伴睦書だそうで、これも「へぇ~」。
北の富士は三つ揃いではなく、還暦の時に使用した赤綱が展示されていた。平成14223日、ホテルニューオータニの特設土俵にて、還暦土俵入り。太刀持ち九重(千代の富士)、露払い八角(北勝海)、呼び出し三平、行司は第32代伊之助(後に31代庄之助)。
北の湖の三つ揃いには解説がなかったな。
千代の富士の三つ揃いは露払い・太刀持ちはウルフにちなんだ柄で、横綱のには53連勝にちなみ「ⅤⅩⅢ」と刺繍されていた。
北勝海は和田光正による金彩友禅で、横綱には龍、露払い・太刀持ちには獅子。大乃国は「人」「地」「天」。
ビデオでは北海道出身の上記8人の横綱の土俵入りや一番を流していた。道産子横綱大号は千代の山だったんだ、と今さらながら知る。さらに千代の山は私の記憶にある最初の横綱でもある(歳がわかっちゃうけど、今さら若ぶることもないよね)。ビデオは北の富士からカラーになっていた。やっぱり北の富士が最高だね。
相撲博物館はもちろん、場所が近い国技館周辺は楽しい!!
記念に9月場所の番付表を買った。このあと、まだ行くところがあったので、くるくる丸めて破かないように、できるだけ皺をつけないように、気を遣ったわ。


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2017年9月 9日 (土)

4つの危機を乗り越えて―モリソン文庫

91日 東方見聞録展(東洋文庫ミュージアム)
東洋文庫がすっかり気に入っちゃって、又行ってきた。
今やっているのは「モリソン文庫渡来100周年 東方見聞録展~モリソン文庫の至宝」である。
今回はもちろん、素晴らしい至宝にも目を奪われたが、東洋文庫の歩んできた苦難の道に大いなる感銘を受けた。というのも、渡来100年、モリソンが蒐集を始めてからは120年、その間に4度の大きな危機があったからだ。

1の危機:義和団事変(1900年)
モリソンの蔵書は、清朝の税関近くのモリソンの自邸にあった。義和団の排外行動が激しさを増す中、モリソンは英国公使館のあるエリアに蔵書を含む財産を移動させた。しかしその地域でも銃撃戦、砲弾戦となった。よくぞ生き残った蔵書たち。動乱後、モリソンは北京の自宅にコンクリートの書庫を作ったとのこと。そういえば、文庫の入口にブラフォーの「北京の55日」が控えめに流れていた。
2の危機:大水害(1917、大正6年)
モリソン文庫が日本に到着したばかりの1917年930日(9月26日に汐留駅に到着しそのまま深川の三菱倉庫へ運ばれた)、暴風雨と高潮が東京湾岸を襲った。書籍は鉄板で覆った箱に入っていたため多くは難を逃れたが、一部は隙間から入った海水にさらされた。これらの資料は駒込に運ばれて洗浄、乾燥など復旧作業が行われた。これに尽力したのは石田幹之助という人である(モリソン文庫の購入・受領に尽力した人でもある)。石田氏はモリソンの蔵書を全部手に取り、その大きさ、厚さ、色合いなどを覚えたそうだ。
3の危機:関東大震災(1923、大正12年)
この頃、丸の内のビルの一角で文庫の整理作業が行われていた。ビルは鉄筋コンクリート製で文庫にはほとんど被害がなかった。貸出し中の研究書札が焼失したが、後に購入によって補填された。大震災の翌年、東洋文庫設立。

4の危機:第2次世界大戦中の疎開(194549年)
昭和203月、東京の空襲が頻繁になると、蔵書の疎開が検討された。蔵書は中国社会経済史研究家・星斌夫氏の郷里である宮城県に疎開した。1カ月後終戦を迎えたが、東洋文庫は財政の基盤が失われ、24千冊の資料を東京へ戻すことができないでいた。1948年に国立国会図書館の支部となったことで、1949年、すべての資料が無事、東洋文庫に戻ってきた。

 4つの大きな危機――ドラマチックなモリソン文庫の来し方にドキドキした。本当によくぞ、無事に生き残ってくれたと感嘆せざるをえない。上に名の挙がっている石田氏や星氏をはじめとする多くの人々の尽力があってこそではあるが、それでも不可抗力ということがある。貴重な資料の数々は火にも水にも弱い紙である。今年7月、パリを襲った豪雨から地方の博物館に避難していたルーヴルの美術品が何点か落雷による火災で焼損したという悲劇を思う(当の博物館の所蔵品も含めて200点近くが壊滅的な害を受けた)。またアフガンを思えば、義和団や第二次大戦をよくぞ乗り越えてくれたという気持ちになる。
こうした歴史を知ると、貴重な資料を見る目もまた違ってくるのは現金かしら。

展覧会のタイトルである「東方見聞録」については、1485年に刊行された世界で3番目に古いという印刷本(コロンブスもこれと同じものを愛読していたのだとか‼)に、各国語版、異本などがたくさん展示されている。


ところで、あの切ない映画「慕情」のウィリアム・ホールデン演じる従軍記者のモデルは、なんとこのモリソン文庫のジョージ・アーネスト・モリソンの息子イアン・モリソンなのである。ということをこのたび初めて知った。泣いたなあ、「慕情」。原作も読んだし、あの音楽を聞くと今でも切なくなる。あの従軍記者がモリソンさんの息子だったとは、なんとも不思議な感情が湧いてきて、ますます東洋文庫が好きになったとは、やっぱり私はミーハーである。

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2017年8月22日 (火)

不思議で、懐かしい不染鉄

818日 不染鉄展(東京ステーションギャラリー)
「玉兎・団子売」をもう一度見たくて、幕見狙いで歌舞伎座に行ったのだけど、ちょっと前に完売になったと…。発売時刻の1115直前に着いた私も甘いのだけど…。そこで、急遽、東京駅へ。不染鉄を見たかったから。
不染鉄、全然知らない名前だった。小石川・光円寺住職の子として生まれ、本名哲二(のちに哲爾)というから不染は珍しい姓だが本名だろう。
不染鉄の絵は、決してうまくはない(下手というわけでもない。絵の描けない私がそんなことを言ったらおこがましいが)。でも目にしたとたん、すっとその世界に入っていけるような、懐かしく、温かい感情が溢れてくるような絵だ。彼が何年か漁師生活を送ったという伊豆大島の村や漁港を描いた絵は、そういう光景に縁はないのにたまらなく懐かしく愛おしくなる。同じタイトル、同じようなタイトル、絵もおおまかに言うと似たような感じで、このタイトルを見てすぐあの絵が思い浮かぶというわけにはいかないのだけど、全体としてほんわか、本当にステキな絵なのだ。
不染鉄は距離感が独特で、俯瞰していながら近い視線ももち、遠景と近景が本来なら不自然な形で並べられているのに、すんなりとその風景が受け入れられるのが不思議だ。
伊豆の他に富士山、奈良(薬師寺東塔が面白い)など、どれも心惹かれる。
絵の中に小さい文字でその時々の気持ちや光景を書いてあるのが興味深い(いわゆる画賛なんだろうか)。文字が細かすぎて、全部は読み切れないから、図録を買いたかったけれど、ぐっと我慢。
不染鉄の展覧会はかつて1回しか開かれたことがなく、今回は一見の価値ある貴重な機会。今月27日まで。


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2017年8月20日 (日)

実物を見るべし:ジャコメッティ展

816日 ジャコメッティ展(国立新美術館)
170820dog 前日、アルチンボルドを見に行こうと準備したら雨。ちょっと気がそがれて、アルチンボルドはまだ当分やっているからと取りやめたら、ちょうど私が上野に着く予定だった頃、上野周辺は大変な雨だったようで、西美までのわずかな距離でもどうなっていたことか。
仕切り直しで翌日、会期終了が近いジャコメッティ展へ。
ジャコメッティといえば、あのほそ~い像、程度の認識しかなかったが、今回展示を見て、あの像を作るのにどれだけ葛藤していたのかと知って驚いた。目に見えるものと自分との距離、目に見えるものをその通りに捉える…そのためにはモデルに長時間、長期間、動かぬことを強いる。その要求に応えられたのは弟ディエゴ、妻アネット、そして日本人哲学者矢内原伊作などわずかだった。
展示はなんと16セクションに分かれている(油彩も数点展示あり)。
初期の「キュビズム的コンポジション―男」はキュビズムってこういうことか、と初めて具体的にわからせてくれた気がする。これまで理論的には大まかにわかっていても、自分の中ではどうしてもそれがうまく具象化できなかったのだ。キュビズム、シュールレアリズムから離れて、モデルに基づく彫刻へ。最初の頃の彫刻はとにかく小さい。3.3×1×1.1cmなどという「小像(女)」、どうしたらこんなに小さく作れるんだろう。余分なものを削っていくうちに、最後には破壊してしまうこともあったそうだ(これらの小像は後述の撮影可能エリアから後姿を見ることができる)。
170820largestandingwomanii その後、像はおなじみのあのイメージ通りに大きくなっていく。この像たちは写真じゃなく、実際に目にするのが絶対にいい。展示がゆったりしていたせいもあるだろうが、大きく細長い彫刻の間を歩いていると、自分もその中の1人になったような、不思議な気分がした(とくに、セクション4の群像)。その気分は彼の苦悩がわかるようでもありながら、なんとなく心地よいのだ。それから、面白いことに、ジャコメッティの像は正面から見ても左右から見ても顔から受ける印象があまり変わらない。仏像なんかだとその印象がまったく違うことが多いのだが、ジャコメッティの場合、細いからなんだろうか。細いからこそ変わってもいいような気もするのだが…。もっともこれは私の感覚であって、正面と左右は全然違うよというのが正しいのかもしれない。
170820largehead 彫刻だけでなく、下絵やリトグラフもあった。そういう平面上の人物は彫刻のように細くはなく、普通。私はこういう作品もいいなと思った。垂涎ものは、先述の矢内原がジャコメッティと食事したりしたときに、彼が走り描きした10数点の紙ナフキンや手帳のページ。矢内原はそれを持ち帰り今は神奈川県立美術館所蔵となっている。矢内原とジャコメッティの親しさを感じさせる。
チェース・マンハッタン銀行の依頼を受けて始めたプロジェクト、実現しなかったが、「女性立像」「頭部」「歩く男」の3点が写真撮影OKである。

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