歌舞伎ミーハー観劇記

2017年6月25日 (日)

六月歌舞伎座昼の部

624日 六月大歌舞伎昼の部(歌舞伎座)
今月は昼の部のほうが後になった。いつも何となく昼の部を先に見ているけれど、やっぱりそういう順番の方がいいのかしら。昼の部だから、ちょっと寝落ちした部分もある。でも昼の部の割には頑張れた方だと思う。
「名月八幡祭」
この芝居はどうしても好きになれない。三次(猿之助)はクズだし、クズとわかっていながら離れられず新助をなぶる美代吉(笑也)は深川芸者の風上にもおけないし、純とはいえだまされる新助(松緑)にもハラが立つし。いや、新助には心から同情しているのよ、いるけど、魚惣(猿弥)に注意されていたのに…って悔しく思ってしまう。
前に見た時の三次は錦之助さん、美代吉は芝雀さん、魚惣は歌六さん、新助は吉右衛門さんだった。正直、ドラマとしては前回のほうがよかった。三次にはいかにも女が放っておけないヒモとしての魅力があったし、美代吉はその場その場の身勝手さにまわりが振り回されるという感じで、悪意のある女には見えなかった(「田舎の人にはうっかり口もきかれない」のセリフがまさにそれを具現していた)。吉右衛門さんの新助には美代吉に運命を狂わされそうな危うさがあった。
松緑さんは江戸っ子らしい竹を割ったようなところが魅力だと思っているので、田舎者の役はどうかなと懸念したが、案外よかった。すべてを失っての絶望が凄まじく、胸が締めつけられるようだった。
笑也さんは透明感があるせいか、ちょっと冷たいのかもしれない。その場その場の身勝手さがあまり見られず、ファム・ファタル感が芝雀さんに比べて薄い。三次に対する気持ちはどうなんだろう。主導権を握っているようで、逆に三次が美代吉のオム・ファタルのような気もする。
猿之助さんは確信犯的に三次のクズぶり(ほんと、ハラ立つわ~)を見せていた。
魚惣は大きさと、新助に対する思いやりと同じ猿弥さんが演じた釣船三婦と重なるものがあった。絶望の新助に対する弱っちゃった感に共感を覚えた。
藤岡慶十郎は坂東亀蔵さんだが、真面目なイメージがこの役には合わないと思った。
江戸の風情はよく感じられるが、なにしろ後味の悪い芝居である。
「浮世風呂」
いや~な気分の後に、楽しくてスッキリした。
幕が開くと真っ暗で鶏の声が聞こえると朝日が差し込むという効果的な舞台。
猿之助さんの踊りは見ているだけでウキウキ引き込まれる。
種之助クンのナメクジは適度な色気があってかわいい。種之助クンは立役としての成長目覚ましいが、女方としてもぐんとよくなった。うちの風呂にもよくなめくじが出てくるんだけど(いったいどこから湧いて出るのよ)、こんなかわいいナメクジなら…、いや、ほんとイヤダだ、ナメクジは。

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2017年6月18日 (日)

六月歌舞伎鑑賞教室:「毛抜」

615日 歌舞伎鑑賞教室(国立劇場大劇場)
6
16日 外国人のための歌舞伎鑑賞教室(同上)

15
日は眠くて眠くて…。場内もあまり盛り上がらず、ここぞという時にも拍手は起こらず、役者さんもさぞ拍子抜けだったことだろう。学生にそれを求めるのは無理としても、私も含めた大人の観客が拍手すればよかった。なんか、率先して拍手する空気でもなかったのよね。
一転して16日は笑いも拍手も、そうでなくっちゃという感じで、舞台と客席との一体感が生まれたような気がした。
「毛抜」は私が見始めてから鑑賞教室では3回上演されている。歌舞伎初心者にわかりやすい演目で鑑賞教室向けなんだろう。
「毛抜」
3
回のうち2回は錦之助さん。前回は12年も前の2005(平成17)年のことで、まだ信二郎時代だった。当時のプログラムを見たら、秦秀太郎と八剣数馬の真剣勝負を止めるのは腰元若菜だった(愛之助さんが鑑賞教室でやった時も若菜だった)。調べてみると、若菜が出る時と出ない時とあったが、去年の浅草も歌舞伎座も若菜は出ず、止め役は巻絹だったので、若菜のことはすっかり忘れていた。
ついでながら、3回のプログラムの表紙の弾正はすべて同じポーズで(目の寄せ方が違う)、題名の下には大きな毛抜きが<踊って>いて、前2回は弾正のみ、今回は巻絹が隣に立っている。
弾正のあの大らかさは何と言っても團十郎さんで、本当に惜しい役者さんを失ったと改めて悲しくなった。でも錦之助さんも明るく大らかで、真面目な面とともに愛嬌も感じられたし、前回は團十郎さんに教わったままという感じだったが、今回は発声も含めて錦之助色が出ていて安定感もあった。「外国人のための」では、錦の前の髪の毛が逆立ったのを見て驚く弾正に笑いと少し拍手が来て、秀太郎の手を取りなでると笑い、秀太郎に振られると又笑い、巻絹を口説いて振られる場面でも笑い。「面目次第もござりませぬ」では15日には無反応だったが、16日は拍手と笑いが起きたのでほっとした。錦之助さんも16日のほうがノっていたかもしれない。浅草歌舞伎でよくカメちゃんなんかが言ってたけど、役者と客席はキャッチボールだってこういうことよね。客席のウケがよいと、弾正の痛快さも際立って、カッコよく見える。

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2017年6月17日 (土)

六月歌舞伎鑑賞教室:歌舞伎のみかた

615日 歌舞伎鑑賞教室(国立劇場大劇場)
6
16日 外国人のための歌舞伎鑑賞教室(同上)

連日になってしまったが、記憶が新しいうちに外国人のための教室が見られたのはよかったかも。
16
日は半蔵門線にやけに外国人が多い。そうか、みんな国立か。って自分もそうなのに、なぜか一瞬ピンとこなかった。
全体的なことを言うと、両日とも3階席はかなり空席が目立った。15日は学生の反応がいま一つ、ココ拍手でしょという場面でも拍手は聞こえず、役者さんとしても拍子抜けじゃないかなと気の毒に思った。それなら自分が率先して拍手すればいいんだけど…。16日は大いに盛り上がった。両日分まとめてレポするので、わかりにくかったらごめんなさい。
「歌舞伎のみかた」
場内真っ暗になり、「歌舞伎という未知の世界へご案内します」という隼人クンのアナウンス。これまでは学生が反応してどよめくのだけれど、開幕前の喧騒を引きずったまま、そういう感じでもなかった。舞台中央にスポットライトが当たり、隼人クンが浮かび出る。そこはさすがに「おお」という空気。しかしその後は、いつものようにぴた~っと静かになるでもない。学生は歌舞伎初めてという子が多く、盆、舞台の奥行の広さ、セリに一つ一つ反応していた。隼人クンの説明は7年前壱太郎クンと一緒にやった時に比べてずいぶんこなれていて(7年前はフレッシュだった)、自分の言葉で客席に上手に語りかけていた。外国人のための教室では下手にライトが当たり、通訳の木佐彩子さんが登場、英語で自己紹介と隼人クンの紹介をすると、スッポンから隼人クンが出てくる。木佐さん、定式幕を「カーテン」と言っていた(日本語で「カーテン開けていただいていいですか」とか)。そうか、幕はカーテンか、と妙に感心してしまった。外国人の反応の良さは想像できたが、日本語の説明でも反応がよかったから、日本人観客も楽しんでいたんだと思う。「外国人のための」では通訳がつく分、隼人クンの説明の時間が短くなるわけで、学生にウケていた盆、舞台の奥行、セリの説明はなかった。その他はおおむね一緒。
花道、柝、黒御簾、ドロ(太鼓)、ツケ。ツケに合わせて立役の走り、女方の走りを実演してみせる。女方ではしなしなと走って真ん中で転ぶと両日とも客席から笑いが起きた。歌舞伎が男性だけで演じられていることを知らない外国人がけっこう多くてちょっと驚いた。女方の姿勢の作り方は「外国人のための」では大いにウケていた。これは「歌舞伎のみかた」ではよく取り上げられるのだが、そのたび、女方さんは大変だなあと思う。隼人クンも、こういう無理な姿勢を保って演じるので、女方の体や動きに注目してほしいと学生に訴えていた。

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2017年6月13日 (火)

六月歌舞伎座夜の部②

611日 六月大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)
夜の部の続きを。
「一本刀土俵入」
幸四郎さんの茂兵衛はどうかなと個人的にはちょっと懸念があったけれど、完全にそれは吹っ飛んだ。とてもいい茂兵衛だった。いや、これまで見た中でベストの茂兵衛かも(見るたび、ベストと書いているかもしれないけれど、その時その時で感動するから…)。取的の時は大らかで自然な朴訥さがユーモラスでもあり悲しくもあり。猿弥さんの弥八と川べりでやり合う場面は手のつけられない悪ガキと心やさしい空腹ののっそり坊やみたいで幸四郎さんも猿弥さんも楽しんでいるように見えた。
猿之助さんのお蔦はすさんではいても、捨てていないものがある。前に見た時は後姿に寂しさが隠しきれずに滲んでいたけれど、今回はそれに加えて強さのようなものが感じられた。お蔦は最初に見たのが福助さん、それから芝雀さん、そして今回が3回目となるカメちゃん(2年前の魁春さんは見ていない。前2回の茂兵衛は、勘太郎・中車さん)で、こうなるとやっぱり私にとってのお蔦は猿之助さんなんだよね。
我孫子屋の2階と外でのお蔦と茂兵衛のやりとりを聞いているうちに泣けてきた。ちょっと笑いもあったりしてまだ感動する場面じゃないかもしれなかったけれど、2人の言葉の行間に込められた気持ちがびんびん伝わってきて、泣けてきたのだ。
10
年後。老若船頭(錦吾、巳之助)、船大工(由次郎)の3人がのどかな空気の中に生活感を醸し出していて、場面転換の後の世界に入りやすかった。あんなにのっそりしていた茂兵衛がどっしり立派な(と言うのもおかしいが幸四郎さんの大きさに「立派」と言いたくなる)博徒になっている。暴れん坊の弥八もいっぱしの親分になっている(猿弥さんが10年前も含めてうまい)。一方、あのすさんだお蔦は細々ながらすっかり地道な生活を送り、いい母親になっている。利根の渡しで子守女に背負われていた赤ん坊が母親のお手伝いをする少女になっている。茂兵衛の変化よりもお蔦の変化よりも、私はお君の成長に10年の日々が経ったことを痛感した。子守女が背中の子はお蔦が生んだ父なし子だと茂兵衛に答えたあの場面の茂兵衛が鮮明に思い出されたから。
「思い出したっ」は、今回はお蔦の家の門口で茂兵衛が相手を頭突きした時。この頭突きは見るたびタイミングが違うような気がする。

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2017年6月12日 (月)

六月歌舞伎座夜の部①

611日 六月大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)
最近、1日中眠くて眠くて、夜の部だって寝に行くようになるんじゃないかと不安だったけれど、全体的に意外に頑張れた。
「鎌倉三代記」
この演目意外にも4回見ているらしい(1度はリピート)のに、とにかく苦手な演目で、まともに起きていられたことがない。当然今回も不安で、夜の部は上演時間が長いからパスしようとも思ったが、案外頑張ることができた(途中、多少寝ました)。チラシで先にあらすじを読んでいたせいか、話のとっかかりがわかり、またセリフや前半の義太夫も思いのほか聞き取れた。そうやって見てみると、ほとんど動きのない芝居(だから眠い)というのはまったくの思い込みであった。
雀右衛門さんの時姫、松也さんの三浦之助、バランスは悪くない。雀右衛門さんが若々しくてきれいで夫を思う心が可愛い。父と夫の板挟みに苦悩する心情にはうるっときた。夫は他人、父は血族と思うのだけれど、結局は父を討つ決意をする時姫。松也さんは重傷でありながら時姫の真意を測り、父親を討つことを決意させるという難しい役どころだったが、瑞々しくてニンに合っていたと思う。
秀太郎さんの長門は短い出番ながら長門という人の気概を見せていた。
暖簾の陰に藤三郎の幸四郎さんの姿がちらっと見えた時拍手が起きかけたが、幸四郎さんは一度引っこんでしまった。すぐに出てきたが、拍手はためらいがちにぱらぱらと。藤三郎はあまり愛嬌は感じられなかった。そのかわり高綱は幸四郎さんらしい大きさが圧倒的だった。
おくる(門之助)がよかった。突然自害して私は驚いたけれど、登場人物は誰も驚いていなかった。忠義のために死んでいく者の哀れを感じた。
ところどころ、ちょっと尼ヶ崎閑居に通じるものがあるような気がした。
「御所五郎蔵」
両花道はやっぱりいい。とは言っても私の席からは仁左様は斜め後ろ姿しか見えなかったし、子分たちは声のみだったけれど。それでも仁左様はずっとカッコよかった。本舞台で全部見えるようになったら、肩をそびやかしたスッキリほっそりの姿のまたカッコよさ。左團次さん(土右衛門)との達引は緊張感が溢れていて面白かった。
五郎蔵は誰が演じてもあまりお利口に見えなくて、気持ちはわかるけど共感できない、皐月の気持ちをわかってあげて…と、この演目はあまり好きになれないのだが、仁左様の五郎蔵は違った。皐月の去り状を2度読み、2度目はじっくり目を通して皐月の本心を測っている様子。そこへ皐月が姿を見せ、縁切り。五郎蔵と一緒じゃ一生楽できないからと言われた時の「そりゃあまりに情けないぜ」といった表情が印象的だった。そしてだんだん怒りがこみあげてくる。そこへ至るまでの心情に今回は共感、いや同化さえできたのは自分でも意外だった。皐月の気持ちをわかってあげてよ、というのは今回も同じだが、腹立ちゆえにそれが見えなくなっている男伊達の意地、せっかく皐月が工面した二百両を受け取らない意地がよくわかる。
一方の皐月(雀右衛門)も本心を隠して縁切りする辛さが哀れだった。
逢州の米吉クンは顔に幼さはあるものの、五郎蔵をなだめる必死さに皐月を思う心が感じられ、その場をおさめる貫録のようなものも見られた。
左團次さんは不気味さと、皐月にぞっこんの男の心情をうまく見せていた。一緒に歩かないとイロになった甲斐がないという土右衛門はいつもかわいいところあるなと思う。
五郎蔵の子分として吉之丞さんが出ていたのでほっとした(四月の休演以来どうしたかなと心配していたので)。


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2017年5月30日 (火)

五月大歌舞伎夜の部

527日 五月大歌舞伎千穐楽夜の部(歌舞伎座)
やっと倅マン見られるよ。眞秀クン初お目見えはマスコミで話題だけれど、新・亀三郎誕生だって歌舞伎ファンにとってはとても大事。だから楽しみにこの日を待っていた。以下、思い出すままに。
「壽曽我対面」
・浅葱幕のお約束事はなく、いきなり振り落されると、工藤祐経(菊五郎)もすでに高座に着いている。途中から見せられたためなんか中途半端な気分がしたが、芝居が進むにつれ、面白くなってきたからそれも忘れた。
・楽善さん(小林朝比奈)のセリフがいい。こんなでっかい朝比奈は初めてかも。
・菊五郎さんの工藤もデカくて、ちょっとどきどきするような色気があった。
・一段といい声が聞こえるなと思ったら新・亀蔵さん(近江小藤太)だった。
・十郎・五郎登場の時の並び大名の「あーりゃーこーりゃー」の声がすごく大きい。襲名祝いの威勢かな。
・新・彦三郎さんの五郎は、祐経への恨み、怒りがすさまじい。若さが溢れている。
・時蔵さんの十郎は五郎が盃を取ろうと構えている間、いざという時に備えた緊張感に兄らしさがあった。
・権十郎さん(鬼王新左衛門)が幼い新・亀三郎クンの手を引いて花道から登場すると、微笑ましさと気分の盛り上がりでちょっと興奮した。本舞台で、亀三郎クンが客席の方を向いて座ると、権十郎さんが向きを少し舞台寄りに直す。一緒にセリフを言う亀三郎クン、しっかりしていてかつ可愛い。大叔父さんも可愛くてしょうがないだろうなあ。

工藤が富士の巻狩りの切手を兄弟に与え、「さらば」で芝居が終わると、菊五郎さんが高座から降りて舞台中央へ進み、並び大名と梶原(家橘・橘太郎)を除く全員が並んで座る。口上だ。
・菊五郎:今回の團菊祭を父・梅幸23回忌、大叔父(?)羽左衛門17回忌にしてはどうかと松竹から勧められた。70年来の友人彦三郎さんが初代楽善、江戸歌舞伎の大事な名前彦三郎は亀三郎さんが、そして亀寿さんは亀蔵になる。いまひとつのご紹介は彦三郎さんの長男侑汰クンが亀三郎になったこと。
・以下、時蔵、萬次郎、梅枝、竹松、松也、権十郎さんがお祝いの口上を、楽善さん、彦三郎さん、亀蔵さんが挨拶と感謝を述べた。幼い亀三郎クンは名乗りを上げ「よろしくお願いいたします」と大きな声で立派に口上を務めた。最後に客席を見上げてお辞儀する姿が堂々としていて感心した。


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2017年5月25日 (木)

明治座夜の部

521日 五月花形歌舞伎夜の部(明治座)
この日はちょっと色々あって疲れていて、パスも考えたほど。でも他の日程は無理だし、せっかく取ったコスパのいい席だし…。
170525hakkenden 「南総里見八犬伝」
八犬伝は浅草(20121月)、国立(20151月)、歌舞伎座(20157月)に次いで3度目だが、歌舞伎座は芳流閣~円塚山だけだったし(歌舞伎座だけ芳流閣が円塚山の先にきていた)、浅草も国立も富山山中が発端だった。今回は発端が富山山中より前の「安房国滝田城内曲輪の場」であり、里見家滅亡の背景がわかったという意味では面白かった。玉梓の千壽さん活躍だったしね。「富山山中」は前半の記憶がほとんどない。金碗大輔(松江)が鉄砲を撃ち誤って伏姫の命まで奪ったところは、子供の頃の大昔に読んだ少年少女向け本の挿絵を思い出した。「蟇六内」の場もところどころ記憶が抜けてしまった。
花形の中で鴈治郎さん、吉弥さん、橘三郎さんが舞台を締めた。里見義実の橘三郎さんは意外に(失礼)若々しく、美女・玉梓によろめくのに違和感はなかった。ではあるが、よろめくのも忠臣の忠告を聞きいれるのも簡単すぎるように思った。鴈治郎さんはさすがの貫録で、蟇六では鴈治郎さんらしいがちゃがちゃとせわしない言動で笑わせ、2役目の扇谷定正(大詰・相模国対牛楼)では小柄ながら憎らしい国崩しに余裕の大きさを漂わせていた。吉弥さんは化け猫役(ここでも発端の玉梓とつながる)で弾けていた。先月の意地悪ばあさんといい、今月の化け猫といい、品を失わない弾けぶりを楽しんだが、そろそろしっとり美しい吉弥さんを見たいものだ。
花形たち。新悟クン(浜路)は「蟇六内」「円塚山」合わせて、一途さも一途な故の強さも哀れさも、やっぱり新悟クンはいいなと思わせるものを見せていた。出番が短いのが残念。八犬士の中に入れてほしかったけど…。
隼人クンの左母二郎が意外とよかった。2役目の犬田小文吾より好き。顔が獅童さんに似ていておやっと思ったが、親戚だから似ていても不思議はないか(隼人クンのおじいさん・四代目時蔵が獅童さんのおとうさんと兄弟)。優男より骨太な役のほうがニンだと思う。

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2017年5月19日 (金)

五月歌舞伎座昼の部

514日 五月大歌舞伎昼の部(歌舞伎座)
以前の私なら、何が何でも初日だったのに…。
3
階はサイトでは多分空席なしだったように思うけど、意外と混んでる感はなかった(実際、空席もいくつかあったし)。
「梶原平三誉石切
ああ楽善、彦三郎、亀蔵、親子3人の「石切梶原」を見ているんだ、となぜか開幕後数分経ってから、幸せな感慨を覚えた。口跡のよい3人、セリフが心地よく耳に入ってくる。
新・彦三郎さんはやや小粒(そりゃあ、吉右衛門、幸四郎という大物に比べたら当然仕方ないよね)、まだ硬い部分もあったが、丁寧に楷書で演じていて、何と言っても爽やかさが気持ち良い。若さと彦三郎さんの持ち味故だろう、策を凝らすという感じよりも、親子の力になりたいという真っ直ぐな気持ちを強く受けた。刀の鑑定をするために咥えた懐紙の厚さがかなりで大丈夫かと心配になったが、それが名刀であることに驚いて口を開いた途端懐紙が落ちたからほっとした。試し斬りをしようとする俣野五郎を自分に「失礼だ」と一喝する梶原。私もスカっとしたが、客席からも拍手が起こった。手水鉢は正面向きに切り、飛び越えると言うよりは2つに割れた中を悠々と(だったか、急いでだったか)歩いて出てきた。彦三郎さんの爽やかさを、今度は細川勝元で見てみたい気がした。
新・亀蔵さんはあまり悪役には見えなかったが、形がきれいで迫力があった。
楽善さんはやっぱり大きさが違うなと思った。そこが歌舞伎の面白いところで、彦三郎さんがやや小粒に見えたのには、楽善さんの大きさがあったのも一因かもしれない。大庭という人物は一応悪役側ではあるが、俣野と違ってそんなに悪い人ではないと、いつも思う。刀の目利きは梶原に一目置いていて鑑定を依頼するし、相手の言い値で買い取ろうとするし、六郎太夫が二つ胴に志願すると何を言っているんだと二つ胴をやめさせようとするし。とくに六郎太夫の申し出に対する反応はまともだろう。そういう大庭の面が楽善さんの大きさの中に見て取れた。
右近クンの梢は可憐だった。
團蔵さんの六郎太夫がよかった。弱々しく喋るセリフが効いて、二つ胴失敗の絶望→梶原の策に対する驚き→喜びの感情が伝わってくる。折紙を取りに帰る梢を見送る姿に、父親としての強い愛情・覚悟が見えて感動した。
呑助(松緑)のセリフは、酒尽くしではなくて十七世羽左衛門、七世梅幸の追善、楽善・彦三郎・亀蔵3人の襲名、眞秀の初お目見え、亀三郎の初舞台と、特別な團菊祭に絞ったものだった。松緑さんは真面目で、こういう飄々とした面白みはないかと思っていたが、そういう團菊祭に團蔵の兄と重ねられて(並べられて?)とおーんおーんと泣いているのが可笑しくもあり、気の毒でもあり、だった。

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2017年5月 9日 (火)

出ずっぱり愛之助さん大活躍:明治座昼の部

59日 五月花形歌舞伎昼の部(明治座)
連休明けの平日とはいえ、3階正面関にはけっこう空席が…。私は狙い通りの席を取ったつもりだったけど、目の前に金属パイプの手すりっていうのか何というのか、コの字型のパイプを縦置きにしたような、歌舞伎座では上演時間になると下に押し込んで邪魔にならないようにできるものが立っていて、視界を邪魔する(時々フレームの隙間から見ることになる)。これまでは気が付かなかったのか、気にしなかったのか…。明治座も可動式だといいのに。
170509tukigata 「月形半平太
月形半平太――知っているような、そうでないような――芝居を見て、知っていたのは名前だけだとわかった。「春雨じゃ、濡れて行こう」が月形のセリフだったか、とは「月さま、雨が」で気がつき、ほんと私って何にもわかっていないとガックリきた。さらには幕末の人だったのか(いつの人だと思っていたかという意識さえなかった)。一番驚いたのは、こんな壮絶なドラマがあったのか‼ ということ。この日は大向こうさんが来ていなかったようで、ここはほしいなというところも静かでちょっと寂しかった。

前半はどことなくやや面白みに欠ける部分があったが、すぐにどんどん面白くなって、けっこうのめり込んだ。
全体的な印象としては、歌舞伎でもあり新国劇でもあり時代劇でもある、ということ。長州藩の武士たちと月形が決裂し、月形が去った後月形を斬ろうといきり立つ武士たちを「どうせ見廻り組がやるから」と橘三郎さん(藤岡九十郎)が制止する場面では、京の闇の中を殺気を漲らせながらあるいは気配を消して蠢き、ヒタヒタと獲物に迫る殺し屋たちの姿が映像として脳裏に浮かび、ぞくっとした。

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2017年4月29日 (土)

「夢幻恋双紙」

425日 「夢幻恋双紙」千穐楽(赤坂ACTシアター)
170429akasaka 面白かった‼ セリフは現代語だし、長唄も入るがピアノが流れるし(これが効果的)、歌舞伎でなくて一般演劇としても成立しそうなのに歌舞伎としての違和感が全然ない。脚本(蓬莱竜太、演出も)がよくできているんだろう、変なひねりがなく、最初から素直に入っていけた。以下、思い出すままに。
切り絵風の家々がメルヘンのようでいて、本当にその世界へ連れて行ってくれるようで、独特のいい空気を静かに発していた。
時間が前触れも説明もなく飛躍するが、ちゃんと時が移ったことがわかる(勘九郎さんが舞台上で着替えるのが、唯一目で見てわかる時間の飛躍だった)。
剛太、末吉、静、そして「のびろう」とあだ名されている太郎――ドラえもんのいない「ドラえもん」の世界の子たち。剛太の猿弥さん、末吉のいてうさん、静の鶴松クン、太郎の勘九郎さん(太郎がおなかの当たりで歌に小さく手を振るバイバイがとても可愛い)、みんな子どもに見える。子供の世界をうまく表現している(中でも猿弥さんが秀逸)。マドンナである歌(七之助)だけが「ドラえもん」の登場人物ではなく、そして私には年齢不詳に見えた。みんなが子供でも1人おねえさんな感じ、そしてみんなが大人になっても歌だけはそのまま。
太郎は2回転生する。まずは転生前の太郎の時代。
歌の心の変化が哀れだった。不治の病の父親の看病に疲れ果て、父を殺そうとする。やつれ、荒みが全身にしみこんで、この時だけは老けて見えた。やさぐれ兄・源之助(亀鶴)にさえ「1人にしないで」と叫びすがる哀れさが胸に迫った。ところが、この「1人にしないで」にはもっと深い意味があったんだと、ずっとずっと後になって気づかされた(そこが蓬莱さんのうまいところなんだよなあ)。
太郎は
2回転生すると書いたが、本当は永遠に転生し続けるのかもしれない。永遠に続くメビウスの輪? 
最初の太郎(のびろう)はどうしようもない男だ。子供の頃はやさしいのびろうで済んでいたが、歌と夫婦になってからの生活力がない。自分の劣等性に甘えて負けて努力をしない。そこを源之助につけこまれる。歌を苦しめる。そういうダメダメな太郎の勘九郎さんがうまい。

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